30話 ドナドナ
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そばかすちゃんに嫌われたと思い込んだ僕は、体育座りでただただ海を見ていた。
その目は多分死んでいたと思う。
「ドナドナドーナー ドーナー」
無意識に、そんな歌を震え声で口ずさんでいた。
出荷される子牛の気分と共鳴したのだろう。
……ああ、この波、僕を遠くまで攫っていってはくれないだろうか。
そうやって僕を深い海に引きずり込んで、僕も海の一部に――
ふと、ツンツンと、肩を指先で突かれる感触を感じた。
力なく振り向くと、そこには愛する人の顔が視界いっぱいに広がっていた。
「ねえ……?」
「そばかすちゃん、大好き」
「は、はあ!? 突然何よ! 珍しく落ち込んでいるから、言いにくい事情を説明しようと思ったのに、元気なら説明しないわよ」
「ごめん。突然世界一好きな人が近くに現れたから、つい……」
今はどうも、頭で考えてから言葉を発することができない。
自分の感情のまま、するりと口から気持ちを発してしまう。それほど僕には余裕がないんだ。
僕の突然の告白を受け、そばかすちゃんは顔を真っ赤にさせた。
その反応を見ていると……
「……あれ?」
なんか、みるみるうちに元気出てきたぞ?
ああ、なるほど。そばかすちゃんがこんなに可愛いから、元気も湧いてくるのも当たり前か。
やばい。かっこいい信者なのに、今だけ可愛いの力に屈しそうだ。
「で、なんで水着を見せてくれなくなったの? 他に好きな男でもできた?」
「は? あんた、どういう思考回路してるのよ。ほんと……」
ええ、僕、大真面目に落ち込んでたんだけど。
「…ったのよ」
「え? なんて?」
いつも大きな声のそばかすちゃんには珍しく、モゴモゴと話しているので、聞こえなかった。
「太ったの!! だから恥ずかしかったの!!」
その大きな声は、このプライベートビーチ全域に響き渡った。
「……なるほど。一億点です」
「何の点数!? あなた、思考回路どうなってるのよ! てか、ちょ、抱きつくな! 流石に恥ずかしい!!」
僕の腕の中で、どんどんそばかすちゃんの身体に熱が込み上げてくる。
やけどしそうなほど熱い。
でも、最高に心地よい。
「そばかすちゃん。大好き」
「はいはい、私もあなたのこと、好き……スキップしたくなってきたわね」
「今、僕のこと好きって言ったよね?」
「……気のせいよ。きっと海の波の音のせいで、あなたの幸せな耳が聞き間違いしただけ」
そばかすちゃんの視線が、斜め上を彷徨っている。
腕の中で、どんどんそばかすちゃんの身体が熱くなっていく。
「でも、そんなに太ったの? 抱きついてる感じ、全然わからないけど……」
「大食いの仕事が続いたせいで、2キロも太ったのよ。また胸に脂肪がついちゃったし、もう最悪」
「……なるほど。一兆点です」
「だから! その点数は何よ! あと、そばかすを撫でないで!」
ごめんね。テンションの乱高下が激しくて、やっぱり余裕がないからさ。
自分でも何言ってるのか分からないんだ。
ツッコまれても、返せないや。
「……あなた、その顔、絶対にテレビで映したらダメよ。死人が出るわ」
そばかすちゃんは僕から離れ、僕の方を決して向かずにそう言い放った。
「あれ? もしかして僕、笑ってた?」
「ええ、それはもう幸せそうな顔で、笑ってたわ。(この場合、流石にノーカンよね……)」
「ん?最後の方、なんて言った?」
「ううん。なんでもないわ。ただのちょっとした自分ルールを確認していただけだから、気にしないで」
「そう。まあ、ここにはお母さんもいるから、気をつけないと――」
あっ、もう遅かった。
僕の幸せオーラの余波で、母が遠くで死んでいるっぽい。
母の近くだけ、事件現場のような血だまりがあるもん。
あの血の量はちょっとヤバいかな……
「……いや、まあ、そういうこともある……か」
無理やり、一旦母のことは思考の隅に置いておく。
大好きな母だけど、今はそばかすちゃんと喋りたいから。
悪い息子でごめんね。
「でも、そばかすちゃんは僕の笑顔を見ても平気そうだし、意外と大丈夫なんじゃない?」
「私はある程度男慣れしているから、大丈夫なのよ」
「は? どういうこと? 浮気?」
「……なんでそうなるのよ」
そばかすちゃんが僕を「仕方がない子」というような目で見てくる件について。
「ただ単に、実家におじいちゃんがいたってだけよ。幼少期から男に触れて育った女性は、男性免疫レベルがどうしたって高くなるの」
「へえー、珍しいね」
家族と暮らすおじいちゃんか。それはまた、いいおじいちゃんだったのだろう。
この世界での男は、あまり夫婦で同じ家に暮らさない。てか、基本的に協調性が皆無なので、暮らせないといった方が正しい。
よくあるパターンは、養われるだけ養われて、一人別の安全な家に住むことが多い。
そういう文化を目にするたび、いつも思う。
なんともまあ、この世界の男というのは、横柄でわがままな生き物だなあ、と。
「そのかわり、男の理想がすっごく高くなるんだけどね。これ、誰にも言ってなかったんだから、あんまり広めないでね」
「うん、またタコ殴りにされるかもしれないもんね」
「……その話は忘れなさい」
そばかすちゃんは、以前僕と幼馴染であることを話してしまい、芸人仲間から嫉妬でタコ殴りにされた。
女性が男性に飢えている分、嫉妬の感情もどうしたって大きくなるからね。
この世界の女性、ほんと短絡的で物騒……
って、うそうそ。嘘でーす。
この世界の女性、行動力があって良いと思うよ、うん。
「よし! あなたも元気が出てきたことだし、そろそろ遊びましょう!」
「そうだね。 ……でも、さっきからなんでこっちを向いて話してくれないの?」
「……そんな男慣れしている私にも、限界ってものがあるのよ」
「ん?」
どういうことだろうか?
そんな僕の考えが透けて見えたのか、「そうね……」と少し考えたのち、そばかすちゃんは立ち上がった。
「ちょっと見てなさい」
そう言い放つと、そばかすちゃんはパーカーを脱ぎ捨て、海へと走り出した。
すると。
――じゅわーー。
それはまるで、熱々の鉄球を水に入れて急冷したように。
そばかすちゃんの身体から、大量の蒸気が出てきた。
「私、興奮が体温に出るタイプなのよ。多分もうちょっとでオーバーヒートを起こして、気絶してたわ。男慣れしている私ですらこうなんだから、くれぐれも気をつけなさいね!」
「ははは……」
僕は仕事でするようなニコニコ笑顔を浮かべるつもりだった。困ったときには、第1段階の笑顔に限るからね。
ただ、この時の僕の笑顔は、見事にひくついていたそうだ。




