星降り祭
予想外の出来事も多かったが、カルディナの想定通りデュアリオンの稼働試験は五日間で無事に完了した。
保護されていたアヴァルト王太子コルベルもイルカウォッチングに賑わった日の夜に意識が回復。彼とその子息ルーク王子の身柄の移送を含め、カルディナ達が王都に戻る日取りが決まった。
「…星降り祭…ですか?」
その提案がカルディナの耳に届いたのは、島を出立する前々日の事だった。
島民達は交流を深めた士官等とカルディナ自身の旅立ちに向け、送別会として祭の準備を進めていたらしい。
「ミュラー殿、その星降り祭というのは一体…?」
居合わせたヴォクシスは、興味深そうに訊ねた。
祭の開催を提案しに来たギャリーによれば、それはかつて島民皆で執り行った大切な行事で、迫害により長らく封じられてきた伝統なのだという。
「西の浜にある催事場で行うのですが、かなりの量の篝火を焚く為、閣下のご許可も頂きたくお伺いに参った次第です。カルディナ様には星乙女として星降りの舞を披露していただければと…」
「わ、私が星乙女をですか?えっと…踊るのは良いんだけど…羽衣は?」
戸惑うカルディナに対して、ギャリーは心配無用だと返し、直後、見計らったようにノックの音が部屋に響いた。
誰かと思えばカルディナの専属侍女となったギャリーの妻で、その手には翡翠の色に染め上げられたエルファ人の伝統衣装が大切そうに抱えられていた。
「それって…!」
見覚えのある衣装に、カルディナは目を疑った。
それは、かつて住み慣れた家を強制的に取り壊された折、監視兵が来る前に運び出し切れず失ってしまったと思っていた母の晴れ着であった。
先祖代々受け継がれて来た代物で、幼い頃はいつかそれに袖を通すことを夢見ていた。
「皆で姫様の背丈に合うよう繕い直しました。残念ながら装飾の一部は盗られてしまいましたが、布地は生きておりましたので…」
その言葉で彼等の密かな尽力を悟り、カルディナは母の形見を胸に、嬉しさと申し訳無さで顔を覆った。
布地の状態からとても大切に扱われてきたことがヒシヒシと伝わった。
「ありがとう…っ…、ありがとうっ…!」
涙ながらに礼を伝え、見事な刺繍を愛でるように指先を滑らせる。
ギャリーの妻は仕上げにサイズが合っているかを確認したいと申し出て、カルディナと部屋の一角に設けてあった更衣スペースに移動した。
「ギャリー殿、失礼ですが今のお話にあった星乙女と言うのは…」
いそいそと彼女が衣装の纏う間、ヴォクシスはそっとギャリーに訊ねた。
彼曰く、島の若者の中から選ばれる神の御使いのことで、星降りの舞という伝統舞踊を踊る役目らしい。
舞に際しては島民皆で星紡ぎの唄と呼ばれる民謡を奏で、その年の健康や豊作を願うそうだ。
「カルディナ様はエル=クラーラ様より舞を習われておりました故、此度の祭には適任かと…」
何処か懐かしげにギャリーがそう告げた時だった。
「ささっ、折角ですから閣下にお見せになりませんと…!」
「え〜、恥ずかしいよぉ…」
「大丈夫大丈夫、素敵ですから…!」
そんな会話と共に、着替えを済ませたカルディナがパーテーションの向こうから恥ずかしげに姿を見せる。
ヴォクシスは目を見張った。
その姿は星乙女伝説を語るいくつかの壁画に描かれていた天女を思わせ、幻想的かつ神秘的な雰囲気を纏っていた。
シャランシャランと鈴の音と共に、民謡が聞こえる。
エルファ城客室塔の一室にて微睡みの中にあったフォルクスはそっと瞼を開き、窓の向こうから聞こえる微かな歌声に眉を顰めた。
こんな夜更けに一体誰だ―――。
隣の部屋では主キャスティナが寝ているし、あまり騒がれては耳の聡い彼女の眠りを妨げる。
明日は王都への移動準備であれこれ忙しないし、夕方からは島民の方が見送りの祭を開くという。
主はその祭りを楽しみにしているようなので、体調を整えさせるにも睡眠の邪魔はされたくなかった。
音を立てぬよう慎重に着替えつつ、歌声の聞こえる方を確認する。
どうやら城中央のメインハウスの屋上に居るらしい―――。
「…フォルクス?起きてる?」
部屋を出ようとした瞬間、ノックと共に主の声がした。
慌てて出てみれば、寝ぼけ眼の侍女を引き連れ、キャスティナがウキウキした様子で待っていた。
まるで遠足前日の子供である。
「本館の屋上で何方か明日のお祭りの練習をしているみたいなの…!こっそり見に行かないっ?」
悪戯顔の主にフォルクスは困惑したように肩を竦めた。
幼少より仕えているが、無邪気になった主ほど困ったものはない。
毅然と駄目だと言えば途端に不機嫌になって、暫く不貞腐れて手に負えない。
皇宮に囚われていた間はその悪癖も影を潜めていたが、良くも悪くも近頃はまた小悪魔化している。
内心、良い歳してと文句を垂れたくなるが、それを言っては火に油を注ぐだけである。
「三十分だけですよ?」
深い溜息を零して、そう折れるしか無かった。
改修工事の為に所々に貼り付けられた簡易城内案内図を確認しながら薄闇の中、主とその侍女を引き連れて歌声を頼りに城の中を進む。
宝探し気分のキャスティナに対して、フォルクスは拳銃を携えて辺りを警戒した。
隔絶された島故に侵入者は限りなくゼロに近いが警戒するに越したことはない。
キャスティナは勿論、亡命を手助けしている彼自身も今や帝国に命を狙われている身である。
「ここですね…」
鮮明に聞こえる民謡に歌声の主の所在を確認したフォルクスは屋上の扉をそっと開く。
満天の星空の下、スポットライトの如く輝く月の明かりを背負って、彼等が探していた姿はそこにあった。
密かな歓声を漏らす主の傍ら、フォルクスは静かに息を呑んだ。
揺れる長髪が篝火のように艶めき、紡がれる唄を彩るようにシャランシャランと靡く紗衣の鈴が鳴く。
揺蕩う異郷の羽衣を身に纏い、小さき竜と戯れるように舞い踊る姿は、まさに地に下りし天女の如き美しさ―――…。
ドクンドクンと脈打つ只ならぬ胸の音に、彼は戸惑った。
その瞳に映った御姿は意図も容易く、その心を魅了し、忽ちに虜にした。
「綺麗な唄…、フォルクス、もしかして歌っているのは…」
心地良い歌声にキャスティナは訊ねたが、何故か返答はなかった。
どうしたのかと傍らの彼に目を向け、霞む視界に映った横顔に目を丸くした。
はっきりと見えずとも分かった。
彼は歌声の主に――彼女に心を奪われたのだと―――…。
「………。フォルクス、私達は先に戻るわね…?」
静かに微笑むように囁き、後ろに続いていた侍女を手招き。
我に返り、慌てて護衛官に戻ろうとする彼をその場に止め、悪戯な笑み混じりに充てがわれた客室へと戻りを急いだ。
止める間もなく立ち去った主に、その場に残されたフォルクスは呆気に取られた。
束の間の戸惑いの後、尚も響く鈴の音と唄に視線を戻し、ゴクリと唾を呑んで魅入られたように歩み寄る。
くるりくるりと爪先を回し、風を纏う彼女は歌い踊ることに夢中だった。
時に無邪気に、刹那に妖艶に。
力強く、しかし儚げに―――。
歌に合わせて入れ替わる舞の印象と表情にどんどん引き込まれる。
その姿をずっと見つめていたくなる。
けれど刹那の瞬間―――、不意に交わった視線に鈴が一際の音を鳴らし、静寂が場を支配した。
驚いた表情は怯えてはいなかったが、戸惑いに満ちていた。
「…あ…っ…、ご、ごめん…、覗き見するつもりじゃ…なかったん…だけどっ…、その…、あんまりに…その、綺麗で…っ…」
視線を泳がせて彼はしどろもどろで繕ったが、率直な言葉にカルディナは途端に頬を赤らめた。
可愛いと言われたことはあっても、面と向かって綺麗だと言われたのは初めてだった。
「えっと…良い衣装だな…?」
沈黙が気持ち悪くて何とか言葉を続けた。
彼女も衣装を褒められたことで、必死に意識を反らした。
「こ、これ、母の形見なの…。皆が手直ししてくれてね…」
「そ、そうか…」
折角、話を振ってくれたのにそれしか言い返せなかった。
再びの沈黙に変な汗が滲む。
「その、今の踊りね…母の十八番で…。いつか、星降り祭がまた出来るようになったら…、私が星乙女に選ばれたら誰よりも上手に踊れるようにって教えてくれて…。いつか見せてあげるって…約束していたんだけど……その…だけど…っ…」
そう独りでに話していて、不意に溢れた涙にカルディナは言葉を呑んだ。
抑え込もうにも母との思い出が押し寄せ、耐え切れなかった。
「ちょっと…、ごめん…っ…」
手で顔を覆い隠して、そっぽを向いた。
肩を震わせ、嗚咽を堪えた。
弱い所は見られたくなかった。
また、子供だと誂われたくなかった。
「…泣くな……」
弱ったように告げながら、フォルクスは俯いた彼女を躊躇いがちに不器用に抱きしめた。
敵兵だった自分に彼女を慰める資格がないことは分かっていたが、衝動は抑えられなかった。
鼻を擽る汗の香りに、気付けばその額に口付けを落としていた。
「あ、あの…っ…、…バ…っ…バル…シェンテ…殿っ…?」
上擦った声にハッとした。
飛び退くように慌ててその身から離れ、羞恥心に耳まで赤くした。
「ご、ごめん!マジでごめん!」
手の甲で口元を隠し、必死になって謝りながらも戸惑う彼女の姿に目を泳がせた。
―――俺は一体、何をやっているのか。
まるで思春期の少年のように、感情のままに本能的に動いていた。
この歳で女を知らない訳でもないのに、散々ガキだ子供だと誂ってきた相手に何をやっているのか。
「………、慰めて…くれた…の?」
唇を当てられた額に指先をなぞらせ、窺うようにカルディナは訊ねた。
身長の差の所為だが、今のフォルクスには上目遣いに見えるその視線は刺激が強すぎた。
「ごめん、まだ早かった…」
視線を反らしたまま取り敢えず謝った。
彼としては、まだキスをするほどの仲ではなかったと言う意味であったが―――。
「…大人の男って、そういう慰め方もするのね…。ごめん、勘違いするところだった…」
何やら違う意味で赤面したカルディナは、嫌に冷めた目をした。
彼女としてはまた子供だからと揶揄われたと思ったらしい―――。
「そりゃそうよね。ごめん、これからは慣れるようにする」
「え、あ、いや…」
直ちに違うと言いたかったが、言葉に詰まった。
否定したら、自覚したばかりの只ならぬ感情を暴露するようなものだ。
「あの、俺っ…」
「姫様〜?」
何と間の悪い呼び声か。
振り返れば彼女の侍女が血相を変えて駆け寄ってくる。
「こんな夜更けに何されてるんですか!明日は大事な祭だと言うのに!」
「ご、ごめんなさい。ちょっと練習を…」
「昼間に散々されたんですから大丈夫ですよぉ!全くうちの姫様はストイック過ぎるわぁ!…嗚呼、バルシェンテ閣下、姫様を見つけてくださりありがとうございます。さあ!姫様、戻りますよ!閣下、ご迷惑お掛けいたしました…!」
お節介おばちゃん節フルスロットルで、話し掛ける暇もない。
ズンズン背を押されてカルディナが部屋へと戻され始める。
「クロスオルベ侯爵…!」
堪らずフォルクスは声を張り上げた。
そんな彼にキョトンと彼女と侍女は振り返って首を傾げた。
「その…、明日の祭、楽しみにしています」
姿勢を正して、火照る頬を引き締めながら精一杯の笑みを繕う。
まだこの胸の高鳴りは告げるべきではない―――、だから、今はそれだけを言葉にした。
彼の変わってしまった想いなど露知らず、カルディナは十五歳らしい無邪気な笑みを浮かべた。
「どうぞご期待ください…!」
年相応な口調で会釈し、彼女は侍女に促されるたま踵を返す。
その背を見送り、そっと閉じられた扉を暫し見つめたフォルクスは気が抜けたようにその場に座り込む。
そして両手で火照り続ける顔を覆い隠した。
「…おい…どうした俺…!十個も年下に惚れるとか終わってんだろ…!!」
一人そんな声を漏らし、頭を掻き毟る。
どうしようもなく、ざわつく心に彼は一人狼狽えた。




