【小話】ジルとヴァル ③
土砂降りの中での任務が終わった後の宿舎は騒がしかった。泥だらけの外套が椅子へ投げられ、濡れた靴が入口へ並べられていく。
「湯、先入ったやつ出ろー!」
「飯まだか!」
「今日の狭間体、臭かったな……。」
男所帯らしい雑多な空気。
ヴァルアはいつものように部屋の隅へ腰を下ろし、濡れた上着の紐を解いていた。ジルベルトは地図を片付けながら何気なく視線を向け——固まった。
「おい。」
ヴァルアは返事もせず上着を脱ぎ捨てると、薄い肌着まで脱いで腹部を露わにする。
「おい!!」
「なんだよ。」
ヴァルアは平然と振り返り、乱暴に肌着を脱ぎ捨てた。ヴァルアは、また何か面倒なことを言っている、とでも言いたげな顔をした。ジルベルトは額に手を当てて叫ぶ。
「なんでここで着替えてんだ!」
周囲の団員たちは誰も気にしていない。
「あー、ジルまた始まった。」
「ほっとけ。」
「慣れてねぇんだよ。」
ヴァルアは本気で不思議そうな顔をして「なんで?」と告げる。ジルベルトが慌てて自分の外套を投げつける。
「隠せ!」
「うるさいなぁ。」
ジルベルトの剣幕に負けてヴァルアはしぶしぶ外套を肩へ引っ掛けた。その拍子に、布の隙間から肩と背中が見えた。ジルベルトの息が止まる。白い肌に、無数の古傷。細い線傷。焼けた痕。刃物で裂かれたような跡。
新しいものではない。
何年も前に刻まれた傷が、十五歳の少女の身体にあるとは思えないほどの残っていた。それを見たジルの表情が変わる。
「……それ、いつのだ。」
ヴァルアは首を傾げる。
「どれ?」
「全部だよ。」
「あー。」
まるで擦り傷の話でもするような口調だった。
「昔の任務。」
「昔って、お前今十五だろ。」
「七歳くらいから仕事してるし。」
さらりと言われ、ジルベルトは言葉を失う。
団員たちは黙々と自分の装備を片付けており、誰も驚かない。つまり、全員知っているのだ。この傷を見慣れている。ジルベルトだけが知らなかった。
「……七歳?」
「そう。父さんに連れてこられた。」
ヴァルアは濡れた包帯を外し、新しい布を巻こうとする。
その手をジルベルトが掴んだ。
「貸せ。」
「自分でできる。」
「知ってる。けど貸せ。」
ヴァルアは少しだけ眉をひそめる。
「今日のお前うるさいな。」
「今日だけじゃねぇ。」
ジルベルトは包帯を受け取り、肩へそっと巻き直す。近くで見ると、傷はもっと酷かった。古い裂傷の上へ新しい傷が重なっている。何度も治り、何度も開いた痕跡。ジルベルトの喉がひどく苦くなった。
「……痛くないのか。」
ヴァルアはきょとんとした。
「最初は痛かったけど、今は別に。」
当たり前のことを言うような声だった。ジルベルトは包帯を結ぶ手に力が入りそうになる。団長が横を通り過ぎながらぼそりと言った。
「だから言っただろ。」
「……。」
「最初は俺たちも、ジルみたいに声かけてたんだけどな。怪我してるから休め、無茶するな、服はみんなの前で脱ぐな、とかな。全く聞かなかったが。」
団長の声には同情も憐れみもない。ただ事実を告げる響きだけがあった。ヴァルアは包帯を巻き終えた肩を軽く回す。
「ありがと。」
小さな声。
そして何事もなかったかのように新しい服へ袖を通した。
ジルベルトだけがまだ動けない。目の前にいるのは、戦場で誰より頼りになる仲間だ。けれど同時に、七歳から傷を増やし続けてきた子どもでもある。
その事実が、胸の奥へ重く沈んでいった。
ヴァルアはそんなジルベルトを見て首を傾げる。
「怒ってんの?」
ジルは深く息を吐いた。
「……怒ってねぇよ。」
本当は違った。怒っている。
彼女をそんな目に遭わせてきた世界へ。そして、十五の少女が傷だけになる世界を知ることもなく平気で生きてきた自分自身へ。




