【小話】ジルとヴァル ④
ジルベルトとヴァルアが出会って1年の月日が経った。
狭間の討伐は相変わらず続き、変わらぬ生活を続けていた。狭間討伐から戻った夜。野営地には焚き火の匂いと、煮込みの湯気が漂っていた。任務報告を終えた団員たちが思い思いに休んでいる中、ヴァルアだけは相変わらず地図を広げていた。
「……ここ、次に崩れる可能性があるな。」
ぶつぶつ言いながら炭で印をつけている。ジルベルトは少し離れた丸太に腰掛け、その横顔を眺めていた。
銀髪。
煤で汚れた頬。
男物を適当に引っ掛けたような上着。
革紐で雑にまとめただけの髪。
装飾品らしいものは何一つない。
そんなヴァルアを見てふと、思った。
(……そういえば。)
普段中枢で顔を合わせる同年代の娘たちは、髪飾りや宝石の話ばかりしている。香油の匂いがして、季節ごとに服を変え、鏡の前で何時間も過ごす。目の前の少女とは、あまりにも違いすぎた。
ジルはぽつりと漏らす。
「そういえば、お前って女の子だったんだよな……。」
ヴァルアの手がぴたりと止まった。
ゆっくり振り向く。
「え、なに。」
「いや、なんか急に思い出して。」
「…今更?」
じとっとした視線。
「気持ち悪いんだけど。」
「ひどくない?」
本気で嫌そうな顔をするヴァルアにジルベルトは苦笑する。
(自分にこんな態度取る女、本当にこいつくらいだな。)
中枢では、こんな態度を取られることなどまずない。
自分の立場を知っている相手なら、誰もがそれなりに気を遣い、媚びる。そんなジルベルトに興味を失ったヴァルアが再び地図へ視線を戻す。
「なぁ、お前いくつだっけ。」
「十五。」
何気なく聞いたことに対する返事にジルベルトが固まった。それを見てヴァルアが顔をしかめる。
「なんだよ。」
「十五!?」
思わず声が裏返る。
「思ったより幼ぇ……。」
ヴァルアが炭を投げつけた。
「失礼だな。」
「いやだって、もっと十七とか十八くらいかと。」
「勝手に老けさせるな。」
ジルはまじまじと彼女を見る。
十五。
中枢ならまだ学園で友達と騒いでいる年齢だ。甘い菓子を奪い合い、舞踏会の噂をして、将来を夢見る年頃。なのに目の前の少女は、地図へ崩落予測を書き込み、討伐経路を修正している。ジルベルトは頭を抱えた。
「十五でこれかよ……。」
ヴァルアが肩をすくめる。
「何が。」
「いや、色々。」
しばらく沈黙が落ちる。焚き火がぱちりと鳴った。
やがてジルベルトははヴァルアの服装を改めて眺めながらたずねた。
「服とか買わねぇの?」
ヴァルアは本気で意味が分からない顔をした。
「服?」
ヴァルアは自分の上着を見下ろした。
「着れてるじゃん。」
「着れてるけどさぁ……。」
ジルベルトはその反応に笑ってしまう。
「お前、年頃の女の子って自覚ある?」
「ない。それ、生きてくのに必要?」
ジルは言葉に詰まった。必要か不要かで言えば、確かに必須ではない。だが十五歳の娘が真顔で言う台詞ではない。
ヴァルアは地図を畳みながらぼそりと呟く。
「父さん、服とかそういうの興味なかったし。」
その一言で、ジルは黙った。父親代わりに育てられたことは聞いている。研究ばかりしていた変わり者だとも。きっと彼女にとって「可愛い服」より「生き延びる知識」の方が先だったのだ。ヴァルアはそんな沈黙に気づかず立ち上がる。
「腹減った。」
「話終わり?」
「終わり。」
「強制終了かよ。」
ヴァルアはそんなジルベルトを無視して焚き火の鍋を覗き込んだ。
「食う?」
「食う。」
差し出された木皿を受け取りながら、ジルは小さく息を吐く。
十五歳。
まだ子どもだ。それなのに、こいつはずっと大人の役をやってきた。その事実が妙に胸に引っかかった。ヴァルアはそんなことも知らず、熱いスープをふーふー冷ましながら言う。
「そういえばジル。」
「ん?」
「さっきの発言、あとで思い出しても気持ち悪いから忘れろ。ほらみろ、鳥肌。」
そう言いながら腕にできた鳥肌を見せつけるヴァルア。それ焚き火の向こうで見ていた団員たちが吹き出す。その笑い声の中、ジルベルトは苦笑しながら木皿を受け取った。
——この頃にはもう、ヴァルアはただの仕事仲間ではなくなり始めていた。
数日後。
中枢の執務で立ち寄った街で、ジルベルトはふと足を止めた。石畳の通りに面した小さな宝石店。ショーケースの端で、赤い光がちらりと揺れた。
「……ん?」
近づいて覗き込む。小ぶりの赤い魔石を銀細工で包み込んだピアスだった。派手ではない。だが炎のように揺れる深紅が妙に目を引く。じっとピアスを見て固まるジルベルトを見て店主が微笑む。
「お目が高い。最近入った一点ものですよ。」
ジルベルトはそれを聞くと値札を見もせず答えた。
「これくれ。」
店主が一瞬目を丸くした。
「……即決ですか?」
「似合いそうなやつがいる。」
そう言って、さっさと代金を払って店を出る。その時のジルベルトには下心など欠片もなかった。ただ——十五歳の女の子なら、こういう物を一つくらい持っていてもいいだろう。そう思っただけだった。
その夜。
野営地で地図を広げていたヴァルアの前へ、ジルベルトが小箱をぽんと置いた。
「ほい。」
ヴァルアが眉をひそめる。
「…なにこれ。」
「土産。」
箱を開けた瞬間、赤い魔石が焚き火の光を受けてきらりと輝いた。ヴァルアが固まる。
「…は?」
「気に入った?」
「いや待て。」
恐る恐るジルを見る。
「なに、なんか企んでんの……?」
「企んでねぇよ。」
贈り物をされた人としてはあまりにも予想外の反応にジルベルトは吹き出した。ヴァルアは再びピアスを見下ろした。
「…というか、これどうやって付けるんだよ。」
ジルベルトはその言葉に絶句した。
「…お前、ピアス知らねぇの?」
「いや、知ってるけどさ。付け方は知らない。」
年頃の少女が、ピアスの付け方を知らないとは。ここまで装飾品に興味がないとは思ってなかったのでジルベルトは固まった。
「…穴は?」
「穴?」
本気で通じていない。そんなジルベルトを気にする様子もなく、ヴァルアは珍しそうに魔石を眺めた。
「綺麗だなこれ。」
その反応があまりにも素直で、ジルベルトは思わず笑ってしまう。
「よし、付けてやる。」
「は?」
ジルは懐から安全ピンを取り出した。
ヴァルアの顔色が変わる。
「待て、それ何に使うつもりだ?」
「穴開ける。」
真顔で迫るジルベルトから逃げようとするヴァルアの肩をがっちり掴む。
「動くな。」
「嫌だ!!」
「一瞬だ。」
「絶対嘘だろ!!」
じたばた暴れるヴァルア。
あまりにも騒がしいためか周囲の団員たちが何事かと振り返る。
「おいジル、何してんだ。」
「耳に穴開ける。」
団長が額を押さえた。
「お前ら何やってるんだ……。」
その瞬間。ブスッと勢いよくヴァルアの耳に安全ピンの針を突き刺した。
「いっっってぇぇぇぇ!!!」
野営地に絶叫が響いた。鳥が一斉に飛び立つ。
ヴァルアが涙目で耳を押さえる。
「痛ぇな!!!何すんだこの野郎!!」
ジルベルトは涼しい顔でピアスを差し込んだ。
「はい完成。」
「完成じゃねぇ!!」
団員たちが腹を抱えて笑い出す。
「ヴァル泣いてるぞ!」
「十五歳が初ピアスで大騒ぎしてる!」
ゲラゲラと周りが笑う中、ヴァルアは真っ赤な顔でジルベルトを睨みつけた。
「ほんとふざけんなよ…!!!」
「似合ってるぞ。」
ジルベルトの言葉にぴたりとヴァルアが言葉に詰まる。
ジルベルトは焚き火の光に照らされた赤い魔石を見て満足そうに頷いた。それに対してヴァルアは「痛い、ほんとふざけんな」とぶつぶつ文句を言いながらも、結局そのピアスを外そうとはしなかった。団長はその様子を見て苦笑する。
「ジル、お前本当に変わったな。」
「そうか?」
「十五の娘に装飾品買って、穴まで開けてる。」
ジルベルトは肩をすくめた。
「年相応のことくらい、たまにはさせてやりたいだけだ。」
団長はちらりとヴァルアを見る。耳元で揺れる小さな赤い光。泣きそうな顔で頬を膨らませている姿は、初めて年相応の少女に見えた。
「……なるほどな。」
団長はそれ以上何も言わなかった。




