12話 ほんと、なんなのこいつ
姉は僕より5歳年上なので、当時の姉は高校二年生。
あの頃の姉は、地元では知らない人がいないほどのサッカー選手だった。
明らかに抜きん出た実力と、自由なプレイスタイル。そのあまりのスター性から、プロ入りは確実と言われていたのは記憶に新しい。
そんな姉が突然エースストライカーをやめて、芸人になると決めた日。
それは本当に突然だった。
「ねえ、お姉ちゃん。どうしたらかっこいい男になれると思う?」
この時期の僕は「もしかして、今世間で流行っているクールって、そんなにかっこよくない?」と疑念を抱いていた時期だ。
ドラマの影響でクールな男がブームだったから、流されて目指していたのだが……ようやく「なんか違う」と気づき始めた、そんな時期。
この世界の男には、反面教師はいても、教師はいない。だからこそ、僕はどうすればいいか分からなかった。
迷走することも多かったのは、もはや仕方のないことだろう。
って、僕の過去の話はどうでもいいか。
そんな迷走気味の僕の質問に、姉は有名ハンバーガーチェーン店のポテトをもしゃもしゃ食べながら、こう答えた。
「もう充分悠久はかっこいいよ。そんな深刻に考えず、もっと適当に生きようぜ!ほら、人生は遊びなんだからさー」
ポテトを咥え、口をとんがらせながら「ご一緒にあーしはいかがですか?」なんて、おちゃらけながら。
この通り、姉は人生をテキトーに生きているように見える。実際姉本人もそのつもりだろう。
でも、僕は思うんだ。
本当は逆なんじゃないかって。強いから、テキトーでいられるんじゃないかって。
姉のサッカーの実力は本当に凄まじい。まさに天才だ。
あんな風におちゃらけて笑っても、まさに強者の余裕にしか見えない。
だからこそ、かっこいい。
己の力一つでのし上がってきた姉を、僕は強烈に尊敬している。
「姉のあーしとしては、弟が弟らしく元気でいてくれるだけで、充分かっこいいと思うんだけど……ま、とにかく、元気だしな」
そんな風に落ち込んだ僕を励ましながら、姉は飲みかけの牛乳を僕に差し出してきた。
ため息を吐きながら牛乳を口に含んだ、その時。
「にっ!」
姉が僕を元気づけようと、唐突にとんでもない変顔をしたのだ。
「ブフゥーー!!」
突然のことに、僕は盛大に吹き出してしまった。
姉は顔から牛乳を被ってびちゃびちゃ。
「こほっ、こほっ……」
僕は僕で気管に牛乳が入って、咳き込むのが止まらない。
姉は顔から牛乳を垂らしながら、しばらく放心。
そののち、こんなことを言い出した。
「決めた。あーし、お笑い芸人になる!」
「……え?」
それから、姉はサッカーを辞め、本当に芸人になってしまったというわけだ。
姉がサッカーしている姿を見るの、大好きだったのに……
今考えても、姉の思考回路は理解不能だ。
ただし、サッカーをしていた頃よりも、姉は楽しそうに笑うようになった。
いつも明るい姉だが、たまにひどくつまらなさそうな目をすることがある。
あの目を、あの日以降僕は見ていない。
「さあ、わさび、走るよ!」
僕が少しの間物思いにふけっていると、姉が突然こんな事を言い出した。
「え、ちょ、待って!」
「ごーごーごー!」
姉がわさびと共に走り出したので、僕も追いかける。
僕の足は地面を強く蹴り、ふらりと空を飛ぶほど軽やかに、そして流星の如きスピードで走り出す――
「ひゅー、ひゅー……」
「おーい、弟よ。だいじょぶそう?」
「だ、大丈夫」
もちろん、そんなのは嘘である。
虚弱な僕が流星のようなスピードなんて出せるわけがない。
ドタドタバタバタと必死に走って、わさびにすら追いつけない。それが僕の運動能力だ。
「ウヒヒ、楽しいね!」
まあ、姉とわさびが最高に楽しそうなので、いいけど――
「ねえねえ、もう一回走ろっか!」
前言撤回。
お前さあ……ほんと、なんなのこいつ。
という抗議の視線を向ける。
今は息も絶え絶えで、喋る気力もない。
「あはは! 分かった、分かった! じゃあ、スキップしてみて!」
なんにも分かってねえでやんの。
僕がスキップなんてできるわけないだろ? ナメてんの?
まあ、そんなに朗らかに笑われたら、怒りの気持ちもしぼんでいくけどさあ……
「ほんと、悠久はあーしのこと、大好きだね!」
いつものにぱっとした笑顔で、姉は笑う。それから、くしゃくしゃっと僕の柔らかい髪を撫でた。
姉の思考回路は意味不明だ。
でも、底抜けに嬉しそうだから、僕もつい嬉しくなっちゃうんだよなあ……
その後は二人とわさびでゆっくり歩きながら、色んな話をすることにした。
「今度お姉ちゃんの嫌いな料理ばっかり振る舞ってやるから」
みみっちいかもだけど、とにかく、復讐だ。
復讐は何も生まないとか、知らん。気が晴れるんだから、復讐はやるべきだ。
「えー、トマトきらーい。だって赤いじゃん」
「ふふっ、何その理由」
「あっ、笑った! やったー!!」
「……なに? 僕を笑わせたかったの?」
「うん! いつだってあーしは、弟を笑わせたいんだよ!」
「はあー、お姉ちゃん、僕が笑うと加速度的に悪ノリしだすからなあ……」
「えー。いいじゃん! いっぱい笑おうよ! 笑いを我慢するなんて、身体に良くないぜ!」
「……やっぱり普段から笑わないように気をつけないと」
「なんでっ!?」
姉にしっかりとした自制心があれば、笑ってもいいんだけどなあ。
「ショートコント。『ま、いいか』」
……え、なんか突然始まったんだけど。
「見て見て! ブーメラン買ったんだ! 投げてみるね! それ!! しゅるしゅるしゅる…… すごい遠くに行ったなあ…… あれ? 帰ってこないぞ………………ま、いいか」
ま、いいかじゃねえよ。
正直ちょっと面白かったけれど、腹筋に力を入れて我慢。
これ以上姉を調子に乗らせたくないからね。
「続きましてー」
「いや、もういいから」
止めないと一生やり続けそうなので、強引に止める。
「ほんとさあ、その悪ノリ癖、どうにかならない?」
「あーし自身もたまに怖くなるよね。自分でも悪ノリ、止められないんだもん」
「こっわ」
「あははっ。ナイスツッコミ!! 悠久はツッコミのセンスあるねー!! 本職のあーしが言うんだから、間違いない!」
いや、そんな訳ないと思う。芸人さんって、ほんとすごいし。
「ほんと、お姉ちゃんはいっつもテキトーだなあ」
「まあねー。人生は遊びなんだから、テキトーでいいんだよ」
こんな言葉でも、お姉ちゃんが言うとなんかかっこいいんだよなあ……
僕が言ってもちゃらんぽらんにしか聞こえないのに、羨ましい限りだ。
「それにしても、私たち小張家ってみんな、変な人ばっかだよね」
突然姉がこう切り出した。
「確かにそうだね。すっごく才能溢れているのに、その才能をあまり活かそうとしないんだもん。唯一のまともな人は、妹くらい?」
僕の妹は天使だ。文武両道で清楚、とにかくなんでも優秀なのにも関わらず、人当たりまでいい。
まるで欠点が存在しないほど、完璧な女性なのである。
「(……うーん。あの子はあの子でちょっとあれなところがあるけど、弟にバラしたら怒られるしなあ。あの子、怖いんだもん)」
「ん?聞こえなかった。なにか言った?」
「ううん!なんでもないよ!」




