73.巫女の神託
「私が産まれたトスカナ村には、古い伝説と、ちょっとややこしい風習が残っているんです」
ナーシャは白く細い手をテーブルの上でぎゅっと握りしめた。
「私達は、代々神の声を聞いて村人を導く巫女の家系に産まれました。村には掟があって、十五歳になると双子は離れて暮らさなければならないんです。それは、双子は性質がよく似通っているから、同じ人を好きになったり、逆にお互いが離れられないくらい一心同体になってしまったり、そういう困った事態を避ける為らしいのですが」
「ふうん、そんな理由があるんだ」
そんな理由があるのなら、そういう風習も一概に理不尽だなんて片づけられないね。
ナーシャも、その風習に関して不満を持っている訳ではないみたいだ。
「でも、それは別にいいんです。ラーラの方が巫女としての力が優れていたから、彼女が村に残って、私が出て行くことになったのも納得しています。決して余裕はないけれど、私は今の生活に不満はないんです。でも……」
一度顔を伏せたナーシャは、顔を上げた時、菫色の美しい瞳を潤ませていた。
おおっ、何だろう、この守ってあげたいオーラは。
「今、ラーラが大変なんです」
ナーシャの震える声に、思わず胸が締め付けられる。
「大変って?」
「このお店のご主人は、毎日市場で魚を仕入れています。その時に、トスカナ村の漁師とも話をすることがあるそうなんですが、その人の話では、ラーラは村人と対立し、孤立してしまっているようなのです」
「孤立って、どうして?」
マーナに問われ、ナーシャは涙ぐみそうになるのを必死で堪えながら語り続けた。
「ラーラは、今では巫女の座を先代から受け継いでいて、神の声に従って村人を導こうとしています。その内容が、村人は全員、村から出て余所の土地に避難するように、というものだったので、村の誰もがその神託を受け入れられないと反発しているようなのです」
「そういう話を、村人が受け入れがたいのも分かります。突然、生活基盤の全てを捨てて生まれ育った土地を離れろと言われても、無理な話だと思いますよ」
フレイユが冷静にそう答えると、ナーシャは首を横に振って反論した。
「でも、ラーラの神託にはちゃんと理由があるんです。実は、トスカナ村には、数百年前に一度災いが起こって村が全滅したという悲劇の言い伝えがあるんですが、ラーラは近いうちにその災いが再び起こると警告しているんです」
「災いって?」
「トスカナ村の沖合に、小さな無人島があるんです。そこには昔から海竜が棲んでいて、普段は村人を護り豊漁をもたらしてくれる神様なのですが、何百年かに一度大暴れして村を滅ぼしてしまうという言い伝えがあります。その海竜が近々暴れだす、という神託をラーラは受けたようなんです」
「……海竜かぁ」
チラリと視線を送ると、目深に被ったフードの下で、フレイユは何か考え込んでいるような顔をしていた。
やっぱり、それって魔族か魔物絡みだよね。
「でも、どうしてそれを私達に?」
マーナが至極当然の質問を投げかけると、ナーシャは縋るように私達を見た。
「どうか、トスカナ村へ私と一緒に来てくださいませんか? ラーラを助けてあげてほしいのです」
うーん、やっぱりそう来たか。
でも、不思議なんだよね。確かに私達はロンバルディア大陸で魔族を二人も倒した英雄ってことになっているけど、見た目には普通の少女と女性と、フードを被った正体不明の男性にしか見えないはずだ。いくらゴロツキに絡まれていたところを助けられたからって、大事な家族をことを助けて貰おうなんて思うものだろうか。
マーナもそう思ったんだろう。敢えて、突き放すように固い口調で答えた。
「私達が、あなたの妹さんを助けてあげられるとは思えないわ」
すると、ナーシャは激しく首を横に振った。
「いいえ! あなた方には私達を助けてくれるだけの力があるはずです」
「なぜそう言い切れるの?」
「占いで、そう出たからです」
ナーシャは自信たっぷりにそう言い放った。
「は、はあ、占いでねぇ」
笑いが込み上げてくるのを必死で堪えていると、ナーシャはプウッと頬を膨らませた。
「あっ、今、馬鹿にしましたね? 言っておきますけれど、私の占いは結構当たるんです。何なら、今から何か占ってみましょうか?」
ナーシャは勢いよく立ち上がった。
「待っててくださいね。今、水晶玉を取ってきますから……」
「いい、いいよ、疑ってごめん!」
私は慌ててナーシャの腕を掴んで引き留めた。
もし、仮にナーシャの占いが当たるとして、詳しく占われた結果フレイユ達の正体がバレるようなことになればややこしいことになる。
「そうですか? 本当に信じてくれてます?」
疑わしそうな目で私達を見回しながら、ナーシャは渋々席に戻った。
「でも、私達も先を急いでいる身だし、ねぇ?」
マーナはあくまでも断るつもりなのか、フレイユに同意を求めた。
すると、顔を上げたフレイユは、予想に反して、口の端の片方をクイッと持ち上げて笑った。
「いえ、別に構いませんよ」
「えっ!」
「本当ですか?」
ぎょっとして固まったマーナの横で、ナーシャが嬉しそうに手を叩いて喜んだ。
「そうと決まれば、早速トスカナ村へご案内します!」
そう言って立ち上がったナーシャは、今すぐにでも私達をトスカナ村へ引き摺って行きそうな勢いだ。
慌ててマーナが彼女の袖を引いて引き留めた。
「ま、待って。実は、一人、いえ、一匹だけど、宿に仲間を残してきているのよ。それに、もう日も暮れたし、せめて出発は明日にしてくれないかしら」
「えぇ、そうですかぁ」
不服そうなナーシャに、フレイユがにっこりと微笑んだ。
「そう慌てなくても逃げませんから、安心してください」
その言葉を聞いて、ナーシャはホッとした表情になった。
「では、明日朝、皆さんを宿まで迎えに行きますね!」
こうして、あれよあれよという間に、私達は早くも脇道に逸れ、ニケアの隣にある小さな漁村、トスカナ村へ赴くことになってしまった。
宿屋に戻ると、猫が一匹、ソファの上で気持ちよさそうに眠っていた。
あ、猫じゃなかった。オークルだ。
オークルは私達が持って帰った夕食を美味しそうに食べていたけれど、明日トスカナ村へ行くことになったと伝えると、頬張っていたパエリアの米粒を飛ばしながら怒鳴りだした。
「お前ら、一体何を考えてやがるんだ!」
「そんなこと言われたって、ねぇ?」
マーナがそう言いつつ、私に視線を送ってくる。
「うん。だって、いいよって言ったのって、フレイユだし」
「ああん?」
まるで下町のチンピラみたいな口調ですごむと、オークルはこちらに背を向けて座っているフレイユの正面に回り込んだ。
「お前、一体どういうつもりなんだ。宝珠を手に入れたなら、一刻も早く里に戻るのが筋なんじゃないか?」
「ええ。でも、困っている人を放っておくわけにはいきませんし」
「はあっ? 何言ってやがるんだ。お前にそんな義務なんかないだろうが」
オークルが呆れるのも分かる。確かに、神獣族のフレイユが、そこまで人間を助けなきゃならない理由はない。
「しかし、この件には魔族が関わっているかも知れないんですよ」
「だったら猶更だ。何でわざわざこっちから危険に飛び込んでいく必要があるんだ。魔族が関わっているからだと? 俺達が、魔族から人間を守らなきゃならない義務なんてない。それは、地母神の役割だろうが」
「その地母神様が何の行動もなさらないのが、気になっているのです。もし、このまま魔族が地上でのさばるようなことになれば、いずれ我々神獣族との衝突も避けられなくなってしまいます。そうなってからでは遅いのですよ」
いつになく厳しい表情と切迫した声に、オークルは気圧されたように立ち尽くしている。
「ふん、勝手にしろ」
やがてオークルは、観念したように元の場所に戻ってくると、再び夕食を食べ始めた。
けれど、気持ちが治まらないのか、怒りに任せてがっついた結果、思いっ切りむせていた。




