【小話】ジルとヴァル ①
ここからは小話です。
まだヴァルアがシヴェリアたちと出会う前の話。
ジルベルトが傭兵団へ入って間もない頃だった。
狭間討伐帰りの野営地。雨上がりの湿った土の匂いが漂う中、負傷した団員たちが簡易天幕へ運び込まれていく。
「次、右腕。止血帯もっと締めろ。」
「熱出てる。水。」
小柄な銀髪の少女が、次々と指示を飛ばしていた。
ジルベルトは少し離れた場所で腕を組み、その様子を眺めていた。
(……手際がいいな。)
まだ傭兵団に加わって数日。まだ団員との面識は薄い。立場上、そこまで深く関わるつもりもないので最低限の関わりで済ますつもりでいた。しかし、自分より年下のように見えるが手慣れた様子で治療や指示を飛ばす彼女に古参団員たちが自然に従っている様子を自然と目が追っていた。
「ヴァル、こっち終わった。」
「次の包帯。」
指示に迷いがない。バタバタと負傷者の治療にあたる団員達だがジルベルトの視線は別のものに気がついた。ヴァルと呼ばれた少女の脇腹。裂けた装束の隙間から、赤黒く染まった包帯が見えている。
「おい。」
ジルベルトが声をかける。
ヴァルアは顔も上げずに返事をした。
「なに?」
「お前、その傷。」
「あー、これ?かすっただけ。 」
初めて会話する少女は軽い口調で返した。その瞬間、包帯の端から血がぽたりと落ちる。ジルベルトは思わず眉をひそめた。
「全然かすってねぇだろ。」
「大丈夫だって。」
そう言いながら、別の団員の腕へ治癒魔法を流し続ける彼女の腕をジルは強引に掴んだ。そこで初めてヴァルアが顔を上げる。
「離せ。」
「お前の番だ。」
ヴァルアは本気で不思議そうになぜ?という顔をした。ジルベルトはその反応に絶句した。本気でそう思っている目だった。
「……お前、自分が血だらけなの気づいてるか?」
ヴァルアは視線を落とし、ようやく脇腹を見る。
「うわ。ほんとだ。」
片腕を上げ自分の傷口を見て緊張感なく反応するヴァルア。その反応にジルは頭を抱えたくなった。
「なんでそんな他人事なんだよ。」
ヴァルアは首を傾げる。
「みんな怪我してる時ってこんなもんじゃないの?」
ジルは言葉を失う。二人の会話をそばで眺めていた団長が苦笑しながら近づいてきた。
「諦めろ、ジル。」
「諦められるか。」
団長は肩をすくめる。
「こいつ、自分のこと後回しにする癖がある。」
「癖で済ませるな。」
ヴァルアはむっとした顔をした。
「だから平気だって。」
「平気な顔してるやつほど信用できねぇ。おら、座れ。」
ジルベルトは嫌がるヴァルアの腕を引いてそのまま空いた寝台へ座らせた。
「じっとしてろ。」
ジルベルトが包帯を外した瞬間、思わず息を呑む。深い裂傷だった。無理に動いたせいで傷口が開いている。
「これで“かすっただけ”?」
ヴァルアは目を逸らした。
「……まあ、ちょっと深かったかも。」
「ちょっとじゃねぇ。」
怒りのままに勢いよく消毒液をかけると、彼女の肩がびくりと跳ねる。
「痛ぇ!」
「痛覚あったんだな。」
「あるわ!」
涙目で睨み返してくる。その顔は年相応で、さっきまで指揮を飛ばしていた少女と同一人物には見えなかった。ジルベルトは包帯を巻きながら、ふと問いを口にする。
「なぁ。」
「ん?」
「なんでお前、自分にそんなに無頓着なんだ?」
ヴァルアはしばらく黙った。焚き火の音だけが聞こえる。やがて彼女は、本当に不思議そうに言った。
「そんなことないけど。」
その声には嘘も強がりもなかった。だからこそ、ジルベルトの胸がざわつく。怪我をしても平気で放置。心配されることを知らない。誰かに「休め」と言われた経験がほとんどない様子。そんな生き方をしてきた人間の返事だった。ジルベルトは包帯を結び終え、黙って立ち上がる。ヴァルアが首を傾げた。
「なんか怒ってる?」
「怒ってねぇ。」
「あんた、眉間に皺よってるぞ?」
ジルは小さく息を吐いた。
「……考えてる。」
「何を?」
彼は答えなかった。
——一体どんな環境が、この子をこんなふうにしてしまったんだ。その問いだけが、ずっと胸の奥に残っていた。
「とにかくだ、お前、ここに座ってろ。」
「やだ。」
「座れ。」
三度目でようやく立ち上がりかけていたヴァルアが渋々腰を下ろした。その光景を見ていた古参団員たちが、そっと顔を見合わせる。
「……座ったな。」
「座ったな。」
誰かが小さく笑った。
長年、どれだけ言っても聞かなかった少女が、初めて他人に押し切られた瞬間だった。
「なんだこいつ……。」
あまりにもグイグイ来るジルベルトに引きながら、ヴァルアの脳裏へ傭兵団へ来たばかりの頃の光景が蘇った。
『おい、混血。』
食事の皿が足元へ投げられた。
『中枢の変人が拾ったガキだろ。』
『その目、気味悪ぃな。』
ヴァルアは何も言わず皿を拾う。怒れば父さんに迷惑がかかる。泣けば心配をかける。だから黙っていた。夜、団長に「何かあったか」と聞かれても、
「別に。」
としか答えなかった。
その頃から既に、ヴァルアは痛みを隠すのが上手かった。
黙っていれば波風は立たない。それでずっと、うまくやってきた。父さんが死んだ後も。なのにこいつは騒ぐしうるさいし一体なんなのだ。無理やり治療を受けぶすっとしているヴァルア。その横でジルベルトは他の団員たちに尋ねる。
「いつもこんな感じなのか?」
古参団員が肩をすくめた。
「今はそんな奴は殆どないんだが、昔は血統のこともあって色々こいつには厳しい環境だったんだ。」
「こいつ、やられたら我慢して隠すんだよ。」
多分それもあって、こんな感じに育っちまった。
と言いながら古参団員は悲しそうにヴァルアを見た。
「最初はジルみたいに声かけてたんだけどな。」
「今は?」
「諦めた。」
「諦めるなよ。」
団員は苦笑する。
「だから代わりに、このバカの仕事を先に終わらせることにしてるんだ。」
「……は?」
「早く終われば、少しは座るからな。」
ジルは呆然とヴァルアを見る。
銀髪の少女は、また立ち上がり血のついた手のまま他の団員たちの治療を再開していた。油断も隙もない。その背中を見ながら、ジルは小さく息を吐く。
「なるほど。」
そして袖をまくった。
「じゃあ俺も手伝う。」
その時ジルはまだ気づいていなかった。
この面倒な銀髪の少女を、これから先ずっと放っておけなくなることに。




