保安隊海へ行く 107
二人は黙ってそれぞれの仕事を続ける。沈黙と次第に熱せられていく夏の午前中の空気が、気の短い要には耐えられなかった。
「いいか?」
三つ目の畳を拭きながら要が口を開いた。
「別に聞いてなくても良いぜ。ただの独り言だ」
誠はそんな要を背中に感じながら、バケツで洗ったばかりの雑巾だ窓のサッシを拭いながら聞いていた。
「アタシの家は知ってるだろ?前の大戦中はアタシの爺さんは反戦一本槍の政治屋だっただろ?中央政界から追い出されて、政府からは非国民扱いされてはいたけど、腐っても四大公家の筆頭の家だ。アタシは三つの時に爺さんを狙ったテロでこの体になったわけだ。爺さんもかなり落ち込んでたらしいな、そうでも無きゃこんな体、手に入るわけはねえよ」
雑巾をかけている自分の手を見つめる要。誠はそれとなく振り返る。要のむき出しの肩と腕の人工皮膚の隙間が誠にはなぜか物悲しく見えた。要は落ち着いた様子で要は畳を拭いていた。
「この体になる前の記憶はまるで無い。まあ三つの時だからな、覚えているほうがどうかしてるよな。この体になってからのことはしっかり覚えてるぜ」
そう言うと要は畳を拭く手を止めた。
「まるで腫れ物に触るみたいに遠まわしに気を使う親父、家から出るのにも護衛をつけようとるすお袋。家の使用人や食客達は、出来るだけアタシから距離を取って、まるで化け物でも見てるような面で逃げ回りやがる。まあ、今思えばしょうがないんだけどさ」
誠のサッシを拭く手が止まった。
「当然だよな。三つの餓鬼が一月のリハビリ終えて帰ったらこの大人の格好だ、まともに接しようとするのが無理ってもんだ。でも中身は三つの餓鬼だ。わかってくれない、わかられたくもない。暴れたね。楓や茜には結構酷いこともしたもんだ。幼稚園、小学校、中学校、高校。どこに行っても友達なんて出来るわけもねえや。気に入らなかったらぶん殴ってそれで終わり」
要はそう言うと掃除に飽きたとでも言うようにタバコを取り出した。
「叔父貴のことをさ、楓から何度も聞かされて。陸軍なら親父や赤松の旦那の手も回って無いだろうっていきがって入ってみたが、士官学校じゃあ西園寺の苗字を名乗ってるだけで教官から目をつけられてすぐに喧嘩だ。どうにか卒業してみれば与えられたのは汚れ仕事の山ってわけだ」
「要さん」
誠はサッシから手を離して真っ直ぐに要を見つめた。
「アタシが言いたいのは、自分ひとりで抱えるのは止めてくれってことだよ。アタシも東都戦争の頃はそうだった。一人で出来ることがアタシのすべてだと思ってた。でもな、そう思ってる間は一人分のことしか出来ねえんだ。一人で生き抜けるほどこの世は甘くねえよ」
そう言ってタバコをふかす要。
「すばらしいことをおっしゃいますわね、要お姉さま」
その声に血色を変えて振り返った先には朱色の留袖にたすきがけと言う姿の茜が立っていた。
「脅かすんじゃねえよ、あれが来たかと思ったじゃねえか!」
「楓さんのことそんなにお嫌いなのですか?」
「あのなあ、アタシにゃあそう言う趣味はねえんだよ!いきなり胸広げて待ち針を差し出されて『苛めてください』なんて言われてみろ!かなり引くぞ」
タバコを携帯灰皿に押し込みながら要が上目遣いに茜を見る。
「そうですわね。要さんは神前くんのこと気に入ってらっしゃるようですし」
「ちょっと待て、ちょっと待て!茜!」
小悪魔のような笑顔を浮かべると茜は要の汚れた雑巾を取り上げてバケツに持ち込んで洗い始めた。




