第103話 想定とは…
魔王の圧倒的な強さ、アリシャの涙、物語はどう動くのかご期待ください。
「――なんで……なんで、なのよ……!」
アリシャの絶叫が、戦場に響き渡っていた。倒れ伏したジェクスの体に縋りつき、その頬を、震える手で撫でる。
「――シグルド、早く! 早く治して!」
「――やってる! やってるんだよ、俺は……!」
シグルドが、必死に光を注ぎ込む。だが、胸の穴から溢れ出す黒炎が、その光を、片端から吞み込んでいった。傷は、一向に、塞がる気配を見せない。
「――くそ、効かねえ……! 何なんだよ、この炎は!」
「――私も……! 私も、やる!」
アリシャが、震える手を、ジェクスの傷口へと重ねた。淡い時の粒子が、指先から、溢れ出していく。時を巻き戻し、傷が刻まれる前の状態へと、無理やりにでも引き戻そうとする、必死の力だった。
だが、黒炎は、その時の流れすら、拒むように渦巻いていた。時を戻そうとした端から、また新たに、炎が傷口を蝕んでいく。
「――なんで……! なんでなの……!」
時間属性の、この力すら、ジェクスを救えない――その事実が、アリシャの心を、さらに深く抉っていった。
「――そんな……」
アリシャの涙が、止めどなく零れ落ちていく。
「――ようやく……ようやく、自分の気持ちに気付いたのに」声が、掠れていく。「もう遅い、なんて……そんなの、酷すぎる……」
その慟哭が、周囲の空気を、重く沈めていった。
一方、魔王は、変貌したその巨躯のまま、静かに、攻撃の手を止めていた。
「――残しておくつもりが、な」
感情の読めない声で、そう呟く。欲しかったはずの器を、自らの手で壊してしまった――その事実に、僅かながらも、冷静さを取り戻したようだった。
「――まあ、いい。……見物させてもらうとしよう」
漆黒の獣は、その場に留まったまま、崩れ落ちたジェクスを、静かに見下ろしていた。
***
暗闇の中を、ジェクスは、ただ、堕ちていた。
底の見えない、黒い雲のような闇。掴む場所も、留まる場所もない。それでも、恐怖は、不思議となかった。
(――ああ、俺は)
意識の輪郭さえ、曖昧になっていく。それでも、堕ちていく感覚だけが、確かに、そこにあった。
どれくらいの時間が過ぎたのか、分からない。
ふと、遠くから、微かな音が聞こえた。
泣き声。誰かが、泣いている。誰だ――そう思った瞬間、その声に重なるようにして、鐘の音が、静かに響き渡った。
(――この音)
忘れるはずもなかった。あの日、天界で、召喚された瞬間に鳴り響いた、あの教会の鐘の音。
懐かしい。そして、温かい。
《――転移者ジェクスの、勇敢なる正しい行いを、承認しました》
声にならない声が、頭の中に、直接響いてきた。
《――『ウィクトーリア・アマト・クーラム(勝利は準備を愛する)』を、改変します》
(――ギフト? 改変?)
その言葉の意味を、まだ、理解できないまま。
朧げに、瞼が、開いていく。
視界に、真っ先に飛び込んできたのは、涙を流し続ける、アリシャの顔だった。
「――泣かないで、アリシャ」
その微かな囁きに、アリシャが、はっと息を呑んだ。
「――ジェクス……!?」
ジェクスは、震える手を持ち上げ、アリシャの頬に、そっと触れた。親指で、その涙を、静かに拭う。
「――嘘、でしょ……あなた……」
答える代わりに、ジェクスは、静かに微笑んだ。
その瞬間だった。
胸に空いた穴から、黒炎を押し除けるようにして、一筋の炎が、力強く吹き上がった。
「――ぐ、あああっ!」
痛みにも似た熱が、全身を駆け巡っていく。だが、その炎は、確かに、傷口を、内側から塞ぎ始めていた。
ゆっくりと、ジェクスは、立ち上がった。もう一度、瞼を、力強く開く。
その視線の先には、変貌した魔王の姿が、はっきりと、映っていた。
「――想定内だ」
静かな、しかし、確かな声だった。
(――自分が死ぬことも、死んでなお強くなることも)
数え切れないほどのアニメや漫画、映画――その中で、幾度となく描かれてきた展開だった。正直なところ、想定はしていた。だが、こんなことが、本当に、現実に起こるとは、この世界に来るまでは、思ってもいなかった。
(――だが、今は、違う)
魔法があり、ギフトがあり、神の存在すら、この世界では、現実のものとして知った。それならば――これが、覚醒であることも、もう、疑う余地はなかった。
《――ギフトの名が、書き換わる》
頭の中に響く声が、静かに、そう告げた。
《――その名を、口にしろ》
ジェクスは、大きく息を吸い込んだ。三十三年分の想定と、この世界で積み重ねてきた全て――その全てが、今、一つの名前へと、収束していく。
炎を纏った両の拳を、静かに握りしめる。
「――プロ・クストーディア・パラトゥス(守るために備えし者)!」
その叫びとともに、ジェクスの全身から、これまでとは比較にならない、圧倒的な魔力が、溢れ出していった。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
第一章がまもなく終わります。




