44.もう一人の王女様
「……何ですって。ジュリア王女が?」
アルマさんが擦れた悲鳴のような声を上げた。
……えーっと、ジュリア王女って誰?
確か、王女はエリーザって名前じゃなかったっけ? と首を捻る私に、その情報をもたらしてくれた老人は若々しい声で教えてくれた。
「ヒルメス殿下の、二番目の姉上様になられる御方だ」
その声は、白髪交じりの灰色の髪に、日に焼けて皺だらけの背が曲がった老人のものにしては、違和感があり過ぎる。
というのも、この人、本当は老人じゃなくて、騎士の一人が変装しているんだそうだ。
どうして? 勿論、近衛騎士団の目をかいくぐるために決まっている。
「ジュリア王女は、ヒルメス殿下をそれは可愛がっておいでだったそうよ。ヒルメス殿下があのような目に遭われてからは、御心を痛められてずっとお部屋に閉じこもっておいでだったそうなのに」
「まさか、ヒルメス殿下のご無事を願う為、神殿に向かう途中で魔物に襲われ、生死不明となってしまわれるなんて」
老人に変装した騎士も、そう言って頭を抱えてしまう。
……あれ?
ふと思い出したことがあってフレイユを振り返ると、私と同じことを思い出したらしいフレイユは、口元を押えて噴き出しそうになるのを必死で堪えている。
やっぱり、アレってそうだよね。
「アルマさん。そのジュリア王女、きっと生きているよ」
「は……? え、ちょっと、どういうこと?」
彼女にとっては耐えがたい悲しい出来事を根本から否定されて、アルマさんは呆気に取られたというよりは、少し不機嫌そうだった。
「あのね、実は昨日、王都の散策中にこんなことがあったんだ」
私は例によってフレイユと二人、近衛騎士団の警備の目をかいくぐりながら王都を散策していた。
「戦争が始まるって大騒ぎしていた割に、何も起こらないね」
「起こらないに越したことはありませんよ」
「でもさぁ、このまま何の進展もなかったら、いつまで経ってもサブリアナ大陸に渡れないよ」
そんなことを囁き合いながら、王宮に程近い神殿の裏通りまでやってきた時だった。
けたたましい馬の嘶き声と、人間の悲鳴が聞こえてきた。
顔を見合わせたのは一瞬、私たちはすぐに現場へと駆けつけた。
そこは、神殿の裏口へ通じる細い路地だった。馬車が横転し、横倒しになった馬の首に、大人の二の腕ほどの太さがある黒い蛇が巻き付いて、グイグイと締め付けていた。
見れば、蛇はあと二匹もいて、それぞれ馬車の御者らしき人と、騎士に絡みついて締め上げている。二人とも顔色はすでに紫色になっていて、目を見開いたまま口から泡を吹いている。
それがただの黒い蛇じゃないことは、さっきから封邪の剣が背中で震え続けているから分かっていた。
私が封邪の剣で、フレイユが神力を込めた剣で魔物を倒したけれど、すでに魔物に襲われていた人も馬も助からなかった。
「間に合わなかったね……」
そう呟きながら、虚しさに包まれていた時だった。
「そなたら、強いのぅ」
鈴の鳴るような声が、横倒しになった馬車から聞こえてきた。
ぎょっとして振り返ると、今は天井部分になっているドアの窓部分から、白い清楚なドレスを着た黒髪の美しい女性が、うんしょよいしょと這い出して来るところだった。
「あ、ちょっと待って」
慌てて馬車の上にひらりと飛び乗り、女性の脱出に手を貸す。
女性は、けぶるような睫毛に縁どられた翡翠色の目をパチパチと瞬かせると、真っ赤な唇を横に大きく引くように笑った。
「おお、そなた随分と身軽じゃのぅ」
「え? あ、まあ、そうデスネ」
きっと、私よりも五歳くらい年上なのだろうと思うけれど、それよりももっと大人の色香漂う物凄い美人さんだった。
これまで、こういうタイプの美人さんとはあまりお近づきになったことはなくて、寧ろ色仕掛けでクロスに迫る人たちばかりだったから、正直言って苦手なタイプの人だな、と最初から腰が引けていた。
ところが、私の手を借りて地面に降り立ったその美人さんは、そんな私の様子なんか全く気にしていないようだった。
騎士と御者と馬が魔物にやられたと知ると、それまでどこか世間知らずのお嬢様みたいにフワフワしていた美人さんは、スッと表情を引き締めた。
「ふむ。致し方ない」
「あの、もし何でしたら、お家まで送りますけど」
「いや、必要ない。目的地は目の前じゃからのぅ」
そう言った美人さんは、ふと思いついたように私たちのほうをキッと睨みつけた。
「うむ。そなたらに頼みがある」
「な、何でしょう」
「今日、ここで魔物を倒したことを黙っていて欲しい。いや、そなたらはそもそも、何も見てはおらぬ、ここに来てもおらぬ、存在してもおらぬ」
いや、存在ぐらいはさせておいて貰いたいけどなぁ……。
詰め寄ってくる美人さんの勢いにたじろいでいると、その美人さんは腕から三連になった金の腕輪を抜いて私の手に握らせた。
「これは、助けてくれた謝礼と、口止め料じゃ」
「いや、あの……」
そんなもの要らない、と返したかったけれど、とてもそう言えるような雰囲気じゃなかった。
「ああ、それから、この場はこのままにしておいて貰おう。わたくしの手の者が、すぐに片づけに来るのでな」
「は、はあ」
横倒しになった馬車と、倒れた馬、その傍に亡くなった御者と騎士。そして、フレイユが倒した黒い蛇の死体一匹分が地面に転がっている。
私が倒した二匹は、例によって煙になって封邪の剣に吸い込まれていったから、死体も残っていない。
「では、息災でな」
踵を返してスタスタと歩き出した美人さんに、そう言えば名前も聞いていないな、と呼び止めて問えば、
「いや、名乗るほどの者ではない」
と、何だか向こうが助けた側のようなことを言われてしまった。
そのまま、美人さんは神殿の裏口へ消えてしまった。
「……ねえ、高貴な身分の女性って、みんなあんなふうにお爺さんみたいな言葉遣いなのかな」
「さあ。人間の貴族のことなど、私には分かりません」
「何だったんだろうね、あの人……」
私もフレイユも、魔物を倒したことよりも、あの美人さんに疲れてしまって、二人同時に大きな溜息を吐いたのだった。
という出来事を、封邪の剣とか神力とか、知られたくない諸々の情報をうまく隠しながらアルマさんと変装騎士に話して聞かせると、二人ともワナワナと肩を震わせた。
「間違いないわ、きっとジュリア様よ!」
「しかし、そういう話は、すぐに我々に話してくれないと困る」
喜びの余り今にも泣きだしそうになっているアルマの横で、変装騎士は不機嫌そうに眉をひそめた。
ジュリア王女の生死不明という情報は、王宮からの公式発表だったらしい。
ということは、王宮側はジュリア王女が生きていることを知らないのかな。それとも、知っていて隠している? でも、なんで?
その時、『翡翠庵』の裏口、いつも宿の従業員かヒルメス殿下の協力者しか知らないドアが開いて、五つの人影が音もなく滑り込んできた。
「あ……」
「おや、そなたは」
その五人の中で、他の四人に護られるように立っているほっそりとした人物が、頭からすっぽりと被っているヴェールを白い手で持ち上げた。
長い睫毛に囲まれた翡翠色の瞳が、キラリと光る。
うっ……。
何だか嫌な予感、と肩をすくめた私に、次の瞬間、ジュリア王女は飛びついて来た。
「何と、アルマの宿に逗留している異国からの協力者というのは、そなた達であったか!」
「う、……はい。一応」
私より背の高い王女様に抱きつかれ、香水の匂いに酔いそうになりながら、助けを求めるようにフレイユを見る。
憐れむようにこっちを見たフレイユは、抱きつかれたのが自分でなくてよかった、と言わんばかりに苦笑しつつ、私からさりげなく距離をとった。
そ、そんなぁ……。




