第110話 天界
第二部「始まりの7柱」、開幕です。
物語の舞台は、遠く離れた場所へ——。
――そこは、人の言葉で表せる場所ではなかった。
夜空を突き刺すように聳え立つ、無数のガラス張りの塔。その内側を、魔力の光が、血管のように駆け巡っている。塔と塔の間を繋ぐのは、宙に浮かぶ光の高架道路――その下に広がるのは、ドーム状の建造物が織りなす、幻想的な光彩の都市だった。
この世界を動かしているのは、ただ一つ――魔力という、尽きることのないエネルギー資源だった。
魔力さえあれば、あとは全て、人工知能が管理する。食事も、娯楽も、映画も、楽曲も――望むものは、望むだけ、次々と生み出されていく。気温も、天候も、生態系すらも、自動で最適化され続ける。
だから、この世界の住人――神々には、何一つ、することがなかった。
働かずとも、生きていける。求めずとも、望みは全て叶う。その完璧すぎる仕組みが、逆に、この世界の住人たちを、底なしの退屈へと突き落としていた。
星々が、床のように敷き詰められている。天井の代わりに広がるのは、無数の世界の輪郭――泡沫のように浮かんでは消える、幾千幾万の宇宙の断片だった。
その中心、玉座とも呼べぬほど巨大な椅子に、一柱の神が、静かに腰掛けていた。
「――ほう」
その声は、言葉というより、空間そのものの震えに近かった。
「――アルテアの、あの餓鬼が。……ずいぶんと、育ったもんだな」
神の視線の先には、一枚の鏡のような水面が浮かんでいた。そこに映るのは、遠く離れたアルテア大陸――魔王の根城で交わされた、あの一連のやり取りだった。
「――放っておいて、よろしいので」
背後から、控えめな声がかかった。姿は定かでない。人の形をしているようで、していないようで――ただ、恭しい気配だけが、そこにあった。
「――放っておく? まさか」神は、僅かに、口の端を上げた。「面白くなってきたじゃないか。……あいつの息子が、あそこまで成長するとはな」
「――ですが、彼らは、既に真実の一部を、知ってしまいました」
「――知ったところで、何が変わる」神は、静かに、しかし冷たく続けた。「7人揃えろ、だと? ……面白い。実に、面白いじゃないか」
その視線が、鏡の中――遥か彼方の一人の青年へと、静かに向けられた。
「――ジェクス、だったか。あの十秒間の想像、よく見せてもらったよ」
その声には、揶揄とも賞賛ともつかない、複雑な色が滲んでいた。
「――他の柱たちには、この件、伝えても?」控えめな声が、再び問いかける。
「――ああ、伝えておけ」神は、鏡から視線を外さぬまま、答えた。「久しぶりに、スタジアムが賑わいそうだ」
「――嫌がらせを、なさいますか」
「――今はまだ、いい」神は、静かに首を振った。「せっかく育てた芽を、早々に摘むのも、興が削がれる。……せいぜい、足掻かせておけ」
その一言を最後に、神は、鏡の水面へと、指先をそっと近づけた。
「――さて。7人、揃えられるかな」
波紋が、静かに広がっていく。その先には、これから始まる新たな戦いの気配が、確かに、渦を巻き始めていた。
***
一方、別の世界――星々の狭間に浮かぶ、荒涼とした岩の大地。
そこにも、また別の柱が、腰を下ろしていた。全身を鎧に包んだ、戦神めいた姿。
「――随分と、騒がしいことになっているようだな」
戦神の視線もまた、遠くアルテアの空を、静かに見つめていた。
「――我らの中には、あの半神を、疎ましく思う者も多い。……このまま、放っておいていいものか」
呟きは、誰に届くでもなく、静かに、星々の間へと溶けていった。
物語は、まだ、始まったばかりだった。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
第一部「備えし者の記録」を終え、いよいよ第二部の幕開けです。魔力をエネルギー資源とする、完全に自動化された神々の世界——何一つ不自由のない暮らしが、逆に底なしの退屈を生んでいるという皮肉な構図、楽しんでいただけたら嬉しいです。「7人、揃えられるかな」という神の一言に込められた含み、そして「あの半神を、疎ましく思う者も多い」という別の神の呟き——神々の間にも一枚岩ではない亀裂があることが、少しずつ見えてきました。
次話もお楽しみに。




