パン屋事件
「ヴァル姉、体調悪いの……?」
心配そうにトアが見上げた。
ヴァルアはこめかみを指で押さえ、小さく息を吐く。
最近、討伐対象の出現の頻度が異常に増えていた。そのせいで連日夜に戦闘を繰り返している。今夜も調査の招集がかかっていた。討伐の数も増え、瘴気を浴びる機会が多い。頭の奥が鈍く重く、魔力がざらつくような不快感が数日続いていた。
「悪くないよ。いつも通りだ。」
笑って平静を装おう。
「こんにちわ。」
キィとドアが開き、シヴェリアが慣れた様子で部屋に入る。
両手には紙袋に入ったパンを抱えており、漂う香ばしい香りから焼き立てであることが伺える。ちょうど昼食を用意しようと台所に立っていたのでタイミングはバッチリだった。先程トアには悪くないと答えたが、昨日から体調が優れないのは本当だった。このままシヴェルが買ってきたパンで昼食を済ませてしまおう、などと考えた。
「あ、シヴェル姉!」
「美味しそうな匂いがするー!」
テーブルの片付けをしていたレムとトアはそう言って嬉しそうにシヴェルに駆け寄った。ヴァルの近くで料理の手伝いをしようとしていたライアもパァっと顔を明るくし、シヴェリアに近寄った。
シヴェリアに駆け寄る3人を見て、ヴァルは穏やかに笑った。
今までも寂しい想いをさせている気は一切ないが、やはり外の空気に触れることは良い刺激になる。家の中で流れる空気はヴァルにとってもとても心地の良いものになってきた。
「街で有名なパン屋さんなのよ。ふわふわで人気だから、皆んなに食べて貰いたくて並んで買ってきちゃった。」
シヴェリアはふわりと子供達に笑いかけた。
「ヴァルの分もあるから、冷めないうちに食べよう?」
キッチンの方を向き、ヴァルにも笑いかける。
それに対して、あぁ、と小さく返事をする。少し前までは考えれなかったたわいのない純血との会話。自分の頬が僅かながらも緩むことを感じながら思った。この感情も悪くない、と。
しかしその感情は、自分が抱いてはいけないものだと、自分の気の緩みを再確認させられた。
「今度、皆んなでパン屋さんに行ってみる?」
お土産のパンを食べ終え、食後のコーヒーを飲みながらしていた会話でシヴェリアが何気なく発した一言が発端だった。
外の世界にこの子達を出す。その言葉を聞いた瞬間に、自分の心の中が一瞬にして冷え切ったのを感じた。
「え、でも…」
「ダメだ。」
シヴェリアの誘いに困惑したようにレム返事をするのと同時に、ヴァルが答えた。ヴァルは立ち上がり、食器の片付けを初める。先程の穏やかな空気が一変し、ピリついた空気が流れる。それを察知した子供達3人はヴァルの様子を心配そうに見つめた。
「でも、パン屋に行くだけよ?もちろん私もついて行くし…」
「ダメだ。」
シヴェリアの言葉を遮るようにヴァルは先程と同様の言葉を続けた。
ヴァルから流れる明らかな拒絶の空気を感じ、シヴェリアは困惑する。出会った当初こそ同じような態度はあったが、最近ではそんな様子は全くなくヴァルと自分の間に流れる空気はとても穏やかなものだった。一体何がどうしてこうなったのか分からず、ただただ否定されるだけの応対にシヴェリアはムッとした。
「急にどうしたのよ?ヴァルだって外に行くじゃない。だったらこの子達を連れて行ってもだいじょう…」
「何度言ったら分かる。ダメだ。この話は終わりだ。」
再び言葉を遮られ、会話が強制終了させられる。
2人の間に流れるピリピリとした空気に、ライアは隣に座っていたトアの服をギュッと掴んだ。
「なによ。ただダメだ、だけじゃ分からないわ?私が責任持ってこの子達を送り返すわ。私も一緒にいるし、ほんの少し外を歩くだけでも駄目なの?買い物するだけよ?何でそんなに怒るの?」
理由も分からず同じ言葉で拒絶するヴァルに対して、シヴェリアは声を先程より少しだけ荒げた。その言葉に対して、より一層ヴァルが纏う空気が重くなった。殺気に似た重苦しい空気をシヴェリアに向け、怒りを含んだ鋭い目つきで睨みつけた。
「お前に、何がわかる。」
「え?」
「出て行け。」
ヴァルアの魔力が不安定に揺れた。ぼそりとヴァルアが発した言葉を聞き返そうとするとシヴェリアの周りの景色が一瞬で変化した。理由を聞くより先に空間からはじき出され、辺りは見慣れた街外れの森の中だった。何の許可なしに入れるようになっていたヴァルアたちの家はどこにも見当たらず、辺りには鳥たちの声だけが響く。
「何よ…。言ってくれなきゃ、分からないわ…。」
地面に座り込み、地面の土をジャリっと掴んだ。その土は悲しみを表すように、少しだけ凍った。
シヴェリアを弾き出した後、何もなかったように食器の片付けを始めたヴァルアにレム達は声を掛けられずにいた。いらいらしている事はよくある事だが、ここまでピリついた空気を纏ったヴァルアは初めてだった。トアはオロオロとヴァルアを見つめ、ライアはトアの服を握ったまま今にも泣きそうだ。
「あ、この前取ってきたリンゴ。食べる?」
ふわりと、空気が緩んだ。
3人の方を向き、ヴァルアはいつもと同じ口調でリンゴを見せた。
キョトンとする3人を見て、ヴァルアは困ったように笑った。
「ごめん、怖かったよな。」
「…!!そんなことない!」
戸惑いはあったが、今までも先ほどのやり取りを見てもヴァルアを怖いと思ったことなどない。弾かれたように答えるレムの言葉を聞くと、ヴァルアは3人に近づき目線を合わせるように膝をついた。
「ごめん。まだお前達を外には連れて行けないんだ。もう少し、大人になって色々なことが受け止められるようになったら必ず連れて行くから。」
そう言いながら泣きそうなトアとライアの頭の上に手を置いた。
ヴァルアの言葉や行動はいつも自分たちの為。子供ながら充分承知だった。ライアはギュッとヴァルアに抱きついた。
「僕たちちゃんと分かってるから。楽しみにしてるね。」
撫でられながらにっこりとトアは笑った。
ライアと同じようにヴァルの胸に抱きつく。
「レム。あんたもおいで。」
2人の弟が抱きつく姿を見ていたレムにヴァルアは手を伸ばす。
姉といえどトアと年齢はほとんど変わらない。弟たちに遠慮しているが、甘えたいお年頃だ。伸ばした手を遠慮がちに掴み、レムはふにゃりと笑った。この子には、この子達には笑顔が一番だ。
3人をギュッと抱きしめると、ヴァルアは立ち上がる。
「さて、片付けたら仕事に行くから留守番よろしくな。」
部屋の空気はいつもと同じ、穏やかなものに戻っていた。
「それじゃあ行ってくる。」
食器の片付けを終え、簡単に支度をするとヴァルアは3人の頭を順番に撫でた。仕事に行く前に必ず行う習慣だ。
「気を付けてね!」
「いってらっしゃい!」
「早く帰ってきてね。」
3人から言葉を受け取ると、ヴァルアはドアノブに手をかけた。
「明日の朝には帰れると思うから。行ってくる。」
ニカっと笑いそう告げるとドアを開け、外に出た。
そのに出た瞬間、ヴァルアの表情は険しく曇る。3人の前では笑顔でいたが、先程のシヴェリアとのやり取りが表情を曇らせていた。もやもやとした感情と、ぶつける先がない苛立ちが湧く。足早に結界から出て目的地に向かいながら、チッと舌打ちをついた。今までも数え切れないほどの悪口や態度を取られてきた。それでもここまで苛立つことはなかったのだ。何故こんなにも心が乱れるのが分からぬまま、ヴァルアは足を進めた。




