炎の鉱山
崩落の轟音は、まだ耳の奥に残っていた。
カイゼルが目を開けると視界はぼやけていた。鼻を突くのは湿った土と鉄の匂い。頭の奥がずきずきと痛む。
———遡ること数時間前。
炎の里の山岳地帯に狭間の目撃情報が複数寄せられ、その調査にヴァルアとカイゼルは数名を引き連れて調査団として向かうことになった。光の里の仕事はルミナに任せ、行ってきますと出発した。山岳地帯へ向かう途中も小規模の狭間を討伐しながら、初めて指揮するとは思えないほど統率がとれた状態で調査団は進んだ。
「…ここ、なんか魔力の流れがおかしいな。」
「狭間か?」
「分からない。でも、全員少し間隔を空けろ。」
山道を進む途中、ヴァルアがふと周りを見渡した。ほぼ頂上に近いそこは周りの森と様子が異なることはなくカイゼル含む他の隊員たちは何も感じないと疑問に思った。その時だった。大きな地響きが鳴り、四方から瘴気と共に狭間が飛び出してきた。何匹かを討伐するとヴァルアはすぐに異変に気がつく。
「…!!!地面が揺れてる!!ここから離れろ!!下から何か…!!」
ヴァルアが言い切る前にガラガラっと大きな音を立てて、地面が崩れ落ちそこにいた全員が落下した。カイゼルはそこで意識を手放した。
「……っ。」
身じろぎすると、腹部に巻かれた包帯が目に入った。
(手当て……?)
腹部に鈍い痛みを感じながらカイゼルはゆっくり身体を起こした。視界に広がるのは薄暗い坑道。壁面には青白く光る鉱石が脈打つように輝き、天井からは水滴が落ちていた。少し離れた場所には、調査隊の騎士たちが横たわっている。誰もが包帯を巻かれ、応急処置を受けていた。
「目が覚めたか。」
低い声にカイゼルが振り向くとそこにいたのはヴァルアだった。白と赤の族長装束は土と血で汚れ、肩口は裂けている。額には汗が滲み、息も荒い。それでも彼女は平然と壁にもたれ、短剣で布を裂いていた。
「……お前がやったのか。」
「他に誰がいる。」
ヴァルアは布を丸め、近くの騎士の腕を固定する。
「骨折二名。打撲多数。重傷は今んとこお前だけ。」
「今んとこって何だ。」
「まだ全員診れてない。意識を取り戻した者から簡単な手当てを手伝わせていたが、まだ手が足りない。」
さらりと言って立ち上がる。その足がわずかにふらついた。それを見逃さなかったカイゼルは眉をひそめる。
「お前、自分も怪我してるだろ。」
「知ってる。」
「休め。」
「休んだら誰がこいつら診るんだよ。」
即答だった。ヴァルアは坑道の奥へ視線を向ける。
「崩落で出口が塞がった。しかもここ、魔鉱石の鉱脈があるっぽくてな。魔力が干渉して通信蝶が飛ばない。」
「……。」
「だから、まずは生存確認。次に脱出経路の確保。」
彼女は淡々と状況を整理していく。
「魔力は?」
「半分以下。」
「食料は?」
「三日分あるかないか。」
「水は?」
「この滴下水を浄化すれば何とかなる。」
まるで最初からこの環境で指揮を執っていたかのような口調だった。この短時間でここまで把握していることにカイゼルは唖然とする。自分は気絶していた。目覚めた時には、仲間は手当てされ、状況は把握され、次の行動方針まで決まっている。しかもそれをやったのは、同じように落下したはずのヴァルア一人。ヴァルアは短剣を鞘に戻し、彼へ視線を向けた。
「立てるか?」
「……ああ。」
「なら働け。」
怪我人に対しても容赦がない。
「お前、炎術師だろ。奥の崩落面を温めてくれ。冷えた岩盤が割れやすくなってる。」
そして的確な指示にカイゼルは思わず苦笑した。
「族長って、もっと偉そうに命令するもんだと思ってた。」
ヴァルアは怪訝そうに眉を寄せる。
「してるだろ、命令。」
「そういう意味じゃない。」
カイゼルはゆっくり立ち上がる。腹の痛みは残っているが、動けないほどではない。ヴァルアはそれを確認すると、次の騎士の脈を取った。
「熱はなし。よし。」
その横顔を見ながら、カイゼルは胸の奥で何かが変わるのを感じていた。襲名式で見た英雄。闘技場で民を守った族長。だが今目の前にいるのは、それとは違う。暗い坑道で血まみれになりながら、一人も見捨てずに動き続ける人間だった。
「……なあ、ヴァルア。」
「ん?」
「お前、怖くないのか。」
ヴァルアは一瞬だけ手を止めた。
青白い魔鉱石の光が、彼女の金と赤の瞳を照らす。
「怖がってる暇あるなら手を動かした方が生存率上がる。」
そう言って、彼女はまた包帯を巻き始めた。カイゼルは返す言葉を失った。坑道に響くのは、水滴の音と布を結ぶ小さな音だけだった。
怪我人の手当てが終わり、あたりは静寂で満ちた。
坑道の奥で、小さな焚き火が立てるパチパチとした音だけが響く。炎術師たちが順番に魔力を流し込み、最低限の明かりと熱を保っている。ヴァルアは崩落面を見つめたまま、静かに口を開いた。
「……悪かった。」
カイゼルが振り向く。
「何がだ。」
ヴァルアは焚き火の火を見つめたまま答えた。
「今回の編成。」
短く息を吐く。
「私、今まで傭兵団でしか大規模指揮したことなかったんだよ。」
「傭兵団?」
「ああ。風、水、氷、雷、光、炎……色んな属性が揃ってた。」
彼女は指先で地面に線を描く。
「だから穴があっても別属性で埋められた。炎が通らない地形なら氷で足場を作って、水で冷却して、風で視界を確保して……そういう前提で考える癖がついてた。」
カイゼルは黙って聞いている。
「でも今回は炎だけだった。」
ヴァルアの声が少し低くなった。
「炎術師は突破力は高い。でも冷却も浄化も索敵も防御も苦手だ。なのに私は、いつもの感覚で隊を動かした。」
崩落した天井を見上げる。
「もっと間隔を広く取るべきだった。退避経路も二重に作るべきだった。」
拳を握る。
「私の準備不足だ。」
そして、ゆっくりカイゼルへ向き直った。
「すまない。」
焚き火の音だけが響く。カイゼルはしばらく言葉を失った。族長が。自分の失策を認めて謝っている。彼は苦い顔で頭を掻いた。
「……普通、族長ってそういうこと言わないぞ。」
「じゃあ普通の族長じゃないんだろ、私。」
「開き直るな。」
思わず笑いが漏れた。ヴァルアも小さく肩をすくめる。
「でも、本当に反省してる。」
「……。」
「次からは炎だけで完結する前提で組む。地形確認も索敵も、もっと炎術師向けに落とし込む。」
その目は真剣だった。言い訳ではない。責任を背負った者の目だった。カイゼルは胸の奥が熱くなるのを感じた。襲名式で見た英雄。闘技場で民を守った族長。そして今、失敗を認めて次を考えている指揮官。どれも同じヴァルアなのだ。カイゼルはゆっくり立ち上がった。
「なら、次は俺が補う。」
ヴァルアが瞬きをする。
「炎術師の癖も、里の騎士たちの動きも、俺の方が知ってる。」
カイゼルは崩落面へ視線を向けた。ヴァルアの襲名が決まる前まで炎術師の部隊を率いていたのは自分だ。これからはヴァルアの知らない部分は自分が埋めようと決意する。
「お前が全体を見る。俺が炎部隊を繋ぐ。」
ヴァルアは数秒黙った後、ふっと笑った。
「……頼もしいじゃん、カイゼル隊長。」
「族長補佐だ。」
珍しく強気な返答に、ヴァルアは小さく吹き出した。
坑道の冷たい空気の中で、その笑い声だけが少しだけ温かかった。
崩落から半日後。
ようやく岩盤が貫かれ、外から光が差し込んだ。
「こちらです! 生存者確認!」
坑道の奥へ響いた声に、ヴァルアが小さく息を吐く。
「……助かった。」
先頭にいたのはルミナだった。
光属性の術師たちを率い、外側から崩落面を安定化させながら救助経路を確保していた。彼女の指示は的確だった。
「担架を優先! 重傷者から搬送してください!」
「浄化班、坑道内の瘴気濃度を確認!」
「水分を配って! 急に飲ませすぎないで!」
次々と団員が運び出される。
死者はゼロ。
重傷者はいるが、全員意識があった。
救護班の術師が驚いたように声を漏らす。
「処置が完璧です……。」
「止血も固定も、教本通り以上だ。」
視線が自然とヴァルアへ集まる。だが本人はまるで聞こえていない。
「次、その人。あと、熱あるやつは別に寝かせて。」
淡々と指示を飛ばし続けていた。カイゼルは担架から降ろされ、ようやく外へ出て眩しさに目を細める。長時間暗闇にいた目に陽光が突き刺さる。そして彼は息を呑んだ。ヴァルアの背中。白かった族長マントは半分以上が裂け、残った布地には血がべっとり染み込んでいる。肩から背へ走る深い裂傷。岩に擦られた痕。誰かを庇った傷だと一目で分かった。
(こんな状態で動いていたのか……。)
ルミナもそれに気づいた。
「ヴァルア。」
彼女は静かに近づく。
「背中を見せて。」
「大したことないからあとでいい。」
即答だった。
ルミナが一歩近づく。
「大したことあります。血が止まっていないわ。」
ヴァルアは別の団員を指差した。
「そっち先。」
「その方の処置は終わっています。」
「じゃあ次の人。」
「ヴァルア。」
少しだけ声が強くなる。
「座って。」
ルミナの勢いにヴァルアは眉をひそめた。
なぜここまで食い下がるのか、本当に理解していない顔だった。
「気にするなって。」
「気にします。」
周囲がしんと静まり返る。
ルミナはなおも穏やかな声を保っていた。
「お願いよ。今すぐ治療を受けて。」
ヴァルアは視線を逸らし、ため息をついた。
「ルミナ、今は人手が——」
「人手は足りています。あなたが倒れたら足りなくなります。」
それでもヴァルアは歩き出そうとした。
「あと三人診たら——」
「ヴァルア!」
初めてルミナが声を荒げた。ヴァルアが足を止める。
それでもなお、
「大丈夫だって。」
と笑おうとした、その瞬間。
バチンッ!!
乾いた音が山肌へ響いた。空気が凍る。
ヴァルアの顔が横へ弾かれ、頬に赤い痕が浮かぶ。
「あなたは……。」
声が掠れる。
「あなたは、もう一人ではないのよ!」
普段声を荒げることなど滅多にないルミナの瞳が、涙で滲んでいた。周囲の術師たちが息を呑む。ルミナは震える手でヴァルアの胸元を掴んだ。
「何度言えば分かるの!」
「気にするなと言われて、本当に気にしないと思った?あなたが戻らなかったら、どれだけの人が悲しむと思っている!」
涙がぽろりと零れ落ちる。
「シヴェリアも、エルキアも、カイゼルも、子どもたちも……私も!」
最後の言葉だけ、ほとんど囁きだった。
ヴァルアは目を丸くしたまま固まっている。
怒鳴り返さない。
言い訳もしない。
ただ、叩かれた頬へそっと触れそして視線を落とす。
「……ごめん。」
小さな声。本当に悪いと思った時の声だった。ルミナの涙が一気に溢れる。
「ばか……。こんなに酷い怪我なのに、本当に馬鹿なの…?」
彼女はそのままヴァルアへ抱きついた。血で汚れた装束など気にしない。ヴァルアは困ったように両手を浮かせる。
「ちょ、血つく。」
「黙って!」
抱きしめる力がさらに強くなる。その光景を見ながら、カイゼルは静かに目を閉じた。
叱ってくれる者がいる。
泣いてくれる者がいる。
支えようとする者がいる。
ヴァルアは、もう本当に一人ではないのだと、彼は初めて実感した。
数時間後。
「あなたは先に中枢に戻って反省してください。」
ルミナの剣幕に押され、補佐官に事後処理を任せて半ば無理やりルミナとカイゼルに引きずられるようにヴァルアは中枢医療棟へ搬送された。
治療を終え、ようやくベッドへ座らされた頃——
「ヴァル!!」
バタンッと大きな音を立てて扉が勢いよく開いた。氷色の髪を振り乱し、彼女は一直線にヴァルアへ駆け寄る。
「このバカ!!」
勢いのまま両肩を掴む。
「心配したでしょ!!!」
涙目で怒鳴るシヴェリアに、ヴァルアがびくっと肩を震わせた。
「え、いや、その……。」
「通信蝶で“ちょっと怪我したわ”なんて軽く言うから!」
「結果的にはちょっとだった。」
「全然ちょっとじゃないわよ!!」
ルミナが思わず「その通りです」と頷く。
ルミナの平手打ちが効いているのか、普段と比べてヴァルアは完全に縮こまっていた。その後ろからエルキアがのそのそと入ってくる。彼はヴァルアの背中を見た瞬間、顔を引きつらせた。
「うわ。」
素で出た声だった。
「お前、その怪我しても動く体力なんなの? 怖いわ俺。」
「失礼だな。」
「褒めてねぇ。」
エルキアは額を押さえてため息をつく。
「いやマジで、普通の人なら担架コースだぞ。なんなのお前、馬鹿なの?」
「…一応、歩けてるし。」
「その“一応”が怖ぇんだよ。」
カイゼルが小さく頷く。
「本当に馬鹿だと思う、全く同意見だ。」
ヴァルアがぎょっとして振り向く。
「お前まで!?何なんだよ!全員揃って馬鹿馬鹿と!!」
「背中、血まみれだった。」
カイゼルの言葉にヴァルアが視線を逸らした。シヴェリアはまだ怒っている。
「しかもまた自分を後回しにしてたんでしょ。」
「ほかの奴らも怪我してたから。」
「あなたも怪我してたの!」
「…そうでした。」
「“そうでした”じゃない!」
ばん、と再び肩を揺さぶられる。ヴァルアは助けを求めるようにエルキアを見る。だが彼は真顔で腕を組んだ。
「今回全員シヴェリア側だぞ。」
視線を向けられた二人が同時に頷く。完全包囲だった。
ヴァルアは観念したように肩を落とす。
「……はい。」
「はい、じゃなくて。」
シヴェリアがじろりと睨む。
「次からは、ちゃんと自分も含めて治療をすること。」
「善処します。」
「ヴァルア。」
「……努力します。」
ようやく合格点をもらえたらしく、シヴェリアがふっと息を吐いた。その瞬間、張り詰めていた空気が一気に緩むら。エルキアが苦笑しながら椅子へ腰掛けた。
「ったく、族長になった途端に寿命縮むわ。」
ルミナも涙を拭いながら小さく笑う。カイゼルは腕を組んだまま、しかしどこか安心したような顔をしていた。ヴァルアは周囲を見回し、ぼそりと呟く。
「……なんか増えたな。」
「何が?」
シヴェリアが首を傾げる。ヴァルアは困ったように笑った。
「怒るやつ。」
一瞬の沈黙。次の瞬間、救護室に笑い声が広がった。
その笑い声を聞きながら、ヴァルアは胸の奥が少しだけ温かいことに気づいていた。昔なら、怪我をしても叱る人間はいなかった。今は違う。うるさいくらい心配してくれる人たちがいる。その事実が、なぜだか少しだけ嬉しかった。




