幕間-中枢にて-
ヴァルアが負傷後、呼吸が落ち着いたことを確認すると団長とジルは狭間の異変に関しての報告を上げるため、中枢本部へと向かっていた。
巨大な石造りの会議室に、重い沈黙が落ちている。長机を囲むのは、属性ではなく役目ごとに選ばれた中枢一族の当主たちだった。 狭間管理、財政、法務、学術——それぞれが総統直属の権限を持つ。
その中央近くに総統が座る。
団長は腕を組み、険しい顔で立っている。そしてその隣には、いつもの軽薄そうな青年ジルではなく、背筋を伸ばした黒衣の男がいた。
ジルベルト・ヴァン・レイグラン。
普段、傭兵団のジルとして過ごす男の狭間管理一族嫡男としての姿だった。彼は卓上へ記録水晶を置く。
「第七封鎖区画、小規模亀裂討伐任務の報告です。」
声色まで普段とは全く違う。
「通常個体とは異なり、瘴気に統率性が確認されました。」
水晶に先の先頭でアンジールに襲いかかった黒い霧の映像が浮かぶ。見たことのない動きをする狭間体に幹部たちがざわめいた。
「統率性だと?」
「あり得ん。」
ジルベルトは淡々と続ける。
「現場判断では“意思”に近い挙動が見られます。」
団長が低く補足する。
「長年狭間討伐に従事している団員であるアンジール・クレイルやヴァルア・セントフレアがいち早く異変に気がつき、証言をしています。」
「狭間に関する情報や異変の察知能力は、普段相手をしている彼らが随一であり、情報は的確かと。」
団長の補足にジルベルトが続けると、中枢幹部たちは各々嫌悪感を示した顔で呟く。
「あの例の混血如きの発言だぞ?」
「逸れものたちの集団だ。的確と言うのもどうだか。」
傭兵団に混血のヴァルアが所属していることは知れ渡っていること。ヴァルアや傭兵団全体に向けられる侮辱の言葉にジルベルトはギュッと拳を握りしめた。
今はベットで横たわっているであろうヴァルアの姿が脳裏をよぎる。だがジルベルトは表情を変えない。ここで反論したところで、凝り固まった幹部たちの考えは変わらない。
「今回の亀裂は、表層ではなく奥部に二重裂傷を確認。従来より高濃度の瘴気が流出していました。」
会議室の空気が重くなる。総統が静かに問う。
「封印は?」
「完了。ただし——」
ジルベルトが言葉を切る。
「完全閉鎖の保証はできません。」
沈黙のなか、やがて総統が頷いた。
「警戒レベルを一段階引き上げる。」
⸻
同日、夕刻。
長い報告会を終え、中枢を出る頃には日が傾き始めていた。ジルベルトは首元を緩め、大きく息を吐く。
「はぁ……肩凝る。」
団長が呆れたように笑う。
「“嫡男様”は大変だな。」
「そっちこそ“団長殿”って顔してたぞ。」
二人は並んで屯所へ向かった。
街外れの荒れた建物で一般人は近づこうともしない。
“穢れ役のはぐれ者の溜まり場”。
それが世間の認識だった。
だから周囲はいつも静かだ。
「ヴァルア、まだ寝てるかな。」
ジルがぼそりと呟く。
「あいつ絶対勝手に動くぞ。」
「動ける怪我じゃねぇ。」
そう言いながら部屋の扉を開けた。
きぃ、と古びた蝶番が鳴る。
そして。
「……は?」
ヴァルアが横たわっているはずのベッドは空だった。
包帯だけが乱雑に落ちている。
ジルの顔色が変わった。
「おい、団長。」
団長も部屋を見回し、眉間に皺を寄せる。
「窓か?」
「いや、正面から出てる。」
床には血の跡が点々と続いていた。
ジルが舌打ちする。
「クソッ、あの馬鹿起きやがった。」
胸の奥が嫌な音を立てる。ヴァルアが約束を破ってまで動く時は、決まって最悪の時だ。
「探すぞ!」
二人が飛び出したその瞬間——
遠くの街から、人々のざわめきと悲鳴が風に乗って届いた。
ジルと団長が街へ着いた頃には、騒ぎはほとんど収まっていた。割れた植木鉢の破片。地面に残る血痕。
ざわつく群衆。
だがヴァルアの姿はない。
「遅かったか……。」
団長が低く呟く。
ジルは血痕の前にしゃがみ込み、指先でそっと触れた。まだ乾いていない。
「これ、多分ヴァルアの血だ。」
近くにいた店主が怯えたように言う。
「銀髪で毛先が赤い、混血の女が子どもたちを庇って……。」
その言葉に、ジルの肩がわずかに跳ねた。
一瞬だけ表情が固まり、視線が鋭くなる。
「……混血、だと?」
低く落ちた声には、普段の軽さが一切なかった。
だがすぐに感情を押し殺し、ジルは顔を上げる。
「その後は?」
店主は怯えながら続けた。
「子どもたちと一緒に、森の方へ……。誰か二人が追いかけていったようで……」
「誰か二人……?」
ジルはその言葉を反芻するように呟いた。
(ヴァルと一緒にいた……?)
見知らぬ情報だ。
傭兵団の人間で、ヴァルアが私生活まで見せる相手を、ジルは知らない。少なくとも自分の記憶にはないし、そんな相手の話は聞いたことがない。誰かと行動していたのか、それとも偶然居合わせただけなのか判断がつかない。
ジルは立ち上がり、血痕の続く方向へ視線を走らせた。
森へ向かって細く伸びる赤い跡。だがそれは途中で不自然に途切れている。まるでそこで一度、世界から切り離されたかのように。
「……ここで消えてる。」
団長が周囲を見回す。
「転移か?」
「いや……転移ならもっと魔力痕が残る。痕跡が薄すぎる。無理に動いたか、誰かが運んだか……」
ジルは再度舌打ちした。血痕の先を追おうと一歩踏み出す。だがすぐに足を止めた。
(家を知らない。)
ヴァルアといつも会う場所は屯所だけだ。だがそこも今は空だ。追いかける手段がない。森の先も、街の外も、どこへ向かったのか分からない。
「クソ……」
小さく吐き捨て、拳がわずかに震えた。
団長が静かに言う。
「今は待つしかない。」
「……分かってる。」
分かっている。だが納得はできない。血痕の途切れた場所を見つめたまま、ジルは動けなかった。
(間に合ってるのか……?)
(それとも、また一人で抱え込んでるのか……)
風が街路を吹き抜ける。
その冷たさだけが、やけに現実的だった。
数日後。
中枢から戻ったジルは、屯所の窓辺で小さな通信蝶を指先に乗せて窓の外を見た。
「……生きてるよな、あの馬鹿。」
街で見た血痕が脳裏をよぎる。
結局、あの日は居場所を見つけられなかった。団長からは「落ち着け」と何度も言われたが、落ち着けるはずがない。ジルは小さく息を吐き蝶へ魔力を流し込む。淡い緑の光を蝶がふわりと舞い上がり、森の方角へ消えていった。
(頼むから、いつもみたいに「うるせぇ」って返してこい。)
そう祈りながら。
「よう、ヴァル。生きてるか?」




