幕間:王国の目覚め
王城は、混乱の真っ只中にあった。
突如現れた竜の群れ。
魔の森のさらに北、到底人が立ち入ることの出来ない極北の地──死の大地に棲息すると言われている、竜。
それが群れを成して、王国上空に飛来したのだ。
侍女達は悲鳴を上げて柱の陰に身を寄せ、武官達でさえ顔を強張らせて空を見上げていた。
「おお、神よ……」
文官の一人が膝を突き、掌を合わせた。
他の者達もそれに習い、次々に膝を突いて、神に祈り始める。
騎士団、歩兵師団、魔術師団それぞれに指示が飛び交い、王城を守る為に兵が出動していく。
しかし、彼等も上空を統べる竜の村を前に、足を止めてしまった。
無理もない、あまりに圧倒的、あまりに威圧的、あまりに神秘的な竜の姿。
一匹だけでも王都を焼き滅ぼせるであろう竜が、十匹以上は居ようかというのだ。
これが悪夢でなくて、何なのだろう。
「もう、ロドニー王国は終わりだ……」
「我等は、神に見放されたのか……」
祈る声は、すすり泣きに変わっていった。
どれほどの罪を犯したなら、一国がこのような最期を迎えるのだろう。
どうにもならない驚異を前に、誰もが死を覚悟した、その時だった。
『みなさーーーーーーん!!』
上空から、奇妙な声が響いた。
雑音交じりの声は、女性の物であるのだろうが、どこか異質だった。
誰かが張り上げた声にしては、あまりに通りがよく、大きく鼓膜を揺らしている。
『どうか、正気に戻ってくださーい!!』
不思議と、染み渡るような声だった。
心の靄が晴れていくように、膝を突いていた者達も、武器を手に城門前に押し寄せた者達も、皆目を見開いて上空を見上げている。
『王国首脳部の方々は、皆聖女の“魅了”に掛かっています! どうか元に戻って、正しい判断をしてくれることを願いまーす!!』
城内にこだまする声。
その声を誰もが耳にして、誰もが受け止めていた。
祈りの言葉を繰り返していた口が止まり、虚ろだった瞳に、少しずつ理性の光が戻っていく。
胸に響く声。
理屈ではない、本能が“この声が言っていることは真実だ”と訴えている。
心が震え、感情が揺れ動く。
一体、この声の持ち主は──誰もがその正体を探ろうとしたが、
『はい、じゃー撤収!』
その声を合図にして、竜の群れは遙か上空へと飛び立っていった。
巨大な影が、少しずつ小さくなっていく。
まるで神話の一幕であるかのような出来事を、誰もがその目に、その耳に焼き付けていた。
ロドニー王国中枢は、竜の襲来を受けてからというもの、大混乱に陥った。
直接的な被害は、何もない。
ただ、彼等は自分達が今までしてきたことに気付かされたのだ。
王太子エリオットが異世界から召喚した聖女サヤ。
彼女に言われるがままに多くの方針を変更して、国を動かしてきた。
しかし、今になって思えば全ては悪手。
悪政と言われても、反論の出来ない愚を犯してきた。
真っ当な判断能力を欠いてしまった原因、それ全て聖女の声を聞いてからだ──。
「至急、陛下にお目通り願いたい!」
そんな中、王城に戻り颯爽と指示を飛ばす者が居た。
ロドニー王国の元騎士団長ダグラス・ハーロウと、彼の後任として新たに騎士団長の座に就いたエディ・ラーキンズだ。
彼等はフードを目深に被った人物と共に王城に現れ、国王への謁見を願い出た。
竜が襲来するという緊急時、騎士団長が謁見を願い出ることは不思議なことではない。
国防に関する具申なのだろうと、普段は公務を王太子に任せている国王も、二人との謁見を受け入れた。
その場で明かされた真実に、王国はまたも激震に見舞われた。
「ダグラス、其方生きておったのか! 死んだと聞かされておったが──」
国王の言葉に、ダグラスが深々と頭を垂れる。
「このダグラス、すんでのところで一命を取り留め、国の一大事と馳せ参じました」
この場に、王太子エリオットは居ない。
「聖女サヤが魅了などと、とんだ言いがかりだ!」と暴れ回り、父王によって自室での謹慎を命じられている最中だ。
聖女サヤもまた、教会でその身を拘束されていた。
「私はスキル“状態異常無効”を持つが故に、聖女サヤに命を狙われ、殺されかけたのです」
「なんと……!?」
ダグラスの言葉に、国王エセルバートも、謁見の間に居並ぶ重鎮達も、皆息を呑んだ。
聖女の行いは既に報告されていたが、邪魔者を容赦なく排除しようとする動きは、彼等の予想を遙かに上回るものだった。
「私も、証言させていただきます。正気に戻る前、私はダグラス団長をこの手に掛け、さらにはドワーフ達を奴隷にするべく彼等の里に攻め入っておりました」
自分が如何に愚かな行いに手を染めたか、新たに騎士団長の座についたエディが証言する。
ダグラスの暗殺未遂はともかくとして、ドワーフの里への侵攻は、国事として命じたこと。
異種族の里を征服して、その民を奴隷として使役するなど、事が明るみに出れば諸外国からどのような批判を受けるかも分からない。
そのような愚行を、愚行と気付かずに許してしまった。
居並ぶ者達は、その恐ろしさを改めて痛感させられた。
「私は、どうすれば──」
自らの甘さが、国をここまで追い詰めたのだと、今さらながらに思い知らされる。
王太子エリオットが召喚した聖女。
その聖女によって国が混乱に叩き落とされたことは、間違いない。
二人を罰しようにも、エリオットは唯一の跡取りだ。
王位を継ぐ身として、失点を付ける訳にはいかない。
何より、“謎の声”によって皆が正気を取り戻した後も唯一聖女を庇い、聖女の言葉を盲信し続けている者──それがエリオットだ。
彼だけは今も聖女の言葉を疑わず、聖女の謹慎を解いて国政に関わらせるべきだと頑なに主張し続けている。
国王の実子は、エリオットただ一人。
唯一の跡取りだからと、我儘放題に育ててきた。
望む物は何でも与え、彼の意に染まぬことは何もない、エリオットが白と言えば黒だろうが皆が白と認める暮らしをしてきた。
このままエリオットに政治を任せて、どうなるか──彼は今後も聖女を重用し続けるだろう。
その未来が見えていながら、エリオット以外に託せる相手は居ない。
ロドニー王国は八方塞がりなところにまで追い込まれていた。
「……畏れながら」
苦悩する国王を前に、ダグラスが一歩歩み出る。
彼の背後では、深く俯いたままの目映い金髪を持つ青年が膝を突いていた。
「もし陛下が人材にお悩みでしたら、我が古い友を紹介させてください」
「古い友だと?」
ダグラスの言葉に、周囲がざわめいた。
このような非常時に、謁見の場で国王陛下に直接もの申すなど、何と言う越権行為かと色めき立つ者も居た。
しかし、ダグラス本人は周囲の声を物ともしない。
友人を促し、一歩後退る。
ダグラスに声を掛けられた男は、ようやくその顔を上げた。
「貴方は──!?」
謁見の間に、再びざわめきが走る。
誰もが、ダグラスの傍らに控える金髪の青年へと視線を向けた。
そこには、王太子エリオットの策謀により追放された王弟──ジェレマイア・ロドニーの姿があった。









