第18話 風纏う理由
新しい師匠、フィーレとの最初の授業の話です。
ギルドの裏手にある訓練場、その一角にフィーレは杖も持たず立っていた。
「聞いておくけど、魔力の操作は、どれくらい出来るの?」
「まだほとんど、感じることしか出来ません」
「感じるだけなら、この世界に生きてれば当たり前だものね。……逆に、操作がここまで出来てないのは珍しいけど」
フィーレは軽く手首を返した。それだけで、周囲の空気がふわりと巻き上がる。木の葉が数枚、渦を巻くように舞い上がった。
「――風、ですか」
「一番得意なのは風。火も水も土も、一通りは使えるけど、風だけは誰にも負けたことがない」
「S級だと聞きました」
「今もね。伊達に長くやってないわよ」
「差し支えなければ、なぜ今回の依頼を受けたのか聞いても」
「差し支えるわよ、普通は」
そう言いながらも、フィーレは訓練場の端にあった切り株に腰を下ろした。話す気になったらしい。
「五年前、ある依頼でパーティーを組んでた。私を含めて四人、全員S級。当時、この国で一番強いパーティーだって言われてた」
風が、ふっと止んだ。
「討伐対象は、格上の魔族だった。分かってたのに、私は油断した。自分の風なら、絶対に相手の攻撃を防げるって過信してた」
「――何が、あったんですか」
「一人、死んだ。私の防御が、コンマ数秒遅れたせいで」
言葉は淡々としていたが、その奥にある重さは、隠しようがなかった。
「それでも、逃げるように前線を降りるのは違う気がして、今も現役を続けてる。研究の時間も増えたけど、依頼はちゃんとこなす。ガルドナーとは、あの頃からの腐れ縁」
「今回、俺への指導を受けたのも」
「ガルドナーからの正式依頼。あいつが直接頭を下げてきたのなんて、何年ぶりだったか」
フィーレは立ち上がり、ジェクスへと向き直った。表情から、先ほどまでの重さが消えていた。
「――だから、期待してるの。あなたには」
「期待、ですか」
「あなたのやり方は、無茶で、危なっかしい。一人で結跏趺坐だか何だか組んで、我流で魔力を練ろうとしてたんでしょう」
「……なぜそれを」
「魔石ハンターから聞いたわよ。あの男、口が軽いの」
フィーレは苦笑した。
「私はもう二度と、目の前で誰かを死なせたくない。だから、教えるときは徹底的にやる。危なっかしい我流のまま実戦に出られる方が、よっぽど怖いから」
「よろしくお願いします」
「ええ。まずは、基本から」
フィーレは手のひらを上に向けた。そこに、細く小さな風の渦が生まれる。
「魔力を練るところまでは、あなたも出来てるみたいね。次は、それを"形"にする段階。イメージだけじゃなく、術式として固定する」
「術式、ですか」
「その前に、一つ知っておくべきことがあるわ。魔力には波長がある」
「波長?」
「人によって、体に合う波長が違うの。その合う波長次第で、扱いやすい属性が決まる。火に強い波長、水に強い波長、風に強い波長――ってね」
フィーレは自分の手のひらを、軽く胸の前にかざした。
「私の中には、火水風土――四つの波動が流れてる。全部使えるのはそのせいよ。でも、一番馴染むのは風の波長。だから、風が一番得意なの」
「属性は、一つとは限らないんですね」
「珍しくはあるけどね。大抵の人間は、一つか二つの波長しか持ってない」
「一つ、教えてほしい技術があります」
「あら、注文が早いのね」
「剣に魔力を注いで、魔石の反射の力を借りて、相手の魔法を剣で弾き返す――そんな技術を身につけたいんです」
フィーレは軽く目を見開いた。
「魔法を、剣で弾き返す? 普通は防御障壁を張るか、同属性で相殺するものだけど……面白いこと考えるじゃない」
「その剣は魔剣です。反射の性質を持つ魔石が使われてる。魔力さえ注げれば、弾く土台にはなるはずです」
「――ちょっと、あなたの中の魔力、見せてもらっていい?」
フィーレは目を細め、ジェクスの体に流れる魔力を診るように見つめた。しばらくして、小さく息を呑む。
「……冗談でしょう。あなたの中、火も水も風も土も――考えられる属性の波長が、全部流れてる」
「ギフトのせいだと思います」
「全属性を持つなんて、伝説級の話よ。でも」
フィーレは眉をひそめた。
「これだけ波長が入り乱れてると、逆に見抜くのは至難の業ね。自分のどの波長を使ってるのかすら、普通は分からなくなる」
「だから、二つ教えてほしいんです。一つは、剣に魔力を注げるようになること」
「もう一つは――相手が放つ魔法の波長を、見切る力ね」
フィーレが先に言い切った。ジェクスは頷いた。
「――いいわ。厄介な生徒ほど、教え甲斐があるものね。まずは、剣に注ぐところからよ」
「詠唱、印、道具――色々あるけど、一番早いのは、既に形になってる誰かの術を真似ること。まずは私の風を、そのまま感じ取ってみて」
フィーレの手の中の風が、ゆっくりとジェクスの方へ流れてくる。ジェクスは目を閉じ、意識をその流れに合わせた。想定録に、新しい項目が刻まれていく。
――風の質感、密度、循環の速さ。
「――どう?」
「……分かる気がします。でも、真似るには、まだ足りない何かがある」
「上等な感覚してるじゃない」
フィーレは満足げに頷いた。
「その"足りない何か"を埋めるのが、これからの稽古よ。覚悟しておいて」
夕暮れの訓練場に、二人分の影が長く伸びていた。ジェクスは、想定録のどの項目にも当てはまらない、新しい種類の緊張を感じていた。
フィーレの過去と、彼女がこの依頼を受けた理由が明らかになりました。次回からいよいよ本格的な魔法の稽古が始まります。




