雷の里にて
雷の里、本邸。
重い扉が閉まる音と同時に、エルキアは内心でため息をついた。ヴァルアの家に通うようになってから、すぐに呼び出されるかと思っていたがその呼び出しはこなかった。忘れた頃に父親の側近から本邸への呼び出しを告げられ、げんなりとした気持ちでエルキアを呼び出した本人の元へ向かった。
(あー……ついにこの時がきた…。)
正面には母が座っている。
雷の里族長夫人——リゼル・ライボルト。
金髪をきっちり結い上げたその姿は、父である族長よりよほど威圧感があった。腕を組んだまま、彼女は静かに口を開く。
「エルキア。」
「はい。」
「最近、街で混血の少女と頻繁に行動しているそうですね。」
「……流石母上。耳が早いな。」
「里中の耳が早いのです。」
にこりとしているが目は笑っておらず怖い。
エルキアは観念して椅子へ座った。この表情の時は黙って話を聞くのが一番だと経験上理解している。
「まず確認します。私は混血だから駄目だと言っているわけではありません。」
「分かってる。」
「問題は、あなたが雷の里の次期族長候補だということです。」
リゼルは机を指先で軽く叩きながら、窓の外から一望できる里の景色を見た。戦闘に強い雷の里では日中常に誰かが鍛錬する音が聞こえる。
「行動一つで里の評価が変わります。軽率な交友関係は慎みなさい。」
「軽率じゃない。」
エルキアの即答に母の眉がわずかに上がる。
「ほう。」
エルキアは背筋を伸ばした。いつもの軽薄な調子ではない。
「ヴァルアは本当に凄いやつだ。」
部屋の空気が少し変わる。
「戦力、知力、判断力、全部だ。正直、俺たち同世代とは比較にならない。学園の奴らなんてあいつの足元にも及ばない。」
母は黙って聞いている。
「俺、あいつと何度も手合わせをしてもらってる。」
「結果は?」
「今のところ全敗。」
母が目を瞬かせた。エルキアがヴァルアと会っていることを把握してからもしばらく経つ。その期間全て全敗と。己の息子の学園での戦績は把握している。
エルキアは苦笑する。
「しかもあいつは遊びのつもりでな。」
エルキアは天井を仰ぐ。
「雷術式の癖も一瞬で見抜かれた。魔力配分、重心、視線誘導……全部指摘された。」
拳を握る。
正直最初はただの変わった混血だと思った。舐めていた自覚はあるし、自分の力に自信があった。だが何度も何度も打ち負かされた今、目の前に立つヴァルアに勝つ自分が想像つかない。
「母上、俺はあいつから沢山のことを学んでる最中だ。」
「学ぶ?」
「そうだ。」
真っ直ぐ母を見据える。
「ヴァルアから手解きを受けたことは、必ず雷の里へ還元する。」
静かな声だった。
「俺が強くなることは、里の力になる。」
長い沈黙が落ちる。
窓の外で雷鳴が小さく響いた。やがて母はゆっくり息を吐いた。
「……あなた、本気なのね。」
「本気だ。」
「遊び歩いているだけだと思っていました。」
「最初は遊び半分だった。」
エルキアは頭を掻く。今は遊びではなく自分をどれだけ磨けるかを毎日考えている自分がいることに笑みが溢れる。
「でも今は違う。」
母はしばらく息子を見つめ、やがて肩の力を抜いた。
「では条件があります。」
「条件?」
「里の名を背負う者として恥ずかしくない振る舞いをすること。」
指を一本立てる。
「無断外泊禁止。」
二本目。
「鍛錬報告を毎週提出。」
三本目。
「そのヴァルアという少女へ、雷の里の者として礼を失しないこと。」
エルキアは思わず笑った。
偏見など全くない様子の母親をみて、この人の息子でよかったと心から思う。
「最後だけ妙に優しいな。」
母はそっぽを向く。
「優しくありません。」
「へいへい。」
エルキアが立ち上がると、母が小さく付け加えた。
「ですが、いくらそのヴァルアという娘が強くても、全敗というのはお説教ですね。報告書にまとめる前に今、どのような状況かを説明しなさい。今です。」
エルキアの顔が引きつった。
「いまぁ!?」
雷の里の本邸に、久しぶりに明るい笑い声が響いた。
エルキアが説教を受けて数日後。
いつものようにエルキアが結界の家へやって来た。
だが様子がおかしい。扉を開けた瞬間から肩が落ち、目に見えてしょんぼりしている。それに最初に気がついたレムが首を傾げた。
「エルお兄ちゃん、元気ない。」
「うっ……。」
エルキアはその場に膝をつきそうな勢いで項垂れた。
「ヴァル……すまん……。」
庭で木剣を片付けていたヴァルアが振り向く。
「なんだよ、気持ち悪い。」
「気持ち悪い言うな!」
いつもの勢いがない。
先に来ていたシヴェリアも不思議そうにエルキアを見る。
「どうしたの?」
エルキアは両手で顔を覆った。
「母上に、お前との鍛錬の話をしたら……。」
ヴァルアがぴたりと動きを止める。
「したら?」
「鍛錬内容を定期的に報告書で提出しろって……。」
ヴァルアは沈黙する。エルキアは本気で落ち込んでいた。
「ほんとにすまん。親の前で強気に出たけど、後から考えたらお前のこと勝手に話したみたいになって……。」
視線を合わせられない。ヴァルアが自分のことをあまり話したがらないのは、さすがに察していた。だからこそ罪悪感が強い。もしこれで関係が終わってしまったら…と考えるとより気持ちが沈んでしまった。
「俺、余計なことしたよな。」
珍しく弱気な声だった。ヴァルアはしばらく黙ってエルキアを見つめる。やがて小さくため息をついた。
「……子どもたちのことを一切書かないこと。」
エルキアが顔を上げる。
「え?」
「レム、トア、ライア。名前も、住んでることも、何も書くな。」
静かな声が響く。
「それだけ守ってくれれば構わない。」
エルキアは目を見開いた。ヴァルアはもう木剣を片付け始めている。怒っている様子はない。だがその言葉だけで十分だった。鍛錬だけの報告書ではなく、里が次期族長候補の交友関係を見ているのだと、ヴァルアは一瞬で察していた。シヴェリアがそっと口を開く。
「ヴァル……。」
2人の視線を背で感じてヴァルアは肩をすくめる。
「別に今さらだろ。私のことなんか、どこでも好き勝手言われてる。」
さらりと言う。
けれどエルキアはその言葉に胸が痛んだ。
「違う。」
思わず強く否定する。
「俺は、お前を監視したいわけじゃない。」
ヴァルアがちらりと振り返る。エルキアは拳を握った。
「報告書には鍛錬内容しか書かない。約束する。」
真っ直ぐな目だった。ヴァルアは数秒見つめ返し、やがてふっと笑う。
「ならいい。」
その笑顔を見て、エルキアはようやく息を吐いた。
「……よかったぁ……。」
力が抜けてその場へ座り込む。レムがくすくす笑った。
「エルお兄ちゃん、怒られるの怖かったんだ。」
「怖かったわ!」
即答するエルキアの様子にトアも小さく頷く。
「おこられるの、いや。」
ライアは木剣を振り回しながら叫ぶ。
「ぼくは怒られない!」
「お前はまず課題をやれ!」
いつもの調子に戻ったエルキアを見て、シヴェリアはほっと息をついた。ヴァルアはそんな三人を眺めながら、誰にも聞こえないほど小さな声で呟く。
「……ありがとな。」
その声に気づいたのは、シヴェリアだけだった。




