一生忘れたくない〈入江視点〉
「料理作ってるので、ちょっと準備しますね」
そう言って藤原さんがキッチンの方へ行くので、私も慌てて追いかけた。
「手伝いますよ!」
「ありがとうございます。でも特に手伝ってもらうほどのことは……。あ、これ、チーズケーキなんですけど」
そう言って冷蔵庫から容器を取り出した。
「えっ、チーズ……、つく、作ったんですか!?」
驚いて私が訊くと、「混ぜて冷やすだけの簡単なやつです」と返ってきた。もしかすると藤原さんの料理スペックって、私が想像するよりもはるかに高いのかもしれない。
「で、これが上にかけるチェリーソースです。もう生のさくらんぼは売ってなかったので、缶詰のレシピなんですけど」
小さいタッパーも出してきたので、私は目を白黒させてしまう。
「ソースまで……! 藤原さんて、すごい、こんなものを作ってしまえる方なんですね」
心からの尊敬を込めた私の言葉に藤原さんが笑う。
「ネットのレシピ観ながら作っただけですよ。誰でもできます」
嫌味なく発せられた言葉に私は首を振るしかできない。
私も料理をするにあたって、インターネットで検索したりしたことがあるのでわかる。広範な情報から、美味しくて作りやすいレシピを見極めることがどれほど大変なのかを。
お菓子なんて特に、自分の手におえるレシピなのかそうでないのかを判断することすら難しい。
私は基本的に参考にするのは料理本が多い。あまり作らないけど。
それでもももこさんに会って、彼女の壊滅的な食生活を何とかしたくて、少しずつごはんを作るようにはなっていった。結局その頃に買った基本の料理集の本が、今でも役に立っている。
「これは本当に初めて作りました。上手くいくと良いけど」
オーブンの扉を開けると、お肉と野菜の焼ける香ばしくていい匂いがした。
「おおー」
思わずふたりで声を上げる。ごろごろと切られた野菜の真ん中に、お肉の塊が乗っていて、じゅうじゅうと音を立てている。
「ラム肉のローストです。なんか上手くいったっぽいな。少し寝かせるみたいですね」
藤原さんがスマートフォンを見ながら、肉だけを取り出して、アルミホイルに包んでいた。
私はまじまじとお皿に乗せられたアルミホイルの塊を見てしまう。「これって……」
「待ち時間で肉のソース作ります。入江さんは、ケーキを盛り付けてもらって良いですか、こんな感じで」
藤原さんに画像を見せられた。容器に入ったチーズケーキをシリコンのへらですくってお皿に乗せ、ソースをかける。これなら私でもなんとかできそうだ。
綺麗な濃い赤色のソースに見惚れながら、私は少しどきどきしていた。
ーー木苺とさくらんぼとハスカップ、どれが好きですか。
ーーさくらんぼが一番好きかな。
前にした、他愛もない会話が思い出される。偶然だろうと思いながら、高揚は去らない。
少し経って盛り付けが終わった。ケーキの皿に加えて、サラダとパンも並べられると、テーブルの上が華やかになった。並べ終わった頃、藤原さんがメインの大皿を持ってくる。
先ほどの肉が薄く切られて、ソースがかかっている。まわりには一緒に焼かれていたと思しいじゃがいもや人参や玉ねぎが盛り付けられていた。
「わあ……、す、すごい」
思わず感嘆の声をあげる。こんな料理を私は自分で作ろうという気にすらなったことがなかった。
「なんか、肉切るの難しくて、不恰好になっちゃったんですけど」
藤原さんがいまいち納得できないような顔をしているけど、これだけのものを作っておいて、どれだけ志が高いのだ。
「充分ですよ……。こんなのおうちで作っちゃうなんて、び、びっくりです。藤原さんが、こんなに料理上手だったとは」
「意外と手間かかってないです。味付けして焼くだけなんで。ラム肉ってジンギスカンぐらいでしか食べたことないからどうしようと思ったけど、動画観ながら作ったらいけました」
何でもないように笑う藤原さんをこれが才能か、とまじまじと見たあと、はっと気がついた。
「あの、写真撮ってもいいですか。ももこさんに見せてあげたくて」
藤原さんがふっと笑う。「どうぞ」
私が色々な構図から何度も写真を撮るので、「もう良くないですか。食べましょうよ」と藤原さんに声をかけられた。
「あ、す、すみません。つい」
ももこさんはこれを見て、驚くだろうか。そんなことを想像して撮ったので、つい熱が入ってしまった。
「いただきます」
日本人なので手を合わせて、箸を使って食べる。
ただ、このメニューには少し既視感があった。
「美味しいです、すごく……」
ラム肉をひと口食べて、感慨深く呟く私に、藤原さんが少し笑った。
「やっと食べられましたね」
「やっぱり、覚えていてくれたんですか」
以前、藤原さんに、前世でのラム肉のローストの話をしたことがある。
友人の家で出されて、本当は食べたかったのに禁止されていたから、友人に酷い言い方で断ったこと。
それを今でも少し引きずっていること。
「そりゃ忘れないですよ」
そう言って自分もひと口食べて、「うん、美味い」と笑う。
その笑顔を見ながら、もしかしたら藤原さんはももこさんから何か聞いたのかもしれないと思った。
ーーどうして誕生日って、みんな違って、しかも必ず同じ日に毎年来るんでしょう。
ーー何をいきなり記念日の概念に文句つけてるの……。そりゃ、誕生日だからね。みんな違うから特別で良いんじゃない。
ももこさんには笑われたけど、私は大真面目だった。毎年欠かさず同じ日に来るせいで、自分や特別な人の誕生日が来るたびに嫌でも思い出してしまう。
女王候補筆頭だったエリザベスの前にシシィが現れ、そちらが人望を得ていくのと反比例するように周りから人が去っていった。
かつては誕生日のたびに列を成した貴族諸侯も、段々と数を減らし、儀礼的な挨拶に変わっていき、とうとう最後の誕生日は、何人かの取り巻きが社交辞令でお祝いを言うぐらいだった。
そして、アルフレード様も。
どうしても比較してしまうのだ。お祝いしてもらって嬉しかったこと。そして、誰からも背を向けられ、忘れられ、祝われなくなったみじめな自分。
だったら、最初から、何もない方が良かった。知らなければ、きっとこんな突き落とされたような気持ちにならずに済んだのに。
そんなことを考えていたら、藤原さんが念を押すように同じ言葉を繰り返した。
「忘れないですよ。好きな食べ物とか、会話とか。べつに誕生日じゃなくたって覚えてます。ーーいや、記憶力がいい方じゃないから全部覚えてる自信はないけど。でもそうやって、少しずつ俺の中で入江さんのイメージができていくので」
私は正面の藤原さんを見た。過去にばかり目を向ける私と違って、彼はちゃんと今の私を見てくれているのだ。何も怖がる必要なんて無い、と言われている気がした。
「アルフレードって」
突然出た言葉に心臓が跳ねる。
「は、はい」
「いつでしたっけ。誕生日」
「霜月の3日です」
思わず反射的に答えていた。前世では大切で特別な日付けだった。何を忘れてもこの日だけは忘れることはない。
年を経るごとにお祝いをする私へのそっけなさが増し、気持ちが離れてゆくことを思い知らされる、苦行のような日だったとしても。
「ああ、そういえば真冬だったような気がする。良かった、俺は秋生まれで」
藤原さんがほっとしたような顔をして、よくわかっていない私の顔を見て少し笑った。
「俺が確実にアルフレードとは違うのがこの日だから。だから今日は、っていうか正確には誕生日は二日前だけど。入江さんとごはん一緒に食べたかったんです」
そう言って藤原さんは、「来てくれてありがとうございます」と言った。
私は思わず立ち上がった。肝心なことを言っていなかったのを思い出したのだ。
「あ、あの、藤原さん、遅くなってすみません。今日はご招待していただいて、ありがとうございます。お誕生日、おめでとうございます!」
そう言って深々と頭を下げる。彼がこの世界に生まれてきてくれたから、私たちとまた会うことができた。こうやって嬉しい言葉を交わすこともできる。前世の悲しいままの終わり方じゃなくて。
そう考えたら、なんて素晴らしい日なんだろう。
「ありがとうございます」
藤原さんが嬉しそうに笑う。この日は一生忘れたくないと思った。




