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優先順位を間違えてはいけません  作者: と。/橘叶和


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1/3

前編

 家同士の話し合いは既に終わり、我々の三年に渡る婚約の結末は確定した。つまり最後だからと今更本人同士が話す必要もないのだけれど、逆に最後だから優しさを与えても構わない。もう、終わったことであるから。それにこちらにもまだ話さねばならないことが一つあった。


 我が家の応接室に通されソファに座りながらも目の前の紅茶に触れもしないオリヴァーは、いつも通り仕立てのよい衣装を正しく着こなしている。しかし青ざめた顔を隠しもせずに、そっと口を開いた。



「君は、私が仕事を優先することに異を唱えないと言っていたが、つまりそれは嘘だったということか」

「嘘? あら、嘘なんてそんな可愛らしい言い方をなさらないでくださいな。子どもでもあるまいし」

「……では、虚偽だったのか」

「ふふ、いいえ?」



 ああ、この人はこの期に及んでもまだ分かっていないのだ。もう笑うしかなくて、そっと口元を隠す。呆れと同情を孕んだこの感情を、傲慢だとは思わない。私たちは同じ時の中で生きていたのだから。


 オリヴァーは、一代で財を成した商人の一人息子である。中肉中背の取り立てて目立つところのない平均的な人であるが、金をかけて育てられたことがはっきりと分かる程度の教養と清潔さを兼ね備えていた。父親のその財力と頭の切れのよさに目をつけた私の父が交渉し、成った婚約だった。


 平民でありながらオリヴァーは、男爵家の一人娘である私の婚約者となったのだ。我々の両親は自家や自身の富と繁栄を確信していたようだったが、そう上手くいくことばかりではなかった。



「ただ、貴方がわたくしとの婚姻というものを履き違え続けた結果ですわ」

「どういう意味だろう」

「……少しはご自分で考えられたほうがよろしいと思いますが、いいですわ。もう、我々の間にそういったものは必要ないでしょう」



 共に生きる未来があれば、オリヴァーの成長を促さなければいけない場面である。けれどもう、その未来はないのだ。あとははただ、答え合わせだけをするだけでいい。



「この男爵家には、わたくし以外に子がおりません。だからこそわたくしが婿取りをする必要がありました。ですが何故、わたくし以外に子がいなかったのか、貴方はご存知だったでしょうか?」

「ただ、君の母君が次のお子を妊娠しなかったからだろう。君を産んだあと、次の子が望めない体になったと」

「いいえ」

「は?」



 会話の流れが掴めないらしく感情のままに表情を歪めるオリヴァーは、ある意味でとても人間らしいのだと思う。ただ、貴族として生きるには、その人間臭さは捨てなければならないものだった。ああでも、もうその道はないのだから彼はこのままのほうがいいのだろう。



「ふふ、結果としてそうなっただけで、母の体だけが理由ではありません。だって、わたくしたちは下位とはいえ貴族ですもの。ましてや父に問題がなかったのですから、愛人や愛妾に子どもを産ませることだってできました。親戚筋から養子を貰うことも可能でした。けれど、それをしなかったのは何故か、という話ですわ」

「……」

「危機管理の問題です。母は五女でしたが伯爵家の血筋ですから母の実家に泥を塗るような真似は得策でなく、また養子と言っても上手く教育できなかった場合の処分が面倒でしょう。それに伴う手間や費用、それらを総合的に考えた結果ですの。幸いわたくしは健康体でしたから、父のお眼鏡に適った適切な男性を連れてきたほうが早く安くつく、と」

「……それで、選ばれたのが私だったが」

「ええ、ですがこの度、不適格とされました」

「何故だ。今更商人の血筋が気に入らないとでも?」



 オリヴァーはいきり立つ寸前の声色で、けれどどうにかそれを抑えようと拳を握った。分かりやすい。平民の女性は、こういった言動を可愛らしいと思うのだろうか。それとも私が知らないだけで、彼のような男性は女性全般に人気があるのだろうか。他人の恋愛事情は話のタネにできるだけ多く持っておきたいものであるが、昔からそちらの方面には興味が薄くて難しい話題でもある。



「まあ、本当に今更ですわ。父は、そういった不合理な決定はいたしません。血に拘るなら、初めから貴方を選択肢にさえ置かない。不適格とされた理由はほかにあります」

「それが、私が仕事を優先したことだったとでも?」

「ふふ、それでは半分しか正解にできませんわ」

「……」

「答えが必要ですか? それとももう少し言葉遊びをなさいますか?」

「……答えを」

「では、心の準備をなさってください。貴方はきっと傷つきます」



 オリヴァーは、また分かりやすく視線をうろうろとさせて、そのあとにもう一度私に向き直った。



「分かった」



 もう、教師にでもなった気分だ。オリヴァーは私より一つ年上だったが、最後まで彼は出来の悪い教え子のようである。私は素直に彼の覚悟を受け止めた。



「まず、貴方が選ばれた理由は、適切だったからです。ですがそれは、貴方の父君の商才や能力、それによる実績がほとんどを占めていました」

「……ああ」

「しかし、貴方自身も勿論期待されていました。立ち居振る舞いや学力から、もう少し伸びるだろうと」

「……」

「けれど、貴方はわたくしの父が思い描く程、伸びなかった」



 オリヴァーの父は、時勢を読むことに長けていた。法の中で出来得る全てを行い、ある時には全財産や自分自身でさえ賭けて財を成した。その成功を妬む者は多かったが、反対に慕う声も大きかった。貴族の身分があれば、あるいは貴族の親族がいれば彼の商売はもっと巨大になっただろう。


 しかしそんな人の息子であるオリヴァーは、平凡な人間だった。父の才覚を一つも譲り受けてはいなかった。それが悪いとは言わない。平凡さとは、平素にこそ輝く。戦時には英雄が必要であるが、平和な世で特異な力を持つ存在は恐れられる。目立たず静かに自身の満足できる日々を生きる才能は、平凡な人間にこそ備わっているのだと私は思う。



「……それが、理由か」

「はい。ですが、それだけではありません。それだけなら婚約を継続し、父自ら教育するという道がありました。人間、経験を積めば大抵の仕事はどうにかなるからと。それ程には、貴方の父君の存在は大きかった」

「では、何故……」

「一番の理由は、わたくしをあからさまに蔑ろにしたことです」

「だから! それは君だって……」



 声を荒げたオリヴァーに、ただ無言で返す。この程度で狼狽えるような生き方はしていない。



「す、すまない」

「いいえ」



 にこりと笑みを作り、話を続ける。居心地が悪そうにしているオリヴァーは叱られることに怯える犬のようであるが、私はもう彼を叱りはしないのだ。もう縁は切れているのだから。



「貴族というものは、面子を重要視します。仕事だからと夜会のエスコートを複数回直前になって断るというのは、我々男爵家への無礼にほかなりません」

「しかし、し、仕事が」

「ええ、ですから、わたくしも父に申し上げましたのよ。『お仕事ですから』と。ですが貴方のお仕事、具体的にいかほどの金額になりましたの?」

「……それは」

「ふふふ、ご友人間でお酒を嗜まれているだけではお金にならないことくらい、商売を知らぬ小娘でも分かりましてよ」

「顔を売る為に、必要なことだった」

「その必要なことを何年続けて、どのようなことをどれくらい成し遂げました?」

「……」



 押し黙ってしまったオリヴァーは、ほんの少しだけ気の毒だった。彼が仕事だと言い張っていた会合という名の酒の席が何の利益も生まなかったのだと認めることは、身を切るように辛いのだろう。自身の無能さをさらけ出しているとでも思っているのかもしれない。確かに始まりは違ったのかもしれない。けれど、深みにはまっていくことを選んだのは彼自身だ。



「貴方が父君のように商売が得意でなくとも、それはそれでよかったのです。領地経営や社交はわたくしが主となり行うのですから、それだってできなくてもよかった。それに婚約時にはまだ、貴方も努力しようという気概がおありだったでしょう。父はそれも評価に入れていたのです。しかし貴方はある時から、楽なほうに逃げることを覚えてしまった」



 これが、理由だった。三年前、初めて会った時のオリヴァーはまだ輝かしい未来を信じていた。私の父同様、彼自身も自分の可能性を多く見積もっていた。けれど現実が見えた時、彼は現実逃避を選んだ。



「わたくしも何度か『改めてください』と申し上げましたね。貴方は聞き入れてくださいませんでしたが」

「それは……」



 伝え方が拙かったのかもしれない。それだけは、私の反省点だ。しかし私自身、女男爵となる為の準備があまりにも忙しかった。勉強、社交、仕事。自身のそれに手一杯で、オリヴァーの面倒を見る余裕はなかった。


 そも、何故私が、という思いもあった。私が支えてほしい時に無視をして遊び歩く人を、どうして私が正し慰め導かねばならないのか。しかも言っても聞かないのだ。本来教え子ですらない彼は、私の言葉を無視しても咎められることはない。私とて、彼に教えを請われたこともない。それでもと思う価値を見いだすことはできなかった。もしかすると、彼もそうだったのだろうか。であれば、我々はある意味で実は似た者同士だったのかもしれないと自嘲する。



「人間ですもの。怠けたい時もありますわ。わたくしだってたくさんあります。ですが、人生には決して間違えてはいけない場面がございますの。取り返しのつかない場面が。貴方、愛人までお作りになりましたね」

「ち、違う。愛人なんかでは……。あ、遊びだ。本気じゃない」

「ですが、彼女はそう言いふらしています。あの男爵令嬢の婚約者は自分と寝ていて、自分のほうが美しく可愛げがあるから選ばれたのだと」



 にこりと微笑む。これは意趣返しですらない。事実の羅列だ。



「本気か本気でないか、なんてどうでもいいことなのです。貴方が男爵家の面子を潰した、という事実があるというだけで」



 そう、事実は積み重なり決断を迫った。今更驚愕したような雰囲気を出すオリヴァーは、このことを我々が把握していないとでも思っていたのだろう。以前から男爵家を軽んじすぎているきらいがあったが、ここまでとはと苦笑が漏れる。



「父は合理的で計算高い人です。冷酷とまではいかずとも、愛情深い人でもありません。ですが、少なくとも積極的に人を傷つけるような真似はしません。敵を増やすこと程、面倒なこともないとよく言っていますから。母も似たようなところがあって、父のその考えを気に入っています。ですからわたくしの両親は上手くいっているのですよ」



 おとぎ話のような深い愛情で結ばれている訳でもなければ、かといって表面上だけの冷たい関係でもなく、実の娘である私から見ても不思議な夫婦である両親だ。人間とは難しく、けれど二人の間には確かな信頼関係が存在するのだろう。



「だからこそ、貴方の一線を越えた行為を見過ごす筈がないのです」



 信頼関係を初めから壊す人間を、父は許さなかった。いや、許さないという感情ではなく冷静に見切りをつけたのだろう。情報を精査し不適格の印を押し、契約を白紙に戻した。父の中ではその程度の感覚であるように思う。



「愛人を持つなんて、そこまで、珍しいことでもないだろう……」

「ええ、実力か血かお金か、何かしらを持つ人であれば」

「っ、私のことを馬鹿にしているのか!?」

「事実を申し上げただけです。貴方、どれをお持ち?」



 社交界で恋愛は華だ。それは後ろ暗いものであっても変わらない。オリヴァーの言う通り、愛人を持つ人も多くいる。血を繋げたあとは、自由を楽しむ人もいる。その陰で恨まれようと一時の快楽に身をゆだねる人もいるだろう。恋は熱病というくらいだ。


 けれど、私の言ったことも間違いではない。どんなに愛人を持とうと妻から愛される才能溢れる夫もいれば、入り婿が黙り込むしかない尊い血を持つ女主人もいれば、金銭で全てを解決し合う夫婦もいる。しかしその逆は、この階級社会では特にあり得ない。惚れた弱みなどというものもあるかもしれないが、その場合は愛が尽きた時が縁の切れ目だろう。



「あの女のでたらめを信じるのか。わ、私は、認めていない……」

「証拠はいくらでもあるので、そういうのはやめておいたほうがよいかと。……あと、例えばもし、彼女と貴方が本当は関係を持っていなくて、貴方と寝た、というのが彼女の虚言であったとしてもこの婚約はなかったことにされていましたよ?」

「な、何故?」

「脇が甘いから、ですわ。虚言であったのならすぐに潰さねば。そもそも虚言癖のある方とかかわってはいけません。とはいえ事故みたいに出会ってしまうことはあるでしょうが、それにしてもすぐに離れるなり何なり、対処しなければいけません。社交界なんて常に噂に飢えているのです。定期的に話題提供をしてしまうような婿殿なんて恐ろしくて家に入れられないでしょう」



 だからこその不適格だ。我が家に、オリヴァーは相応しくなかった。


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