32話 死ぬほど恥ずかしいんですけど
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「ねえ、ちろる。はい、あーん」
「――ッ!!!???」
何故か、妹がフリーズした。
「ねえ、それは流石に……」
「じゃあ、そばかすちゃんも。はい、あーん」
「げほっ、ごほっ!!」
「ちょ、大丈夫? はい、お水」
なんで二人ともこんな反応を……?
……あっ、そうか。
「そっか、あーんなんて、フィクションでしかないことだったね。いわば夢のシチュエーションってやつだったか」
失敗失敗。
壁ドンとか、あーんとか、お姫様だっことかって、この世界では人前で裸になるくらい危ないことだ。
それこそ「合意あり」とみなされ、今すぐ襲われても仕方がない。
「ごめんね? ちょっと刺激的すぎた――」
「「もう一度チャンスを下さい!!」」
「……え?」
それはまるで甲子園を目指す野球少女のように。
それはそれは、二人の目がギラギラと輝いていた。
……なんだ、二人ともびっくりしてただけか。
僕の考えすぎってことね。良かった良かった。
「じゃあまずはちろる。はい、あーん」
ただ、僕が卵焼きを差し出しただけ。
それなのに、この時の妹の姿は――
太陽に近づきすぎて羽を燃やしたイカロス。そんな姿を幻視した。
「ぱくり」
ゆっくりと咀嚼していく。
誰も喋らない。
何故かこの場には、果てしない緊張感が漂っていた。
もぐっ……もぐっ。
ものすごーくゆっくり、妹は咀嚼する。
それは、突然のことだった。
「…………あっ♡」
なんでだろう。僕には妹が「弾けた」ように見えた。
――ばんっ! ばんっ!! ぱんっ!!!
とんでもない威力で、自らの頬を何度も何度も強く叩く。
「う、うううううう。うう゛う゛う゛う゛う゛う゛……」
唸りながら、目をぐるぐるさせる。
そしてそれから3秒後。
「キュウ……」
しまいには気絶してしまった。
「……あれ? どうしたんだろう? なんか、珍しく妹がこうなってるけど、そばかすちゃんはだいじょうぶそ?」
「も、もちろん! だって私は男慣れしているし、ついでに一応あなたの彼女なのよ! よ、余裕よ!!」
「そうだよね。じゃ、はいあーん」
ただ、僕が唐揚げを差し出しただけ。
それなのに、この時のそばかすちゃんの様子は――
まるで死地へ単騎で駆ける、歴戦の騎馬武者。そんな姿を幻視した。
「ぱくり」
覚悟を決めて飲み込むと――どんどんそばかすちゃんの周囲の空気が陽炎のように揺らめいていき……
「う、うわああああ!!!!!」
何故か猛スピードで海へと走り出してしまった。
――ジュワー……
「あれぇ? どこ行くんだろ?」
相当遠くの方まで泳いでいったみたいだけど、あれ、帰ってこれるのかなあ……
ふと、ツンと冷たい手の甲に感触を感じた。
わさびだ。わさびが僕の手をツンと、つついたのだ。
「わさびは優しくて可愛いなあ。よし! 今日は目一杯遊ぼうね」
「わん!」
その尻尾は、それはもう楽しそうに揺れていた。
「あはははは!!」
しばらくの間、僕はわさびと二人で走り回って遊んだ。
それはまるで、青春映画のように。
浜辺で走る美少年と愛犬は、映画のワンシーンのように絵になったことだろう――
「ぜぇ……ぜぇ……横っ腹が痛い」
……うん、さっきのはただの妄想。いつだって現実は想像通りにはいかない。
「ひゅー、ひゅー……しぬ……」
砂浜を走るの、死ぬほどしんどいっす。
わさびと並走するだけなのに、一分ももたなかったよ……
わさび、こんな虚弱な飼い主でごめんね。
「あっ、わさび、今呼吸を整えてる最中だからね。うん、ちょまっ、そんなに楽しそうに口を舐めないで。呼吸が、呼吸がぁ」
「……何してるのよ」
いつの間にか、海に走り去っていったそばかすちゃんが戻ってきていた。
テンションが上がって僕の唇を楽しそうに舐めるわさびを抱え、即座に僕を救出してくれる。
「はぁ……はぁ……誰も遊んでくれないから、わさびに付き合ってもらってたんだけど……ちょっとわさびの遊びはハードすぎてさ」
「……そう」
僕の好きな人が僕を呆れた目で見てきます。つらいです。
「食後の腹ごなしに、少し歩かない? ほら、わさびちゃんも遊びたそうだし」
「そうだね」
僕たちは並んで歩き出した。
「「……」」
いつもは僕の方から話しかけることが多いのに、なぜか、言葉が出てこない。
いつもよりうまく会話が回らず、この場には妙な沈黙が流れていた。
それは多分、僕が今、少し恥ずかしがっているからだ。
さっきまでの僕は、少しおかしかった。
それは多分、そばかすちゃんがそばに居て、さらに水着まで見て、嬉しくなってしまったからだ。
限界まで走り、クールダウンしたことで、ようやくテンションが元に戻ったようだ。
冷静になると、さっきまでのことが恥ずかしくて仕方がない。
「……今からあなたを笑わせるわ」
「え?」
ほんのりくすぐったい空気に耐えきれなかったからなのかな?
そばかすちゃんが、意味のわからない切り口で話し始めた。
「私達がシェアハウスしている部屋に、あるビッチな男性がテレビの企画で来るかもっていう話をマネージャーから知らされたの。それはもう、大慌てしたわ。今すぐ来るわけでもないのに、ぬるい缶ビールを片付けて、部屋を綺麗に――」
話の途中だが、聞き捨てならない言葉に、つい僕は遮ってしまった。
「は? それ、どういうこと? 浮気?」
「……ただのエピソードトークの前フリよ。本気にしないでよ。はあー、私はただ、あなたを笑わせようと、鉄板トークをしようとしただけなんだけど……あなたに話す話題ではなかったわね」
「そりゃそうだよ。僕は一応そばかすちゃんの彼氏なんだから」
「あーあ。今のエピソードトークであなたを笑わせられたら、素直な気持ちを吐いてもいいかなって思ってたのに」
その頬は、ほんのりと頬を赤らんでいた気がする。
「え、それ、どういう……?」
「さあ! わさび! 走るわよ!!!」
「わん!」
何かを誤魔化すように、そばかすちゃんは僕の声を分かりやすくスルーした。
「えっ、ちょ、待って…………え?」
――ずさーっ。
突然走り出そうとしたせいだろう。
目の前には、足をもつらせて地面に倒れ伏したそばかすちゃんの姿があった。
だ、だめだ。今笑ったら……
「……痛い」
「ぴひょ――ッ!」
あぶねー、大笑いしそうになった。
とっさに口元を押さえたし、ギリギリセーフ?
可哀想だし、こういう時は笑わず、そっとしておくのが正解だよ……ね?
「せめて笑いなさいよ!!」
ありゃりゃ、僕は失敗したみたいだ。




