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初仕事

本日は襲名後初めての正式登庁日だった。

庁舎へ向かう道をヴァルア、シヴェリア、エルキア、ルミナ、カイゼルが歩く。ヴァルア以外の四人は、以前から次期族長候補として先代に同行し、この庁舎へ何度も足を運んでいる。


「なんで私が……。」


族長だけに許された白と赤の装束の襟を引っ張る。


「重い。肩凝る。今すぐ脱ぎたい。」


隣を歩くルミナが困ったように微笑んだ。


「よくお似合いですよ、ヴァルア様。」


「その“様”やめろ。」


「え?」


ヴァルアが眉をひそめる。

襲名式の日、初めて顔を合わせたルミナはそれ以降ヴァルアに対してずっと敬語だった。本人の性格や口調なのだろうと思っていたが、シヴェリア達には砕けた話し方をしており、話せないわけじゃないと知った。


「敬語使われるの落ち着かない。普通に喋れ。」


予想外の言葉にルミナが目を瞬かせた。


「でも、あなたは族長で……。」


「だから何。私だって急に族長になったばっかだし。」


しばらく迷った後、ルミナはふっと笑う。


「……じゃあ、ヴァルア。」


「それでいい。」


カイゼルが小さく咳払いした。


「……ずいぶん気安いな。」


「お前も別にそんなに固く話さなくていいけど。」


「……善処する。」


即答され、ヴァルアは肩をすくめた。

中枢庁舎の大きな入口まで来ると、シヴェリアが足を止める。


「私は氷の里の引き継ぎ資料を確認してくるわ。」


エルキアも片手を上げた。


「俺も雷の里の担当に顔出してくる。終わったら様子見に来るからな。」


「来なくていい。」


二人は苦笑しながら去っていった。残されたヴァルアは盛大にため息をつく。


「逃げるか。」


「逃がしません。」


ルミナがきっぱり言う。カイゼルも腕を組んだ。


「諦めろ。」


光と炎、二つの里を統括する執務室。ヴァルアの就任後に急遽用意された一室だ。扉が開くと、机の上には山のような書類が積まれていた。補佐官や職員たちが一斉に頭を下げる。だが歓迎の空気ではない。


「……混血が本当に族長に。」


「どうせ実務は我々がやることになる。」


「なぜ私たちが混血の下で働かなければならないんだ。」


小声だが、ヴァルアの耳には全部聞こえていた。

同じく聞こえていたルミナとカイゼルは顔を顰めヴァルアの前に出ようとしたが、ヴァルアは気にすることなく二人を制止し、前に進む。予想通りの反応だなと思いながら彼女は机を見て顔をしかめる。


「うわ、多っ。」


補佐官長が前へ出る。


「本日の確認事項になります。」


さらに別の職員が追加の束を置く。ドサリと大きな音を立て、書類は今にも崩れそうだ。ヴァルアは席につき、片手で頬杖をつき大きなため息をついた。


「帰りたい……。」


(やっぱり無理だ。)


その一言に職員たちは内心で確信した。

ルミナが心配そうに声をかける。


「ヴァルア、まずは優先順位の説明を——」


「いや、終わらせる。」


ルミナの言葉を遮ると、んーーっと一度大きく腕を伸ばして短く息を吐く。その瞬間だった。ヴァルアの纏う空気が変わった。金と赤のオッドアイが書類へ落ちる。今まで文句しか言ってなかったのと打って変わって真剣な眼差しで文字を追った。


紙をめくる音。

視線が高速で文字を追う。


一枚。

二枚。

三枚。


恐ろしいほどの速さで書類の山が隣へうつる。


「この予算配分、冬季備蓄量と輸送距離の計算が抜けてる。修正。」


突然顔を上げたヴァルアが隣にいた補佐官に向かって書類を差し出した。


「え?」


「次。これ、結界更新周期が長すぎる。春先に魔力漏れ起こす。」


「は、はい!」


さらに書類を差し出され、慌ててそれを受け取る。


「この里印、位置逆。」


職員が確認し、青ざめた。


「本当だ……!」


ヴァルアは書類を読むだけではなかった。

数字と報告書を照らし合わせ、必要な情報だけを瞬時に拾っていく。戦場で状況を把握する時と、ほとんど同じやり方だった。ヴァルアは全く止まる様子もなく次から次へと指示を出す。


「この報告書、前提条件が間違ってる。書き直し。」


「こちらは?」


「魔力結晶消費率が去年比七%増。原因調査。」


「……っ!」


職員たちが慌てて走り回る。誰も「混血だから」とは言えなくなっていた。ヴァルアの処理スピードについて行くのが必死だった。分担しようと計画していたルミナとカイゼルも次から次へと処理されていく書類の山を見て唖然とした。しばらくして、ヴァルアが手を止めずに言う。


「そこの人、顔色悪い。十五分休憩。」


指名された職員が慌てた。


「い、いえ!まだ働けます!」


「集中切れた状態で確認したらミス増える。休め。」


有無を言わせない口調だった。別の補佐官にも。


「水飲んできな。」


「族長は……?」


「私は今集中してるから後で。」


ルミナが呆れ半分でため息をつく。


「ヴァルア、水くらい飲んだら?」


「じゃぁそこに置いといて。」


それは飲まない人のセリフよ。とさらに呆れ顔で呟くルミナを見ながらカイゼルは苦笑した。


「完全に戦闘中の顔だな……。」


ヴァルアは書類を見ながら同時に指示を飛ばす。


「修正終わったものから右へ。確認済みは青印。」


「急ぎじゃない案件は明日に回す。」


「誰か一人、全体進捗だけ一覧化。」


全く無駄がなく指示が的確すぎて、職員たちは驚くほど動きやすかった。一時間。二時間。と時間が過ぎるたび、机の上の山がみるみる低くなる。ヴァルアは置かれた水にも手をつけず淡々と処理を続けた。ルミナが小声で呟く。


「本当に速い……。」


カイゼルも呆然としている。


「学園の試験どころじゃない……。」


さらに一時間後。

最後の書類を閉じる音が響いた。ヴァルアは椅子にもたれ、肩を回す。


「終わった。」


全員が時計を見る。まだ夕刻前だった。

本来なら数日かかる量の書類を想定してきた半分以下の時間で処理してしまったのだ。補佐官長の声が震える。


「……終わった?」


「あぁ。」


ヴァルアは欠伸をした。


「じゃ、帰っていい?」


仕事が終わった余韻もなく、帰宅を希望する新族長に誰も返事ができない。その時、扉がそっと開いた。


「ヴァル、終わったか?」


エルキアが顔を覗かせ、その後ろからシヴェリアも入ってきた。二人は部屋の静けさに首を傾げる。


「……何があったの?」


机を見た瞬間、シヴェリアが固まった。


「全部……終わってる。」


エルキアが目を丸くする。


「あの量を?は!?早すぎだろ!」


さらにその後ろから、別件の執務で庁舎を訪れていたジルベルトが姿を見せた。職員たちが一斉に背筋を伸ばす。


「ジルベルト様。」


「お疲れ様です。」


空気が一段引き締まる。ジルベルトは軽く手を上げた。


「楽にしてくれ。」


だが職員たちはどこか畏まったままだ。

ジルベルトが中を覗き込み、机を見て吹き出した。


「うわ、本当に終わらせたのか。」


ヴァルアが睨む。


「なんだよ。」


「いや、職員たちが三日徹夜する顔してたから。」


「失礼だな。」


ジルベルトは肩を震わせて笑った。


「だから言っただろ。こいつ、やる時はやるって。」


職員たちは顔を見合わせた。やがて補佐官長が前へ出る。

深く頭を下げた。


「ヴァルア様。」


周囲の職員たちも続いて頭を下げる。


「失礼な考えを抱いておりました。混血だからできないと、決めつけておりました。申し訳ありません。」


静かな謝罪。ヴァルアはきょとんとした顔をした。


「……別にいいけど。」


族長に対する初めの発言は侮辱に等しいもので、罰の一つや二つ言い渡されることを覚悟していた職員たちはあまりにもあっさりとした返事に固まった。


「仕事ちゃんとしてくれればそれでいい。」


職員たちが顔を上げる。ヴァルアは続けた。


「あと今日はもう帰って休め。あんたら酷い顔だぞ。明日、頭回る状態で来てくれた方が助かる。」


自分が一番疲れていることなど、本人はまるで気にしていなかった。そんなヴァルアに対してルミナがため息をつく。


「ヴァルアの疲れは大丈夫なの?。」


「え?大丈夫だけど。」


ケロリと返事をするが、水も食事もとってない状態で疲れていないはずがない。カイゼルが苦笑した。


「戦場で一番危険なタイプの“大丈夫”だな。」


ヴァルアが机の上の書類を片付けながらぶつぶつ言う。


「うるさいな……。」


職員たちはこの短い時間でもう気づいていた。

この人は自分を削ってでも周囲を回そうとする人なのだと。ヴァルアは立ち上がり、書類よりずっと大事そうな顔で言った。


「レムたち迎えに行ってくる。」


族長装束の裾を乱暴に翻し、出口へ向かう。扉の前で振り返りもせず手を振った。


「残業すんなよー。」


ぽかん、と全員が見送る。扉が閉まった後。

執務室に残された者たちは、しばらく誰も言葉を発せなかった。最初に口を開いたのはエルキアだった。


「……なぁ。」


シヴェリアが苦笑混じりに頷く。


「ええ。」


ジルベルトが肩をすくめて笑う。


「だから言っただろ。」


 三人は顔を見合わせる。


そして、誰からともなく小さく笑った。

もう、この部屋にヴァルアを「問題児」と呼ぶ者はいなかった。

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