第5話『完璧な悪役令嬢は、選ばれる』
異国の朝は、静かだった。
大きな窓から差し込む光が、白い床を淡く照らす。
見慣れない天井。
見慣れない景色。
それでも、アリアは迷わなかった。
ここが、自分の選んだ場所だから。
「……お目覚めですか、アリア」
低く落ち着いた声が、背後から届く。
振り返ると、一人の男が立っていた。
この国の王子――レオン。
長い銀髪に、静かな瞳。
感情を大きく表に出すことはないが。
その視線だけで、わかる。
――こちらを、見ている。
正しく。
誤魔化さずに。
「ええ、おはようございます」
軽く一礼する。
以前と同じように。
完璧な礼儀で。
だが。
「やめてください」
レオンが、少しだけ眉をひそめた。
「その距離の取り方は、もう必要ありません」
「……必要、ありませんか?」
「ええ」
彼は、迷わず言う。
「あなたは、ここでは“評価される側”ではない」
一歩、近づく。
「“迎えられた側”です」
その言葉に、ほんのわずかに呼吸が止まった。
評価されるために動くのが当たり前だった。
正しくあろうとするのが、当然だった。
間違えないように。
捨てられないように。
ずっと。
そうやって生きてきた。
だから。
「……どう振る舞えばよろしいのでしょう」
思わず、そんな言葉が出る。
自分でも、少し驚いた。
だがレオンは、即答した。
「好きに」
「……好きに?」
「ええ」
わずかに、口元が緩む。
「あなたが選んでいい」
その言葉は、あまりにも単純で。
あまりにも、与えられたことのないものだった。
――選ぶ自由。
沈黙が落ちる。
窓の外で、風が揺れる。
そして。
「……では」
アリアは、ほんの少しだけ笑った。
計算ではない。
役割でもない。
ただの、感情として。
「まずは、この国の制度について、詳しく教えていただけますか?」
「……それが最初ですか」
「ええ」
即答する。
「関わる以上、理解しておきたいので」
一瞬。
レオンが、目を細めた。
次の瞬間。
「――やはり、あなたを迎えて正解でした」
はっきりと、そう言った。
迷いも、疑いもなく。
断言で。
その言葉に、胸の奥がわずかに熱を帯びる。
評価ではない。
値踏みでもない。
ただの――確信。
「アリア」
名を呼ばれる。
まっすぐに。
当然のように。
「この国で、あなたは自由です」
ゆっくりと、続ける。
「ですが」
わずかに、間を置いて。
「望むのであれば」
視線が、深くなる。
「隣に立つことも、許されます」
その意味は、明白だった。
政治的な打算だけではない。
それ以上のもの。
信頼。
期待。
そして――。
選択。
アリアは、しばらく黙っていた。
考えるためではない。
確かめるために。
自分が、どう感じているのかを。
そして。
「……少しだけ」
静かに、答える。
「考える時間をいただけますか」
「もちろん」
即答。
否定も、焦りもない。
「あなたの選択を、待ちます」
その一言で、すべてが違うとわかる。
急かされない。
決めつけられない。
奪われない。
ここでは。
――選べる。
その事実だけで、十分だった。
「……ありがとうございます」
自然に、言葉が出る。
作ったものではない。
初めて、自分の意思で選んだ言葉。
レオンは、小さく頷いた。
それ以上は何も言わない。
ただ、そこにいる。
必要な距離で。
必要なだけ。
(ああ)
アリアは、窓の外を見る。
遠くに広がる、見知らぬ国。
けれど。
(悪くありませんわね)
ほんの少しだけ、思う。
ここなら。
ここでなら。
“完璧”でなくてもいいのかもしれないと。
そして。
それでもなお。
選ばれるのだとしたら。
――それはきっと。
本物だ。
※すべての答えは、最終話へ。




