第6話 秘密の同棲生活――麗華が見せる、グラビアアイドルではない素顔
第6話「秘密の同棲生活――麗華が見せる、グラビアアイドルではない素顔」。
今回は、主人公と藤宮麗華が珍しく一日そろって休みとなり、どこか特別な場所へ出かけるのではなく、二人の家でゆっくり過ごす休日を描きました。
人気グラビアアイドルとして、雑誌や写真集、テレビ、イベントなどで忙しい毎日を送っている麗華。
一方の主人公も高校三年生として、学校生活や自分自身の進路があります。
だからこそ、二人が何の予定もなく、一日中同じ家で過ごせる日は意外と貴重です。
朝、同じベッドで目を覚ます。
一緒に朝食を作る。
映画を見る。
ゲームで勝負する。
近所のスーパーへ買い物に行く。
そして夜には、また同じ家で食卓を囲む。
どれも特別な出来事ではありません。
しかし麗華にとっては、そんな“普通”こそが何より大切な時間でもあります。
仕事では、いつも多くの人から見られる藤宮麗華。
けれど主人公の前では、寝起きの顔も、すっぴんも、映画の途中で眠ってしまう姿も隠す必要はありません。
今回はそんな、
「人気グラビアアイドル・藤宮麗華」
ではなく、
「主人公だけが知る、普通の二十歳の麗華」
に焦点を当てた一話です。
何も起こらない一日だからこそ見えてくる、二人の本当の同棲生活をお楽しみください。
日曜日、午前七時十二分。
目を覚ますと、隣から小さな寝息が聞こえていた。
俺は枕元のスマートフォンで時間を確認してから、ゆっくり横を向く。
そこには藤宮麗華がいる。
二十歳。
雑誌や写真集、テレビなどで活躍する人気グラビアアイドル。
街を歩けば気づかれることもある有名人。
そして――俺の彼女。
俺たちは交際しているだけではない。
すでに同じ家で暮らしている。
ただし、その事実は世間には一切公表していない。
俺と麗華の関係を知っているのは、麗華が所属する事務所の社長と担当マネージャー。そして俺たち双方の家族だけだ。
学校の友人にも秘密。
麗華のファンにも秘密。
当然、芸能関係者の大半も知らない。
だから俺の学校では、藤宮麗華といえば画面の向こう側にいる人気グラビアアイドル。
俺だけが知っている。
その藤宮麗華が――。
「……んん……」
布団を抱えたまま、ものすごく幸せそうに眠る人だということを。
「麗華」
「……」
返事なし。
「麗華、朝」
「……まだ」
「起きてるじゃん」
「起きてない……」
「返事しただろ」
「寝言……」
「便利な寝言だな」
俺が笑う。
今日は珍しく、二人とも一日休みだった。
俺は学校がない。
麗華も撮影やイベント、取材などの仕事が入っていない。
完全な休日。
しかも何か特別な予定を入れているわけでもない。
水族館へデートに行ったときとは違う。
今日は一日、この家でのんびり過ごす。
だから麗華も安心しきっているのだろう。
「あと十分……」
「十分?」
「うん……」
「分かった」
俺がもう一度横になる。
すると。
もぞもぞ。
麗華がこちらへ近づいてきた。
「何?」
「寒い」
「八月だぞ」
「エアコン」
「ああ」
麗華は俺の腕へ抱きつく。
「これでいい」
「俺は布団か」
「彼氏」
「知ってる」
「彼氏兼抱き枕」
「勝手に役職増やすな」
目を閉じたまま麗華が笑った。
こういう顔は、たぶんファンは知らない。
撮影のときの麗華は堂々としている。
サイン会でもそうだった。
以前、弟の俊介が一般のファンとして麗華のサイン会へ参加したときも、俊介は帰ってきてから驚いていた。
『麗華さん、ちゃんとグラビアアイドルだった』
当たり前だ。
でも、俊介がそう言いたくなる気持ちは分かる。
家族の前の麗華。
俺の前の麗華。
仕事中の藤宮麗華。
同じ人なのに、少しずつ違う。
「……ねえ」
「ん?」
「今、変なこと考えてた?」
「なんで?」
「じっと見てたから」
いつの間にか麗華が目を開けていた。
「仕事してるときと全然違うなって」
「今?」
「うん」
麗華が自分を見る。
寝間着。
少し乱れた髪。
完全な寝起き。
「見ないで」
「もう見た」
「忘れて」
「毎朝見てるだろ」
「それでも恥ずかしい」
麗華は布団で顔を隠す。
「写真集では平気なのに?」
「仕事とこれは違うの!」
「そういうもん?」
「そういうものです」
布団の中から声がする。
「彼氏に寝起き見られるほうが恥ずかしいの?」
「だって完全に油断してるもん」
「いいじゃん」
「よくない」
「俺しか見ないし」
麗華が少しだけ布団から顔を出す。
「……本当に?」
「誰に見せるんだよ」
「写真撮ったりしない?」
「しない」
「絶対?」
「絶対」
「じゃあいい」
ようやく顔を出した。
俺はその額を軽く指で触る。
「起きる?」
「その前に」
「何?」
麗華が俺を見る。
言わなくても分かった。
俺は少しだけ顔を近づける。
唇が触れる。
一度。
「おはよう」
麗華が笑う。
「おはよう」
もう一度。
短いキス。
そして麗華のほうから三度目。
「朝から多くない?」
「休日だから」
「休日関係ある?」
「時間あるでしょ?」
「そういう問題じゃない」
そう言いながら、俺も笑っていた。
何回も何回もキスを交わすことも、二人にとっては珍しいことではない。
外ではできない。
人目がある場所では、手をつなぐことさえ慎重になる。
でも、この家の中だけは違う。
ここでは俺たちは普通の恋人だった。
◇◇◇
午前八時。
「朝ご飯どうする?」
洗面所から戻った俺が聞く。
麗華は髪をまとめながら冷蔵庫を開けていた。
「卵ある」
「パンは?」
「ある」
「じゃあ簡単でいいか」
「私作る」
「大丈夫?」
「どういう意味?」
麗華が振り返る。
「いや」
「私だって料理くらいできます」
「知ってるけど」
「じゃあ任せて」
「はい」
麗華が冷蔵庫から卵を取り出す。
「目玉焼き?」
「スクランブルエッグ」
「了解」
「あとサラダ」
「俺やる」
「じゃあお願い」
二人で台所に立つ。
同棲を始めたばかりの頃は、こうして一緒に料理するだけでも特別に感じた。
今ではすっかり日常。
麗華が卵を割る。
俺が野菜を切る。
「トマトいる?」
「いる」
「麗華、昨日買ったやつ使うよ」
「うん」
「ドレッシングは?」
「いつもの」
会話まで完全に生活そのものだ。
テレビの中で見る麗華しか知らない人が、この光景を見たら驚くだろう。
「ねえ」
麗華がフライパンを混ぜながら言う。
「何?」
「今日、本当に何もしなくていいの?」
「予定?」
「うん」
「いいんじゃない?」
「せっかく二人とも休みなのに」
「だから休むんだろ」
「どこか行かなくても?」
俺は少し考える。
水族館での出来事を思い出した。
あの日。
久しぶりの外でのデート。
麗華は本当に楽しそうだった。
でも途中で、
『藤宮麗華に似てない?』
という声が聞こえた。
結局、安全を優先して予定より早く帰宅した。
「麗華は行きたい?」
「うーん……」
麗華も同じことを思い出したのだろう。
「今日は家でいい」
「じゃあ家」
「でも暇になったら?」
「そのとき考える」
「映画見る?」
「いいよ」
「ゲームは?」
「麗華できる?」
「失礼」
「この前負けてたじゃん」
「あれは操作方法知らなかっただけ」
「言い訳」
「今日は勝つ」
「じゃあ勝負な」
そんな話をしているうちに朝食が完成した。
◇◇◇
午前八時半。
「いただきます」
「いただきます」
向かい合って食べる。
麗華が作ったスクランブルエッグ。
俺が作ったサラダ。
トースト。
コーヒー。
普通の朝食。
「どう?」
麗華が聞く。
「美味しい」
「本当?」
「うん」
「良かった」
麗華も自分で食べる。
「……ちょっと塩多かったかも」
「そう?」
「少し」
「俺はちょうどいい」
「本当に?」
「麗華、今日確認多いな」
「だって久しぶりに作ったから」
「美味しいよ」
「ならいい」
嬉しそうに食べ始める。
そのとき麗華のスマートフォンが鳴った。
「仕事?」
「たぶん」
確認する。
「あ、マネージャーさん」
「何て?」
「明日の集合時間」
「休みの日でも連絡来るんだ」
「芸能人だからね」
麗華が返信する。
「明日は?」
「朝から撮影」
「早い?」
「七時半集合」
「じゃあ結構早いな」
「うん」
返信を終えた麗華がスマートフォンを置く。
「今日は仕事のこと考えない」
「いいの?」
「緊急じゃなければ」
「じゃあ休み」
「うん」
麗華は両手を伸ばす。
「今日は藤宮麗華、休業です」
「じゃあ誰?」
「ただの麗華」
「それでいい」
俺が答える。
麗華は少しだけ照れたように笑った。
「そう言うと思った」
◇◇◇
午前十時。
リビング。
映画を見ることになった。
「何見る?」
「恋愛映画」
「休日の朝から?」
「いいじゃん」
「もっと明るいやつにしない?」
「じゃあコメディ」
「それなら」
「恋愛コメディ」
「結局恋愛入れるんだ」
麗華が笑う。
二人でソファに座る。
映画が始まる。
最初は普通に見ていた。
ところが三十分後。
俺の肩に重みを感じる。
「麗華?」
「……見てる」
「寝てない?」
「見てる」
「今どんな場面?」
「……主人公が……」
「主人公が?」
「……頑張ってる」
「絶対見てないだろ」
麗華が笑った。
「眠くなってきた」
「朝二度寝したのに?」
「休日だから」
「便利な言葉だな、休日」
「いいでしょ」
麗華はそのまま俺の肩へ頭を預ける。
「このまま見る」
「寝るだろ」
「寝ない」
十分後。
「……すぅ……」
寝た。
俺は思わず笑う。
映画の画面。
俺の肩で眠る人気グラビアアイドル。
どちらを見るべきなのか分からない。
麗華の寝顔を見る。
仕事中は、常に多くの人から見られている。
撮影。
イベント。
取材。
テレビ。
SNS。
ファン。
スタッフ。
いつも誰かの視線の中にいる。
だから。
こうして誰にも見られない場所で眠れる時間くらい、好きにさせてあげたいと思った。
俺はテレビの音量を少し下げた。
◇◇◇
午前十一時過ぎ。
「……寝てた?」
「四十分くらい」
「嘘」
「本当」
麗華が起きる。
「映画は?」
「もうすぐ終わる」
「全然見てない」
「主人公が頑張ってたよ」
俺が言う。
麗華が数秒止まり。
「あ」
「自分で言ってた」
「意地悪」
「寝たほうが悪い」
麗華が俺の腕を軽く叩く。
「もう一回見る」
「最初から?」
「うん」
「俺二回見るの?」
「彼氏だから付き合って」
「理由になってない」
「お願いします」
麗華が両手を合わせる。
「仕方ないな」
「やった」
結局。
同じ映画を最初から再生することになった。
今度は麗華もちゃんと起きていた。
◇◇◇
正午。
昼食は簡単なパスタ。
食べ終えたあと、二人で片づけをする。
そのとき。
麗華のスマートフォンが鳴った。
今度は電話。
画面を見た麗華が言う。
「麗音」
「妹?」
「うん」
麗華が電話に出る。
「もしもし?」
少しして。
「え? 数学?」
俺は思わず麗華を見る。
麗華もこちらを見る。
嫌な予感。
「ちょっと待って」
麗華がスマートフォンを俺へ差し出す。
「先生」
「誰が先生だ」
「麗音が聞きたいって」
「今日休みなんだけど」
「家庭教師に休日はありません」
「あるだろ」
麗華が笑う。
俺は仕方なく電話を代わる。
「もしもし?」
『あ、先生』
「麗音まで先生言うな」
電話の向こうから笑い声。
『一個だけ分からない』
「どこ?」
『この前やった関数』
「問題見えないんだけど」
『写真送る』
すぐに画像が届く。
俺は確認する。
「ああ、これね」
『分かる?』
「分かる。前回とほとんど同じ」
『本当?』
「途中式書いた?」
沈黙。
「麗音?」
『……まだ』
「書いて」
『やっぱり?』
「前回何て言った?」
『途中式を書く』
「そう」
麗華が隣で笑いをこらえている。
俺は電話を続ける。
「まずそこまでやって、分からなかったらまた連絡して」
『分かった』
「答えは教えないからな」
『はーい』
「あと復習」
『やってます』
「本当に?」
『また疑ってる』
「次回確認する」
『厳しい』
「じゃあ頑張って」
『ありがとう』
電話が切れる。
麗華が俺を見ていた。
「何?」
「完全に家庭教師」
「誰のせいだよ」
「お母さん?」
「美晴さんだな」
「ふふっ」
「でも麗音ちゃん、前より勉強してる」
「そう?」
「うん。前は休日に自分から数学なんてやらなかった」
「受験近いからじゃない?」
「それもあるけど」
麗華は少し嬉しそうに言う。
「教えてもらうようになってから、ちょっと変わった」
「なら良かった」
「ありがとう」
「またそれ?」
「姉として何回でも言います」
麗華が笑う。
◇◇◇
午後一時。
「勝負!」
リビングのテレビ。
今度はゲーム。
麗華がコントローラーを握っている。
「絶対勝つ」
「前回も聞いた」
「今日は違う」
「何が?」
「昨日動画見た」
「練習したの?」
「ちょっとだけ」
「本気じゃん」
「負けたまま嫌だから」
ゲーム開始。
数分後。
「ちょっと!」
「何?」
「待って!」
「ゲームは待たない」
「そこずるい!」
「何もしてない」
「あー!」
麗華のキャラクターが落ちる。
「負けた……」
「また俺の勝ち」
「もう一回」
「何回やるの?」
「勝つまで」
「終わらないぞ」
「絶対勝つ!」
二回目。
俺の勝ち。
三回目。
俺の勝ち。
四回目。
「あっ!」
今度は俺が失敗した。
「やった!」
麗華が立ち上がる。
「勝った!」
「一回だけじゃん」
「勝ちは勝ち!」
「四戦一勝」
「最後に勝った人が勝者」
「そんなルールない」
「今作った」
麗華がものすごく嬉しそうに笑う。
仕事で賞を取ったわけでもない。
撮影が成功したわけでもない。
ただゲームで俺に一回勝っただけ。
それでも。
「やったー!」
と本気で喜んでいる。
俺はその姿を見ながら思う。
これもファンが知らない藤宮麗華なのだろう。
◇◇◇
午後三時。
二人で近所のスーパーへ行くことになった。
麗華は帽子をかぶる。
眼鏡。
マスク。
「完全装備」
俺が言う。
「仕方ないでしょ」
「スーパーくらい普通に行けたらいいのにな」
「慣れたよ」
麗華はそう言う。
でも。
少し寂しそうにも聞こえた。
「俺だけ行ってこようか?」
「嫌」
「即答」
「今日は一緒にいたい」
俺は少し笑う。
「じゃあ行こう」
「うん」
外では少し距離を取る。
家の中のようにはできない。
手もつながない。
普通に買い物をする。
野菜。
肉。
飲み物。
日用品。
「牛乳まだあった?」
「少し」
「買っとこう」
「卵は?」
「朝使ったから残り少ない」
「じゃあ買う」
完全に生活の買い物だ。
麗華が洗剤を手に取る。
「これだったよね?」
「そう」
「ティッシュは?」
「まだある」
「じゃあいいか」
誰も俺たちを気にしていない。
誰も麗華だと気づいていない。
それだけで少し安心する。
レジを済ませて店を出る。
「普通に買えた」
麗華が小さく言う。
「そりゃ買えるだろ」
「そうじゃなくて」
分かっている。
誰にも気づかれなかった。
その意味だ。
「良かったな」
「うん」
家までの道。
麗華が小さな声で言った。
「こういうの好き」
「スーパー?」
「違う」
「じゃあ何?」
「一緒に生活用品買うの」
俺は麗華を見る。
「普通すぎない?」
「それがいいの」
麗華は前を向いたまま続ける。
「仕事してると、普通のことが一番楽しかったりする」
「そういうもの?」
「うん」
「じゃあまた一緒に来よう」
麗華が俺を見る。
「いいの?」
「同棲してるんだから、また買い物必要になるだろ」
「そうだけど」
麗華が笑った。
「うん。また来よう」
◇◇◇
午後五時半。
夕食。
今日は二人で作った。
俺が肉を焼き。
麗華が味噌汁を作る。
「味見して」
「俺?」
「うん」
一口。
「美味しい」
「薄くない?」
「ちょうどいい」
「朝もそう言ってた」
「本当にちょうどいいから」
「じゃあ信じる」
「朝は信じてなかったの?」
「半分」
「ひどい」
二人で笑う。
食卓に料理を並べる。
「いただきます」
「いただきます」
麗華が味噌汁を飲む。
「うん」
「どう?」
「美味しい」
「自分で確認してるじゃん」
「最終確認」
「じゃあ俺の感想いらなかっただろ」
「彼氏の感想が大事なの」
「そういうもの?」
「そういうもの」
今日二回目だった。
◇◇◇
午後七時。
食後。
麗華はソファで雑誌を見ていた。
自分が載っている雑誌ではない。
普通のファッション誌。
「これ可愛い」
「何が?」
「服」
俺に見せる。
「いいんじゃない?」
「適当」
「俺に聞かれても分からない」
「彼女が着る服だよ?」
「麗華なら似合うんじゃない?」
麗華が止まる。
「……そういうこと普通に言うよね」
「何が?」
「似合うって」
「似合うと思うから」
「ずるい」
「何が?」
「何でもない」
また分からない。
麗華は雑誌で顔を少し隠した。
耳が赤い。
「照れてる?」
「照れてません」
「赤いけど」
「暑いだけ」
「エアコンついてる」
「もう!」
雑誌で軽く叩かれた。
◇◇◇
午後八時。
麗華のスマートフォンが鳴る。
「今度は誰?」
「麗音」
「また数学?」
麗華が確認する。
「あ」
「何?」
「できたって」
麗華が画面を俺へ見せる。
麗音から送られてきたノートの写真。
途中式がしっかり書かれている。
その下に。
『自分でできた』
俺は笑う。
「正解?」
「ちょっと待って」
確認する。
「正解」
麗華が返信する。
『先生が正解だって』
「先生って書くなよ」
「もう送った」
「麗音に絶対また言われる」
すぐ返信。
『やった!先生ありがとう』
「ほら」
麗華が笑う。
「いいじゃん、先生」
「俺も受験生なんだけど」
「二人とも頑張ってください」
「他人事だな」
「応援担当です」
「何だそれ」
麗華は楽しそうだった。
◇◇◇
午後九時半。
風呂を終えて、二人でリビングに戻る。
麗華はすっぴんだった。
髪も完全に下ろしている。
部屋着。
朝以上に、仕事の藤宮麗華から遠い姿。
「見ないで」
「また?」
「すっぴんだから」
「毎日見てる」
「それでも」
「普通に可愛いよ」
麗華が止まる。
「……もう一回言って」
「嫌」
「なんで!」
「聞こえただろ」
「もう一回」
「言わない」
麗華が俺の腕をつかむ。
「お願い」
「麗華」
「何?」
「可愛い」
麗華が固まる。
「……ありがとう」
「自分で言わせたのに照れるなよ」
「実際言われると違うの」
「面倒だな」
「彼女に面倒って言わない」
麗華は俺の肩へ頭を乗せる。
しばらく二人とも何も言わなかった。
テレビだけが流れている。
こういう時間も好きだった。
何か特別なことをするわけではない。
会話すらしない。
ただ同じ場所にいる。
それだけ。
「ねえ」
麗華が言う。
「ん?」
「今日楽しかった?」
「うん」
「どこにも行ってないのに?」
「スーパー行った」
「それだけじゃん」
「ゲームもした」
「私勝った」
「一勝だけ」
「最後に勝ったから私の勝ち」
「まだ言う?」
麗華が笑う。
「でも本当に?」
「何が?」
「楽しかった?」
「楽しかったよ」
俺は答える。
「麗華は?」
「すごく楽しかった」
「何もしてないぞ」
「それがいいの」
麗華が少し身体を起こす。
「仕事の日って、朝からずっと予定があるでしょ?」
「うん」
「何時に移動して、何時から撮影して、何時に取材してって」
「そうだな」
「だから今日みたいに、起きる時間も適当で、朝ご飯一緒に作って、映画見ながら寝ちゃって、ゲームして、スーパー行って……」
麗華は少し笑う。
「そういう一日が好き」
「普通の日」
「うん」
そして。
「あなたと普通の日を過ごせるのが好き」
俺は少し黙った。
麗華がこちらを見る。
「何か言って」
「急に言われても」
「じゃあ私だけ恥ずかしいじゃん」
俺は少し考える。
「俺も好きだよ」
「何が?」
「麗華とこうしてるの」
「……本当?」
「うん」
麗華が嬉しそうに笑う。
「じゃあ一緒」
「一緒」
◇◇◇
午後十時半。
寝室。
明日は月曜日。
俺は学校。
麗華は朝から撮影。
今日一日休んだ分、明日からまたそれぞれの日常に戻る。
麗華がベッドに入る。
「明日何時起きる?」
「麗華は?」
「六時」
「じゃあ俺もそのくらい」
「学校もっと遅くない?」
「一緒に朝飯食べるだろ」
麗華が俺を見る。
「いいの?」
「いいよ」
「じゃあ六時」
「アラーム頼む」
「うん」
スマートフォンを設定する。
麗華が横になる。
俺も隣へ。
部屋の明かりを消す。
「今日は本当に何もなかったね」
麗華が言う。
「何もないほうがいいだろ」
「そうかも」
「誰かに気づかれそうにもならなかった」
「スーパーも大丈夫だった」
「麗音から電話は来たけど」
「先生」
「やめろ」
暗い部屋の中で麗華が笑う。
少しして。
「ねえ」
「何?」
「こっち向いて」
俺は麗華のほうを向く。
暗くても、近くにいるのは分かる。
麗華が俺の手を握った。
「今日一日ありがとう」
「何もしてない」
「一緒にいてくれた」
「同棲してるんだからいるだろ」
「それでも」
麗華の声が少し柔らかくなる。
「外ではできないこと多いけど」
「うん」
「ここでは普通の彼女でいていい?」
俺は少し驚いた。
「今更?」
「確認」
「いいに決まってる」
「グラビアアイドルじゃなくて?」
「家でまで仕事する必要ないだろ」
「藤宮麗華じゃなくて?」
「麗華は麗華だろ」
「そうじゃなくて……」
言いたいことは分かる。
俺は麗華の手を握り返す。
「俺の前では好きにしてればいいよ」
「寝起きも?」
「毎日見てる」
「すっぴんも?」
「毎日見てる」
「映画見ながら寝ても?」
「今日見た」
「ゲームで負けて騒いでも?」
「それも今日見た」
「……全部見られてる」
「一緒に暮らしてるからな」
麗華が小さく笑う。
「じゃあこれからも見せる」
「どうぞ」
「嫌にならないでね」
「ならないよ」
俺はそう答えた。
少し沈黙。
そして。
麗華が近づく。
唇が重なった。
一度。
離れる。
でもすぐにもう一度。
二度。
三度。
今日の朝と同じように、何度もキスを交わす。
誰にも見られることはない。
ここは二人の家。
麗華が小さな声で言う。
「大好き」
「俺も」
「今日はちゃんと言った」
「今日は?」
「いつも照れるから」
「麗華もな」
「私は言ってる」
「そう?」
「言ってる」
「じゃあそういうことにしとく」
「何それ」
また笑う。
そして最後に、もう一度だけ唇を重ねた。
「おやすみ」
「おやすみ」
麗華が目を閉じる。
俺も目を閉じた。
今日一日。
本当に何も特別なことはなかった。
朝起きて。
一緒に朝食を作って。
映画を見て。
麗華が途中で寝て。
昼飯を食べて。
麗音から数学の質問が来て。
ゲームをして。
スーパーで生活用品を買って。
夕食を作って。
テレビを見て。
同じベッドで眠る。
それだけ。
でも。
たぶん俺たちにとっては、こういう日が一番大切なのかもしれない。
雑誌の表紙にいる藤宮麗華。
サイン会で何百人ものファンに笑顔を向ける藤宮麗華。
撮影現場でカメラの前に立つ藤宮麗華。
それも全部、本当の麗華だ。
だけど。
寝起きで布団から出たくないと言って。
映画の途中で眠って。
ゲームで一勝しただけで大喜びして。
スーパーで牛乳や卵を選んで。
すっぴんを見られて恥ずかしがって。
眠る前には俺の手を握る。
そんな麗華もまた――。
俺だけが知っている、本当の藤宮麗華だった。
第6話「秘密の同棲生活――麗華が見せる、グラビアアイドルではない素顔」を最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今回は大きな事件もなく、誰かに秘密が知られそうになるわけでもなく、主人公と麗華がただ一日を一緒に過ごす姿を中心に描きました。
朝はなかなか布団から出ようとしない麗華。
寝起きの姿を主人公に見られて恥ずかしがりながらも、結局は彼の腕に抱きついてもう少し眠ろうとする。
一緒に朝食を作れば、自分で作った料理の味を何度も確認する。
映画を見れば、途中で主人公の肩にもたれて眠ってしまう。
ゲームをすれば、一度勝っただけで本気で喜ぶ。
スーパーへ行けば、牛乳や卵、洗剤といった生活用品を二人で選ぶ。
どれも、テレビや雑誌の中にいる藤宮麗華からは想像しにくい姿かもしれません。
けれど、それもすべて彼女自身です。
今回特に大切だったのが、麗華の、
「今日は藤宮麗華、休業です」
という言葉。
仕事の日には、藤宮麗華として多くの人の前に立たなければならない。
撮影ではカメラに向かって笑い。
イベントではファンへ笑顔を見せ。
取材では一つひとつ丁寧に言葉を返す。
それは麗華が自分で選び、大切にしている仕事です。
しかし仕事が好きだからといって、ずっと“芸能人”でいられるわけではありません。
だからこそ、この家にいる時間だけは。
ただの麗華でいていい。
主人公は最初から、そのことを自然に受け入れています。
寝起きでも。
すっぴんでも。
ゲームに負けて悔しがっても。
映画の途中で眠ってしまっても。
主人公にとっては、どの麗華も変わらず大切な彼女です。
そして今回、麗華が口にした、
「あなたと普通の日を過ごせるのが好き」
という言葉。
水族館のような特別なデートも、もちろん大切な思い出です。
けれど二人が同棲しているからこそ、
“何もない日を一緒に過ごす”
という幸せもあります。
朝から夜まで同じ家にいて、特別な予定もなく、ただ話したり、笑ったり、食事をしたりする。
そんな時間こそ、二人にとって少しずつ“家族のような日常”になり始めているのかもしれません。
また今回は、麗音の家庭教師という前回までの閑話からのつながりも描かれました。
休日にも数学の質問が届き、主人公が電話越しにアドバイスする。
そして最後には、麗音が自分一人で問題を解いて、
「自分でできた」
と報告してくる。
主人公と麗音の家庭教師としての関係も、少しずつ続いています。
主人公は麗華の彼氏。
しかし最近では、それだけではなく。
美晴から麗音の勉強を任され。
麗音から受験の相談を受け。
藤宮家からも少しずつ頼られる存在になっています。
まだ本当の家族ではない。
けれど、その距離は確実に近くなっています。
そして一日の最後。
麗華が尋ねた、
「ここでは普通の彼女でいていい?」
という言葉。
主人公の答えは、最初から変わりません。
「いいに決まってる」
外では人気グラビアアイドルと普通の高校生。
交際も同棲も秘密。
けれど二人の家の中では、そんな肩書きは必要ありません。
何度もキスを交わし。
「大好き」
と伝え。
同じベッドで眠る。
この家は、藤宮麗華が一番自然な自分に戻れる場所。
そして主人公にとっても、誰にも隠さず麗華の彼氏でいられる大切な場所です。
派手な出来事のなかった第6話。
だからこそ今回は、二人が積み重ねている本当の日常をたっぷり描く一話となりました。
第1章「藤宮麗華編」。
秘密の恋人だった二人は今、少しずつ“同じ家で暮らす二人”としての時間を積み重ねています。




