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一緒に落ちよう〈町田視点〉

「うわ」

 私は多分ものすごく不機嫌な顔で目を覚ましたと思う。嫌な夢見た。

「最悪」

 最悪なのは、あれがただの夢ではなくて、記憶を共有する相手がいるということだ。

 私はひとり暗闇を落ちて行った少女のことを考える。


 あのふたり、エリザベスが落ちた直後に抱き合ってたな。エリザベスがアルフレードのことを好きだったのを百も承知で。それってどうなの、人として。

 顔を洗い、歯を磨きながら私はぶつぶつと文句を言っていた。

 そんなことをいつまでも考えてしまうのは、エリザベスに英理の面影を重ねてしまうからだろうか。


 アルフレードに至ってはさあ、……いや、止めておこう。すべては終わったことだ。

 放っておくと暗い思考がアルフレードの記憶を持つ青年にまで及びそうだったので、リセットする。

 シシィもアルフレードも悪い人達じゃないし、むしろ正しい。あの世界で圧倒的に悪なのはエリザベスの方だ。でも、

「苦手だわー……」

 理屈じゃない。あの正しさを、今の私は傲慢だと認識するようになっている。

 口に出したら少しすっきりした。


 なんで日曜日の朝からこんな気分にならないといけないんだと思いながらブラインドを上げると、空は分厚い雲がかかってどんよりとしていて、ますます落ち込みそうになってしまう。

 こういう日は英理に電話するに限る。私はスマートフォンを手に取って発信ボタンを押した。



 一時間後、私たちはレンタカーに乗って国道を走っていた。運転者は英理で、借りたのは可愛いと意見が一致したオレンジのミニバンだ。

 ちなみに私は免許を持っていないし、英理は車の運転が上手い。

「なんか、ももこさんとこうやって出かけるの、久しぶりですねえ」

「そうだねえ。仕事してると、なかなかね」


 英理のにこにこしているかわいい横顔を見て、ようやく安心する。

 英理と会ってしばらくして、世界的に流行っていた感染症が下火になった頃、私達はたまにこうやって目的地を決めずに出かけることがあった。


「北と南、どっちに行きますか?」

「じゃあ、南東で」

「了解です」と言って危なげない運転で進路を変える。


 しばらく進んで、見覚えのない景色になった頃、私は口を開いた。

「そういえば私朝ごはん食べてないんだ。英理は?」

「トースト食べました」

「ええ、いいなあ」

 そう言われるとパンが食べたい気がしてきた。ベーカリーのパンじゃなくてもっとジャンクなやつ。


「じゃああそこのハンバーガーショップに入りましょう」

 そう言って英理がすっと店舗の駐車場に入る。随分と頼もしくなったなあ。会ったばかりの頃の英理は当然免許なんて持っていなかったし、外食もほとんどしない子だったのに。



 私はモーニングのホットドッグとサラダとアイスコーヒーのセットを、英理は小豆抹茶シェイクを頼んだ。


「ホットドッグのピクルスって美味しいよね。量もカスタマイズできればいいのに」

「ピクルスですか……? どっちかっていうと、無くても良い気がしますけど……」

「ええっ、ホットドッグの本体はピクルスだよ、無かったら美味しさ半減だよ」


 意外と英理とは食べ物の細かい好みが合わない。ふたり共偏食という訳ではないけど、好むものが微妙に違うというか。例えば私は抹茶のお菓子がそれほど好きではないし。


 それから英理は藤原くんが意外なほど料理が上手いという話をした。

「ちょっと、思い入れのあるメニューで。ま、まさかそれを覚えていて、わざわざ作ってくれるなんて、思ってもいなくて」

 おおー、藤原やるじゃん。私が心の中で喝采を送っている間、英理はひたすら藤原くんの親切さについて力説している。


「でも、そういうところ、ア、アルフレードさまもあったと思いませんか?」

 突然聞きたくもない名前が出てきて、私は眉を顰めた。

「ちょっと今奴の話はしたくないかな」

「な、なんで……?」

 英理はぽかんとしている。夢見が悪かったから、とはあまり言いたくない。

 逆に英理は前はあれほど話題に出すのも怖がっていたアルフレードの名前をさらっと出すようになった。

 それはきっと、良いことなんだろう。ここで私がまた制限させてどうするんだ。


「嘘、ごめん」

 英理ははっとしたような顔をした。

「も、もしかして、わたしが藤原さんの家に行ったの、やっぱり嫌でしたか⁉︎ ごめんなさい、実はあの日招待されてたの私だけで、もっとたくさんいると思ってたんですけど、」

「ちがう、それは本当にないから! 呼ばれたの英理だけだってのもわかってたし。ていうか、何で他の人呼んでると思ったの……」

 相変わらず英理の思考は読めないところがある。



 食べ終わった私達は、あたりを少し散策することにした。

「あ、ねえ、あそこ行ってあれ乗りたい」

 私が指差したのは、遠くからでもそれとわかるシルエットだった。


 近くまで行くと、小さい水族館の隣に遊園地とも呼べないようなちょっとした子供用の乗り物があるスペースがあって、そこに据え付けられるようにして小型の観覧車があった。

 天気はあまり良くないが、日曜日のせいか人はそこそこいる。


「じゃ、じゃあ、わたしはここで見てますから、ももこさん乗ってきてください」

「私にひとりで乗ってこいって?」

 驚いて聞き返すと、英理は困ったような顔をしていた。


 この子は前世の記憶のせいで、幼い頃からひどい高所恐怖症だったのだ。

 でもそれもだんだんと克服して、今では3階のオフィスで仕事ができるくらいになっている。だからもしかしたら大丈夫だと思ったんだけど。


「あの、揺れそうなのは、ちょっと……」

「そっかあ。じゃあ別に乗らなくていいや。せっかくだから水族館入る?」

「え、でも、ももこさん乗りたかったんじゃないんですか?」

「そんなの英理と一緒じゃないと意味ないよ」


 私がそう言うと、英理は少し固まって、やがて決心した顔になった。

「じゃ、じゃあ、あの、乗ります」

「え、無理しなくていいよ」

「いえ。わたしもももこさんと、乗りたいですから」

 厳かに言って私の手を引く。かわいいな。

「あ、ちょっと待って、切符」

 私は緩む頬を隠すように券売機に向かった。



 ゴンドラに乗り込むと、ごうん、ごうん、という音が思いのほか大きく響いて聞こえる。

「お、思ったよりゆゆゆれますね」

 英理は早速青くなって縮こまっている。まだ地上から1メートルも離れていないのに。やっぱり無茶だっただろうか。

 私は席を英理の向かいから隣に移動した。

「ぎゃあ、な、なんでこっちに来るんですか! 傾いちゃいますよ! 揺れてる! 落ちる!」


「大丈夫だよ、このくらいじゃ傾かないよ」

 そう言いながら私は英理の腕に自分の腕を絡ませた上で、しっかりと手をつないだ。指の隙間に指を入れる、恋人繋ぎというやつだ。


「こうしておけば、ちょっとやそっとじゃ離れないでしょ。落ちる時は一緒に落ちよう」

 そう言うと、英理は「だ、だめです!」と叫ぶや否や、すごい勢いで手を振りほどこうとした。そうはさせるか。私は握った手に力を込める。

「なななに言ってるんですか、ふたりとも死んじゃったら会社はどうするんです⁉︎ ふ、藤原さんだって、遥さんだって」


「みんなそれなりに要領いいから会社が無くなったぐらいじゃどうにもならないってば」

「もも、ももこさんが作った会社なのに無責任なこと、い、言わないでください! 二階堂さんだって長くいてくれてるし、はる、春田さんだって、融通きくからありがたいって、」

 必死に説得する英理に、少し複雑な気分だ。

「英理に正論言われた……」

 こうやって私以外の名前が出てくるようになったんだなあ。


 お互いにぎゃあぎゃあ言いながら全力で腕の引っ張り合いをしていると、ゴンドラが少し揺れた。

「ひいっ!」

「無駄な抵抗はやめて、おとなしくしてた方がいいと思うよ」

「うう……」


 英理がおとなしくなった。隣を見るとうつむいて固く目を閉じている。このままやり過ごす作戦に変えたみたいだ。

 外の景色に目をやると、そろそろ一番高いところに差しかかる頃だった。少し離れたところに海が見える。この観覧車は海を見るためのものだったのだと、今更ながら気がついた。


 相変わらずの曇り空だったけど、分厚い雲の隙間から一筋陽が差していた。それが海面に当たってきらきらしている。

「英理、てっぺんだよ」

 この景色を一緒に見たいと思い、いちおう声をかけてみる。もっとも英理が私と同じように綺麗だと思ってくれるかはわからない。空は灰色だし、視界は高いし、英理にとっては恐ろしいだけの景色かもしれない。


 そんなことを考えていたので、おそるおそる薄目を開けた英理が、景色を見て大きく目を見開いた時。

「うわあ、海だ。きらきらしてる。ももこさん、綺麗ですねえ!」

 そう言って振り向いてぱっと笑った時、私がどれだけ嬉しかったかなんて、きっと誰にもわからないだろう。



 それからやっぱり下りは恐ろしいと英理は目をつぶってしまった。繋いだ手は話さないまま、ふたり共無言でいた。

 目をつぶった方がダイレクトに落ちているのを感じられて怖そうだけど、そんなことはないんだろうか。

 相変わらず、ごうん、ごうん、という音が響いていて、何か大きな生き物の心臓の音みたいだと思った。


 やがてゴンドラが下に着いた。係の人が扉を開ける。

 英理の手が離れていって、それが少し寂しい。

 久しぶりに地面に降りた気がする。私は軽く伸びをしながら英理に声をかけた。

「英理、ありがとね。一緒に乗ってくれて」


 英理が振り向いて、照れたように笑った。

「……ふたりで生還しちゃいましたね」

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