英雄の療養
戦闘から三日後。
ヴァルアが結界の家をでて十日が経っていた。
狭間暴走は収束したが、ヴァルアの身体はまだ戦場に置き去りにされたままだった。二属性魔法の同時行使を、しかも長期に渡って連続使用した代償は大きい。魔力回路は焼け付き、内臓には深刻な負荷が残り、立ち上がるだけでも激痛が走る。
「安静にしてください。」
「もう十分寝た。」
「まだ三日目です。」
「三日も寝てたら腐る。」
目覚めてからずっと続いている同じ会話の繰り返し。中枢医療棟の一室で、ヴァルアは不機嫌そうに天井を睨んでいた。狭間討伐の功労者。大型個体撃破の中心人物。
その名目で中枢本部の上層区画へ移され、厳重な管理下で養生を強制されている。しかし本人にとっては、ただの監禁にしか思えなかった。
「家帰りたい……。」
ぼそりと呟く。
窓の外には中枢都市の白い塔が見える。
結界の家の森も、薬草畑も、子どもたちの声も届かない。
「帰ったらまた無茶するでしょう。」
医療術師が呆れた顔をする。
「しない。」
「大型個体へ単独突撃した方が何を仰いますか。」
ヴァルアはぷいっと顔を背けた。
事実、まだ瘴気によってできた傷も完全に塞がっておらず動くと包帯に血が滲む状態だった。その状態で動き回ろうとするヴァルアに対して医療術師は内心ヒヤヒヤする日々を送っていた。
ヴァルアが不貞腐れて目を瞑ったその時。
——コン、コン。
控えめなノックが響く。
「面会です。」
別の術師が扉を開けた。ヴァルアの面会に来れるのは現在中枢の偉い人に許可を受けた者だけだったため、ジルベルトか団長だけだった。またあいつらか…と振り向きもせず目を瞑り続けると穏やかな声が聞こえた。
「失礼します。」
入ってきたのはシヴェリアだった。その後ろからエルキアが顔を出す。
「よう、英雄様。」
声に反応してヴァルアが目を開き驚きで固まる。
「シヴェル!? エル!? なんでここに——」
言いかけて、視界の端に小さな影が映る。
「ヴァル姉!」
レムが飛び出した。
「ヴァル姉ぇ!」
トアが続き、ライアまで勢いよく駆け込んでくる。子どもたちが視界に入った瞬間、ヴァルアは反射的に上体を起こした。
「おま——っ!?」
勢いよく身を起こした途端、胸の奥へ激痛が走る。
「ぐっ……!」
息が詰まり、身体が前へ折れた。
「ヴァル!」
シヴェリアが駆け寄る。
ヴァルアは片手で胸を押さえたまま荒く息を吐いた。
「いっ……てぇ……。」
「起き上がらないでって言われてるんでしょ!」
「だってお前らが——」
痛みで涙が浮かぶ瞳に子どもたちが再度映ると言葉が途切れた。
目の前には涙目のレム。
唇を噛んだトア。
拳を強く握りしめて強がっているライア。
三人が本当にここにいる。ヴァルアは痛みを堪えながら目を瞬かせた。
「……なんで来た。」
「会いたかったから。」
レムが即答する。トアが強く頷く。
「ヴァル姉、帰ってこないから…」
ライアがそっぽを向いたまま呟く。
「十日も帰ってこないのがヴァル姉が悪い!だから僕たちで来たの!!!」
ヴァルアは思わず額を押さえた。
「数えてたのか……。」
「毎日。」
ふふんと胸を張るレムの返事に、ヴァルアは完全に言葉を失う。シヴェリアが苦笑した。
「ちゃんと面会の許可は取ったわ。」
エルキアが肩をすくめる。
「取ったのは俺たちだけどな。」
ヴァルアの視線が子どもたち三人へ戻る。
「こいつらはここまでどうやって来た。」
シヴェリアが声を潜めた。
「他の人に見つからないように、例の転送装置を使ったの。」
ヴァルアの眉がぴくりと動く。
「あれ使ったのか。」
レムが胸を張って親指を立てる。
「ちゃんと言われた通りに魔力を合わせたよ!」
トアも得意げに続ける。
「途中で崩れなかった!」
ライアが銀色の輪を掲げた。
「僕が持ってた!」
ヴァルアは深くため息をついた。
子どもたちが使うための緊急時用に作った装置だった。戦闘時にはシヴェリアが使用して本当に助かったと思っていたが、まさかこんな場面でも使用するとは。
「……お前ら、成長したな。」
三人の顔がぱっと明るくなる。レムがそっと寝台へ近づいた。顔を歪めてヴァルアの包帯だらけの体を見る。
「ヴァル姉、痛い?」
「痛い。」
「ごめんなさい…。」
「でも会えたから許す。」
その一言に、レムの目からぽろぽろ涙が零れ落ちた。それを皮切りにトアとライアの目からも大粒の涙が溢れた。
「約束、守った……。」
ヴァルアの表情が柔らかくなる。
「当たり前だろ。」
震える頭をそっと撫でる。その手はまだ少し熱かった。
シヴェリアとエルキアは少し離れた場所からその様子を見守っていた。エルキアが小声で呟く。
「……やっと生き返った顔したな。」
シヴェリアも静かに頷く。戦場で見た指揮官の顔ではない。家で本を読み、子どもたちに囲まれて笑う自分たちが見慣れた友の顔だった。その時、医療術師が咳払いをした。
「面会はほどほどにしてください。」
ヴァルアが即座に言い返す。
許可なしの子どもたちの来訪には目を瞑ってくれるようだ。
「無理。」
「患者に拒否権はありません。」
「今だけ。」
術師はため息をつき、観念したように肩を落とした。
「……十五分だけです。」
「やった!」
トアが飛び跳ねる。
ヴァルアは痛みに顔をしかめながらも、三人を抱き寄せた。子どもたちと共にふわりと自宅の香りがした。
中枢の白い部屋。
消毒薬の匂い。
硬い寝台。
何も好きになれない場所だった。
それでも今だけは、結界の家と同じ温かさが確かにそこにあった。十五分と言われた面会時間はあっという間に過ぎていった。
「ヴァル姉、ちゃんと食べてる?」
「食べてる。」
「嘘だ。顔色悪い。」
「病人だからな。」
他愛ないやり取りを二、三交わしただけだった。だが、子どもたちを抱きしめたままのヴァルアの身体から、ふっと力が抜けて背もたれへもたれかかった。
「……眠。」
ぼそりと呟いた声が、やけに幼く聞こえた。
レムが慌てて顔を上げる。
「ヴァル姉、寝ちゃう?」
「ちょっとだけ。」
言い終わるより早く、ヴァルアの瞼が落ちた。抱きしめられたままのレムも、安心したように小さく欠伸をする。トアはヴァルアの肩へ額を預け、ライアは腕を組んだまま隣へ寄りかかった。数分もしないうちに、三人とも静かな寝息を立て始める。シヴェリアは思わず微笑んだ。
「……寝ちゃった。」
エルキアが苦笑する。
「完全に電池切れだな。」
医療術師が困った顔で近づいてくる。
「本来ならお子さんたちは別室へ——」
シヴェリアが小声で制した。
「このままにしていただけませんか。」
術師は寝台を見下ろした。
ヴァルアは子どもたちを抱え込むように腕を回し、穏やかな表情で眠っている。戦場で見せていた鋭さは欠片もなかった。心なしか顔色も良い。術師はため息をつき、毛布をそっと掛け直した。
「……子どもたちが起きるまでですよ。」
そう告げると静かに部屋を出ていった。扉が閉まると、病室には寝息だけが残る。エルキアが椅子へ腰を下ろし、くつくつと笑う。
「そういえば、こいつがこんな無防備に寝てるの初めて見たな。」
シヴェリアも頷く。
「寝込んでいる時は見たことあるけど……。」
「もっと警戒心の塊みたいな顔してたよな。」
今のヴァルアは違う。
子どもを抱えたまま、まるで家のベッドで眠っているような顔をしている。シヴェリアの胸がじんわり温かくなった。その時。
——コン、コン。
控えめなノックが響いた。二人が同時に振り向く。扉が少しだけ開き、大柄な男が顔を覗かせた。
白髪混じりの髪。
日に焼けた肌。
鋭い眼光。
傭兵団団長だった。
彼は寝台の様子を一目見て、小さく口元を緩める。
「寝たか。」
エルキアがすぐに立ち上がった。
「団長殿。」
彼は深く頭を下げる。
「初めまして。エルキア・ライボルトです。先の戦いでは雷の里の者たちと連携していただき、感謝します。」
団長は軽く手を振った。
「堅いな。戦場じゃもっと乱暴な口きいてたろ。」
エルキアが気まずそうに笑う。
団長の視線がシヴェリアへ移る。
「そっちが氷の嬢ちゃんか。」
「シヴェリア・スノーコルディアです。」
シヴェリアが立ち上がり丁寧にお辞儀をすると団長は頷き、再び寝台を見る。
「お前たちが噂の“ヴァルアの友人”か。」
初対面のはずなのに、断定するような口調だった。シヴェリアが首を傾げる。ヴァルアは自分たちに仕事の話は殆どしなかった為、団長にまで認知されていることに驚いた。
「噂、ですか?」
「いつも名前が出てくる。」
団長は壁にもたれ、腕を組む。
「“シヴェルが”“エルが”ってな。」
エルキアが目を丸くした。
「そんなに喋ってたのか、あいつ。」
「本人は隠してるつもりらしいが、丸分かりだ。」
団長は小さく笑った。そして、ふっと表情を緩める。
「……しかし、こうしてガキみたいな顔で寝てる姿を見ると、昔を思い出すな。」
シヴェリアが静かに尋ねる。
「昔?」
団長はしばらくヴァルアを見つめていた。
「初めてあいつが傭兵団へ来た日のことだ。」
病室の空気が少しだけ変わる。団長の声は低く、どこか遠い。
「短剣を握ったまま、足を震わせてた姿が懐かしいな。」
シヴェリアとエルキアが息を呑む。
現在のヴァルアからは想像もできない姿だ。
「ヴァルが……?」
団長は静かに頷いた。
「ああ。七歳だった。」
七歳。その数字だけで胸が苦しくなり次の言葉が見つからなくなった。団長は窓の外へ視線を向けた。
「連れて来たのは育ての親だ。俺の旧友で中枢の研究者だった。」
シヴェリアがはっとする。ヴァルアが以前少しだけ話していたことを思い出した。
「変わり者だったよ。研究以外に興味がない男だった。」
団長は苦笑した。
シヴェリアは書斎にあった膨大な量の書籍を思い出した。
「だが、あいつを見る目だけは誰より優しかった。」
病室の寝息がやけに近く聞こえる。団長の声はさらに低くなった。
「俺に頼んだんだ。“混血だからといって助けすぎないでくれ”って。」
エルキアが眉をひそめる。
「助けないで、って……?」
「自分が死んだ後、一人でも立てるようにしたかったんだろう。余命が分かった状態だったからな。」
団長は肩をすくめた。
「可哀想だって、泣きながら言ってたよ。」
シヴェリアの胸が締め付けられる。あのヴァルアを、泣きながら送り出した人がいた。団長は続ける。
「初日の夜、任務から帰ったあいつはな。」
病室が静まり返る。
「親にしがみついて、“怖かった”って泣いた。」
シヴェリアの目が見開かれた。
「ヴァルが……。」
「嗚咽が止まらなくなるくらいな。」
団長はゆっくり目を閉じる。
「親も泣いてた。」
長い沈黙。寝台のヴァルアは何も知らず、子どもたちを抱いたまま眠っている。シヴェリアは唇を噛んだ。あの強さの奥に、そんな小さな女の子がいたのだ。エルキアがぽつりと呟く。
「……知らなかった。」
団長は静かに笑う。
「知ってる奴の方が少ない。俺くらいじゃないか?」
彼はヴァルアを見下ろした。
「でもな。怖いって泣ける奴は、最後まで人を守れる。」
穏やかな声だった。その言葉に、シヴェリアの瞳から涙が零れ落ちた。団長は気づかないふりをして窓の外を見たまま、小さく付け加えた。
「友達ができて、あいつも少しは楽になったんだろうな。」
団長は眠るヴァルアへ視線を向けた。
レムが腕へしがみつき、トアが肩へ寄りかかり、ライアが毛布を掴んでいる。その中心でヴァルアは穏やかに眠っていた。団長が小さく笑う。
「昔はこんな顔、滅多にしなかった。」
シヴェリアが振り返る。
「そうなんですか?」
「ああ。」
団長は腕を組んだまま答えた。
「寝てる時ですら警戒してた。」
エルキアが目を丸くする。先ほどのシヴェリアとの会話が頭をよぎる。傭兵団の中でもそうだったのか。
「…俺らの前でも最初はそうだった。」
「そうだろ?」
団長は少しだけ目を細めた。
「誰かに頼ることも知らなかった。」
「弱音も吐かない。」
「助けを求めることもしない。」
静かな声だった。
「全部、自分一人で抱え込む奴だった。」
ほんと、バカで頑固だろ?と笑う団長の言葉に短い沈黙が落ちる。そして団長は眠るヴァルアを見ながら続けた。
「……だがここ一年くらいでだいぶ変わった。」
レムの頭を撫でるヴァルア。
仲間に囲まれているヴァルア。
泣かれて、叱られて、笑っているヴァルア。
団長は小さく息を吐いた。
「表情が柔らかくなった。」
そしてシヴェリアとエルキアを見る。
「お前らのおかげだろうな。」
二人が目を瞬かせる。
団長は照れ隠しのように肩をすくめた。
「こいつと”普通に”接してくれてありがとな。」
それは長年ヴァルアと時間を共にしてきた年長者の心からの感謝の言葉だった。




