新族長・ヴァルア
中枢会議が終わった頃には、朝日が本部の回廊を金色に染めていた。ヴァルアは大きな柱にもたれ、心底疲れ切った顔で空を見上げている。まさか自分がこんな目に遭うとは全く思っていなかった。
「……帰りたい。」
戦ってた方が楽だわ…とぼそりと漏れた本音に、背後から明るい声が飛んだ。
「ヴァル!」
振り返ると、正装姿のシヴェリアが駆け寄ってくる。その後ろにはエルキアもいた。二人とも、つい数時間前に正式な族長となったばかりだ。シヴェリアは嬉しそうに笑う。
「これから一緒に頑張りましょうね!」
「頑張るって何を。」
ヴァルアが即座に真顔で返す。
「里の統合運営とか、狭間対策とか、学園との連携とか!」
「多い。」
エルキアが肩をすくめた。
「まぁ諦めろ。俺も朝から父上に『雷の予算案を見ろ』って言われた。」
「ほら、エルも頑張るんだから!」
「巻き込むな。」
二人のやり取りを聞きながら、ヴァルアはじわじわと顔をしかめていく。
「待て。」
指を一本立てた。
「私は“族長でもなんでもやってやる”って言っただけで、“仕事が好きです”とは一言も言ってない。」
シヴェリアがきょとんとする。
「え?」
「え?じゃねぇよ。」
ヴァルアは頭を抱えた。
「なんで急に会議とか予算とか里の統合とか出てくるんだよ。リンゴ剥いて子どもと昼寝してた生活はどこ行った。」
エルキアが吹き出して腹を抱えて笑った。
「昼寝基準で世界語るな。」
「大事だろ。」
そこへ、軽い足音が近づいてきた。
「よー、新族長ども。」
聞き慣れた声にヴァルアが顔を上げる。
「……ジル。」
黒衣ではなく、中枢の正式礼装に身を包んだ青年が片手を上げて歩いてきた。襲名式で本名と身分を明かしたばかりの——ジルベルト・ヴァン・レイグラン。彼は何事もなかったように三人の前で立ち止まり、にっと笑った。
「改めてよろしくな!」
シヴェリアが反射的に背筋を伸ばす。
「ジ、ジルベルト様……。」
エルキアもぎこちなく頭を下げた。
ジルベルトが露骨に嫌そうな顔をする。
「やめろって。普通にジルさんって呼んでただろ。」
二人が困って視線を泳がせる中、ヴァルアだけが眉間へ深い皺を刻んでいた。
「……お前さ。」
「ん?」
「急に偉い人面すんな。」
「してねぇよ。」
「いやしてる。めちゃくちゃしてる。」
ヴァルアは腕を組み、じとっと睨む。
「襲名式で『中枢狭間管理一族レイグラン家嫡男です』とか言われて、今さら“よろしくな!”じゃねぇんだよ。」
先に言えよ!と怒る様子のヴァルアを見てもジルベルトはけろりとしている。
「別に昨日と何も変わってないだろ。」
「こっちは変わったんだよ!」
エルキアが肩を震わせた。
「確かに、俺もまだ脳みそ追いついてない。」
シヴェリアも苦笑する。
「ヴァルの気持ちは少し分かるわ。」
ジルはわざとらしくため息をついた。
「失礼だなぁ。俺はずっと気さくなお兄さんだぞ。」
「どの口が言う。」
ヴァルアが即座に切り返す。いつもの軽口の応酬。いつもの穏やかな雰囲気が戻ってきた。
その時、ゆっくりと拍手が聞こえた。
「これはこれは。」
低く渋い声。
振り向くと、傭兵団団長が廊下の角から現れる。
黒い外套を肩へ引っかけ、どこか面白がるように口元を歪めていた。かつて中枢騎士団に所属し、現在は傭兵団を率いる退役騎士。ヴァルアが最も付き合いの長い大人の一人だ。団長はわざとらしく一礼する。
「これはこれは、光炎統合族長殿におかれましてはご機嫌麗しゅう。」
「やめろ。」
ヴァルアは眉間の皺をさらに深くして即答した。
それを見て団長はさらに口元を歪めて続けた。
「いやいや、もう敬称をつけねば失礼でしょう。」
「殴るぞ。」
「怖い怖い。族長様は気性が荒い。」
ジルベルトが肩を揺らして笑う。
「団長、煽るの早すぎ。」
「お前も十分煽ってただろ。」
エルキアが腹を抱えて笑い、シヴェリアも口元を押さえる。ヴァルアだけが本気で嫌そうだった。団長は肩をすくめる。
「しかしまぁ、立派になったもんだ。街角で石投げられてたガキが、今や二つの里の長だ。」
その言葉に、ヴァルアの表情が一瞬だけ止まる。
団長はすぐにいつもの調子へ戻った。
「で、初仕事は?」
「知らん。」
「総統から山ほど書類届いてるぞ。」
「昼には長老会、夕方には復興会議が予定されているわ。」
「死ぬ。」
シヴェリアとエルキアに次々と仕事の内容を告げられてげんなりするヴァルアを見てついにジルベルトが吹き出した。その時、廊下の向こうから小さな足音が響いた。
「ヴァル姉ー!」
レム、トア、ライアが走ってくる。ヴァルアの顔が一瞬で緩んだ。
「おう。」
ライアが勢いよく抱きつき、ヴァルアがそれを受け止める。
「もう終わった?」
「終わった終わった。」
「帰れる?」
「帰りたい。」
シヴェリアが苦笑する。
「まだ終わってないわよ。」
「聞かなかったことにする。」
トアが首を傾げた。
「ぞくちょうって、何するの?」
「さぁな。」
あまりにも適当に答えるヴァルアに対して子どもたちはえーー??と頬を膨らませた。その光景を見て団長が肩を震わせながら呟く。
「……前途多難だな。」
ジルベルトも頷いた。
「まぁ、頑張れ。俺は後ろで笑ってる。」
「最低だなお前。」
ヴァルアは子どもたちの頭を順番に撫でた。
「まぁ、家族が増えた分の生活費稼ぐと思えば……。」
ぼそりと漏れた言葉。
その横顔を見て、シヴェリアは静かに微笑む。
族長。
英雄。
功労者。
世界は彼女へいくつもの名前を与えた。
けれどヴァルア自身は、最後まで変わらない。
家族の世話を焼き、リンゴを剥き、昼寝を愛する、少し不器用な少女のままだった。
廊下の窓から朝日が差し込む。
新しい族長たち。
新しい家族。
新しい時代。
そして、ようやく正体を明かした“気さくなお兄さん”も加わって。ヴァルア・セントフレアの新しい生活が、静かに始まろうとしていた。




