↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「異世界?それも想定内だ。33年間、あらゆる可能性を生きてきた男」  作者: JX
第一章 勝利は準備を愛する

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
2/171

第2話 異世界? それも想定内だ

降り立った先は、地平線まで続く草原でした。


 草の匂いで、目が覚めた。


 乾いた、夏草の匂いだった。


 まず、生きていることを確認する。次に痛みの有無。次に四肢の可動域。すべて異常なし。


 目を開けた。


 ――空が、高い。


 それが最初の印象だった。


 地球の空より、明らかに青が深い。雲は一つもなく、頭上から降ってくる陽射しは白く鋭い。


 身を起こすと、視界いっぱいに草原が広がっていた。


 膝丈ほどの草が、地平線まで途切れることなく続いている。黄緑と、枯れかけた金色が斑に混じり合い、風が吹くたびに、その色の帯が波のようにうねって走っていった。


 遮るものが何もない。ビルも、電線も、家も。


 遠くに、ぽつりぽつりと木が立っていた。幹は太く、枝は傘のように横へ広がっている。乾燥した土地に適応した樹形だ。地球のサバンナに生えるアカシアに似ていた。


 その向こう、はるか遠くに、うっすらと山脈の稜線が見える。


 ――ここが、異世界か。


 立ち上がる。


 軽い。驚くほど、体が軽かった。


 三十三年間で染み付いた、関節のわずかな軋みも、朝の凝りも、何もない。視界も妙に鮮明だった。数十メートル先の木の、葉脈の一本一本まで見える気がする。


 感情が動きかけたのは、一瞬だけだった。


 ――想定内だ。


***


 草むらが、不自然に揺れた。


 風の向きとは、合わない揺れ方。


 俺は足を止め、呼吸を整えた。


 距離、およそ十五メートル。揺れの幅から推定して、体高は五十センチ前後。単独。草を掻き分ける音の間隔が一定――迷っていない。こちらに真っ直ぐ向かってきている。


 ――狙われている。


 飛び出してきたのは、犬ほどの大きさの獣だった。


 赤黒い体毛。額から、小さな角が一本。開いた口から覗く犬歯は、明らかに肉を裂くための形をしていた。


 唸り声も、飛びかかる軌道も、地球上のどんな動物とも一致しない。


 だが。


 動きの質そのものは、野生動物の捕食行動と、何も変わらなかった。


 後肢に体重を乗せ、肩を沈める。跳躍の予備動作。


 ――中型犬の突進。想定済み。


 狙ってくるのは喉だ。捕食者が最短で獲物を無力化する場所。


 跳んだ。


 俺は下がらなかった。下がれば、追われる。


 半歩だけ、横に踏み出す。


 空中で軌道を修正できない生き物は、跳んだ瞬間に進路が確定する。避けるべきは、真後ろではなく真横。三十三年間、頭の中で何百回と繰り返した判断だった。


 獣の体が、俺の肩をかすめて通り過ぎていく。


 着地の瞬間――そこが、一番無防備になる。


 俺は、その沈んだ背中に、掌を叩きつけた。


 力任せではない。体重を乗せ、地面へ押し込むように。


「ギャンッ」


 悲鳴。だが、まだ生きている。


 起き上がろうと、後肢が土を掻いた。


 そこへ、俺は膝を落とした。


 背骨の付け根――四足動物が最も脆く、そして体重を支えるために必ず力が集中する一点。


 鈍い音がした。


 獣の動きが、止まった。


***


 立ち上がり、息を整える。


 ――百二十。上がってはいる。だが、想定の範囲内だ。


 初めて見る生き物だった。初めて見る世界だった。使ったのは、ただの体術と、三十三年分の判断だけ。


 ギフトは、まだ一度も使っていない。


「――それも」


 俺は、静かに笑った。


「――想定内だ」


***


 その時だった。


 風の中に、別の匂いが混じった。


 獣の体臭。それも――一頭分ではない。


 振り返る。


 草原の、緩やかな起伏の向こう。


 草が揺れていた。


 左に三つ。右に四つ。正面に、それ以上。


 赤黒い背が、次々と、草の海から浮かび上がってくる。


 数えて十四。いや、まだ増えている。


 ――囲まれた。


***


 冷静に考えるほど、答えははっきりしていた。


 さっきの一頭は、体術で仕留められた。跳躍の軌道が読めて、着地の隙が突けたからだ。


 一対一なら、それでいい。


 だが十数頭が同時に来れば、躱した先に必ず別の個体がいる。一頭を仕留めている間に、三頭が背後を取る。


 想定録の該当項目は、ある。「複数の捕食者に包囲された場合」。


 その結論も、覚えている。


 ――逃げろ。


 人間の脚力では、群れとは戦えない。木に登るか、高所に逃げるか、火を使うか。正面から戦うという選択肢は、そこにはなかった。


 俺は、ゆっくりと息を吸った。


 ――だが、ここは地球じゃない。


***


 先頭の一頭が、前肢で地面を掻いた。


 その動きに合わせるように、他の個体も低く身構えた。統率されている。単独で襲ってきたさっきの一頭とは、明らかに質が違う。


 唸り声が、あちこちから重なった。低く、腹に響く音。


 包囲が、じりじりと狭まってくる。十五メートル。十二メートル。


 俺は動かなかった。


 十メートル。八メートル。


 先頭が、後肢に体重を乗せた。


 ――今だ。


***


 地を蹴った。


 ただし――前でも、後ろでもない。


 真上に。


 体が、浮いた。


 風が下から吹き上げてくる。草原が、足の下で遠ざかっていく。


 飛んでいた。


 翼もなく、支えもなく、ただ自分の意志だけで。


 ――三十三年間、何百回も思い描いた景色だ。


 眼下では、群れが混乱していた。獲物が消えた地点で何頭かが衝突し、もつれ合っている。見上げる個体もいたが、その目には明らかな困惑があった。


 空から来る捕食者を、こいつらは知らない。


 高度、およそ二十メートル。


 俺は、右手を、下へ向けた。


***


 掌に、熱が集まる。


 炎だった。


 橙色の、拳大の塊。触れれば焼ける、という直感的な理解が、指先から伝わってくる。


 ――このまま撃ち下ろせば、一頭は焼ける。だが群れは散る。


 散った獣は草原に伏せる。草丈は膝上。上空からでも見失う。そして、こちらの体力が尽きるのを待つだろう。


 ――なら、散らせない。


 視線を巡らせる。


 群れの足元に広がる、乾いた黄金色の草。雨の降っていない土地。


 風は、西から東へ。途切れなく流れている。


 群れは、その東側にいる。


 答えは、一瞬で出た。


***


 俺は、群れではなく――その西側の、誰もいない草地へ、炎を撃ち込んだ。


 乾いた草が、爆ぜるように燃え上がった。


 一拍おいて、風が炎を押した。


 橙色の線が、地を這うように東へ走り出す。乾いた草を舐め、煙を上げ、みるみる幅を広げながら、群れへと迫っていった。


「――ギャゥッ!?」


 悲鳴が、下から上がった。


 群れが、散った。だが、西へは逃げられない。炎の壁が、そこにある。


 北と南は――既に撃ち込んでいた。二発、三発。同じ要領で、乾いた草を焼き、風に任せる。


 燃え広がる炎が、コの字を描いた。


 残された逃げ道は、東だけ。


***


 俺は、滑るように高度を下げた。


 炎に追われた群れが、一方向へ殺到してくる。


 狭い。密集している。互いにぶつかり、押し合い、身動きが取れなくなっている。


 両手に、炎を集めた。


 さっきより、ずっと大きく。


 放たれた二つの塊が、密集した群れの中心で弾けた。


 熱波が、草を薙ぎ倒しながら広がっていく。


 悲鳴。焦げた匂い。もつれ合いながら倒れていく赤黒い体。


 それでも、数頭が炎を抜けて走り出た。


 俺は、地に降り立った。


 抜けてきたのは三頭。もう包囲ではない。


 ――これなら、さっきと同じだ。


 一頭目。跳躍の軌道を読み、半歩横へ。着地の背に掌を打ち込む。


 二頭目。振り向きざま、顎を下から蹴り上げる。


 三頭目は、既に牙を剥いていた。


 避けきれない。


 俺は、右腕を前に出した。


 炎が、腕を包む。


 噛みついた顎が、そのまま焼けた。


 獣が跳び退がる。その喉元へ、炎を纏った手刀を叩き込んだ。


 音もなく、赤黒い体が地に落ちた。


***


 静かになった。


 燃え残った草が、あちこちで小さく煙を上げている。風が、その煙を東へ流していった。


 呼吸を整える。心拍数を確かめる。百六十。


 右腕を見る。炎を纏っていた部分に、火傷はなかった。


 ――そうか。自分の炎では、焼けないのか。


 一つ、記録が増えた。


 空を見上げる。


 さっきまで、あそこにいた。


 ――飛べた。


 三十三年間、何千回と思い描いた。布団の中で、電車の中で、誰にも言えずに。


 その全部が、今日、本当になった。


 俺は、口元を緩めた。


 嬉しくないわけがない。


***


 焼け跡を歩きながら、角を集めた。


 黒く炭化した草を踏むと、ぱきぱきと乾いた音がした。煤の匂いが鼻につく。


 全部で十七本。革の切れ端で束ねて、腰に下げた。


 最初に倒した一頭のところへ戻ると、首元に小さな革袋が下がっていた。中には、硬貨が数枚。


 ――獣が、金を持っていた。


 この獣は、誰かを襲った。その誰かが、金を持っていた。つまり――この草原には、人が通る。


 そして、こういう獣が人の通り道に出るなら。


 ――狩る仕組みが、必ずある。


 害獣を駆除して、対価を得る。地球でも、同じことをしていた。統治機構がある社会なら、必ず似た仕組みを作る。


 俺は、腰の角束に触れた。


 ――これは、たぶん、金になる。


***


 顔を上げる。


 風は、相変わらず西から東へ。


 水の流れる方向と、太陽の高度。二つを手がかりに、大まかな地形を頭に描いた。


 水は、生活の匂いを運ぶ。人が住むなら、水辺の近くだ。


 俺は、歩き出した。


 背後で、焼け跡の煙が、まだ細く立ち上っていた。


お読みいただきありがとうございます。

一頭目は、ギフトを使わずに仕留めました。使ったのは体術と、三十三年分の判断だけ。

ですが、群れが相手ではそうはいきません。想定録の結論は「逃げろ」——それを覆したのが、あの日の四十秒で選び取った力でした。

初めて空を飛ぶ場面を、少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。