74.トスカナ村へ
長らく放置状態となっておりまして、申し訳ございません。ゆっくりとではありますが、更新を再開したいと思いますので、これからもどうぞよろしくお願いします。
「は? 俺は行かねぇよ」
朝になって、オークルはソファに寝そべったまま、そう言い放った。
「何でよ。いくら気にくわないからって……」
「あのな。猫は水が苦手なの。何でわざわざ漁村なんか行かなくちゃならないんだよ」
「でも、海辺には猫ちゃん、たくさん棲みついているけどね。魚なんかの餌も多いし」
「俺と猫を一緒にするな!」
先の台詞とは明らかに矛盾する言葉を叫んだオークルは、どこからどうみても相手を威嚇して毛を逆立てる猫にしか見えない。
そんなオークルを、腕組みしたマーナがじろりと見下ろした。
「あっ、そう。じゃあ、あなた一人でこの部屋で待ってるのね? 私達、何日帰って来ないか分からないから、その間、誰も食べ物を買ってきてあげられないけれど、それでもいいのね?」
その言葉に、オークルはぎょっとしたように顔を上げた。
「えっ、それは……」
「だって、そういうことでしょう? あなた一人じゃ、部屋を出て宿の食堂で何か注文するってこともできないし」
怒涛の勢いで、マーナはオークルを追い詰めていく。
「あ、それよりも、猫一匹の為にこの部屋を押えたままにしておけるかしら。リムルラントからの船も今日から本格的に入港するから、きっと宿泊客も増えるわね。宿泊しないならチェックアウトしてくれって言われちゃうかも知れないわねぇ。そうなったら、あなた、このニケアのどこで待つつもり? ああ、路地裏にたむろしている猫ちゃん達と一緒に過ごすっていうのもいいわね」
「……ちっ、分かったよ、行くよ」
オークルは渋々立ち上がると、大きく伸びをした。
「その代わり、俺は海竜だか何だか知らんが、魔族には一切関わらないからな!」
そう叫ぶと、床をぴょんと蹴って飛び上がり、マーナの鞄に爪を立ててしがみ付く。
そのまま、当然のように鞄の中に納まったオークルに、無性に腹が立った。
本当に我儘放題の困った奴。こいつ、本当にフレイユと同じ神獣族なんだろうか。マーナもマーナだ。そんなに嫌だっていうのなら、置いていっちゃえばいいのに。
出発の準備を終えて宿の玄関ホールにまで下りると、ロビーのソファから立ち上がった人物が嬉しそうに駆け寄ってきた。
「ああ、皆さん。お待ちしていました」
『海の幸』食堂で落ち合う約束だったはずなのに、何故ナーシャがここにいるんだろう。まるで、私達が約束を無視して宿を出立しないよう、ここで待ち構えていたんじゃないだろうかと思ってしまう。
「こいつか。めんどくさい話を持ってきた奴は」
マーナの斜め掛け鞄の中に納まっていたオークルが、顔だけ出して唸る。すると、それに気付いたナーシャが黄色い声を上げた。
「まあっ、可愛いっ! 何て可愛らしい猫ちゃんなんでしょう! この子ですね、昨日、宿に残してきたって言ってたお仲間は。ちょっと撫でてもいいですか?」
そう言って目を輝かせるナーシャのほうが、ずっと可愛い。それに、その猫ちゃんは見た目と違って、中身はとっても嫌な奴なんだから。今だって、言葉が通じないのをいい事に、ナーシャの悪口言ってたんだからね、と言ってやりたい気持ちをぐっと抑える。
「ええ、どうぞ。まさか、ただ撫でるだけなのに、嫌がって引っ掻いたりはしないと思うから、ね?」
オークルを牽制するように言ったマーナに、ナーシャは不思議そうに首を傾げる。けれど、すぐに気を取り直してそっとオークルに手を伸ばし、頭を撫でた。
「まあ、とってもフワフワ。それに、賢そうな表情をしていますね」
「そうね。とっても賢いのよ、この猫」
マーナは苦笑いを浮かべている。オークルが、あんな悪態を吐いた割に、大人しくナーシャに撫でられ、嬉しそうに喉を鳴らしているからだ。
おいおい。美人に撫でられて鼻の下を伸ばしているなんて、神獣族がそんなんでいいのかい?
呆れたようにフレイユを振り返ると、察してくれたようにフレイユが何度も頷いていた。
トスカナ村は、白くて綺麗な砂浜が広がる、とても景色のいい村だった。
砂浜には漁師の小舟が置かれていて、その傍らでは半裸の漁師たちが小麦色に焼けた筋肉質の身体を日差しの元に晒しながら、網仕事に精を出している。
早朝の漁が終わって、昼を過ぎた今頃の時間はこういった網仕事や船の手入れをする時間らしい。
村にやってきた見慣れない集団を見た村の人々は、不審げにこっちを睨みつけてくる。
そのうちの一人が、私達の中にナーシャの姿を見つけ、驚愕の表情を浮かべて立ち上がった。
「お、……お前、ナーシャじゃないか」
「はい。お久しぶりです」
「いや、久しぶりじゃねえって。お前、この村に戻って来るたぁ、どういう了見だ?」
駆け寄ってきた漁師たちは、私達、特にナーシャを取り囲んで、困惑した表情を浮かべている。
「すみません。村の掟は重々承知しているんですけど、どうしてもラーラのことが気に掛かって」
ナーシャがすまなそうにそう言うと、いきなり一人の漁師が怒鳴った。
「そう! そのラーラだ! あの子が俺たちにどんな理不尽な要求をしているのか、お前知ってんのか!?」
「……はい。人伝に、あの子が皆さんに村から出て行くように言っていると聞きました」
すまなそうに肩を竦めるナーシャに、体格のいい漁師たちの視線が突き刺さる。
「だったら、お前からラーラを説得してくれ。災いが起こるとか命が危ないだとか言っているが、この村を離れることは俺達にとって死を意味するんだってな」
「そうとも。俺達はこの村で生まれ育った。この村を離れちゃどうやって生きて行けばいいのか分からねえ」
「第一、本当にそんな災いが起きるのか? 大昔にゃそんなこともあったらしいが、もう何百年も誰も海竜なんか見たこともねえ」
そうだそうだ、と野太い声で口々に責められて、ナーシャは俯いたまま、拳を握り締めている。
助けようと一歩足を踏み出そうとしたところで、肩に手を置かれた。振り向くと、マーナが小さく首を横に振っている。
「待って」
「でも……」
「ここはナーシャの故郷よ。手荒な真似なんかしないわ。寧ろ、ここで私達が割って入って彼らの心証を悪くすれば、返ってナーシャの立場が悪くなってしまうでしょ」
そう言われてしまったら、黙って見守るしかない。
「……ん」
「あ? 何だって?」
やがて、小さく何かを呟いたナーシャに、漁師の一人が怪訝そうに眉を顰めた。すると、ナーシャはキッと眉を吊り上げて顔を上げた。
「ラーラの予言は、外れたことなんかありません!」
そう叫ぶと、ナーシャは漁師たちの包囲網をすり抜けて走り始めた。
「ナーシャ!」
慌てて、私達はその後を追った。
漁師たちも追ってくるかな、と思っていたけれど、走りながら一度後ろを振り返ってみたけれど、誰も追ってはこなかった。
村の中心部から少し山側に入った少し高いところに、漁師たちの家とは違う立派な門構えの大きな家があった。
私達が追いつくのとほぼ同時に、ラーラはその木製の門の前に立ち、閉ざされた門扉を拳で叩き始めた。
「ラーラ、いるんでしょ? 私よ。ナーシャよ。ここを開けてちょうだい。どうしても、あなたと話したいことがあるの!」
走ってきたばかりで息を切らせながら、ナーシャは必死で叫んでいる。
「ラーラ、お願いよ、ここを開けて!」
何度も叫び続けるナーシャを止めようかどうか迷っていると、ガコン、と門の向こうで何か音がした。
ハッと息を飲んで一歩下がったナーシャの目の前で、扉は真ん中からゆっくりと内側に向けて開いていく。
そこに立っていたのは、小さくて皺だらけの痩せた老婆だった。
「お久しぶりでございます、ナーシャ様」
老婆はきちんとまとめ上げた白髪頭を下げると、目を細めた。
「さあ、どうぞお入りください。お連れの方々もご一緒に」




