エルキア・ライボルト
試験期間が終わってしばらくしたある日。昼休みの学園。中庭の木陰でシヴェリアはエルキアと軽食を広げていた。風が吹くたび、シヴェリアの青い髪がさらりと揺れる。
エルキアは椅子を後ろ足でぐらぐらさせながら、ふと思い出したように口を開いた。
「そういやお前、まだ例の混血と会ってるんだろ?」
シヴェリアが小さく頷く。
「ええ。」
「族長には何も言われねぇの?」
どこか心配そうな声だった。シヴェリアは少し考えてから答える。
「ヴァルのこと?お父様は特に何もおっしゃらないわね……多分お気付きだとは思うのだけど。」
スノーコルディア家は良くも悪くも放任主義だ。次期族長として公務にも同行しているが、父は細かな交友関係に口を出さない。エルキアは感心したように眉を上げる。
「へぇ、意外。」
「お父様、基本的に『自分で考えなさい』なの。」
「うちなら母上に三時間説教される。」
「想像できるわ。」
二人は同時に笑った。エルキアが身を乗り出す。
「で?そいつ、面白そう?」
シヴェリアは自然と微笑んだ。子どもたちのことは話さない。ヴァルアとの約束だ。
「面白いわよ。博識で、あと戦術の本とかも読んでいたから戦闘にも知識はありそう。」
「……へぇ。」
エルキアの目がすっと細くなる。シヴェリアは内心ため息をついた。
(あ、この顔。)
昔から変わらない。面白そうな相手を見つけた時の顔だ。次の瞬間、エルキアは案の定にやりと笑った。
「俺も会ってみてぇな。紹介してくれよ!」
「嫌よ。」
シヴェリアの即答にエルキアは天を仰ぐ。
「なんで!?」
「絶対ヴァルが嫌がるもの。」
「まだ会ってもいねぇのに!?」
「会わなくてもわかるわ。」
エルキアは頬を膨らませる。
「ケチ。」
「ケチで結構。」
シヴェリアは紅茶を一口飲んだ。だがエルキアは諦めない。
「一回だけ!遠くから見るだけ!」
「だめ。」
「挨拶だけ!」
「だめ。」
「名前だけ!」
「それはもう知ってるでしょう。」
「じゃあ顔!」
「知ってるでしょう。」
エルキアが机に突っ伏した。
「くそぉ……気になる……。」
シヴェリアは思わず吹き出す。
「そんなに?」
「だってお前がそこまで庇う相手、初めてだぞ。」
その言葉にシヴェリアは一瞬だけ黙った。確かにそうかもしれない。気づけばヴァルアのことになると、自然と守るような言葉を選んでいる。シヴェリアが少し照れくさそうに視線を逸らすと、エルキアはそれを見逃さなかった。
「おっ。」
「なによ。」
「シヴェル、顔赤くね?」
「赤くないわ!」
「赤い赤い。」
「エル!」
中庭に二人の笑い声が響く。
その頃ヴァルアは、結界の家でくしゃみをしていた。
「……なんか嫌な予感がする。」
数日後。
エルキアは雷の里への使いを終え、一人で中枢都市を歩いていた。確かこの辺りで例の混血に出会ったと聞いた。
「シヴェル、絶対紹介してくれねぇんだよなぁ。」
ぶつぶつ文句を言いながら市場へ入る。すると前方から、見覚えのないはずの銀色が歩いてきた。肩までの銀髪。毛先だけ赤く染まっている。金と赤のオッドアイ。幼馴染が頑なに教えてくれない少女の特徴。
「……あ。」
エルキアの足が止まる。向こうも視線だけ寄越し、すぐに前を向く。あまりにも無愛想な顔で、シヴェリアの話と一致しすぎておりエルキアはにやりと笑う。
「もしかして、ヴァルア?」
急に話しかけられてヴァルアの眉がぴくりと動く。
「誰。」
「エルキア・ライボルト。シヴェルの幼馴染。」
その瞬間、ヴァルアが露骨に嫌そうな顔をした。
「あいつ喋ったのか。」
「名前と銀髪とオッドアイくらいしか聞いてねぇよ。」
「十分だろ。」
ヴァルアは買い物袋を抱え直し、そのまま通り過ぎようとする。エルキアは慌てて横へ並んだ。
「待て待て!別に絡みに来たわけじゃねぇって!」
「もう絡んでる。」
「冷てぇなぁ。」
ヴァルアはため息をつく。
「シヴェルが困るから変なことすんなよ。」
「お前、まず最初にそれ心配するんだな。」
エルキアが感心したように言う。ヴァルアは答えない。代わりに果物屋へ向かい、品物を選び始めた。瞬間、近くの果物屋の店主がぎょっとした顔で振り返った。
「ラ、ライボルト家の……!」
慌てて頭を下げる。エルキアは「あー、はいはい」と手を振って適当に返した。ヴァルアはその様子をじっと見ていた。
(……こいつもか。)
シヴェリアと同じ。お偉いところのお坊ちゃん。なるほど、と思う。最近やたら自分の周りに高貴な子どもが集まってくる気がする。勘弁してほしいと眉間に皺を寄せているヴァルアを横にエルキアはその横顔を観察する。立ち方。視線の動かし方。人混みの中で背後まで自然に確認している。
(……戦う奴の動きだ。)
学園で鍛えた者なら分かる。しかもかなり実戦慣れしている。エルキアは面白そうに目を細めた。
「シヴェルが言ってた通り、博識なだけじゃなさそうだな。」
ヴァルアがちらりと睨む。
「何。」
「いや?ただ、思ってたより強そうだなって。」
「見ただけでわかるのかよ。」
「まあな。俺もそれなりに鍛えてる。」
エルキアは胸を張った。ヴァルアは鼻で笑う。
「へぇ。」
その“へぇ”が妙に癪だった。エルキアはむっとする。
「なんだその反応!」
「別に。」
店主が果物を包み始める。ヴァルアは代金を払い、袋を受け取った。エルキアは勢いのまま口にする。
「今度手合わせ——」
「断る。」
即答。
「最後まで言わせろ!」
「言わなくてもわかる。」
ヴァルアは踵を返してら歩き出す。
「じゃあな、雷のお坊ちゃん。」
「お坊ちゃん言うな!」
振り向きもせず手だけひらひら振る。銀髪が人混みへ消えていく。エルキアはぽかんとその背中を見送った。そして数秒後、吹き出す。
「なんだあいつ。」
呆れ半分、面白さ半分。シヴェリアが夢中になる理由が少しわかった気がした。エルキアは頭を掻きながら笑う。
「……確かに、変な奴だな。」
翌日の学園で、シヴェリアと昼食を取るために中庭にでたエルキア。
「でさ、『雷のお坊ちゃん』って呼ばれた。」
中庭でパンを頬張りながらエルキアがヴァルアとの出会いを得意げに話す。あまりのスピード感にシヴェリアはこめかみを押さえた。
「えぇ……早速……?」
容易に想像できる。
ヴァルアの『誰だお前』という顔が。
「嫌そうだったでしょ。」
「嫌そうというか、面倒くさそうというか……。」
エルキアはけらけら笑う。
「でも面白かったぜ。」
「ヴァルはあなたみたいに距離感がおかしい人が苦手なの。」
「シヴェルにだけは言われたくねぇ。」
数日後。
シヴェリアは大量の参考書を抱えて学園の門を出た。
ヴァルアの家で勉強することがもはや習慣となっている。すると門柱にもたれかかっている金髪が目に入る。
「……エル。」
「おう。偶然だな!」
「全然偶然じゃないわね。」
「途中まで一緒に帰るだけだって。」
シヴェリアはじとっと睨む。エルキアは口笛を吹いて誤魔化した。結局そのまま二人で歩くことになる。街を抜け、人気の少ない道へ入った頃、シヴェリアが立ち止まった。
「エル。」
「ん?」
「ここから先はだめ。」
「えー。」
「えー、じゃない。」
その時だった。空気がふわりと揺らぐ。
赤い魔法陣が足元に広がり、透明だった空間がほどけるように開いた。ヴァルアが現れる。
「シヴェル、今日は早——」
言葉が止まった。シヴェリアの後ろから、エルキアがにこっと手を挙げる。
「どうも、雷のお坊ちゃんです。」
沈黙と共にヴァルアは無表情のままエルキアを見る。それからシヴェリアを見る。最後にもう一度エルキアを見る。
「……増えてる。」
「偶然会ってさ!」
「絶対嘘だろ。」
ヴァルアが盛大にため息をつく。シヴェリアは慌てて頭を下げた。
「ご、ごめんなさい!私も連れてくるつもりじゃ——」
「シヴェルは悪くねぇって。」
先ほどとは打って変わって落ち着いた声のトーンでエルキアが割り込む。
「俺が勝手についてきた。」
ヴァルアは額を押さえた。
「雷って全員こうなのか……?」
「失礼だな。」
「うちのライアも似たようなこと言う。」
その瞬間、家の中からぱたぱたと足音が響いた。
「シヴェルお姉ちゃ——」
レムが飛び出してきて、エルキアを見て固まる。
同時にエルキアも固まる。ヴァルア以外が住んでいるという情報はなかった。
「……誰?」
「……誰?」
同時に困惑の声が重なり、ヴァルアは空を仰ぐ。
「はぁ……もう入れ。外で騒ぐな。」
エルキアがぱっと顔を輝かせる。
「やった!」
「やった、じゃねぇ。」
そう言いながらも結界を閉じるヴァルアの声は、どこか諦めたように柔らかかった。
「お邪魔しまーす!」
エルキアは結界をくぐった瞬間から目を輝かせていた。
「うわ、広っ!」「庭ある!」「結界ってこんな感じなんだな!」
完全に遠足気分のエルキアにヴァルアは呆れたように肩を落とす。ジヴェルはエルキアの行動をハラハラと見守る。
「お前ほんと騒がしいな。」
「だって初めてだぞ!シヴェルばっかりずるいだろ!」
「ずるくないわよ。」
シヴェリアが苦笑する。その時、家の奥からぱたぱたと足音が聞こえた。
「シヴェルお姉ちゃん…!」
トアがドアから顔を覗かせ、ライアは警戒したようにヴァルアの足元へ寄った。レムもヴァルアの後ろに隠れた。エルキアはしゃがみ込み、にかっと笑った。
「初めまして!俺、エルキア!」
ずいっと顔を寄せてきたエルキアの勢いが強すぎてレムが一歩下がる。
「エル、怖がらせてるわ。」
「え、マジ!?」
慌てて声を小さくするエルキア。その様子があまりにも子どもっぽくて、レムが思わずくすっと笑った。
「変なお兄ちゃん。」
「よく言われる!」
ニカっと笑うエルキア。その様子を見てトアがそっと前へ出る。
「シヴェルお姉ちゃんのお友達?」
「そう!多分!」
「多分ってなんだよ。」
ヴァルアが突っ込む。エルキアは自然にトアと目線を合わせた。
「大きいのからレム、トア、ライア。」
「よろしくな、トア。」
名前を呼ばれてトアが少し嬉しそうに頷く。
ライアだけは腕を組んだままじっとエルキアを見上げていた。
「おにいちゃん、うるさいな。」
「お、辛口だな。」
エルキアは全く気にした様子もなく笑う。ヴァルアはその光景を黙って見ていた。シヴェルと同じで偏見がないことは分かっていた。初対面の時から、混血だからという目では見ていなかった。それでも、実際に子どもたちへ向けられる無邪気で優しい態度を見ると、胸の奥の固いものが少しだけほどける。
(……まぁ、悪いやつじゃないか。)
そんなことを考えていると、エルキアの視線がふとライアへ止まった。金髪。金色の瞳。肌に流れる魔力の質。エルキアの表情が一瞬だけ真剣になる。
「……ん?なに、おにいちゃん。」
ライアもじっと見返した。エルキアはゆっくり目を瞬く。
「お前、雷だろ。」
ライアが胸を張る。
「そうだよ。」
エルキアは思わずヴァルアを振り返った。
「しかも……純血?」
空気が静かになる。シヴェリアが小さく息を呑む。ヴァルアは数秒黙っていたが、やがて静かに頷いた。
「そう。」
それ以上は語らない。だがエルキアには十分だった。雷の純血の子どもが、混血たちと一緒にこの家で暮らしている。ヴァルアが守っているのは“混血の子ども”だけではない。捨てられた子どもたち全員なのだ。エルキアはライアを見つめたまま、ぽつりと呟く。
「……そっか。」
ライアが首を傾げる。
「なにが?」
エルキアはいつもの笑顔に戻り、ライアの頭を軽く撫でた。
「なんでもねぇ。よろしくな、ライア。」
ライアは少し照れくさそうにしながらも、その手を振り払わなかった。ヴァルアはその様子を見て、ほんのわずかに肩の力を抜いた。エルキアはライアの頭から手を離すと、急に姿勢を正した。
「よし。」
胸に手を当て、大げさなくらい堂々と名乗る。
「改めまして!俺、エルキア・ライボルト!」
レムたちがきょとんとする。エルキアはにっと笑った。
「シヴェルと同じく次期族長候補!偉くなるぜ!あとヴァルアの友達候補だ!よろしくな!」
あまりにも軽かった。まるで『隣町から来ました』くらいの気軽さである。シヴェリアが吹き出す。
「エル、名乗り方が軽すぎるわ。」
「え、だって事実だし。」
レムが目をぱちぱちさせる。
「ぞくちょうこうほ?」
「将来えらい人ってこと!」
「へぇー!」
レムは素直に感心し、トアも「すごい……」と小さく呟いた。ライアだけは腕を組んだまま首を傾げる。
「でもおにいちゃん、全然えらそうじゃない。」
「お、いいこと言うな!親しみやすいってのは嬉しいぜ!」
エルキアが嬉しそうに笑う。ヴァルアは額を押さえた。
(なんで未来の族長が二人も私の家でくつろいでるんだ……。)
しかも本人たちは全く気にしていない。シヴェリアはお茶を飲みながら微笑み、エルキアは子どもたちと同じ目線で話している。ヴァルアだけが妙に落ち着かなかった。
「お前ら、身分って言葉知ってるか?」
「知ってる!」
はいはい!とレムが元気よく手を挙げる。
「ヴァル姉が気にしなくていいって言ってた!」
「おい。」
即座にヴァルアが突っ込む。エルキアは腹を抱えて笑った。
「ははは!いい教育してるじゃねぇか!」
「してねぇ。」
そう言いながらも、ヴァルアの口元はほんの少しだけ緩んでいた。エルキアはその表情を見逃さず、内心でにやりとする。
(なるほどな。シヴェルが通いたくなるわけだ。)




