アッシュ戦2 54
回避は間に合わない。そう判断したリーナは左手を背中の上に伸ばした。
「なっ!」
リーナの背中を貫こうとしたレイピアは、リーナの左手を貫くことで勢いが止まった。しかし、リーナの左手からは少なくない量の血があふれ出した。
アッシュはレイピアを引き抜き、後ろに飛ぶことで距離を取る。この場面で距離を取ったのは恐怖したためだ。リーナの瞳に。
リーナは右手で体を支えながら立ち上がる。ふらつく視線と体を必死に抑え込み、会場の全体を睨んだ。
「っひ!」
その悲鳴はどこから聞こえてきたのかは分からない。
リーナは短剣が蹴り飛ばされた位置を確認すると、ふらふらと歩き短剣を拾い上げた。リーナは拾い上げた短剣で、ズボンを膝の位置まで切り裂く。切れたズボンの端をリーナは口と右手を使い、左手に巻き始めた。簡易的な止血だ。
「……降参するといい。そこまで大きな怪我をしたならば、ニョルデゴートも認めるはずだ」
そう忠告するアッシュの額には汗が滲んでいた。圧倒的に有利な状況で掻いた汗は気温によるものか、あるいはさきほどの恐怖からか。
「最後までやりますよ」
リーナは左手の止血が終わると、再び短剣を持ち走り始めた。アッシュは遅れながらも、それに反応し構える。
リーナがレイピアの射程距離に入ると、アッシュは同じようにリーナの腹部にめがけてレイピアを突き刺す。アッシュは当然避けられるものとして次の攻撃に移っていたが、リーナが取った行動は短剣の側面を沿わせることで、レイピアを受け流すことだった。
想定のしていなかった動きにアッシュは腕を引くのが遅れる。一方、最小限の動きで受け流したリーナはすでにアッシュの腕に短剣を置いており、振りかぶればアッシュの腕が切断できる状態だった。
「っ!」
アッシュは目をつぶり、歯を食いしばることで襲い掛かるであろう強烈な痛みに備える。しかし、襲い掛かったのは強い衝撃だけだった。目を開けると、自分が切断されるはずだった腕で掴んでいたのは先のなくなったレイピアだった。
アッシュはリーナの方を見た。先ほどまで機敏な動きを見せていた少女が、負傷しているとはいえあんなに大きい隙を見逃すとは思えない。ならば、この少女は最初の約束通り、武器だけを狙っていたのだ。大怪我を追わされたにもかかわらず。
アッシュは先の無くなったレイピアを手から離し、両手を頭の上にあげる。
「ニョルデゴートが騎士アッシュ・レディアンは───」
「あー、あー!観客の貴族の方たち、失礼したにょ!僕の騎士に持たせていた武器が不良品みたいだったにょ!」
降参を口にしようとしたアッシュの声を遮るかのように、ニョルデゴートの声が会場を覆う。
「でも、安心して欲しいにょ!予備ならたくさんあるにょ!ほら、受け取るにょ!」
ニョルデゴートの話が終わると共に、アッシュの背後に大量のレイピアが投げ込まれた。その様子はまるで、アッシュに当たっても問題ないかのように。
「……」
リーナは顔と手を下に落としたアッシュを無言で見つめる。そのアッシュは体を震わせながらも、近くに落ちたレイピアを手にする。
「…どちらかが死ぬまで、終わらせないつもりか」
アッシュは小さくこぼし、リーナに向かってレイピアを振り下ろす。その攻撃には先ほどまでの精細さはなく、ただ振り下ろしているだけだった。
攻撃とも呼べない攻撃をリーナは短剣で捌くと、足でレイピアの先を踏みつけて短剣で叩き切った。
「…このレイピア全てを壊すつもりか?」
「はい。それしかないので」
アッシュは再びレイピアを取ると、リーナの前方に先を向けた。それは攻撃などではなく、顔の直前で停止している。
「私を殺せ。それが一番早い」
リーナは目前に向けられたレイピアを血の滲む左手で掴み奪い取ると、膝の防具に押し当てて二つに折った。
「…ニョルデゴートに気に入られていないことは知っていた。だが、武芸に関しては信頼を得ていると思っていたのだ」
アッシュは大量にあるレイピアを無作為に取り、自分の手のひらに突き立てた。アッシュの手のひらからは細い血筋が作られる。
「それだけの自信があった、誇りがあったのだ。だが、奴はそれすらも信用していなかった」
リーナはアッシュが自らの手に突き立てたレイピアを奪い、遠くに放り投げる。
「おそらく予備は無限にあるだろう。巻き込んだのは私だ。この屈辱と共に私を殺せ」
アッシュはもうレイピアを握ることをやめ、力なく手を広げて体を広げた。
リーナは短剣を腰の鞘に直し、アッシュに近づくと再開した時のようにアッシュの頬を強く叩いた。
「…私はアッシュさんとの決闘をどこか楽しみにしていました。だから、弓も練習したし友達にも付き合ってもらった」
「すまない…」
アッシュはリーナを見つめることはなく、その視線は地面を向いていた。
「アッシュさん、あなたの幸福は聞きました。なら、あなたの信念はなんですか?」
「信念…」
下を向いていたアッシュの視線が思い出すかのように、上を向き始めた。
「ニョルデゴートなんかに、認められたかったんですか?皆を救うというのは、嘘だったんですか?」
「…違う。私はニョルデゴートが許せなかった。全てを救いたい…!」
力が抜けていたアッシュの手に再び力が籠められる。
「私はニョルデゴートなんてどうでもいい!皆が救われるなら!」
「どうでもいいなら、あいつの事なんて無視して戦いましょう。絶対に勝って、あいつの鼻を私が折ってあげますから」
リーナはアッシュに笑いかける。その笑みにつられ、アッシュも口角を上げた。
「ありがとうリーナ!よろしく頼む!」
アッシュは無造作にちりばめられているレイピアを手に持ち、リーナとの決闘を再開する。




