後編
「貴族に婿入りする覚悟が足りなかったのですよ、貴方。結婚前でよかった。貴方が不幸になるところでした」
「……私、が?」
「そうです、貴方がです」
呆然とするオリヴァーにまた呆れる。この婚約解消は彼を助ける為でもあったのに、それすら理解していなかったなんて。
「まだ自覚がないのですね。この騒動が婚姻後であれば、貴方、磔にされてましたよ?」
「は……?」
「我が国では、平民と貴族の婚姻を認めています。ほぼ下位貴族のみしか使用していない制度ですが認めていない国もある中、我が国では結婚ができるのです。理由は様々で、血を薄める為だったり優秀な人材を引き入れる為だったり、誰かの庶子を引き取る為だったり……。ですが勿論、貴族と結婚する平民にはそれ相応の責任が発生します」
オリヴァーは黙って私の話に耳を傾けていた。これが以前からできていればと思わないでもないが、終わった話だ。まあ、私や男爵家を侮っていた人にはできない芸当だったのだろう。
「もし何らかの事情があり離婚するとなった時、有責が確実に平民側にあれば不敬罪で牢屋行きです」
「そ、それは知っているが、いきなり有罪となる訳でもないだろう。しかも磔なんて大袈裟な刑罰が下された例はそうない」
「ありますよ、たくさん。平民との離婚時、五割以上はそうです。まあ、百年は前の判例ばかりですので、貴方、そこまで勉強していなかったのでしょう」
「百年前の判例が、今でも通用する筈がないだろう」
「しますわ。百年前は戦争のせいで若い男性貴族が減り、家を存続させる為に貴賤結婚が盛んだったのです。結婚が多ければそれだけ離婚も多くなり、そういった裁判も多かった。そして今は百年前程多くの平民と貴族が結婚しなければならない状況ではないので、離婚も少なく裁判も減った。さらに、過去から学ぶ人も多くおりますのでまず離婚になるような下手を打つ人も減った、ということですわ」
百年前は貴族だけでなく、平民も男性が減っていた。残った若い男性たちは取り合いとなり、けれどそれで勘違いをする輩も多く現れてしまった。いきなり生活水準があがり、人に傅かれるようになって自制心が利かなくなったのだ。冤罪があったかもしれない、というのは話がややこしくなるので一旦横に置いておくとして、自身の価値を勘違いした多くの罪人が磔にされた歴史は存在する。
しかし人は学ぶものだ。ここ数十年、貴賤結婚での離婚で磔が執行されたことはない。けれど法は存在している。オリヴァーもこの件は学んでいた筈だが、覚えなかったのか都合のいい解釈をしていたのか、まあもうどちらでもいいだろう。
「そもそも当然ですが、貴族と平民では認められている権利が違います。特権階級の家に生まれたわたくしと結婚するということを、貴方は何も分かっていなかった」
「……たかだが、男爵だろうに」
「ええ、そうですね。男爵は貴族位の中で下位です。ですが、わたくしの母は伯爵家の人間で父の母も子爵家の人間です。さらにその父母、わたくしの祖父母や祖先にあたる方々は公爵家や侯爵家とも繋がりがございます。この国の貴族とはそういうものですのよ。だからたまに、血を薄める必要があるのです」
その時々の時勢もあるが、階級社会において地位は絶対だ。オリヴァーの言う通り男爵は下位である。しかし、下位貴族のほとんどは上位貴族の庇護下にあるのだ。
かの子爵夫人は侯爵の叔父を持っており、かの公爵は又姪の伯爵令嬢を孫のように溺愛していた。貴族社会の血縁や交流関係は複雑で、ただ自身より下位だからと横柄な態度でいるとそれを理由にどこかで足をすくわれてしまう。基本の序列は絶対でそれは覆らないが、貴族として生きるにはそれ以外にも気をつけなければならない箇所は多くあった。
「本当に結婚しないでよかったですわ。わたくしだって、貴方を殺したかった訳ではないので」
「……」
「同情はいたしますわ。貴方はただ裕福な商家に生まれただけの凡人ですもの。父君がご優秀であったから貴方への期待も大きかったでしょう。それに応えられないことが、どれだけ辛かったか、わたくしには想像すらできません」
「……私を、見下しているのか」
「いいえ。ですが、見下ろしてはいるでしょうね。立っている位置が違いますもの」
「っ、同情しているというのなら、許してくれたっていいだろうに!」
「あら、許すもなにも、わたくしは怒ってはいないので」
「は? な、なら、婚約解消なんてしないでもいいんじゃないか。心を入れ替えて誠心誠意君に尽くすから!」
「わたくしに尽くされても困りますわ。家に尽くせない人は必要ありません」
きっとここが、我々を分かつ考え方の違いなのだろう。これは埋められるものではない。
「わたくしは家の駒ですの。家の為に結婚をし、家の為に子を産みます。血を繋ぎ、国と領地と領民を守る為に存在しているのです。その為に必要な努力を惜しんだことはありませんわ」
「……は、まるで、道具だな。君のほうがよっぽど可哀想だ」
「まあ、憐れんでくださるの? ありがとう。お互いに頑張りましょうね。わたくしも次の婚約者は十五も年上の方ですから、お話が合うか少し不安で」
「じゅ、十五? 犯罪じゃないか!」
「あら、そんな法律はありません。わたくしも成人しておりますし、問題はありませんわ。自身の祖父と同年の方と結婚する女性もいるのです。まだ父より若い方ですもの」
「そんな年の離れた奴のほうが、私より、いいと言うのか」
信じられないとでも言いたげに顔を歪めるオリヴァーが、よく分からなかった。多分、私が分からないように彼も分からないのだろう。分かりあえないということが分かったというだけ、よい経験になった。
「当然ですわ。貴方のように引き入れた瞬間に磔になりそうな人より、よっぽど。貴方の件で父も慎重になっていましたが、今度こそとてもよい方を見つけたのだと珍しく喜んでいましたから」
酒に弱く、あまり好んで飲まないあの父が、前祝いだと秘蔵の葡萄酒を開けたのだ。父にしては珍しすぎる行動に私と母は顔を見合わせ、喜んでそれに付き合った。その極上の味を思い出しながら、しかしそこではっとする。そうだ、この席はこの話をする為に設けたと言っても過言ではなかったというに。
「ああ、そうそう、貴方。彼女のこと、ちゃんとしてさしあげてね?」
「彼女? ……彼女って、あの女のことか?」
「そうですよ。可哀想でしょう。貴方が手を出さなければ、ただの性格が悪い女性というだけで留まっていられたのに、貴方が手を出したせいで勘違いをしてあのままでは不敬罪で連れて行かれてしまいます。今ならまだ、引っ越すくらいで見逃せますわ」
「……そうなったとして、自業自得だろう。あいつが、あんな馬鹿なことをしなければ、私だって」
「違うでしょう。彼女の性格の悪さは彼女の問題ですが、彼女に手を出したのは貴方です。それとも、彼女の周りの人間が老人や乳児に至るまで石投げの刑に処されてもいいと? その場合、貴方や貴方の家の評判もさらに落ち込むでしょうが」
「は!?」
「不敬罪とはそういうことです。まったく、本当にお勉強が間に合っていなかったのですね」
父が合理的にこの婚約を解消してくれて本当によかった。我が家としても、オリヴァーの教育にはそこそこの金額をつぎ込んだのだ。勿論、彼は彼の家でも教育を受けていたが、商人と貴族の教育は別物である。それ惜しさに無理に婚約を継続してもおかしくはなかったのだ。彼のやらかしを握りつぶすことだって父にはできたのだから。
けれど父は、彼に投資した金額の全てを捨てででも婚約を解消することを選んだ。父がどちらを選んだにしろ私は従うほかなかったが、婚約解消は正しかったのだとつくづく思う。
「貴族とは持てる者ですから、持たざる者には与えねば。ですがわたくしは加害を受けた側ですから、わたくしから彼女に直接庇護を与えることはできないのです。どういった経緯があるにせよ、貴方は持てる者として彼女に近づいた。持てる者として、彼女を助けなさい。それが責任です。それをしないというのなら、解消ではなく破棄とします。これは父にも了承を得ています」
ここまで言えば、さすがのオリヴァーもすぐに行動に移すだろう。逆にここまで言っても行動に移さないのなら、彼の人生は文字通り終わってしまう。
「……で、でも、どうすれば」
「ご自分で解決できないのなら、貴方の父君に相談なさい」
「ち、父は、多忙で家にいることなんてっ」
「暫くは休まざるを得ないでしょうから、ご在宅の時間も増えますわ」
「え……?」
「当然でしょう。貴方のせいで、父君の商売は随分信用を失ったのですから」
「……」
「さあ、時間はないですよ。すぐに帰ってお話しください。もし間に合わず彼女が不敬罪で連れて行かれたら、分かっていますね?」
始終青い顔だったオリヴァーは、別れの挨拶もせずに走り去った。最後であるから、この程度の無礼は寛大な心で許そう。
「よし、これで一つ片付きましたね。次はあの方の調査書を読み込まねば」
私がそう独り言を零すと、ずっと控えていた侍女が手の付けられなかったティーカップを下げながら苦笑した。
「お嬢様、一度休憩を。長時間の労働は効率を下げます」
「あら、それもそうですね。でしたら少しだけ」
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