第7話 学校に来た藤宮麗華――誰にも言えない、彼女とのすれ違い
第7話「学校に来た藤宮麗華――誰にも言えない、彼女とのすれ違い」。
今回は、主人公と麗華にとって、少し特別で少し緊張する一日となります。
これまで二人は、家では恋人同士として自然に過ごしながらも、外では徹底して関係を隠してきました。
主人公の学校では、藤宮麗華は“みんなが知っている人気グラビアアイドル”。
けれど、その学校に通っている主人公だけは知っています。
朝、同じ家で目を覚ましたこと。
一緒に朝食を食べたこと。
そして出かける前にキスを交わしたことを。
そんな中、偶然にも麗華がテレビ番組の学校紹介企画で、主人公の高校へやって来ることになります。
仕事として学校へ来る麗華。
一人の生徒として授業を受ける主人公。
同じ場所にいるのに、話しかけることもできない。
目が合っても、知らないふりをしなければならない。
家では何度もキスを交わす恋人同士なのに、学校では人気グラビアアイドルと普通の高校生。
今回は、そんな二人の“表と裏”が一番近い距離で交差する一話です。
誰にも知られてはいけない秘密を抱えながら、二人はどこまで自然に他人を演じることができるのでしょうか。
月曜日の朝。
午前六時。
アラームが鳴るより少し早く、俺は目を覚ました。
隣では麗華がまだ眠っている。
昨日は撮影が長引き、帰宅したのは午後十時を過ぎてからだった。
それでも帰ってきたときには、
「ただいま」
と笑っていた。
仕事が忙しくても、家へ帰ればいつもの麗華。
それが俺にとっての日常になっている。
「……麗華」
「ん……」
「六時」
「……あと五分」
いつもの返事。
「今日早いんじゃなかった?」
「何時……?」
「昨日、七時半に出るって言ってた」
「……あ」
麗華の目が開く。
時計を見る。
そして。
「起きる!」
一気に身体を起こした。
「急だな」
「今日は絶対遅れられないの!」
「撮影?」
「違う」
麗華がベッドから降りる。
俺も起きる。
「じゃあ何?」
「午前中はテレビ番組の収録」
「うん」
「午後は雑誌の取材」
「忙しいな」
「それで夕方から……」
麗華が少し言いにくそうに止まった。
「何?」
「学校へ行くの」
俺は動きを止めた。
「学校?」
「うん」
「どこの?」
麗華は俺を見る。
その表情。
嫌な予感がした。
「……君の学校」
「は?」
思わず聞き返した。
「俺の学校?」
「うん」
「何で?」
麗華が少し困ったように笑う。
「昨日の夜、言おうと思ってたんだけど」
「俺が先に寝た?」
「ううん。私が疲れて寝ちゃった」
確かに。
昨日。
麗華は帰宅して夕食を食べたあと、ソファでそのまま眠っていた。
「何しに来るの?」
「学校紹介の企画」
「学校紹介?」
「今度、若者向けの情報番組で高校の部活動とか学校生活を紹介する企画があるみたいで」
「それで麗華が?」
「私がゲストレポーター」
嫌な予感どころではなかった。
「待って」
「うん」
「俺の学校って、麗華知ってたの?」
「もちろん知ってるよ」
「そうじゃなくて、番組側が俺の学校を選んだのは?」
「偶然」
「本当に?」
「本当に」
麗華はすぐ答えた。
「私が選んだんじゃないよ」
「事務所は?」
「昨日、マネージャーさんから正式に聞いた」
「断れなかった?」
麗華の表情が少し曇る。
「あ……ごめん」
「違う」
俺はすぐ言う。
「麗華が悪いって意味じゃない」
「うん」
「ただ……」
困った。
学校には誰も俺と麗華の関係を知らない。
俺の友人たちは毎日のように麗華の話をしている。
そんな場所へ本人が来る。
しかも。
俺と麗華は同じ家から朝を迎えている。
「マネージャーさんは何て?」
「そこも話した」
「俺が通ってるって?」
「もちろん知ってるから」
麗華は少し真剣になる。
「社長とも相談したみたい」
「結果は?」
「仕事は普通に受ける。ただし……」
麗華が俺を見る。
「学校では絶対にあなたへ特別な反応をしない」
「だよな」
「私から話しかけない」
「うん」
「目が合っても、基本は他の生徒と同じ」
「それがいい」
麗華は少し寂しそうに笑った。
「学校では他人だね」
その言葉だけ。
少し胸に残った。
でも仕方ない。
俺たちは秘密の恋人。
むしろ学校で恋人らしく接するほうがおかしい。
「大丈夫」
俺は言う。
「家帰ったら普通に話せばいい」
麗華が俺を見る。
そして小さく笑った。
「うん」
少しだけ沈黙。
そのあと。
麗華が顔を近づけてくる。
「じゃあ今のうち」
「何?」
「学校ではできないから」
すぐ意味が分かった。
俺は麗華の頬に触れる。
そして。
唇を重ねる。
一度。
離れる。
麗華がもう一度近づく。
二度目。
少し長く。
「……ん」
唇が離れたあと。
麗華が俺の肩へ額を預ける。
「今日、変な感じになりそう」
「俺も」
「学校であなた見ても、知らないふりするね」
「それでいい」
「絶対寂しくなる」
「帰ったらいっぱい話せばいい」
「キスも?」
「……まあ」
「いっぱい?」
「麗華」
「何?」
「朝飯」
麗華が笑った。
「逃げた」
「時間ないだろ」
「じゃあ帰ってから聞く」
「覚えてたらな」
「絶対覚えてる」
俺には分かっていた。
こういうことだけは。
麗華は絶対に忘れない。
◇◇◇
午前七時十五分。
二人で朝食。
麗華はいつもより早く食べていた。
「焦らなくていいぞ」
「でも遅れたくない」
「今日は送迎?」
「うん。マネージャーさん迎えに来る」
「じゃあこのマンション前?」
「少し離れたところ」
同棲していることは外部には秘密。
送迎車が直接家の前へ来ることは避けている。
それもずっと続けているルールだった。
麗華がトーストを食べながら聞く。
「今日何時間目まで?」
「六時間」
「撮影が入るのは?」
「知らない」
「私も詳しい時間までは聞いてない」
「じゃあ授業中に来る可能性もある?」
「ある」
「最悪」
「最悪って」
「集中できない」
麗華が少し笑う。
「私も見つけたら笑いそう」
「絶対やめて」
「頑張る」
「頑張るじゃなくて絶対」
「はい」
そして数秒後。
麗華が言う。
「でも学校で会えるの、ちょっと楽しみ」
「俺は怖い」
「ひどい」
「だって友達に囲まれてる麗華想像してみろよ」
「人気者?」
「大騒ぎ」
「そんなかな」
「自覚ないの?」
「あるけど……学校だとまた違うかなって」
「絶対違わない」
麗華は少し楽しそうだった。
本人にとっては。
自分の彼氏が普段どんな学校生活を送っているのか。
少し見られる機会でもあるのだろう。
俺としては。
できるだけ見ないでほしい。
色々恥ずかしい。
◇◇◇
午前八時十分。
学校。
教室へ入った瞬間。
「おい!」
友人が俺のところへ来た。
嫌な予感。
「何?」
「今日すごいぞ!」
「何が?」
「知らないの?」
俺は知らないふりをした。
「何を?」
「今日、芸能人来るらしい!」
やっぱり。
「誰?」
「まだ秘密らしい」
別の男子が入ってくる。
「藤宮麗華って噂あるぞ!」
心臓が跳ねる。
「マジ?」
俺はできるだけ普通に反応する。
「ネット?」
「先生の話聞いたやつがいるらしい」
「本当だったらヤバい」
「授業どころじゃない」
教室中がざわついている。
女子も興味津々。
「藤宮麗華だったらめっちゃ見たい」
「テレビより絶対可愛いよね」
「写真撮れるかな」
「禁止じゃない?」
「サインは?」
「絶対無理だろ」
俺は席へ座る。
全員が楽しそう。
俺だけ。
今朝まで同じ家にいた。
一緒に朝食を食べた。
出かける前にはキスまでした。
でも当然。
そんな顔はできない。
友人が俺を見る。
「お前も気になるだろ?」
「まあ」
「まあ!?」
「本当に藤宮麗華ならすごいと思う」
「冷静すぎる!」
仕方ない。
俺にとって麗華は。
確かにすごい芸能人だけど。
それより先に。
毎日同じ家へ帰る彼女だから。
◇◇◇
午前十時。
二時間目終了。
まだ麗華は来ていない。
教室ではずっとその話題だった。
「何時来るんだ?」
「午後じゃない?」
「校内撮影あるらしい」
「うちのクラス来ないかな」
俺は窓の外を見る。
来ないほうがいい。
いや。
麗華の仕事だから。
来てもいい。
でも俺のクラスだけは避けてほしい。
矛盾している。
スマートフォンは授業中だから見られない。
当然麗華からも連絡は来ない。
そのとき。
校内放送。
『生徒の皆さんへ連絡します。本日、テレビ番組の撮影が校内で行われます』
一瞬。
教室が静かになる。
『授業や移動の妨げにならないよう、撮影スタッフへの接触や出演者へのサイン・写真撮影などは控えてください』
「来た!」
一気に盛り上がる。
先生が教室へ入ってくる。
「静かに!」
生徒たちが慌てて席へ戻る。
「芸能人が来るからって騒がない!」
「先生、誰ですか!?」
「見れば分かる」
「藤宮麗華!?」
先生は答えない。
その反応。
ほぼ確定だった。
◇◇◇
午前十一時二十分。
四時間目。
授業開始から十五分ほど。
廊下が少し騒がしくなった。
カメラ。
スタッフ。
教師。
俺の心臓が速くなる。
まさか。
教室のドアが開いた。
担任が少し困ったように言う。
「授業中失礼します。番組撮影です」
生徒たちの空気が変わる。
そして――。
「こんにちは!」
聞き慣れた声。
でも。
家で聞く声とは違う。
仕事用の明るい声。
藤宮麗華が教室へ入ってきた。
教室中から。
「うわっ!」
「本物!」
「藤宮麗華!」
小さい歓声。
先生が慌てる。
「騒ぐな!」
俺はできるだけ前を見る。
麗華はスタッフとカメラマンと一緒に入ってくる。
華やかな衣装ではない。
学校取材らしい、少し落ち着いた服装。
それでも。
圧倒的に目立つ。
俺の学校の制服。
黒板。
机。
その空間の中に麗華がいる。
すごく不思議だった。
「今日は授業の様子を少し見学させていただきます」
麗華が笑顔で挨拶する。
「よろしくお願いします!」
生徒たちが拍手。
俺も。
普通に拍手する。
麗華の視線が教室を回る。
前列。
中央。
後ろ。
そして。
一瞬。
俺のところで止まった。
本当に一瞬。
でも分かった。
目が合った。
麗華の表情は変わらない。
完璧な仕事の笑顔。
俺も変えない。
ただの生徒。
それだけ。
◇◇◇
授業が再開する。
麗華たちは教室の後ろから撮影。
俺は集中しようとする。
でも無理。
俺の後ろ数メートル。
そこに彼女がいる。
しかも全員から注目されている。
先生が生徒を指名する。
問題を解く。
麗華が時々頷く。
カメラが教室を撮る。
そして。
先生が言った。
「では、この問題……」
黒板を見る。
嫌な予感。
「そこの窓側後ろから二番目」
俺だった。
「……はい」
最悪。
立ち上がる。
視線が集まる。
先生。
クラスメイト。
そして麗華。
「答えは?」
俺は問題を見る。
落ち着け。
普通に答える。
「○○です」
「正解」
「……」
座る。
教室の後ろから麗華の小さな拍手。
他の生徒にも拍手しているから不自然ではない。
でも。
俺には分かる。
少し嬉しそう。
帰ったら絶対何か言われる。
◇◇◇
数分後。
先生が少し麗華へ話を振った。
「藤宮さん、こういう授業いかがですか?」
「懐かしいです」
麗華が笑う。
「私も高校生の頃、先生に突然当てられて焦ったことあります」
生徒が笑う。
俺も少し笑った。
先生が続ける。
「では生徒に一つ質問してみますか?」
教室がざわつく。
「いいんですか?」
「どうぞ」
麗華が教室を見る。
俺は心の中で。
――頼むから俺以外。
そう願った。
「じゃあ……」
麗華は中央の女子生徒を指す。
助かった。
「高校生活で一番楽しいことは何ですか?」
女子生徒が緊張しながら答える。
「友達と話してる時間です」
「いいですね」
さらに別の男子。
「部活動です」
「何部?」
「バスケ部です」
「頑張ってください!」
普通に進んでいく。
当然。
俺には振らない。
それでいい。
仕事上の対応として完璧だった。
◇◇◇
撮影終了。
「ありがとうございました!」
麗華が教室へ頭を下げる。
「ありがとうございました!」
生徒たちが返す。
麗華たちが教室を出ていく。
最後。
扉が閉まる直前。
一瞬だけ。
また目が合った。
今度は。
ほんの少しだけ。
麗華の目が笑ったような気がした。
でも誰も気づいていない。
扉が閉まる。
次の瞬間。
「ヤバかった!」
「本物めっちゃ可愛かった!」
教室が大騒ぎ。
先生が、
「まだ授業終わってない!」
と怒っている。
友人が俺の肩を叩く。
「お前当てられてたな!」
「先生にだろ」
「藤宮麗華見てたぞ!」
「全員見てるだろ」
「正解してよかったな!」
「間違えたら最悪だった」
「絶対一生覚えてたわ」
俺は苦笑する。
実際。
麗華が見ている前で間違えたくなかった。
それだけは本当だった。
◇◇◇
昼休み。
教室はまだ麗華の話題で持ちきり。
「握手したかった」
「禁止って言われてたじゃん」
「近くで見れただけでいい」
「めっちゃいい匂いしそう」
「変なこと言うな」
男子たちの会話。
女子たちも。
「顔小さかった」
「テレビより綺麗」
「スタイルすごかった」
誰も俺との関係には気づいていない。
当然。
俺も普通に弁当を食べる。
スマートフォンを見る。
一件。
麗華から。
『教室いたね』
俺は思わず笑いそうになる。
当たり前だ。
俺の学校なんだから。
返信。
『そりゃいる』
すぐ既読。
『問題正解してた』
『見てた?』
『見てました』
続いて。
『ちょっとかっこよかった』
俺はスマートフォンを伏せる。
危ない。
顔が熱くなる。
友人が言う。
「何だ?」
「何でもない」
「またスマホ見てニヤニヤしてる」
「してない」
「彼女?」
「違う」
また。
同じ嘘。
慣れたくない。
でも。
今は必要な嘘。
少しして、もう一度スマートフォンを見る。
『学校のあなた、なんか新鮮だった』
俺は返信。
『仕事中の麗華も』
数秒。
『帰ったらいっぱい話そうね』
『うん』
そして。
『あと朝の約束覚えてるから♡』
俺は止まる。
朝。
帰ったらキスを――。
「……忘れてなかったのか」
小声。
「何が?」
友人。
「何でもない!」
危ない。
本当に。
◇◇◇
午後三時半。
六時間目終了。
麗華の撮影はすでに学校内で終わっていた。
スタッフの車で次の仕事へ向かったらしい。
俺はいつも通り帰る。
学校の出口。
友人たちはまだ話している。
「今日ヤバかったな」
「一生の思い出」
「藤宮麗華マジで可愛かった」
「俺、ファンになった」
俺は少し笑う。
「前から好きじゃなかった?」
「今日からもっと」
「そうか」
「お前、本当に反応薄いよな」
「そう?」
「目の前で見ても普通」
「緊張したけど」
「そう見えなかった」
多分。
麗華と毎日会っているからだ。
でも。
学校で見る麗華は。
確かにいつもと違っていた。
家では俺の彼女。
学校では。
誰から見ても人気グラビアアイドル。
同じ人なのに。
まるで別世界の人みたいだった。
◇◇◇
午後五時。
俺が先に帰宅。
「ただいま」
当然、返事はない。
麗華はまだ仕事。
制服を脱いで部屋着へ着替える。
冷蔵庫を開く。
夕食の準備を始める。
今日の出来事を思い出す。
教室へ入ってきた麗華。
目が合った瞬間。
何も知らないふり。
学校での俺。
仕事中の麗華。
お互い。
本当に別人みたいだった。
でも。
少しだけ寂しかった。
恋人が目の前にいるのに。
「こんにちは」
とも。
「今日どうだった?」
とも。
言えない。
他の生徒と同じ。
それが正しい。
分かっている。
でも。
麗華が朝言っていた。
『学校では他人だね』
あの言葉。
実際に経験すると。
思っていたより寂しかった。
◇◇◇
午後八時十分。
玄関の鍵が開く。
「ただいまー」
その声。
俺はキッチンから玄関へ向かう。
「おかえり」
麗華が立っていた。
帽子。
マスク。
仕事帰りの変装。
でも。
家に入るとすぐに全部外す。
「疲れた」
「学校のあとも仕事?」
「うん。取材一本」
「お疲れ」
麗華が俺を見る。
数秒。
そして。
急に抱きついてきた。
「麗華?」
「……やっと話せる」
俺は少し驚く。
「学校で何時間も前に会っただろ」
「会っただけ」
「そうだな」
麗華は俺の胸元へ顔を寄せる。
「目の前にいたのに話せなかった」
「仕事だったし」
「分かってる」
「俺も変な感じだった」
麗華が少し顔を上げる。
「寂しかった?」
「ちょっと」
「私も」
その一言だけで。
朝から感じていたものが少し軽くなった。
俺だけではなかった。
「でもちゃんとできたね」
麗華が言う。
「何を?」
「知らないふり」
「当たり前」
「私、結構頑張った」
「目合っただろ」
「二回」
「数えてた?」
「うん」
「仕事しろよ」
「してた!」
麗華が笑う。
「でもあなたが当てられたとき、ちょっと笑いそうになった」
「何で?」
「学校でちゃんと生徒やってるんだなって」
「当たり前だろ」
「家だと制服脱いでるから」
「そりゃ家だから」
「なんか新鮮だった」
「俺も」
「私が?」
「教室で仕事してる麗華」
「どうだった?」
「ちゃんと芸能人」
「俊介君と同じこと言う」
「あいつ事務所行ってたからな」
「兄弟だね」
麗華が笑う。
◇◇◇
「そういえば」
麗華が俺を見る。
「何?」
「朝の約束」
やっぱり。
「覚えてたの?」
「絶対覚えてるって言ったでしょ」
「何回?」
「いっぱい」
「数字で言って」
「数えられなくなるくらい」
「無茶言うな」
麗華が笑う。
そして。
俺の頬へ手を添える。
「学校で我慢したから」
「はいはい」
俺も麗華へ顔を近づける。
唇が重なる。
一度。
離れる。
麗華はすぐにもう一度近づいてくる。
二度。
三度。
四度。
何回目かなんて。
すぐに分からなくなった。
外で何もできなかった分。
家では。
誰にも遠慮しない。
「……ん」
麗華が小さく息をつく。
額が触れる距離。
「やっぱりこっちがいい」
「何が?」
「家」
「学校嫌だった?」
「違う」
麗華が笑う。
「仕事は楽しかった」
「じゃあ?」
「ここならあなたの彼女でいられる」
俺は何も言わなかった。
代わりに。
もう一度だけ。
唇を重ねた。
◇◇◇
午後八時半。
夕食。
俺が作った料理を食べながら。
麗華は学校で見たものを次々話し始めた。
「教室、思ってたより広かった」
「普通だろ」
「黒板懐かしかった」
「高校行ってたでしょ」
「卒業してまだ二年くらいだけど、もう懐かしい」
「早いな」
「あと」
麗華が笑う。
「君の友達、すごい見てた」
「麗華を?」
「うん」
「そりゃ見るだろ」
「一人、口開いたままだった」
「多分あいつだな」
「誰?」
「言わない」
「知りたい」
「学校の人間関係まで探るな」
「彼氏の学校生活気になる」
「ダメ」
「じゃあ今度文化祭とか行きたい」
俺は箸を止める。
「絶対ダメ」
「なんで!」
「今日より大騒ぎになる」
「変装する」
「意味ない」
「帽子とマスク」
「麗華ってバレたら終わり」
「じゃあ卒業してから」
「それなら」
「本当に?」
「卒業したら俺も学校にいないけど」
「あ」
麗華が止まる。
「意味ないじゃん」
「今気づいた?」
二人で笑う。
◇◇◇
少しして。
俺が聞く。
「麗華」
「何?」
「今日、学校来る仕事、嫌じゃなかった?」
麗華が少し驚く。
「どうして?」
「俺がいるから」
「全然」
「本当に?」
「むしろ嬉しかった」
「何で?」
「あなたが普段いる場所を見れたから」
麗華は少し穏やかに話す。
「いつも家で聞くだけだったでしょ?」
「学校の話?」
「うん」
「今日は実際に教室見て」
「うん」
「友達といるところ見て」
「ほとんど話してなかっただろ」
「授業中だから」
「そりゃそう」
「でも」
麗華が微笑む。
「ちゃんと高校生なんだなって思った」
「何だと思ってたの?」
「彼氏」
「それはそうだけど」
「家では高校生っていうより、普通に一緒に暮らしてる人だから」
少し照れくさい。
「でも学校では」
麗華は続ける。
「制服着て、授業受けて、先生に当てられて」
「普通の生徒」
「うん」
「それを見て安心した」
「何に?」
「ちゃんと学校生活送れてるって」
俺は少し黙った。
麗華は時々。
俺が自分と付き合っていることで、高校生活を邪魔していないか気にしている。
以前も言っていた。
『私のせいで学校生活が変わるのは嫌』
今日。
実際に見て。
少し安心できたのだろう。
「大丈夫だよ」
俺は言った。
「麗華と付き合ってても、普通に学校行ってる」
「うん」
「友達もいる」
「うん」
「勉強も……まあ」
「そこ何で止まるの?」
「普通」
「受験生でしょ?」
「麗音と同じこと言うな」
麗華が笑った。
「俊介君にも言ってる」
「兄弟揃って?」
「二人とも受験生みたいなものだから」
「俺は高校三年」
「だからもっと頑張って」
「はい」
完全に姉みたいな口調だった。
◇◇◇
夜十時。
ソファ。
麗華はスマートフォンで番組スタッフから送られてきた簡単な確認事項を読んでいた。
「今日の学校撮影、いつ放送?」
「来週らしい」
「マジ?」
「うん」
「俺映ってないよな?」
「教室全体では映ってるかも」
「顔?」
「必要ならぼかしとか確認入ると思う」
「俺、答えてたところ使われたら?」
麗華が笑う。
「面白い」
「面白くない」
「彼氏と同じ番組に出る」
「学校ではただの生徒」
「でも私だけ知ってる」
「変なこと言うな」
「ふふっ」
もし使われても。
視聴者は知らない。
教室にいる普通の男子高校生。
その一人が。
藤宮麗華の秘密の彼氏だなんて。
しかも。
放送を見る頃には。
二人同じ家でテレビを見ているかもしれない。
「録画しよう」
麗華が言う。
「何で?」
「記念」
「恥ずかしい」
「絶対録る」
「俺答えてるところ使われてたら消して」
「保存する」
「やめろ」
「一生保存」
「麗華」
「家族にも見せる」
「絶対やめて」
母さん。
父さん。
俊介。
美晴さん。
興毅さん。
麗音。
全員に見られる未来が見える。
恐ろしい。
◇◇◇
午後十一時。
寝室。
ベッドに入る。
麗華が今日一日を思い出すように言った。
「不思議だった」
「何が?」
「朝一緒に家出たのに」
「時間別だったけどな」
「それで昼は学校で他人」
「うん」
「夜は同じ家」
「うん」
「一日の中で関係変わりすぎ」
確かに。
朝。
恋人同士。
昼。
人気グラビアアイドルと一人の高校生。
夜。
また恋人同士。
「疲れない?」
麗華が聞く。
「何が?」
「秘密」
俺は少し考えた。
「たまに」
「……そっか」
「麗華は?」
「私も」
正直だった。
「でも」
麗華は続ける。
「嫌ではない」
「何で?」
「守りたいものだから」
俺を見る。
「私たちの関係」
俺も麗華を見る。
「学校では言えないし」
「うん」
「仕事でも公表できない」
「うん」
「でも家族は知ってる」
「社長とマネージャーさんも」
「うん」
「今はそれでいいかなって」
俺は少し笑う。
「俺も」
「いつかは?」
「いつか?」
「普通に話せる日来るかな」
「来るよ」
「本当?」
「多分」
「また多分」
「じゃあ絶対」
麗華が笑う。
「言い直した」
「麗華が言わせた」
「でも嬉しい」
麗華がこちらへ近づく。
俺の手を握る。
「今日はありがとう」
「何が?」
「学校で知らないふりしてくれて」
「当然だろ」
「でもちょっと寂しかった?」
「ちょっと」
「私も」
「帰ってきたからいい」
「うん」
最後に。
静かにキスをする。
一度。
麗華が離れない。
もう一度。
そして。
三度目。
「今日はもう数えない」
麗華が言う。
「朝からいっぱいしたし」
「帰ってきてからな」
「満足?」
「……まあ」
「まあ?」
「満足です」
麗華が笑う。
「おやすみ」
「おやすみ」
明かりを消す。
暗い寝室。
今日。
麗華は俺の学校へ来た。
目の前にいるのに話せない。
笑いかけることもできない。
恋人なのに。
他人のように振る舞った。
でも。
それで良かった。
今の俺たちには。
必要なことだから。
そして。
誰にも見られない家へ帰れば。
俺たちはいつも通り。
「ただいま」
「おかえり」
そう言い合える。
今日一日で。
改めて分かった。
学校では。
藤宮麗華は、みんなが知っている人気グラビアアイドル。
でも。
この家に帰ってくれば――。
藤宮麗華は。
俺だけが知っている、大切な彼女だった。
第7話「学校に来た藤宮麗華――誰にも言えない、彼女とのすれ違い」を最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今回は、麗華が主人公の高校へ仕事で訪れるという、これまでとは少し違った緊張感のある一日を描きました。
朝は同じ家。
同じ食卓。
いつものように会話をし、出かける前にはキスもする。
しかし学校へ行けば、その関係は一変します。
藤宮麗華は人気グラビアアイドル。
主人公は、その学校に通う一人の高校三年生。
教室へ麗華が入ってきても。
目が合っても。
授業中に主人公が指名されても。
二人は何も知らないふりをしなければなりません。
それは決して冷たい態度ではなく、今の二人にとって必要な“守るための距離”です。
麗華の芸能活動を守るため。
主人公の学校生活を守るため。
そして何より、二人の関係そのものを守るため。
今回特に印象的だったのは、学校で何もできなかった二人が、夜、同じ家へ帰った瞬間にようやく本当の関係へ戻る場面です。
「やっと話せる」
そう言って主人公へ抱きつく麗華。
学校では何時間も前に会っていたのに、その時間は恋人同士としては“会えていなかった”のだと思います。
目の前にいるのに話せない。
笑いかけられない。
恋人なのに他人として振る舞う。
実際にその状況を経験したことで、主人公も麗華も改めて秘密の交際が持つ寂しさを知ることになりました。
その一方で、麗華にとって今回の学校訪問は嬉しいものでもありました。
普段は家で聞くだけだった主人公の学校生活。
制服姿。
授業を受けている姿。
先生に指名される姿。
クラスメイトに囲まれて過ごしている様子。
それを実際に見ることができたことで、
「ちゃんと高校生なんだなって思った」
と麗華は話しています。
主人公が自分との交際のせいで学校生活を失っていないか。
友人との時間を犠牲にしていないか。
麗華は以前から、どこかでそのことを心配していました。
だからこそ今回、主人公が普通に学校生活を送っている姿を見られたことは、麗華にとって大きな安心にもなったのだと思います。
そして学校では何もできなかった分、家へ帰ってからは何度もキスを交わす二人。
外では抑えて。
家では隠さない。
その切り替えも、今では二人の同棲生活の一部になっています。
また、今回の学校撮影が後日テレビで放送される可能性も出てきました。
もし主人公が映っていたとしても、視聴者には分かりません。
その普通の男子高校生が、実は藤宮麗華の秘密の彼氏であることを。
しかも放送を見る頃には、その二人が同じ家のソファに並んで見ているかもしれない。
そう考えると、とても不思議で、この物語らしい場面になりそうです。
今回、麗華が言った、
「守りたいものだから」
という言葉。
秘密にしているのは、恥ずかしいからでも、相手を隠したいからでもありません。
二人にとって大切な関係だからこそ、今はまだ守る必要がある。
その気持ちが、今回の一話には強く表れていました。
学校では他人。
家では恋人。
同じ一日の中で何度も変わる二人の関係。
それでも本当の気持ちは、最初から何も変わっていません。
第1章「藤宮麗華編」。
二人の秘密の恋は、少しずつ“外の世界”と接する機会を増やしながら、それでも大切に守られ続けています。




