第7話 ゲート試験 【2028年春】
矢崎芳正に電話がかかってきたのは、前日の夜だった。
「先生、明日のゲート試験なんですけど」
神宮豊の声だった。
「俺が乗っていいですか」
矢崎は少しの間、答えなかった。
ゲート試験に主戦騎手が自ら乗りに来る、というのは珍しい話ではないが、神宮豊ほどの騎手が申し出てくるのは話が別だ。普通はこういう試験に使う時間があれば、他の馬の調教に回す。
「……なんでですか」と矢崎は聞いた。
「あの馬、俺が乗った方がうまくいく気がして」
矢崎はしばらく考えた。
「わかりました。お願いします」
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翌朝、ゲート試験の場に神宮が来た。
駿と澪はすでに来ていた。矢崎が神宮の姿を見て「わざわざすみませんねえ」と言うと、神宮は「いえいえ」と笑った。いつもの、気のいいおっちゃんの顔だった。
「神宮さん、ゲート試験に来てくれるんですか」と澪が言った。
「乗りに来ました」
「乗るんですか」
「乗りますよ」
澪はそれをタブレットに打ち込んだ。「神宮豊……ゲート試験……自ら騎乗……」と。なんとなく、すごいことが起きている気がした。競馬を知らなくても。
駿は神宮の顔を見て、にこっとした。
「来てくれると思ってました」
「ハハ、そうですか」と神宮は言った。「なんでですか」
「この馬のこと、気になってるじゃないですか」
神宮は少しの間、駿を見た。それから「そうですね」と言って、フルークの方に歩いていった。
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フルークはゲートの前で止まった。
いつも通り、観察を始めた。構造を調べるみたいな目つきで、じっくりと。神宮は馬の上で急かさなかった。手綱を緩めて、ただそこにいた。
「……乗ってる人間が変わると、馬も変わりますね」と矢崎が駿の隣で言った。低い声で。「さっきから落ち着いてる」
「そうですね」と駿は言った。
「神宮さんだからですよ。馬がわかるんです、この人が何者か」
澪は聞きながら、フルークを見ていた。確かに、いつもより首の動きが小さい気がした。振り回していない。ただ、前を向いている。
神宮が、ゆっくり声をかけた。何を言っているかは聞こえない。でもフルークの耳が、前に向いた。
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一度目。
フルークはゲートの前でまた止まった。でもさっきより迷いが短かった。少しして、ゆっくり入った。後ろ扉が閉まった。駐立。前扉が開いた。
飛び出した。
駿は双眼鏡を持っていなかったが、それでもわかった。あの加速だ。ゲートを抜けた瞬間のギアの切り替わりが、こんな短い距離でも出ていた。
神宮が馬を止めて、戻ってきた。
「どうですか」と矢崎が聞いた。
「いいですよ」と神宮は言った。それだけだった。でも口元が少し動いていた。
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二度目。
今度はすんなり入った。一度目で何かがわかったのかもしれない。フルークがゲートに向かって歩いていく後ろ姿を見ながら、矢崎がハハッと笑った。
「納得したんですかね」
「そうだと思います」と駿は言った。「走った先に何があるかわかったんじゃないですか」
矢崎はその言葉を聞いて、少し駿を見た。
前扉が開いた。フルークが飛び出した。
「合格です」
試験官の声が聞こえた。
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神宮が馬から降りた後、矢崎が三人を集めた。
「新馬戦の話をしましょうか。六月、阪神の芝1600でよかったですよね、天海さん」
「はい。そこで考えています」
「神宮さんはどう見ますか」
神宮はフルークをまだ見ていた。厩務員に引かれて離れていくフルークの背中を、ずっと目で追っている。
「距離はもっと持つと思います」と神宮は言った。「1600より長い方が、本当の力が出る」
「俺もそう思います」と駿が言った。
「でも新馬戦は1600で正解です。まず走ることを覚えさせる。それにこのコース、直線が長い。最後方から来ても届く」
「出遅れると思いますけど」と駿は言った。
神宮はそれを聞いて、少し笑った。
「わかってて言ってるんですね」
「たぶん出遅れます。でも直線で全部ひっくり返せると思ってるんで」
「……ハハッ」と矢崎が笑った。「天海さん、ぶれないですねえ」
「そうですか」
「そうですよ。普通の馬主さんはもう少し心配しますよ」
駿はにこにこしたまま、何も言わなかった。
神宮はそれを横で聞きながら、また前を向いた。フルークはもう見えなくなっていた。
「任せてください」と神宮は言った。
矢崎が頷いた。駿が頷いた。
澪は少し離れたところで、その三人の会話を聞いていた。神宮豊が「任せてください」と言う場面を、何人が見られるんだろう、と思った。競馬を知らない自分でも、それがどういうことかはなんとなくわかった。




