7話 母を殺してしまった
――母は強し。誰かが言った、有名な格言。
僕はそうは思わない。
だってさ、母だって、一人の女性なのだもの。
それに、我が家の母に関して言えば、「母はクソザコ」だ――
誰も居ない暗い個人事務所。小学生ならとっくに寝ているような、大人の時間。
「ふふふ、息子のイケメンっぷりを見ながら飲む酒は、この世で一番美味しい」
どんなときでも目をクワッとかっ開き、力強く言葉を発するのが、母の特徴。
ただ僕を褒めただけなのに、母が言うと迫力満点だ。
僕が作ったおつまみと、あったかい清酒をクイッと飲みながら、母は隣に座る僕の髪をくしゃくしゃっと撫でた。
色素が少し抜け、銀色がかった柔らかな僕の髪が揺れる。
「へへへっ」
大好きな「かっこいい」母に撫でられて、僕も自然と口元が緩むというものだ。
それにしても、母のコンビ「大帝国」の、今日の漫才も面白かったなあ――
『……』
『ちょ、ちょ、ちょ!待て!帰るな!息子が見てるからって、来てすぐに終わらすな!一応大トリやぞ!』
『黙れ雑兵。この私に指図するな』
『……ほんと、ムカつきますよね、こいつ。こんなやつの元にイケメンで優しい息子が生まれてきたの……あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛世の中は不公平すぎる!』
『耳元で喚くな、肉塊が』
『肉塊!?』
ふふふっ、思い出しただけで、まだ笑えてくる。
目つきや佇まいのせいで、常に迫力満点の母。喜怒哀楽が豊かな相方さん。
二人の掛け合いのテンポが良くて、笑いやすい空気感を作るのが上手だ。
実際、他のお客さんも結構笑っていた。
僕達が作った劇場の男性専用席で、みんなの漫才を見る時間が、僕は大好きだ。
そんな頑張った母を労うために、今日は誰も居ない事務所で、こうして二人きりで落ち着いた時間を……あっ。
「……やっべ。母を殺してしまった」
僕が回想から戻ってくると、目の前には、血まみれの母が地に伏していた。
幸せそうな顔で、ピクピクと痙攣しながら死んでいる。
分かってるかもだけど、もちろんそれは嘘だよ。
鼻から大量の血を流しながら、気絶しているだけだ。
母はソファーに仰向けでひっくり返っている。
「ははっ」
小さく笑う。
その姿は、まるで夏のコンクリートに落ちている蝉みたいで、ちょっと面白かったから。
この通り、母は僕に対して世界一「クソザコ」なんだ。この程度の笑顔でも、こうなっちゃう。
母の前では一ミリたりとも笑わないように、もっと気をつけないと……
突然だが、僕はとんでもないイケメンだ。以前にも言ったかもだが、もう一度言おう。
周りの女性から、何度も何度もそう言われてきたので、一応その事実は受け入れている。
一応と言ったのは、僕自身では、僕はあまりかっこいいと思わないからだ。
確かに僕、目鼻、口などは整ってるかもしれないけどさ。肌も白いし、腰は簡単に折れそうなほど細いし、目つきもキリッとしてないし、声も男らしくないし……全体的にパステルカラーで描いたような、柔らかすぎる見た目なんだ。
こんな儚げで、弱そうな男なのに、女性には大受けしている。
どうもこの世界の女性は「守りたくなるような男」がとにかく好きなようだ。
その価値観は、貞操が逆転し、男女比が偏ったせいなのかもしれないね。
「相変わらず、親バカをこじらせてるなあ……」
そんな儚げな息子に特に弱いこの母は、僕が微笑みかけただけで、こうして血まみれになってしまう。
「これでもお母さん、『男性免疫レベル』はそこそこ高いんだよね……」
男性免疫レベルとは、その名の通り異性に対する耐性の強弱を表す表現だ。
信じられないかもだけど、この国ではどの辞書にも載っているくらい、世間に浸透している言葉だ。
最弱・弱・中・強と4段階に分けられることが多く、世の中の女性のうち、弱が一番多いと言われている。
弱くらいならば、男と頑張ればある程度コミュニケーションが取れるレベルだ。僕のニコニコ笑顔を見ても耐えられるくらいと言えば伝わるだろうか?
最弱は今の母のような、男を見て気を失ったり、血を垂れ流したりするレベルの、もはや生きていくのが困難な人。
強は僕の妹のように、幼い頃から男性に触れる機会が多く、ある程度普通に接することができる人だ。
僕の周りで言えば、マネージャーさんが弱、母と姉が中、妹や幼馴染が強って感じかな。
「でも、僕に対してだけは慣れたのか、マネージャーさんは普通に接してくれるし、母に関しては僕にだけ最弱も最弱だから、あんまり当てにならないんだよね」
所詮男性免疫レベルなんてものは、世間で流行っている言葉に過ぎない。
別に病院で検査した結果「あなたは中です」と診断されるわけじゃないからね。
要するに、だいたい自己申告ベースの目安でしかないのだ。
「せめてお母さんにはいい加減慣れてくれよって言いたいけど……うん、一向に慣れてくれないね。もうこれは、個性として扱うしかないのかなあ」
こんな風に僕が好きすぎて気絶してしまうことからも分かるように、とにかく僕は溺愛されてきた。
多分母は、僕を幸せにするためならば、世界だって滅ぼす。僕が止めないと借金してでも僕に贅沢させるだろうし、たとえ武器持ちの百人に囲まれても、僕のためなら母はステゴロで戦う。
それほど母が僕を見る目は優しいのだ。
その瞳をどこまで深く覗き込んでも、果てしない優しさしかない。
親の愛情を知らずに育った僕としては、この混じりっけのない好意が心地よくて仕方がなかった。
……でもね。
『悠久は何も間違っていない。なぜならば、この世の全ては悠久が言ったことが正だからだ』
これを大真面目に言われた時は、流石に危機感を覚えたよ。
「しかも、母は決して口だけじゃないからなあ……もはや恐ろしい」
過去には、夜行性の僕に合わせ、学校のルールを変えてしまったこともあった。
僕が人の名前を間違えて読んでしまった時、相手にその間違って読んだ名前に改名させたこともあった。
……しかもこれ、全部100パーセント善意でだからね。
ね? 恐ろしいでしょ?
それにしても、よく僕ってこんな環境でまともに育ったなあ……ほんと、前世があってよかったよ。




