34話 我慢しろよ
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稽古場で二人の漫才を、僕と姉は並んで大人しく見学する。
そう、くれぐれも大人しくだ。
姉から何を言われようと、無視。心を鬼にして、無視だ。
そうすれば、いくら悪ノリが大好きな姉でも、大人しくしているだろう。
「どうもー。そばかすとゆーれいです。よろしくお願いします。突然だけどそばかすちゃんって、マナーの悪い人にちゃんと注意できる?」
「もちろんよ!」
「じゃ、やってみようか」
ふふふ、二人の漫才、楽しみだなあ……
と、僕がワクワクしていると、ツンツンと僕の肩をつつく感触を感じた。
「ねえ、悠久。ちょっといい?」
耳元で囁くように、僕に語りかける。
「なに? 今忙しいんだけど……」
二人の掛け合いは続いているので、僕も小声で話す。
っと、つい、いつものように返事してしまった。
まあでも、多少は大丈夫か。
もちろん顔はちゃんと前を、要は二人の漫才を見ながらだしね。
「……」
「……?」
ちょっといい? と言ったはずなのに、続きの言葉が出てこない。
それでもツンツンと僕の肩をつつくのは続いている。
焦れて横を向こうとした瞬間、頬に柔らかい感触があった。
「なんだよって、ええ……」
「えへへ。ちゅーしちゃった」
「もう、なんで今そんなことするんだよ。やめてよ」
「あはは。せっかくそばかすちゃんの前なんだし、寝取りってものの気分を味わってみたくてさ。いやあ……いいものだね。じゃあさ、今度は悠久の方から、ちゅーして?」
「ふふふっ、お姉ちゃんは思春期だもんね。ほんと、しょうがないなあ」
と、つい盛り上がってしまったせいだろう。
二人が近づいてきたことに、全く気が付かなかった。
「ねえ、邪魔するなら出ていってくれるかしら?」
目の前には、目をとんがらせて僕たちを睨む二人が。
……やっべ。やらかした。
そうだ。今は姉とイチャイチャしている場合なんかじゃない。最初に決意したように、ちゃんと無視しなきゃ。
そもそも、二人が魂を込めて作ったネタを楽しまないなんて、すごく失礼だね。
「ごめんね。僕がしっかりしないといけないのに、つい姉のノリにつられちゃった。あんまり調子に乗らせないように、次からは気をつけるね」
姉は一度乗ってしまうと加速度的にノリノリになっていく人だ。
だからこそ、こういう場面では無視が一番。それは分かってたんだけど……
「まあ、あなたは良いわ。でも、のこさん。あなたはさっき悪ノリで怒られたばかりですよね? 次やったら出てってもらいますから」
ああ、のこさんっていうのは、姉の名前ね。
「分かりました! さー!!!」
「……まあ良いです。悠久、ほんと頼むわよ。じゃ、次のくだりからいくわね」
そばかすちゃんは、僕に強く視線を向ける。
その瞳には「この人には言っても聞かないんだから、あんたがしっかりしないとダメじゃない」とでも言いたげな色が浮かんでいた。
ということで、仕切り直しだ。
「カランコロンカラン」
「ドアの音がおかしい! そんなところで躓かないで! 私はマナー悪い乗客を注意したいのよ!」
「ウチはぁー、自分が主人公かと思いましたぁ!」
「なんで急に私のモノマネするのよ! やめなさい! 何度も言うけど、私はマナーの悪い乗客に注意したいだけなのっ!」
ふふふっ、二人の掛け合い、面白いなあ……
「……ぐ、ふふふっ、ねえ、悠久」
また、ツンツンと懲りずに僕の肩を突く姉。
今度は絶対に怒られないように、申し訳ないが無視させていただく。
ごめんね、お姉ちゃん。
ただし、姉は止まらない。姉はゆっくりと僕に近づき、耳元でこう囁いた。
「ふふっ、あのね。ふふふふふっ、思い出したら笑けてきちゃった話なんだけど…… 今日私たちを怒ってるときのマネージャーさんがね……ふ、ふふっ、大真面目に怒ってるのにさ。おでこにご飯粒がついてたの」
「うぐっ」
あぶねー、この状況と姉の笑い声につられて、その程度のことで笑いそうになった。
ダメダメ。僕がしっかりしないと。腹筋に力を入れろ。決して笑うな。
「しかもだよ。ふふふっ、ご飯粒に髪の毛が一本、綺麗に巻き付いててさ。ふふふっ」
わ、笑うな……!
「ふふふふっ、それを見て、あーしは思ったね。海苔巻かよって」
「ぴひょ――ッ!」
笑いをこらえきれず、僕は必死に口元を押さえた。
そんな僕達を、呆れた目で見るそばかすちゃんとゆーれい。
「言った通り、先輩には退場してもらうわ。邪魔しないでって言ったでしょ?」
「ごめんって! もうしないから! ほら! イエローカードだって、二枚までならセーフじゃん! だからさ、許して!」
「普通は二枚で退場よ」
「……あれぇ?」
お姉ちゃん、一応サッカーのスター選手だったでしょ? もう忘れちゃったの?
「ごめんね。でも、野球なら3アウトまでセーフだからさ、なんとかもう一回チャンスをくれない?」
僕は必死に拝み倒す。
お姉ちゃんと二人で漫才を見る機会なんて、小さい頃以来だからさ。
屁理屈を並べても、この機会を逃したくないんだ。
「……まあ、良いわ。でも、これが本当に最後のチャンスよ。のこ、分かった?」
いつの間にか当たり前のようにタメ口になっている。
「分かりました! さー!」
そして何故か先輩である姉が敬語に。
「あと、流石に悠久でも次邪魔したら、退場だから」
「うん、何が起ころうと、徹底的に無視するよ」
ということで、再度仕切り直し。
「がっしょうだーん」
「ドアが開く時は、ウィーンで良いのよ! こんなこと言うのもあれだけど、もうボケないで!」
「ボケないで……なるほど。じゃあ、こういうの? そばかすちゃんって、AIのちょっとした失敗を、誰よりも嬉しそうに話すよね」
「なによ突然。私は漫才をしたいの。急にエピソードトークを始めないで」
「バカの癖に魚を食うよね。バカが魚食べるなよ」
「それは別にいいでしょ!!」
――ツンツン。
「ねえ、悠久」
チラリと横目で姉を見ると、それはもう最高に楽しそうな笑顔で、僕を見ていた。
「……」
明らかにいたずらっ子の目だったので、しっかり前を向いて、固く無視の姿勢を見せる。
大丈夫、姉は悪ノリさえしなければ、ただの優秀な人だ。ここまですれば、流石にね。
「……」
よし、大人しくしてくれたようだ。これなら安心して二人のネタを見られるな。
……と、思ってたんだけど、今日の姉の悪ノリは、この程度では止まらなかった。
「ドー、レー、ミー、ファー、ソー、ラー、シー……」
姉は突然、小さく僕にだけ聞こえるように、音階に乗って徐々に高い声を発しだした。
大丈夫、大丈夫。笑わなければいいだけ。
笑うなよ。何があっても、決して笑うな。
僕は腹筋に力を入れるが……姉は何もしてこなかった。
(……なんだよ。なにもないパターンか。それじゃあ、ようやく真面目にネタを見られるな)
肩透かしにより、少し気を抜いた、その瞬間。
姉はたっぷり間を開けた後、本当に突然――
「ラー!!!」
勢い任せにこう叫んだ。
「――ぷしゅっ! う、うぴぴぴぴ!!」
思わず吹き出しそうになり、必死に口に手を当てて抑えるが……
「はい、連帯責任よ。退場」
結局僕たち二人は、無慈悲に稽古場から追い出されたのだった。




