〈女王シシィ〉
長いです。
私シシィが生まれ育ったのは、小さな海辺の町にある男爵家とは名ばかりの貧乏な家だ。
当然領地なんかも存在しないので、一応歴史学者であるお父様の国から貰えるわずかばかりの報酬と、お母様のドレス縫いの内職で何とか成り立っているような生活だった。
「ハウエルさんのところのおじいちゃん、腰痛が悪化して、立てなくなっちゃったんですって。お嫁さんも身重で重労働はできないって。小麦の収穫の時期なのに人手が足りないと、困っているみたいだったわ」
「では私が手伝いに行こう。丁度今やっている研究の成果にひと区切りついたところだ」
家族で囲んでいる夕食の時間、お父様とお母様の会話に、兄様が割り込む。
「あのね、父さんの体力だとかえって足手まといだって。俺とミゲルで行ってくるよ。その方が何倍も早く終わる」
「私も行くわ。麦を束ねるのは得意なの」
「お前は作業中に出されるお菓子が目的だろう、シシィ」
「ばれたか」
見透かしてくる兄様に軽く舌を出して見せると、弟のミゲルが「ぼくもおかしたべたーい」と手を挙げた。
「でもそれだけじゃなくて、そろそろ顔を出さないといけないと思っていたのよ。私が歌うと、おじいちゃんの腰痛が楽になるんですって」
そう言うと、納得したように兄様が頷いた。
「お前の歌は立派な特技だよなあ。この前のミゲルの高熱もあっという間に良くなったし。なんか人間離れしてて不気味なんだけど」
「不気味って何よ」
失礼な兄だ。私はことさら不機嫌な顔をしてみせる。
「いや、真面目な話、魔力でもあるんじゃないかって話」
兄様が突然荒唐無稽なことを言い出すので、面食らってしまう。
「魔力って……。何をいきなりおとぎ話みたいなことを」
「いや、そうとも言えない」
呆れた私に口を挟んだのはお父様だった。
「この国にも、魔力を持つ者は存在している」
「それは知ってるけど。でもそんなのは女王様とか、その候補者達とかの話でしょう?」
この国を治める女王様の話なら、国民なら皆知っている。そして女王候補者には証として、魔力が発現することも。
でも、この町から遠く離れた王都の、見たこともないような身分の高い人達の話なんて、私にとってはほとんど夢物語と変わらなかった。
そう思っていたら、お母様が真面目な顔で呟いた。
「そういえば……貴方達のひいおばあさまが女王候補の家柄の出身だって聞いたことがあるような……」
「お母様、大丈夫⁉︎ いきなりそんな夢みたいな話言い出して、どうしたの?」
「放っといてやれ、シシィ。母さんは貧乏生活に疲れてるんだよ。夢ぐらい見たっていいだろ」
「す、すまない、私が不甲斐ないばかりに……」
「いやね、ちょっと言ってみただけじゃない」
畳みかけるように私たちが茶化すと、お母様が心外だという顔をして、それからみんなで笑い合う。
その時はお母様の話は冗談だと疑わなかった。
王宮のことなんて、まるで関係ないと思っていたし、興味も無かった。こうやって家族で馬鹿みたいな話をするのが好きだったのだ。
お金はあまりなくても、幸せだった。
何年か経って王都からの使者が、私を迎えに来るまでは。
「私は七統家の一、マリアボーデン家から遣わされた者です。この町の者から、魔力らしきものを発現している方がいると注進があり、失礼ですが、数年前から様子を窺わせていただいておりました」
突然現れた使者という人が口に出したのはまったく寝耳に水の話で、私はぽかんとする。
「家柄についても、調べさせて頂きました。その結果、シシィ様の三代前のイヴァル様が、マリアボーデン家の正統な後継者だったことがわかったのです」
「ひ、ひいおばあさまが」
ではお母様の言っていたことは本当だったのか。
そうは言っても、私が生まれるうんと前にこの世からいなくなってしまった人だ。完全に他人の話をされているような気分だった。
「実は学校の教師として潜入していた者が、シシィ様の魔力を密かに測っていたのですが」
そう言って使者の人が告げた名は、親しみやすいと評判の先生で、私はすっかり驚いてしまった。まさかあの先生が、王都の偉い人から遣わされていたなんて。
「彼は優秀な宮廷魔測官です。その彼をして『素晴らしい』と言わしめたのですから、疑いの余地はありません」
「はあ、ありがとうございます……?」
何ということだ。では私の特技は本当に魔力だったのか。でもそれがわかったからといって、何かが変わるのだろうか?
首を傾げる私に、使者だという人は慇懃に膝を折った。
「実は女王の代替わりが近く、王都では着々と準備を進めているところです。そして貴方が10人目の女王候補者です、シシィ・マリアボーデン様」
ーー何だって?
家に戻ると、すでに話を聞いていた家族が、神妙な顔で勢揃いしていた。さっそく家族会議が始まる。
「王都のマリアボーデン家から、お前を養女にしたいと正式に要請があった。女王候補といえば、国の根幹に関わる重責だ。もちろん断っても良いんだよ。よく考えて決めなさい」
お父様は、あくまでも私の気持ちを尊重してくれるみたいだ。
「凄いことだよ、女王候補なんて国中の憧れの的じゃん。まさか妹がそんなのになるとはなあ。これを逃す手はないって」
兄様は完全に乗り気だった。
「でも、この家を出て王都に行ってしまったら、中々会えなくなってしまうわ。養女だなんて……」
「そんなの、結婚でも同じことだよ、母さん。ちょっと早まっただけだと思えば良いんだ。何より、女王候補になったら王立学園で、この国の最高級の教育が受けられるんだから」
浮かない顔のお母様を、兄様が説得する。兄様は町の学校では優秀だったのに、進学を経済的な事情で諦めている。
「お姉様、遠くに行ってしまうの?」
成長してだいぶしっかりしたとはいえ、まだ甘えたい盛りの弟のミゲルも、心細そうな顔をしている。
「これは良いことなんだよ、ミゲル。シシィに会えなくなるのが寂しいなら、お前が王都に会いに行ってやれ。そのぐらいは俺が稼いでやるからさ」
ミゲルの頭に手を置いて慰めている兄様を見て、私は心を決めた。
実は、養女になる見返りとして、うちにとっては莫大な金額の支度金を提案されていた。
このお金があれば、お母様は内職をしなくても済むようになるし、使用人を雇うことも、お父様の悲願である著作を出版することもできる。ミゲルを上の学校にやって、兄様が事業を始めるのに充分な金額を賄うことができるのだ。
「行くわ、私」
そう言って、泣きそうな顔のミゲルに視線を合わせる。
「とても楽しみで仕方がないのよ。どうする? 今度戻って来る時には、今とは較べものにならないレディになってるかも。だからミゲルもいっぱい勉強をして、立派になってね?」
こくんと頷くミゲルに頷き返してみてはみたものの、これは半分以上強がりだった。
本当は、不安で仕方がない。王立学園なんて、この国でも指折りの名家の子女しか通えないようなところに行って、上手くやれる自信がない。
「それでこそ俺の妹だ。がんばれよ!」
兄様が、私の不安を払うように背中を叩く。お母様は黙って抱きしめてくれて、お父様は「いつでも帰っておいで」と言ってくれた。
この家族が幸せで笑っていてくれる限り、私は大丈夫だ。少しぐらいの困難なんて乗り越えてみせる。
こうして私は14の歳、この国でも指折りの名門だというマリアボーデン家の養女になることになった。
***
「えっ……、ここ、お城じゃないんですか!?」
きらびやかで広大な建物の前に立った私は、ほとんど呆れたようにその建物ーー王立学園を見渡していた。
私が眼を白黒させていると、世話人だというその人は冷静に解説する。
「王宮はこんなものではございません。ですが、この学園も国中の王侯貴族の子女が集う場所。国の威信がかかっている建物なのですから、相応の規模であるのは当然です」
ーー私の知ってる学校と違う。
最初に王都へ来てマリアボーデンの屋敷を見た時も驚いたが(しかもこの王都の屋敷の他にも国中にこれ以上の規模の屋敷をいくつも持っているらしい)、この学園は更に広くて豪奢だ。
しかも、王宮はこれより更に立派だという。
上には上があるものだと思った。
当初、学園に編入した私を、誰もが好奇心と侮蔑が混ざったような目で見た。この時期の編入生はただでさえ珍しいのに、田舎出身の女王候補とあっては、興味を持たない方が珍しかったのだろう。
そんな私にも、話しかけてくれる子達がいた。学園の中では家格の高い方ではないが、だからこそ気安い会話もできる。彼女達とは、終生の友人になることになる。
「新しく女王候補が来るって聞いた時は、どんなお高く止まった人かと思ったものだけど。まさかこんなに気取らない子が女王候補だなんてね」
「他の候補者さんて、みんなそんなに高貴な人達なの?」
恐れをなして訊くと、友人達がうんうんと頷く。
「そりゃあ、この国でも頂点に立つ方達だもの」
「シシィには残念なお知らせだけど、時期女王はもうほとんど決まっているの。……ほら、あの方よ」
友人が指差した先には、ひと組の男女が歩いていた。
貴人ばかりのこの学園の中でも、ひときわ目を惹く存在だった。
長く美しい、濃い紫の髪がなびく。華奢な体型に似つかわしくない威厳は、確かにこの国の女王候補筆頭と呼ばれる女性に相応しい。
そんな彼女の隣を背の高い男性が歩いている。こちらもおそろしく美しい顔立ちをしているが、表情が薄く、どことなくこちらが気後れを感じる人だと思った。
「なっ、何!? あのきらきらした方々は」
圧倒されて驚く私に、友人達が口ぐちに耳打ちしてくる。
「あの方が女王候補筆頭のエリザベス・バートゥ様よ」
「隣にいるのは婚約者のアルフレード・エルドレイン侯爵令息。次期王配と目されているだけあって、優秀な方よ」
「シシィも女王候補として名乗りを上げたのなら、エリザベス様には早目に挨拶に行った方が良いと思うわ」
忠告に従って、折を見て早速エリザベス様の元を訪れた。
「女王候補の末席に加えて頂くことになりました、マリアボーデンです。何もわからない若輩者ゆえ、どうかご指導をお願いいたします」
必死に精一杯の挨拶をすると、エリザベス様はたおやかに微笑んだ。
「お話は聞いております。七統家の一、バートゥ家のエリザベスです。よろしくね」
何だ優しそうな人で良かった、と思って握手のために差し出した手は握り返されることがなかった。
あ、あれ、気づかなかったのかな? それとも無作法だった? そう思ってエリザベス様の顔を見ると、彼女がもの凄い目で私を見ていた。
まるでひどく憎いものを見るようなその目に私が固まっている間に、にこりと柔らかな笑顔に戻る。
「では、ごきげんよう」
(……何だったの、今の目は)
その時は、必死に気のせいだと思おうとした。
彼女の婚約者だというアルフレード様と初めて言葉を交わしたのは、それから少し経ってからだ。こちらは私としては不本意な出会い方だった。恥ずかしいところを見られたのだ。
学園生からは最初こそ好奇の目で見られたものの、打ち解けると意外と親切な人が多かった。
それでもやはりいきなり出てきた私が女王候補なんて大役につくことを面白く思わない人も少なからず存在する。
そういう人達からは嫌味をぶつけられる程度だったが、積み重なるとさすがにストレスが溜まる。
そんな時は私なりの発散方法があった。
学園の敷地内には、ひたすら広大な森林がある。森の中心に星見の塔と呼ばれる高い塔が建っていて、たまに星神様というこの国の女神が降臨するのだという。
その広い森は、私にとってうってつけだった。
校舎へ声が届かないほどの距離まで来ると、「んんっ」と軽く発声練習をして、歌い始めた。
『丘にのぼれば風さやかに
黄金の麦はさざなみのよう
星の女神よ夜を守り
迷う心に道を灯して
名もなき人の願いを束ね
星の川へと祈りを運べ
すべての命が手を取りあい
あなたの光に抱かれて眠るように』
「……すごいな」
「ひっ!?」
地元にいた頃よく歌っていた収穫の唄を夢中で小一時間歌い続け、すっきりした頃、突然後ろから声をかけられた。いつの間にか集まっていた大量の小鳥達が一斉に飛び立つ。
慌てて振り返ると、そこにいたのはあの、時期女王間違いなしと言われているエリザベス様の婚約者だというアルフレード様だった。
見られていた、よりによってアルフレード様に。
幼い頃からの私のストレス発散方法はひたすら歌うことだったが、同じ年頃のそれもあまり面識の無い男性に見られたというのは、かなり恥ずかしいものがあった。
彼の方も遠目で見た時の隙のない表情ではなく、驚いたような顔をしている。少し目を丸くしていて、そうやっていると年相応に見えた。
「鳥や動物たちが集まるばかりか、花まで咲いている。一体どんな魔法を使ったんだ?」
「わ、私の、数少ない特技で……」
そして説明する。私が歌を歌うと、軽い頭痛や体調不良程度なら治ってしまうこと。
それを七統家由来の魔力だと見抜いた名士の人がこっそり王家と連絡を取り、私のひいおばあさまがマリアボーデンの者だとわかって、こうして女王候補になったこと。
そこまで話して、私は急に故郷の町を思い出した。肩こりがひどくなるとことあるごとに私の歌を要求したお母さん、歌声を聞くとアイデアが浮かぶと言っては仕事に詰まった時に歌わせたお父さん、私が歌い始めるとわざわざ聞きに来てくれた弟、近所のおじいちゃん。
……今考えると便利に使われていた気がしてきた。でも全部懐かしい。みんな元気だろうか。
話しながら、なんだかしんみりしてしまう。気がつくと、目の前のアルフレード様は、何やら考えこむ素振りだった。
「あの?」
「魔力というのは、素晴らしいものなんだな」
「はあ」
そりゃあ、まあ。正直私程度が使える魔力なんてたかがしれているけど、便利ではあると思う。
弟が高熱で死にかけていた時は一晩中手を握って子守唄を歌っていた。お医者様も驚くほどあっという間に病気が治ったものだ。あの時ほど自分の特技に感謝したことはない。
「魔力など、女王候補であることを証明するためだけのもので、誰かの役にたつなどと考えたこともなかった。建国誌には、七統家の興りは星神様に仕えた七賢人の末裔で、魔力はその加護だとはっきり書いてあるのにな。知らないうちに道具としてしか見なせなくなっていた自分が恥ずかしい」
そう言うアルフレード様は、本当に恥じるような顔をしていた。この人でもこんな顔をするのか。完璧すぎて反省や後悔などとは無縁の人のような気がしていた。
そういえば私が七統家の血を引いていることがわかったのも、この魔力のおかげだと最初に説明されたんだった。
「あ、そういえば、アルフレード様の婚約者のエリザベス様も、すごい魔力を持ってるんじゃないんですか? なんてったって、時期女王候補筆頭なんですから」
きっと私の持っている魔力なんて及びもつかないぐらいすごい力に違いない。
私がそう言うと、アルフレード様は何故かすっと冷たい顔になった。
「彼女の力は、ほんの少し火花を散らすぐらいのもので、君のそれとは全く違う。彼女も、あの力を周りの役に立てたいなどと、思ったこともないだろう。……それに、婚約者ではない」
「……え?」
最後にぽつりと付け加えられたアルフレード様の言葉の意味を取りかねて聞き返すと、アルフレード様が真剣な顔で私を見てくる。
「エリザベスは婚約者ではない。ただ、同い年で何かと家同士対面する機会が多かっただけだ」
「でも、みんなが、おふたりは幼馴染みで婚約もしている仲だって」
私の言葉に、アルフレード様は深いため息を吐く。
「誰が言い出したかわからないが、くだらない誤解だ。……まあ、色々と楽なのであえて放っておいた俺も悪かったが」
少し気まずそうな顔だった。さては、面倒な縁談とかを断る口実にしていたな。
私のうっすら冷ややかな顔に気付いたのか、少し気まずそうな顔になった。この人でもこんな顔をするんだなと少し新鮮な気持ちになる。
「でも、あえて否定しなかったっていうのは、アルフレード様も満更ではないんじゃないですか?」
何だか自分の声に咎めるような響きが混ざっていることに気がついて、内心慌てていた。そんなことを言える立場ではないというのは、重々わかっているつもりなのに。
アルフレード様はそんな私の内心に気づいているのかいないのか、真剣な顔を崩さない。
「婚姻というのは、生涯を共にする相手を選ぶということだ。尊敬できる相手とでなくては苦痛なだけだろう」
それは何もかもが完璧なこの国の貴族であるアルフレード様の言葉としては少し意外なような、その反面とても彼らしいような言葉だと思った。
「だが不誠実と言われればその通りだ。今度からは、ちゃんと否定することにする」
私の目をしっかり見据えて発せられる言葉は、まるで誓いのように厳かだった。その重々しい口調からは、誤魔化しといった軽さが一切感じられない。
彼が去ったあと、何故だかずっと心臓がどきどきしていた。
私は、一体どうしてしまったんだろう。
それからアルフレード様と私は、挨拶や軽い会話をする仲になっていった。
「やあ」
「ごきげんよう」
「先ほどのデイル語の朗読は見事だった。先生も誉めていたよ。どうやら君は歌だけではなく、発する言葉にも生命を込めることができるらしい」
「あれは、詩がとても美しかったから……。確かに、歌うような気持ちで読んでいたかもしれないわ」
「聞けて幸運だった。君が教室にいると、退屈な古語の授業が楽しみになるな」
「ねーえ、随分仲良くなったんじゃない?」
「あんな穏やかに笑うアルフレード様の顔、初めて見たんだけど」
アルフレードが去って行ったあと、友人達にからかわれて赤面する。
あれからアルフレード様は、予告していたとおりエリザベスとは婚約をしているわけではない、と学園中に公言し、気さくに話しかけてくれるようになった。
同い年なのだから敬語もいらないと言われ、私達は、確かに周りから見たら仲が良く見えるのかもしれない。
「ちょっと、馴れ馴れしいかしら。名前も呼び捨てで良いって言われて……」
「本人が望んでるんでしょう? だったら構うことはないわよ」
「まあ、エリザベス様との婚約を否定したことで女子生徒からのアプローチは激増しているみたいだけど。そこまでして知らしめたかったのね」
エリザベスとその取り巻きからの嫌がらせが始まったのも、その頃からだ。
「ちょっと、どこを見て歩いているの⁉︎」
女生徒の集団にぶつかられたと思ったら、いきなり怒鳴られた。エリザベスとその取り巻きたちだ。明らかに故意にこちらにぶつかってきたのに、何故か私がよそ見して歩いていたせいみたいになっている。
「……私は普通に歩いていただけですが」
いくら身分の高い方達が相手だとはいえ、不条理に屈するつもりはない。
「まあ、口ごたえするつもり!?」
「元下級貴族風情が私達の進路上にいること自体、本来は許されることではないというのに。今までどんな教育を受けてきたのかしら」
私は内心でため息をつく。この学園では生徒である以上は生まれの身分差は関係なく全員平等に扱われるという建前があるが、どうやらお飾り同然の理念らしい。
エリザベスはそんな取り巻きを止めようともせずに、冷たい目で私を見ていた。
彼女達が行ってしまうと、一緒にいた友人達が胸を撫で下ろしている。
「こっわー」
「ほとんど言いがかりじゃない。災難だったわね、シシィ」
私は曖昧に笑う。彼女達を巻き込んでしまったことが申し訳ない。
学園の権力者に目をつけられてしまって、友人達が私から離れていくことを恐れていたのだが、それは杞憂みたいだ。この子達はずっと私の味方でいてくれる。
そんな友人ができたことだけでも、この学園に入って良かったと思う。
「それにしても最近のエリザベス様、ずいぶんいらいらしているように見えるわ。本性が出てきたのかしら」
「あせってるのよ。シシィがアルフレード様と仲良くしているものだから」
「仲良くだなんてそんな……。ただアルフレードは、何も知らない私のことを生徒会代表として気にかけてくれてるだけで」
私がそういうと、友人達が身を見交わしてため息をついた。
「ダメだわこの子、全然気づいてない」
私は口を尖らせる。
「なによ。人をすごい鈍感みたいに」
「本当のことじゃない」
「アルフレード様もお気の毒にね。あそこまで露骨にアプローチしても当の本人がこれじゃあ、張り合いがないでしょうに」
どうしてアルフレードが同情されているんだろう。
秋になると、私達は多忙になった。
アルフレードは学園の生徒会のメンバーとして学内を走り回っていたし、私は女王候補のひとりとして、学園内外の他の女王候補者達と共に別棟で、特別に組まれたカリキュラムを受けていた。
もちろんそのメンバーにはエリザベスもいたが、彼女はその頃には私とは挨拶はおろか目も合わせないようになっていた。
他の七統家のメンバーも、皆一様にプライドが高く、学園の友人達のように打ち解けた会話をすることはなかった。
10人の候補者の中で、私だけが異端な気がして、少し落ち込んでしまう。
(会いたいな)
すっかり美しく紅葉した中庭の樹を見下ろしながら、私はアルフレードのことを考えていた。もうひと月近く顔を見ていない。
「あ、あの、シシィ様……」
ある日、いつものように別棟へ向かおうとしていたら、下級生らしい子に呼び止められた。見たことのない顔の子だった。
ここに一般の生徒が来ているのを見つかったら、叱られるだけでは済まないかもしれない。機密情報に近いような文書もあるのだ。私は慌ててその子を物陰に連れ込んだ。
「どうしたの、迷ってしまったの? 誰かに見つかる前にそっと帰った方がいいわ。この道を真っ直ぐ行くと本館に出られるから、早くお行きなさい。ここで見てて、呼び止められそうになったら私が出て行って誤魔化してあげるから」
そう言うと、その後輩は驚いたように私を見て、それからおどおどと何かを差し出した。
「これを、預かって来たんです」
「手紙……?」
差し出されたそれを何気なく受け取って、Aというイニシャルにどきりとする。
「あの、これ、誰から」
訊こうとする前に、その子はひとつぺこりとお辞儀をすると、身を翻して駆けて行ってしまった。
「速……」
女生徒があんな全速力で駆けるのを見つかったら、別棟の敷地内じゃなくても怒られるだろう。しばらく後ろ姿を見ていたが、どうやら無事に本館の方へ戻って行ったのを確認して、もらった封筒に目を落とした。
この頭文字に心当たりがあるのは、ひとりしかいない。
どきどきしながら封筒から紙を取り出すと、簡素なメッセージが書きつけられていた。
ーー放課後、いつもの樹の下で待っている。多少遅れるかもしれないが、必ずそこにいてほしい。
私は胸が高鳴るのを感じた。彼も私と同じように会いたいと思っていてくれたのだ。
よく考えると封もきちんとしていない手紙を人づてに、それも立ち入りを禁止されている別棟の敷地に踏み込ませてまで渡してくるなんて、アルフレードらしくないのだけど、その時は舞い上がってしまって気づかなかった。
私はその日一日中落ち着かない気持ちで過ごし、鐘が鳴ると裏の森へと向かった。私達がよく会っていた場所ーーひときわ赤く色づいている楓の樹を目指して。
そして、しばらく待ってもアルフレードは来なかった。
きっと生徒会の仕事が長引いているのかもしれない。だんだんと日が暮れて、肌寒くなってきた。しまった、制服だけじゃなくて何か羽織るものを持って来れば良かった、と思っても後の祭りだ。取りに戻ろうかと一瞬考えたけど、その間にアルフレードと行き違いになったらと思うと躊躇してしまう。
そうこうしているうちに雨が降ってきた。
私は雨宿りのつもりで樹に寄り添ってうずくまるが、落葉して少なくなった葉の隙間を縫うように水滴が落ちてくる。
冬に近づくこの季節の雨は冷たい。このままでは風邪をひいてしまうかもしれない。そう思うのに、どうしても帰る気になれないでいた。
(きっともうすぐ来てくれる。ひと目だけ、顔を見たら帰ろう。だから、もう少しだけ……)
もう少しを何度か繰り返しているうちに、夜は冷気を増し、雨は勢いを増した。気がつくと私は、その場で意識を失っていた。
次に眼を覚ました時、私は見覚えのない天井に怪訝な顔をしたと思う。身体は寒さでがたがた震えているので、まだあの冷たい雨の中にいるような錯覚を覚えたが、首から上は何故か熱くて汗をかいていた。
「ここは……」
声もかすれていた。はっとしたように、傍らで誰かが身を起こす気配がした。そういえばずっと手を握られている感触がする。
のろのろとそちらに目をやると、見たこともないほど悲愴な顔をしたアルフレードだった。
「大丈夫か」
声もどこか怯えているようだった。私は彼にそんな顔をしてほしくなくて、そっと腕を上げて頬に触れる。それだけの動作なのに、やっとのことだった。ひどく腕が重い。
アルフレードはそっと私の手を掴み、そのまま両手で包むようにした。
「……このまま目覚めないかと思った」
聞いた話だと、私は熱を出して一昼夜寝込んでいたそうだ。
私が寮に戻らないと少し騒ぎになった頃、例の手紙を渡した下級生が、良心の呵責に耐えかねてアルフレードに告げに行ったらしい。
そして樹の下でうずくまって意識を失っている私を見つけたのだという。
その下級生の話では、卑怯な手を使って女王候補という神聖な立場に就きながら、あまりに増長した態度の私には少しお仕置きが必要だと説明されたそうだ。
ーー少しの間、待ちぼうけを食わせるだけ。そうすれば、秋の涼やかな空気が、彼女の頭を冷やしてくれるでしょう。
依頼主が誰なのか、頑として口を割らなかったらしいが、私には明白だった。
「彼女は自分のしたことにひどく怯え、とても後悔していた。話に聞いていた人物像と実際の君が違うことにも気づいていたようだ。本来なら、何としても依頼主の名前を聞き出し、罰を受けさせるところだがーー」
私は慌てて止める。
「彼女も私も騙されただけだわ。すでに相応の罰は受けています。可哀想に、私がすぐに気づいて戻っていれば、そんな思いをさせることもなかったのに」
アルフレードは呆れたような顔をする。
「……君はとんでもないお人好しだ。だが」
そう言って、私のことをそっと引き寄せた。
「もう少し自分のことも大切にしてくれ。もしも君が目覚めなければ、俺は到底許すことはできなかった」
誰を、とは言わなかったのは、彼も犯人が誰なのか見当がついていたのだろう。
「……アルフレード、私、女王になるわ」
アルフレードに抱きしめられたまま、私は呟く。
「今まではそのつもりじゃなかったのか」
脈絡なく発せられた私の決意を聞いて、アルフレードが苦笑する気配がする。
私は頷く。きっと今までは本気じゃなかった。どこかで、庶民同然の育ちをした私は、女王には相応しくないという気後れみたいなものがあったのかもしれない。
どうせエリザベスが次の女王だとみんなも言っているし、少しぐらい嫌がらせをされても、それは変わらないのだとどこかで思っていた。
でも、今回のことは一線を超えている。他人を蹴落とすために卑怯な手を使うような者が女王になることは許せない。
私だってこの国を愛しているのだ。
正々堂々闘って、彼女を打ち負かしてみせる。
私が覚悟を決めたことに気づいたらしいアルフレードが、寝台の前に跪いた。私の手を取ったまま。
「ア、アルフレード……!」
誇り高い彼が、人前で膝をつくなんて。
「なら俺は、君を全力で女王にしてみせよう」
慌てる私には構わず、アルフレードはいたって真面目な顔で続ける。
「弊害は俺が取り除く。君はそれだけの価値のある人間だ。そしていつまでも俺が一番近くで君を補佐する者であり続けたい。できれば一生」
「それって」
ぽかんとしている私を上目遣いで見ながら、アルフレードは私の手の甲に口を付けた。
「結婚してくれ、シシィ」
突然のプロポーズに私は何も言えず、こくこくと頷き、そしてーー、まだ熱があるのに頭に血が上ったのがいけなかったのか、ふらふらと倒れてしまった。
「シシィ!」
慌てたようなアルフレードの声が聞こえる。
結局、きちんと告白のやり直しをしたのは、私がしっかり回復したひと月後のことだった。
***
結局、次期女王に選ばれたのは私だった。アルフレードが誓いの通り、補佐してくれたおかげもあるだろう。
ほとんど確定だろうと言われていたエリザベスは、女王が指名される星神降臨祭が近づくにつれて段々と冷静さを欠くようになっていき、私を窓から突き落とそうとしたことで、完全にその資格を喪った。
彼女がどうしてそんなにも私のことを嫌っていたのかはわからない。
他人からこんなにもむき出しの悪意をぶつけられたのは初めてで、だから私は正々堂々と闘うといっておきながら、本当の意味でエリザベスと向き合うことはしてこなかったのかもしれない。
「私は生まれた時から女王になるようにって言われていて、誰よりも努力して、みんなにもそうなることを望まれてきたのに。その私を差し置いて、たかだか三年前に候補になった女が王位に就くなんて!」
星見の塔まで昇ってきたエリザベスが私に叫んだのは、呪詛であり、悲鳴でもあった。
私はそれを、どこか茫然としながら聞いていた。
「エリザベス、黙れ」
アルフレードが止めようとする。そのまま剣を抜きかねないような、底冷えのする声だった。
でも私はそれをそっと手をあげて止める。この声を聞かなくてはいけないような気がしていた。
やがてエリザベスは、私に刃を向けた。
この期に及んで茫然としている私を守ったのは、美しい獣だ。
「いやああああああっ!!」
追い詰められた彼女は惨めだった。這いつくばって命乞いをする姿に、あの超然としていた女王候補筆頭としての面影は無い。
そして、ふっとその瞳から光が消える。
(いけない!)
何もかもを諦めたような絶望を見つけて、私は彼女の元へと走り寄った。
塔から落ちる前に彼女の手首を掴めたのは幸運だった。エリザベスは細かったが、それでも人ひとりを持ち上げるには、私は非力だった。落ちないように掴んでいるのが精一杯だ。
茫然としたようなエリザベスの顔。その遥か下に森が見える。とんでもない高さだ。落ちればひとたまりもないだろう。私は手首を掴む手に力を込めた。
もう少し、もう少しだけ持ちこたえれば、アルフレードが来て助けてくれる。
その瞬間、私とエリザベスの視線がはっきりと合った。これほどお互いを見つめ合ったのは初めてだ。時間が止まったようにすら感じる一瞬だった。
ふっとエリザベスが笑った気がした。
不審に思う間も無く、ばちっと火花が散って、痺れるような衝撃に襲われた。思わず私は、手首を握っていた手を緩めてしまったのだ。
「あっ」
瞬きする間もなかった。エリザベスが落ちてゆく。慌てて身を乗り出した私を掴んで引き寄せる手がある。
「エリザベス!」
「危ない! 君まで落ちる気か!」
引きずるようにアルフレードに塔の端から離れたところへと引き戻される。
「私が……手を放してしまったから……」
茫然としながら、何故だか涙が止まらなかった。散々嫌がらせをされたし、憎らしいと思いもした。でも決して死んで欲しいなんて思ってはいなかった。
「彼女は自分で自分のしたことに決着をつけたんだ。君のせいではない」
淡々としたアルフレードの声に、救いを求めるようにしがみついた。背中を撫でてくれる手が温かい。
同じ人を好きで、同じ歳で、同じ女王候補で、でも私とは育ちも考え方も何もかもが違った子。もしかしてこんな出会い方じゃなかったら、友達にだってなれたかもしれない。最後に目が合った時、何故かそんな事を思ってしまったのだ。
私は中々涙を止めることができなかったが、彼女のために泣くのは、これが最初で最後だ。
明日からは数百万人の責任が私の肩に載るのだ。友人にすらなることができなかった、私を殺したいほど憎んでいた少女のことをいつまでも引き摺るわけにはいかない。
だからせめて、今だけは泣くことを自分に許そう。
それに私には、アルフレードがいる。
大袈裟に慰めようとするわけでもなく、ただ黙って隣にいてくれる。この人と一緒なら、私は何だってやれる。そんな気がしていた。
「もう、大丈夫」
顔を上げた私を見て、アルフレードがかすかに頷いた。
それからゆっくりと離れて立ち上がり、星神様の方へと歩を進めた。王冠を授けてもらうために。
ーー私は、この国の女王になるのだから。




