11話 まあ、思春期だしね
ピンポーン。
おっ、ようやく来たみたいだ。
「わさびー。お姉ちゃん来たから、散歩行くよー」
「はっ、はっ、はっ」
散歩という言葉を受け、クリーム色で短い足を持つ、小さな愛玩動物が玄関へ駆け寄ってきた。
ちゃっちゃっちゃ、と、爪でフローリングをかき鳴らす音が、僕をホッコリさせる。
この子はミニチュアダックスフンドのわさび。ご飯と散歩と遊びが好きな、とっても元気な女の子だ。
よく冷たい鼻で「ツン」と、つついてくるので、わさびと名付けた。
僕が実家を出てひとり暮らし――いや、ふたり暮らしを始めたと同時に飼い始めた、僕の家族だ。
……まあ、実家を出たと言っても、その実家はすぐ隣にあるんだけどね。
ひとり暮らしを始めようとして、結果的に二人暮らしになったのも、実家のすぐ隣に住むことになったのも、理由はある。
これは話せば短いが……とにかく今は散歩だ。
うちの小さなお姫様が玄関で扉が開かれるのを、今か今かと待っている。
あまり焦らすのも悪いし、行こうか。
「ふんふんふーん。大きな、いちもつを、食べたい~♪ 蜂蜜を、かけて、食べたい~♪」
扉の奥からごきげんな歌声が聞こえてくる。
僕はため息を吐きながら、扉を開けた。
「お姉ちゃん、近所迷惑――」
「遅い遅いおそーい! ねえ! あーしは弟のこと、こんなに思っているのに! あーしがインターホン押したら、ワンコールで出てよ! もっと私だけを見て!!」
開幕からうるせえなこいつ……
って、うそうそ。嘘でーす。
お姉ちゃんが一人いるだけで場は賑やかになるし、僕は良いと思うよ。うん。
「はいはい。そんなメンヘラみたいな小芝居していないで、行こ」
テヘッと舌を出したこの騒がしい女性が、僕の姉。名前を小張のこ、と言う。
おしゃべりが大好きな人で、テレビのキャッチフレーズで「塞がらない口がまた開いた」なんてつけられたことがあるほどだ。
「よーしよしよしよし! わさびは可愛いなあ! それに、弟も世界一かっこいい! 悠久。愛してるぜ!」
姉は尻尾を振ってぴょんぴょん跳ねるわさびを撫でながら、僕も同時に撫でる。
「んっ……ふ、くすぐったいよ」
僕を撫でる手つきだけが微妙にいやらしいのは、いつものことだ。
僕の大好きな姉でなければ、許さないけれど……まあ、お姉ちゃんってそういう人だし。
仕方ないから、許してあげよう。
「あははっ、あーしの弟が重度のシスコンで、お姉ちゃんは嬉しいなあ!! こんなことして嫌がられない弟、最高!」
姉が両手で大きなハートマークを作って、僕に向ける。
今は芸人の姿ではないのでギャルっぽさは控えめだが、それでも普段の仕草がいかにもギャルっぽい。
「お姉ちゃんなら、弟に性的な視線を向けるのはやめたほうがいいと思うよ?」
「何言ってんの? 姉が弟を性的に見るのは、この世の常だよ? 逆に異性として見ないほうが異常なんだからね」
姉はとてもまっすぐ“性欲にまみれた”純粋な目でそう言ってのけた。
……まあ、うん、そうね。
この世界では、お姉ちゃんの言い分の方が正しいけど……なんか納得いかない。
「僕は確かにシスコンだけど、重度ってほどじゃないし……」
僕なんて、別に姉が何をしようが、全て許してしまう程度だ。
寝て起きたら僕の足の指を舐めていた時とか。
寝て起きたら僕の耳が唾液でベチョベチョになっていた時とか。
寝て起きたら僕の股間の上あたりに「↓姉専用」と書いていたことか。
『まあ、思春期だしね』
そう言って、全て許した。
ちなみに僕が許しても、その後、僕の愛する妹が姉をしっかりぶっ飛ばしていた。
これは余談、ってか、後日談か。
ま、その程度なので、僕のシスコンはそこまで重度じゃない……よね?
「はあーあ。どーせお姉ちゃんは、僕が男だからってだけで好きなんでしょ?」
なんとなしに、少し、いじけてみる。
僕は姉の全てを許すくらい姉が純粋に好きなのに、姉が僕に向ける好意は湿度が高い。それが少し気に入らなかったのだ。
……お姉ちゃんは年中思春期だから、求めすぎってことも分かってるんだけどね。
それに姉は、重度の甘噛みフェチを発症しているだけでなく、軽い足フェチまで併発している。
見事な合併症だ。病院に行ってもさじをぶん投げられるだろうし、まさにつける薬はない。
「あんっ、やばい。弟が可愛すぎて、ちょっと濡れてきちゃった♡」
「……お姉ちゃん?それは“ライン超え”だよ?」
おっと、仕事で口癖のように言っている言葉がつい口についてしまった。
ライン越え、ギリギリセーフ、許す。など、これが国民の息子としての僕の口癖だ。
僕って、その場のバランサーになること、ホント多いからさ……こんなこと口癖になりたくなかったよ。
「……てへ♡」
仕事なら許さないけど……お姉ちゃんは可愛いから許します。
23歳の僕より5歳も年上ではあるけど、なにせ、姉は思春期なので。
「さて、と。こんな遅くにわざわざ来てもらってごめんね」
僕は虚弱だ。運動能力だけでなく、体質的にも。
目の片方の色素が薄いせいか、僕は強い日光が苦手だ。朝日、真っ昼間、夕日などを直接見ると、僕は頭が痛くなってしまう。
ついでに肌もそこまで強くないので、長い時間日光を浴びていると、肌がヒリヒリしてきてしまう。
もちろん、日焼け止めを塗り、サングラスをかければ日常生活に支障はない。
ただ、僕の精神衛生上の問題か、夜に出歩くほうが僕は落ち着く。
だから、わさびの散歩は夜に行くことが多いのだ。
「ううん。弟のためなら、どこへだって行くよ! それに、あーしはわさびちゃんも大好きだからね!」
いつものにぱっとした笑顔で姉は笑う。
つられて僕も笑いそうになるが、ちょっとだけ我慢。
僕が笑うと、加速度的に調子に乗ってしまう悪癖があるからなあ……
お姉ちゃん、本当に悪乗りが止まらない人だからさ。
ぶっちゃけ姉がお笑い芸人になったのも、悪ノリの延長線上だと思っている。
そもそも姉が芸人を目指すことにしたきっかけだって、僕が笑ってしまったせいだ。
あれはそう、僕が小学校6年生のときだ――




