知識量の謎
それからさらに二か月。
シヴェリアは何度も結界の家を訪れていた。レムたちと遊び、ヴァルアと他愛ない話をし、ときには夕食まで一緒に食べる。自然とヴァル、と愛称で呼ばせてもらえるようになった。けれど、ヴァルアについて知っていることは驚くほど少ないままだった。
名前。
好きな果物。
コーヒーが上手いこと。
そして、子どもたちをとても大切にしていること。
それくらいだ。ただ、ひとつだけ。会うたびに増えていく“違和感”があった。ある日、レムが絵本を読みながらぽつりと呟いた。
「ヴァル姉ね、この前“失われた第一層言語”の本読んでたの。すっごく難しそうな顔しててね。」
「……第一層言語?」
シヴェリアが思わず聞き返す。それは現代では解読不能とされ、学術機関でも封印指定に近い扱いを受けている言語体系だった。シヴェリアも名前は知っているが、自分自身を含め、学園でその言語を読めるものを知らない。
レムはこくりと頷いた。
「うん。僕たちにはまだ早いって言ってたけど、すごく難しそうだった」
ライアが横から口を挟む。僕たちも早く教わりたいなぁとも付け構えた。
「あとね、地図の本もいっぱい持ってる!どこにも売ってないやつなんだって!」
「……地図?」
シヴェリアは一瞬言葉を失った。
子どもたちは僕たちのお姉ちゃん、すごいでしょ!!とキラキラとした目で見つめていたが10歳にも満たない子どもたちから出てくる単語としてはかなり異質なものだった。
その夜。
食卓でヴァルアがコーヒーを淹れているとき、先ほどの姉自慢の続きをしたくなったのかトアが小さく言った。
「ヴァル姉、昔“戦争の話”もしてたんだよ。」
近くで聞いていたカップを持つヴァルアの手が一瞬だけ止まる。
「……余計なこと言うな」
それだけだった。だがシヴェリアは見逃さなかった。“昔”。その言葉の重さ。
さらに別の日。会えないと寂しい!と子どもたちに押し切られ、試験勉強をヴァルアの自宅ですることになりシヴェリアが持ってきた論文を広げていると、ヴァルアが何気なく覗き込んだ。
そして一瞬で指摘した。
「ここ、帝国法の旧版準拠だろ。今の解釈だと逆」
「旧版……?」
シヴェリアは目を見開く。それは学園でも上級研究者しか扱わない領域だった。ヴァルアは肩をすくめる。
「昔の資料読んだことあるだけ」
“昔”。
まただ。シヴェリアの胸の奥に、小さな棘のような疑問が刺さる。
(ヴァルは……どこでそれを?)
学園に通っていない。正式な教育機関にも属していない。それなのに、知識の“層”が明らかにおかしい。レムが無邪気に続ける。
「ヴァル姉ね、夜になるとすごい本読むの。僕たち寝ちゃってもずっとね。」
ライアも頷く。
「たまに怖い顔してるときあるよ!」
「怖い顔?」
「うん。戦時禁書区分の術式とか読んでるとき、眉間にぐーーーーってしわが寄るの!」
さらりと出た言葉に、シヴェリアの背筋がわずかに冷えた。戦時禁書区分。一般市民が触れることすら禁じられている軍事魔術体系。それを“子どもが当然のように知っている”ことも異常だった。部屋の空気が一瞬だけ静かになる。ヴァルアは何も言わず、窓の外を見たままコーヒーを一口飲む。シヴェリアはその横顔を見つめた。
(ヴァルアは……)
ただの混血ではない。
ただの街の少女でもない。
何かを“知りすぎている”。
それなのに、誰にも説明しない。
できないのか、しないのかすら分からない。
ヴァルアは視線を外さずに言った。
「……そんな顔すんな」
「え?」
「別に大したことじゃねぇよ」
その声はいつも通りだった。けれど、どこか遠かった。シヴェリアは小さく息を吐く。
「ねぇ、ヴァル」
「ん?」
「どうしてそんなことまで知ってるの?」
シヴェリアが思わず問いかける。ヴァルアは本から目を離さないまま答えた。
「知らないと死ぬから。」
あまりにもさらりと言われて、シヴェリアは言葉を失う。ヴァルアはページをめくる。
「狭——」
一瞬だけ口をつぐみ、言い直した。
「……仕事で必要だったんだよ。」
その声音は軽かった。けれどシヴェリアには、その軽さがかえって重く感じられた。
「あなた、本当に何者なのかしら」
ヴァルアは一瞬だけ黙り、それからいつものように本で顔を隠した。
「ただの変な混血だよ」
その言葉は、もう“説明”ではなく“拒絶”に近かった。
シヴェリアはそれ以上聞けなかった。




