命がけの逃走
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「ぐっ…⁉」
本当に間一髪であった。
偶然、奇跡と呼んで良いレベル。
持ち前の反射神経と動体視力に加え、ほんの少しの違和感が働き、それをギリギリ可能としただけだった。
しかし掴まれるのを阻止できたとは言え、その巨大な指が掠めた右肩は衝撃で脱臼してしまっている。
激痛に耐えつつ、追い討ちを警戒しながら近くの自販機に身を隠す。
追撃どころかこっちも見てもいないようで助かった。
「追って…こないな?」
自販機の裏からのぞき込むが、その怪物は『アァ―』と言葉にならない声を叫びながらじたばたしていた。
その巨大な左手を叩きつけるたびに、床にひびが広がっていった。
なんつうパワーだよ…ってか、痛ってぇ…。
知能の低そうな見た目をしているが、油断はならない。
先ほども想定外の速度で一撃をもらい、痛い目を見たばかりだ。
ひとまず深呼吸をしてから、外れてしまった右肩を左手で無理やりはめなおす。
「っ痛ぅ…!」
またも激痛が走るが、これで先ほどよりは大分マシになった。
固定ができればいいのだが、贅沢は言っていられない。
今はこれでいいとして、考えなければならないことを考える。
今起きていることは、現実だ。
よく分からない謎空間に迷い込んでしまった?
原因もなにもかもが意味不明だが、このまま行動せずにいれば確実にお陀仏であることだけは確信できる。
ここからすべき行動は二つだ。
一つ、兎にも角にもこの場からの離脱。
あんな人外の謎生物に人間の俺が勝てるわけがない。
留まっていたところで先ほどの死体のようにおいしく頂かれて終いだろう。
そしてもう一つ、この謎空間自体からの脱出だ。
この場からうまく逃げられたとしても、元の世界に戻れなければいつかは捕まり、やはり食い殺される…のかもしれない。
元の世界に戻る本法など全く見当がつかないが、ひとまずはこの場の離脱が最優先だ。
走って逃げる…はリスクが高いな。せめて隙を作らんとどうにも…
足の速度には自信はあるし、それこそ本気を出せば短距離走の選手でも連れて来ない限りは間違いなく勝てるだろう。
しかし、今回の相手は未知数だ。
人間ですらないうえ、己の体を変形して見せた。
巨大化という結果だったが、逆に縮小して身軽になったりする可能性だって否定できない。
そもそも先ほども巨体に似合わない速度で腕を振るってきた。
その速度で移動できるかどうかは知らないが、常識という尺度で測っていてはどこかで必ずどこかで対応が間に合わなくなるだろう。
対策を練るには、その事象を理解することが重要だ。
数学の難問も公式を正しく理解、応用することで解けるように、この怪物の特徴、能力、弱点などを理解することができれば必ず道が開けるはずだ。
…はずなのだが、存在からして意味不明すぎて何も分からない。
何もかもありえなさ過ぎて、まるで理解不能である。
あの怪物に殺された瞬間目が覚めるのではないか?と再び夢を見ている説を推したくなってくる程だ。
しかし、肩に走る痛みと周りから漂う悪臭、先ほど感じたドス黒い血の生暖かさを思い出し、現実逃避を早々に切り上げる。
兎にも角にも、隙だ。
隙を作らんことには逃げるのはおろか、まともに観察することだってできない。
何か使えるものは…
そう考えポケットを探るが、特に使えそうなものも出てこない。
学生手帳を見せたら見逃してくれるなんてことも有るわけなし。
(スマホがあれば音や光でおびき寄せる、なんてこともできたかもしれないんだがな…恨むぞ茜…)
あのくだらないスマホの奪い合い(というか奪われただけだが)が死因になるかもしれないなんて、恐ろしく間抜けな話だ。
無いものは無いので、今度は周囲に目も向ける。
だが、自販機の裏から多少見渡したところであるのは、すぐ近くに転がった空き缶がひとつあるくらいだった。
その缶を使えば…1回限りの使い捨てだが、音を発生させることはできる。
しかし、スマホと違って明確な問題があった。
スマホであったらイルミネーションのライトでも点灯させながら時間差で大音量の音楽を流し、逃げる反対のほうへ思いっきり投げるなどの方法も取れたが、空き缶は光ることもなければ、音が出るのは着地した瞬間のみ。
加えて中身が空であるがゆえに非常に軽量だ。
形状に加えて重量もないためそもそも遠くまで飛ばすことすら難しい。
下手なところに投げてしまって、かえって危険に陥る可能性も十分考えられる。
そもそも聴覚があるのかどうかも怪しいよな…
怪物と対面したときのことを思い出す。
夢とタカを括っていた俺は、特に足音などにも注意せず、そのまま奴に近づいて行った。
そのまま正面に立つまで怪物に動きはなく、お食事タイムが終わってこちらを視覚に入れてからの攻撃だった。
このことから分かるのは、
視覚はあるが、聴覚は鈍い、もしくは無い可能性が高いということだ。
まぁ食べることが最優先だっただけの可能性もなくは無いが、俺が目の前で独り言を呟いてる時ですら全く反応が無かったため、それは無いと思いたい。
だが、その考えが合ってるとしてもそれはそれで問題だ。
『空き缶で音を立てる』ということ自体が完全に無意味な可能性があるためだ。
あー…、摘んだか?…こりゃ死んだかな、さすがに。
使える道具も無ければこの状況を打開する柵も考えつかない。
念のためもう一度周りを見渡すが、そこには当然、立体〇動装置も、R○G―7があるわけでもない。
諦めモードで再び現実逃避をしてみたが、状況は何も好転はしない。
大体、なんで最後に会ったのが茜なんだ。せめて姉さんであったら悔いも減るのに…
できることも無いので、二人の姿を想像する。
そういや、実際の所は半信半疑だったが、二人の仕事って『こういうこと』に対処してたりしたんだろうか?幽霊だとか呪いだとか、ぶっちゃけ眉唾であったが姉さんのことを否定することなどありえないのだから、特に気にしたことはなかった。
しかし、実際にこのような怪現象に遭遇してしまった今、話を詳しく聞かなかったことを心底後悔した。
もし俺が死んで幽霊になったとしたら、とりあえず茜を呪い殺すことを目標にしよう…。
そんなくだらないことを考えつつ、再び自販機裏からヤツを覗き込む。
「ウーーー、ウアァーー」
相変わらず気持ち悪い声を出しながら、ぎょろぎょろとでかい目を動かしていた。
体に関してはその場から動いた様子はなかった。
ワンチャン、その場から動けない…なんてこともあり得るのか?
可能性は、無くはない。
初めてやつの後ろ姿を見た時から、おそらくその場からは動いていないと思われる。
動けないなら、どうやってそこに来たのかと問われればなんとも言えないが、それを言うなら俺だって急にこの世界に現れたようなものだ。
やつも同じという可能性も皆無とまでは言えないだろう。
これは少し希望が持てる。
動けないと仮定すれば、気を付けるのは腕の攻撃範囲だけだ。
そうと決まれば来ているシャツを脱いで無理やり小さく引きちぎり、血を吸った断片を空き缶の底に少量詰め込む。
空気抵抗はあっても風は全く無い。少しでも缶の重心が安定すれば、向こうのホームまで届くはずだ。
中の空隙が減るため、響く音も減少するだろうが、贅沢は言っていられない。
奴がいる位置の、ちょうど反対側のホームギリギリに投げてどういう反応・行動をするかを観察する。
反応するのか、しないのか。
しないでくれたら今の状況はかなり好転するだろう。
「ふぅ…。」
小さく息を吐き、投げの姿勢をとる。
人間の身体能力的に、腕力より脚力のほうが圧倒的に強い。
ボールならいざ知れず、空き缶のような軽いものであれば尚更威力に物を言わせた方が飛ぶようにも思うが、今回必要なのは正確なコントロールだ。
飛ぶ距離を稼いでも変な場所に飛ばしてしまっては意味もない。
遠くまで飛ばし過ぎた場合に反応がなければ、聴力の有無も、単純に諦めたのかすらも判断が付かないからだ。
何より蹴ったときに確実に大きな音が発生することになるため、それでこっちに寄ってきたらゲームオーバーだ。
つまり、『奴が聞き取れてかつ攻撃可能であろう範囲に正確に落とすこと』、『現在仮の安全地帯のこの場で音を発生させない』の2点が重要となる。
よって蹴りは却下だ。
うちの甲子園常連野球部も黙らせる俺のピッチングを見せてやるぜ。
以前、『態度がでかい』とのことで、野球部の4番(3年)が喧嘩を売ってきたときに、そいつを皮切りに野手全員を討ち取った俺に死角はない…が、ボールとは違いコントロールの難易度が爆上がりだ。
底に寄った重心を正確に前へと飛ばすには、ラグビーやアメフトのボールと同様、重心を先端に寄せて極力揺らさず、きれいに回転させることが重要だ。
俺ならできる。俺にはできる。俺は天才…。
これほどまでにピンチだったことはこれまでの記憶には皆無であるが、難局と言うべき場面も俺は才能で難なく乗り越えてきた。
今回もなんだかんだで乗り越えて見せる。
そうして覚悟を決め、いざ投げようというとき、ふと視線を感じた。
(…?)
いや、流石に気のせいか。
先ほどまでいたロータリーの方向に目をやるが、当然のように誰もいない。
こんな状況だ、俺も心細くなって色々とおかしくなってきてるのかもな。
迷いを払い、落下地点を見定める。
後は奴がこちらを見てないタイミングで…………ここだ!
相変わらず頭を揺らしながらウーウー唸っているヤツの死角を突いて思い切り投げる。
(…いけっ!)
空き缶がきれいに回転しながらぶれることなく目標地点へと飛んでいく。
途中からブレてきたが、許容範囲だ。
カァン!と、短いが確かに高い音がはっきりと響いた。
さぁ、どうなる…?
聴覚がないなら無反応。
反応しても移動しないのなら動けない、という2パターンが理想だ。
結果は…。
「アァアアア!」
それまで唸っていただけの奴は、その音を聞いて明らかな反応を見せた。
だが、移動する様子はない。
その巨大な右手を激しくホームに打ち付けて、床を破壊していく。
馬鹿げたパワーだが、その様子はまるで駄々をこねる幼児のようだ。
よし!奴には移動手段がない!距離さえ取れば…
などと勝利の余韻に浸るところであったが、現実は無情だった。
「ウアアアァー!」
やつの巨大な腕がボコボコ音を立てながら小さくなっていき、
ギュルギュルと伸びていった。
とんでもない速度で。
伸ばした右腕が反対ホームの空き缶が落下した辺りを上から下へ打ち付ける。
ホーム床をぶち抜いてようやく腕は止まった。
その長く伸びた腕から視線を本体のほうに戻すと、恐らく伸ばした分であろうか、体が少し縮んでいるようだった。
腕を巨大化させた時には気づかなかったが、恐らくあの時も腕が膨らんだ分、体は縮んでいたのだろう。
動けない…というより動く必要がないということか。
しかも威力は据え置き、やってらんねーな…。
今回の実験でわかったことは、まず聴覚はふつうにある。
そして、少なくても見た目では誰もいないのに関わらず、音の発生源に攻撃した点を考えると、視覚は弱そう。
だがそれもこいつの場合は知能が低いだけかもしれないから確証は無い。
そして一番まずいのは奴の腕…いや、身体の伸び縮み能力だ。
巨大化うんぬんではなく、本体の体積分、伸縮可能で動かせる可能性が高いということだ。
ヤツ本体から、ヤツが先ほど攻撃した地点までの距離は大体7~8メートル程度。
そして今のヤツの伸びた腕に対して本体の微妙な縮み具合を考慮すると、少なくてもこのホームの端から端は網羅できそうだ。
つまりこのホームにいる限り、見つかった段階で終了という可能性がある。
こうなってしまえば残された選択肢はひとつ。
この自販機からヤツを背にまっすぐホーム端まで行き、そのまま線路に降りる。
そして極力身を低くしながら奴の腕の範囲から逃れる。
なんなら隣駅まで離脱できればひとまずこの難局からは脱することができそうだ。
まぁ隣駅や線路の途中で似たような怪物が出ない保証は全くないんだけどな。
とは言え、ここに居てもなんの解決の策も見いだせない以上、留まる理由は全くない。
今はとにかくここからの離脱だ。
足音を立てず、死角に入りつつ、とっとと逃げるのみ。
そう方針を定めたところで、また『視線』を感じた。
昔から視線には敏感だった。
特にそれが悪意や害意だったり、あるいは好意といった特別な感情が入っていると顕著であった。
これも俺の才能の1つと自覚していたと同時に、とても鬱陶しい代物でもあった。
学校では常時と言っても過言ではないほど数多くの悪意ある視線に囲まれ、外は外で頭の悪そうな女からの好奇の視線や、それに追随する嫉妬の視線。
俺のストレス原因の6割を占めていると言っていい。
しかし、それ故に信用できる。
おそらく確実に近いレベルで第三者がこちらを見ている。
先ほど同様、ロータリーの方向だとは思うがはっきりとはしない。
距離がありすぎるためか、もしくは特段関心も無くこちらを覗いているだけだからなのかは判断できないが、考えても無駄だな。
もし仮に見ているやつがいるとしてもそいつが味方なのかも分からない。
味方であったところでこの化け物に勝てる奴なんて存在しないだろう。
そもそも、いたとしてもこの場に来ない段階で助ける気もないということだ。
変な期待は持つべきではない。
意識を切り替え、足音を殺し、時折様子を伺いながらホーム端へと辿り着く。
線路外の部分は砕石が敷かれているため、着地の際に音を出してしまわないか不安だったが、ホームの端部はむき出しのコンクリート床となっていて砕石は被っていないようだ。
柵に手をかけ、少しずつ体重移動させながら静かに下に着地。
そのまま砕石が無い先端まで行き、細心の注意を払いつつレールまでの横移動もうまくいった。
よし!ここまで来れれば上々だ、後はひたすら線路を歩いてフェードアウトしよう!
相変わらず、『視線』が鬱陶しいのが癪ではあるが、とにかく冷静に対応しここまで来ることができた。
ヤツにも動きの変化は無…
動きに変化は、無い。
相変わらずアーアー言ってピクピクしているだけで、こちらに気づいた様子も皆無。
…しかしだ。
なんだ?あの黒い球は…?
少なくてもホームから下に降りる直前に確認した際には無かったはずのものがあった。
ヤツの正面にはモヤモヤとしている謎の黒い球状の物体が浮かんでいた。
イメージで言えば、黒の絵の具に水を垂らし、少しずつ色が広がっていくのに近い感じだが、とてつもなく悪寒を感じる。
あれは…、良くないものだな。
そう確信するも、やることに変化は無い。
ペースを乱さず、足音を立てず、静かに線路を歩き続けてフェードアウトする。
もう後ろを見ることも不要と判断し、ひたすら歩く。
足元を常に確認し、転倒したり足を挫かないよう慎重に歩き続けた。
だが、既に手遅れだった。
悪感を感じて顔を上げ、少し目を前方に向ければ、
そこには件の黒い球があった。




