カミヤ 75
少女は親という者を知らない。彼女が持つ一番古い記憶は、何もない高原の上で立っている記憶だった。それが、彼女が自我を自覚した瞬間だった。
普通の人間ならば混乱し、まともな判断が下せないだろう。しかし、彼女は一人で生きていけるほどの知識と冷静さも手にしていた。
「待ちに行きましょう…。まずは、お金を稼がないと…」
彼女は意識することなく、人間がいる場所が分かる力を持っていた。そしてもう一つ、魔力を使うことで人や物を瞬間移動させることができる魔法も。
彼女は街の中まで瞬間移動すると、始めに仕事を探し始めた。
「あの、雇ってもらえないでしょうか?」
「お嬢さん、どこの娘だ?悪いけど、人は足りてるんだ」
彼女はその時、あえて雇ってもらえる見込みが薄いところに行った。その理由はいくつかあるが、見た目で働けない年齢だと言われないかが心配だったからだ。
「よかったわ。冷やかしと思われなくて」
彼女は自分の年齢が分からなかったが、背丈は街を歩く人々と大差なかった。
次に彼女は人手が足りていない雰囲気を出しているパン屋に駆け寄った。
「あの、日払いで雇ってもらえませんか?」
「…いいよ。今から働けるのかい?」
店の女将はカミヤの姿を見て少し悩むも、店の中に引き入れる。そして、店の制服を渡され、少し奥の部屋で着ていた服を制服に着替える。その後、女将から店番を頼まれた彼女は、パンの値段を覚えて店を回した。
「助かったよ。これ、今日のお給料ね」
「ありがとうございます」
彼女は女将から給料が入った封筒を受け取り、もともと着ていた服に着替える。制服よりも着心地は悪かったが、店の外で制服を着るわけにもいかない。
「明日は来れるのかい?」
「はい。そのつもりです」
「助かるよ。名前は?」
名前を聞かれ、彼女は初めて内面から見た自分の事を考えた。すると、ある名前が浮かんだ。
「…ミヤ。…私はカミヤだったと思います」
「そうかい。明日は仕込みをしてからだから、五時からの出勤で頼んだよ」
カミヤの不自然な回答を気にすることも無く、女将は店を閉めて、居住スペースになっている店の奥に消えていった。
カミヤは貰った封筒を握りしめて、その日の宿と晩御飯を探し始める。だが、どこの宿も満室なことがカミヤには分かり、近くの村まで瞬間移動した。
その村には宿が一軒だけあり、部屋にも余裕はあるようだった。
「すみません。しばらくの間、泊めてもらえませんか?」
「こんな田舎の村に?もう少し歩けば、大きな街があるよ」
宿の店主は善意でカミヤに街のことを話した。その店主はカミヤがその街から来たとは思わなかったからだろう。
「難しいなら、一晩だけでも…」
「いやいや、うちとしては何泊でも歓迎だ。晩御飯は食べたのかい?」
カミヤが首を横に振ると、宿の主人はカミヤを宿の中に入れてご飯を振る舞ってくれた。
食卓には店主とその妻、息子がいた。息子の方の身長はカミヤとほぼ同じで、同年代か少し下だと推測できる。
「あんたも珍しいな。こんな田舎に泊まるなんて。それに一人だ」
「そう?私には分からないわ…」
「変な奴」
そう言った息子の耳を店主の妻が引っ張り上げる。息子はごめん、ごめんと謝りることで、耳を離しってもらっていた。
「ごめんね。こいつの方が独り立ちできないでいるだけだから。さ、ご飯代はいいから、いっぱい食べてね」
この光景を見て、カミヤは声に出して笑った。笑いと言うものを知識としては知っていても、経験するのは初めてだった。
「ふふふ。はい、ありがとうございます」
「ふん!」
笑われた息子は気に食わないのか頬を赤くしてそっぽを向くが、店主の妻に頭を掴まれてすぐに前を向かされていた。
朝になり、カミヤはお金を宿のカウンターに置いて街に瞬間移動した。時計の針は四時三十五分を指していた。少し早いが、店の中では女将ともう一人の男が仕込みをしているのが分かったので、店の扉を叩く。
その音に気付いた女将は扉を開けて、カミヤを店の中へと入れた。
「早いのは助かるよ。もう少しで焼きあがるから、制服に着替えてきて」
「はい」
カミヤは昨日着替えた部屋に入り、箪笥から自分の制服を取り出す。手短に着替え終えると、女将が店の棚にパンを並べているのが見えたので手伝うことにした。
「ありがとね。店の商品と値段は覚えた?」
「昨日入った時に残ってたのと、今並んでるのは覚えました」
「優秀だ。お給料もはずむよ」
女将はパンを並べ終えると、お金を触りだした。客に渡すお釣りの整理だ。
「女将さん、仕事はないですか?」
「そうだね…。街の建物や道は分かるかい?」
「いえ。詳しいとこまでは…。でも、すぐに分かるようになると思います」
カミヤは記憶力に自信があった。なぜなら、彼女はこれまで見たすべてのことを、映像として記憶できているからだ。思い出そうとすれば、その時の様子が鮮明に思い浮かぶ。
「なら、街を見てきな。明日には宅配の仕事を頼みたい」
女将はそう言って、カミヤに一枚の地図を渡した。その地図には赤いペンで書かれた文字と、いくつかの建物に丸印がつけられていた。
「毎朝、そこに伺ってパンを売るんだ。余裕があれば、他の家にもね」
「分かりました。すぐに覚えてきます」
カミヤが地図を持って出て行こうとすると、女将が声を掛ける。
「あと十分ほどで開店だから、遠くには行かないようにね」
カミヤは頷き、周りに人がいないことを確認して丸印がついている場所に飛ぶ。そこに一度でもあった人が居れば正確に飛べるが、地図だけだと付近に飛ぶことしかできないので、飛んだあとは徒歩で目的地まで向かう。
「よし。終わった」
カミヤは丸印がついている建物を全て見終えると、カミヤは再び店の近くに飛んで裏口から中に入って行く。
「ちょうどだね。それじゃあ、開けるよ」
女将が店の扉を開けると、数人の客が中に入ってくる。表で店が開くのを待っていたようだ。
「いらっしゃい。ドドの旦那はコレだね。お、下の子は元気になったかいロール?」
女将は店に訪れた一人一人に声を掛けては、パンを売って行く。そんな中、一人の老人がパンをもってカミヤに近づいてきた。
「お嬢さんは新しく入ったのか?これ、おくれ」
「ありがとうございます。ちょうどでいただきます」
カミヤはパンとお金を受け取り、パンを袋に入れて渡す。その際に、女将から脇腹を突かれる。
「笑顔だよ。お客さんには常に笑顔」
カミヤは昨日笑ったように笑顔を作り、老人を見送った。そんなカミヤにありがとう、と言って笑顔で店を出て行った。
「いい笑顔だ。その調子で頼むよ」
その後、カミヤは営業中ずっと笑顔を保ち、夕方になるころに村に戻った。
村に戻ると、宿の裏で息子が何かしているのが分かったので、顔を覗かせる。すると、息子は横になっている牛に何かをしていた。
「ねぇ、何してるの?」
カミヤに急に話しかけられて、息子は肩をびくりと上げた。
「なんだお前か。見ればわかるだろ。こいつの調子が悪いから、診てんだよ」
カミヤは牛の方に意識を向けると、牛の足に異常があることが分かった。
「その子、足の骨が抜けてる」
「どうしてそんなことが分かる?」
息子は驚いているような、疑っているような顔でカミヤを見つめる。
「なんとなく。信じられない?」
「いや、俺もそう思ってただけだ。今から治す」
息子が牛の足に手を振れると、抜けていたはずの骨がはまり、牛は立ち上がった。
「すごい…。魔法?」
「俺にも分かんねぇ。けど、昔からできた。問題がある所を直接触らないといけないけどな」
「私も人や生き物の気配が分かるの。さっきの牛もそれで」
効果は違えど、カミヤは息子のそれを自分と同じものだと感じた。
「私はカミヤ。あなたは?」
「俺はミネトラだ」




