知り合いだったの!?
昼下がりの街。
市場通りには果物の甘い香りと商人たちの声が溢れていた。ヴァルアは紙袋を片手に歩いている。隣にはシヴェリア、その後ろにエルキア。最近買い出しに出かけると言うとどちらかが必ず付いてくるようになった。過保護すぎるとヴァルアがぼやいても二人は付き添いを譲ることはなかった。
「リンゴ買いすぎじゃない?」
シヴェリアが笑う。
「レムが焼きリンゴ食べたいって言ってた。」
「トアは?」
「煮たやつ。」
「ライアは?」
「そのまま齧る。」
ぽんぽんと弾む会話にエルキアが吹き出した。
それぞれ個性のある食べ方をする三人を想像する。
「三人ともバラバラだな。」
「そこが可愛いんだよ。」
ヴァルアはさらりと言う。子どもたちのことを語る時の表情はいつもより穏やかだ。そんな会話をしていた時だった。
「おーい、ヴァル!」
「……ジル。」
明るい声が飛んできた。通りの向こうから長身の青年が手を振りながら近づいてくる。黒に近い深緑の髪。深緑の瞳。左目の下の小さなほくろ。紺のコートを無造作に羽織った青年を見た瞬間、シヴェリアとエルキアが同時に固まった。
(え。)
(まさか。)
ジルと呼ばれた青年は当然のようにヴァルアの前まで来て買い物袋の中身を覗く。
「偶然だな! 買い物か?」
「見りゃ分かるだろ。」
「冷たっ!」
ワハハ!と笑うジルにヴァルアは紙袋を押しつけた。
「持て。」
「はいはい。」
ジルは慣れた手つきで荷物を受け取る。まるでいつも同じようなやりとりをしているような自然な手つき。それを見てシヴェリアとエルキアは完全に硬直していた。
——ジルベルト・ヴァン・レイグラン。中枢管理一族の嫡男で次期筆頭補佐官候補。族長候補ならもちろん、面識がなくても顔も名前も知っている。学園でも名前だけで空気が変わる人物。その男が、爽やかな笑顔で荷物持ちをしている。ジルは二人をちらりと見た。
(学生か。ヴァルが若い連中とつるんでるの珍しいな。)
ジルにとっては二人はその程度の認識だった。
だが次の瞬間、何かを思い出したように目を丸くする。
「あれ?」
シヴェリアの顔を見る。
「もしかして、この前フルーツ渡した時にいた子?」
シヴェリア驚いたように目を瞬かせた。ヴァルアが看病されていた時の話だ。ジルはぱっと笑顔になった。
「おお、本当に友達が実在したんだな! ワハハ!」
ばんっとヴァルアの背中を叩く。
その行動を見て二人はさらに硬直する。想像していたジルベルト・ヴァン・レイグランとあまりにも言動がかけ離れている。
「ぐっ……!」
叩かれたヴァルアが顔をしかめた。
「痛ぇよ、バカ。」
「だってお前、昔から同年代の友達いなかったじゃん。」
「余計なお世話だ。」
ヴァルアがゴンっと肘でどつくとジルは嬉しそうに笑い、シヴェリアとエルキアへ向き直る。
「これからもこいつをよろしくな。」
兄のような口調だった。シヴェリアとエルキアは返事もできない。ただ背筋を伸ばしたまま固まっている。ヴァルアだけがいつもの調子でため息をつく。
「なんで保護者面してんだよ。」
「世話焼いてる自覚あるから。」
「勝手に焼いてるだけだろ。」
「いやいや、放っといたらお前すぐ飯抜くし無茶するし。」
「うるせぇ。」
軽口の応酬。そのあまりに自然なやり取りを見て、二人はますます言葉を失った。ジルはそこでようやく異変に気づく。
(……ん?)
二人の視線。
硬直した姿勢。
妙に丁寧な立ち方。
そこで初めて思い至った。
(ああ、この子たち、俺の顔知ってるのか。)
ジルは苦笑し、周囲をさりげなく見回す。
そして二人にだけ見えるよう、そっと片目を閉じた。
——内緒。
シヴェリアとエルキアははっと息を呑み、小さく頷いた。身分を隠している。そう理解した瞬間、二人はさらに緊張した。ヴァルアだけが何も気づいていないあまりにも不敬な態度を続ける。
「で、何しに来たんだよ。」
「たまたま見かけたから声かけただけ。」
「暇人。」
「ひどっ!」
ジルは大げさに肩を落とした。そんな事を気にする事なくヴァルアはそのまま歩き出す。
「ほら、行くぞ。レムたち待ってる。」
「あ、待って待って!」
ジルが荷物を抱えて追いかける。
シヴェリアとエルキアはしばらくその背中を呆然と見送っていた。そしてエルキアが小声で呟く。
「……今の、夢じゃないよな。」
シヴェリアは小さく頷くだけだった。
ジルはヴァルアの家に着くと、抱えていた紙袋を台所のテーブルにどさりと置いた。
「はい、お届け物完了。」
「勝手に配達員になるな。」
「重かったんだぞ?」
そう言いながらも、ジルは慣れた様子で椅子に腰掛ける。
レムたちが「ジル兄だー!」と駆け寄ってくると、頭をわしゃわしゃと撫でた。
「お、みんな元気そうだな。」
「リンゴいっぱい!」
「今日は焼きリンゴだよ!」
「いいなぁ。俺の分ある?」
「ない。」
即答したヴァルアに、ジルが「冷たっ」と肩を落とす。そのやり取りにシヴェリアとエルキアは終始落ち着かない。目の前で中枢の御曹司が普通に子どもたちと遊んでいる。しかもヴァルアは完全に普段通りだ。しばらく他愛のない話をした後、ジルは立ち上がった。
「じゃ、俺は戻るわ。」
「もう帰るのか。」
「今日は用事のついでに寄っただけだからな。」
そう言ってヴァルアの頭を軽く小突く。
「無茶すんなよ。」
「お前もな。」
ジルはふっと笑い、シヴェリアとエルキアに軽く手を振った。
「またな。」
扉が閉まり、足音が遠ざかっていく。
静かになった部屋で、シヴェリアは小さく息を吐いた。
(……気を遣ってくださったのね。)
自分たちが緊張していることを察して、早めに席を外してくれたのだろう。そう思うと、ますます恐縮した。エルキアも同じことを考えていたらしく、ぽりぽりと頬を掻く。
「なあヴァルア。」
「ん?」
「その……さっきの人って、どんな繋がりなんだ?」
ヴァルアはコップに水を注ぎながら肩を竦めた。
「仕事仲間。数年前からの付き合いだよ。」
「仕事って、前に言ってた戦う仕事?」
「ああ。」
それ以上は語らない。
シヴェリアもエルキアも、その仕事について深く聞いたことはなかった。ヴァルアがあまり話したがらないし、無理に聞くことでもないと感じていたからだ。ヴァルアは椅子に腰掛け、少し考えるように視線を宙へ向ける。
「強いし、頭もいい。」
「うん……。」
「でも調子いいし世話焼きだし、うるさい変なやつ。」
レムが嬉しそうに頷く。
「ジル兄、お菓子くれる!」
「トアには絵本持ってきてくれるし。」
「ライアには木刀。」
ライアが誇らしげに胸を張った。ヴァルアは苦笑する。
「ほら、そういうとこ。」
そしてふと思い出したように続けた。
「あと、所作が妙にお淑やかなんだよ。食べ方とか立ち方とか。」
シヴェリアとエルキアがぴくりと反応する。
「多分、いいとこのお坊ちゃんなんじゃないかな。」
(お坊ちゃんどころじゃないよ……。)
二人は同時に内心でため息をついた。中枢管理一族の嫡男。次期筆頭補佐官候補。各族長ですら一目置く立場。それを目の前の少女は「多分いいとこのお坊ちゃん」と評している。エルキアが思わず顔を覆った。
「……ヴァルア、お前って本当に肩書き興味ないんだな。」
「だって本人が本人だし。」
平然と答えるヴァルアにシヴェリアは苦笑を漏らした。
確かに、さっきのジルは「中枢の御曹司」ではなく、ヴァルアを心配する年上の仕事仲間にしか見えなかった。
ふと、ジルが帰り際に向けた柔らかな笑顔を思い出す。
(あの方、本当にヴァルのことを大切に思っているのね。)
そう感じた瞬間、シヴェリアの胸の中に温かなものが広がった。ヴァルアには、自分たち以外にも彼女を気にかけてくれる人がいる。
その事実が、なぜだかとても嬉しかった。
⸻
帰り道。夕暮れの森を抜ける小道を、シヴェリアとエルキアは無言で並んで歩いていた。しばらく無言だった理由は明白だ。やがてエルキアが大きく息を吐く。
「……なあ。」
「うん。」
「今の人、通信蝶の相手なんだよな…?」
シヴェリアの足がぴたりと止まった。
数日前、光の蝶越しに聞いた落ち着いた声。
『ヴァルを頼む。』
その言葉が鮮明に蘇る。そして冷や汗がだらだらと流れる。
「や、やっぱりそうよね……?」
「……だよな……。」
エルキアは額を押さえた。
「俺、『場所知っといた方がいいと思って』って完全にタメ口だったんだけど。」
シヴェリアも両手で頬を覆う。
「わ、私なんて『ヴァルアの友人です』って…名乗りもしなかったわ……。」
二人は同時に深いため息をついた。
中枢管理一族の嫡男。
次期筆頭補佐官候補。
各族長ですら一目置く存在。
普通なら会話することも難しい雲の上の相手に、自分たちは肩書きも知らず普通に話しかけていたのだ。
「失礼だったかしら……。」
シヴェリアが小さく呟く。だがエルキアは苦笑した。
「いや、あの人全然気にしてなさそうだったぞ。」
ジルベルトがヴァルアの前で見せた気さくな笑顔。
『友達が実在したんだな!』と本気で喜んでいた声。
『これからもこいつをよろしくな』という兄のような口調。思い返すほど、偉そうなところが何一つなかった。それを思い出してシヴェリアもふっと肩の力を抜く。
「……そうね。」
少し笑う。
「でも、ヴァルが『多分いいとこのお坊ちゃん』って言った時は、本気で倒れそうになったわ。」
エルキアが吹き出した。
「俺も。」
二人の笑い声が夕暮れの森へ溶けていく。
しばらく歩いた後、シヴェリアがぽつりと呟いた。
「でも、少し安心した。」
「何が?」
「ヴァルには、私たち以外にも本気で心配してくれる人がいるんだって分かったから。」
エルキアは小さく頷いた。
「……だな。」
森を抜ける頃には、空はすっかり茜色に染まっていた。




