蝶の声
シヴェリアはそれから毎日のようにヴァルアの家を訪れた。学園が終わるとヴァルアの家に向かい、薬を煎じ、包帯を替え、子どもたちと遊び、眠るヴァルアの様子を見守る。最初は気まずそうだったレムたちも、数日もすれば「シヴェル姉!」と笑顔で駆け寄ってくるようになっていた。街で起こった差別により、シヴェリアとエルキアに対する態度が変わってしまうのではと心配していたが変わらず笑顔を向けてくれたことに救われる気持ちになった。
「あの人たち、レムとトアのことだけじゃなくてライアのことも混血って言ってたね。違うのにね。見る目ないね。」
そう言ってレムは頬を膨らませた。
最初こそ恐怖で震えていたが、今は罵声を浴びせてきた人たちに対して怒りを露わにしており流石ヴァルアが育てただけあると感心した。
「シヴェル姉とエル兄ちゃんはあの人たちとは全然違うよ。それってとっても嬉しいことなんだね。僕、2人のこと大好きだよ。」
「ぼくは雷だけだけど、みんなのこと違うなんて思わないよ!僕も大好きだよ!!」
トアが笑いながらシヴェリアに抱きつき、ライアは腰に手を当てて誇らしそうにする。混血も純血も関係ない。子どもたちを分け隔てなく育てたヴァルアの教育は、子どもたにしっかりと根付いていた。
そんな日々が続き、ヴァルアがようやく上体を起こしていられるようになった頃。昼下がりの柔らかな光が部屋へ差し込んでいた。
「今日は顔色いいじゃない。」
シヴェリアが湯気の立つ薬草茶を差し出す。差し出されたカップを見てヴァルアは顔をしかめた。
「それ苦いんだよなぁ……。」
「文句言わない。」
「族長の娘って皆こうなの?」
「少なくとも私はこうよ。」
くすり、と二人が笑う。そんな他愛のない会話をしていた時だった。ふわりと淡い緑色の光を纏った蝶が窓辺から舞い込んできた。シヴェリアが目を丸くする。
「通信蝶?」
「げ。」
ヴァルアが顔を顰めて嫌そうな顔で指先を伸ばすと、蝶はその上へと止まった。次の瞬間。
「よう、ヴァル!生きてるか!?」
部屋いっぱいに元気な男の声が響く。シヴェリアがびくっと肩を震わせた。
「気がついたらいなくなってるし、お前あの怪我で動くなよ!心配したんだぞ!」
ヴァルアは苦笑した。
「生きてるよ。」
シヴェリアは席を外そうとそっと立ち上がる。すると椅子の脚が床を擦る小さな音がした。
「ん?あれ?」
その音に気が付いたのか、蝶の向こうの声が止まる。
「誰か来てるのか?」
ヴァルアがちらりとシヴェリアを見る。
「あぁ。」
「お前、見舞いに来てくれる奴なんていたんだな!」
朗らかな笑い声。
「ちょっと安心したわ!」
ヴァルアは照れた様子もなく、当たり前のように答える。
「……友達。」
シヴェリアは思わずヴァルアの方を向いた。
その一言が胸へ真っ直ぐ落ちてきた。
友達。
ヴァルアがそう呼んでくれた。シヴェリアはそっと唇を噛む。じわりと視界が滲む。
「おー、友達か!よかったよかった!」
通信先の男は心底安心したような声色だった。
「団長も心配してたぞ!アンジール、無事だから安心しろ!」
シヴェリアが首を傾げる。聞いたことのない名前。ヴァルアは小さく息を吐いた。
「そっか。」
「お前、しばらく休めって団長が言ってたからな!」
「私がいなくて大丈夫なの?」
「なんとかするさ!呼ぶまで来るな、だとさ!」
豪快な笑い声。
「あとフルーツ送っとく!ちゃんと食えよ!」
「いら——」
ヴァルアが言い終わる前に、
「じゃあな!ワハハハ!」
ぶつっと蝶の光が消えた。同時に部屋の中央へ魔法陣が浮かび上がる。
「え?」
シヴェリアが目を瞬いた次の瞬間。どさっ!!と大きな音を立てて巨大な籠がヴァルアの膝へ落ちてきた。
「いっっったぁ!?」
ヴァルアが膝を押さえて呻く。籠の中には色鮮やかな果物がぎっしり詰まっていた。お見舞い仕様なのか、ラッピングもキッチリされている。呻くヴァルアをみてシヴェリアが思わず吹き出す。
「ふふっ……!」
「乱暴すぎるだろ……。」
ヴァルアは膝の上の籠を睨んだ。
「しかもなんか高そうなフルーツばっかりだし。」
宝石のように艶めく果実が山ほど入っている。シヴェリアはそっと一つ手に取った。
「これ、中枢でも滅多に見ない種類よ……。」
ヴァルアが眉をひそめる。
「どっから見つけてくるんだよあいつ…。」
シヴェリアは苦笑しながらも、心のどこかで驚いていた。
ヴァルアは仕事の話をほとんどしない。危険な仕事をしていることはなんとなく察していたが、こんな風に気軽に通信を飛ばしてくる仲間がいて、心配してくれる上司がいて、離れていても繋がっている場所がある。ヴァルアには自分の知らない世界がある。閉ざされた結界の中だけで生きてきたわけではなかった。シヴェリアがそんなことを考えていると、ヴァルアが籠を持ち上げた。
「ジヴェル。」
「え?」
「これ、子どもたちに食べさせてやってくれない?」
「ヴァルは?」
「私はちょっとでいい。」
そう言いながら、一番上の先ほどシヴェリアが中枢でもほとんど見ないと言った果物を選んで差し出した。
「看病してくれてるお礼。」
シヴェリアは目を丸くした。
「私にも?」
「嫌なら返せ。」
「嫌じゃない!」
慌てて受け取る。ヴァルアは小さく笑った。その笑顔を見て、シヴェリアは胸の奥がじんわり温かくなるのを感じた。
——この人は、本当に優しい。
そう思った。
体力がまだ完全に回復していないためか、通信蝶の連絡が来た後すぐにヴァルアは「寝る」と一言告げて眠りについたため部屋は静かだった。シヴェリアは机の上に止まっていた淡い光の蝶を見つめる。
「……この蝶、さっき話していた人よね。」
先ほどの通信蝶の会話の一部を聞いていたエルキアが頷いた。
「多分。かなり親しい感じだったな。」
ヴァルア元気そうに見えてまだ熱が高い。
ヴァルアの話から、この家の場所を知っているのはシヴェリアとエルキアの二名と父親の旧知の人物が一人のみらしかった。その人物も暫く訪れていないような話ぶりだった。
このまま二人だけしか居場所を知らないのは危険だと、シヴェリアは感じており、今までもなるべくどちらかがそばにいるようにしていた。しかし、二人も学生で毎日来ていても滞在時間は短い。何かあった時、自分たち以外にも駆けつけてくれる人がいてくれたら良いなとエルキアと話していた所だった。
「この人、多分ここの場所知らねぇよな…?ヴァルは嫌がりそうだけど、教えてもいいかもしれないな。」
エルキアがうーーんと悩みながら呟く。
ヴァルアが子どもたちを守るために最低限の人にしか教えていないことはよく分かっているし、自分たちが勝手に教えて良いものではないことも分かる。だが先ほどのヴァルアの表情から、かなり気を許している相手のように思えた。
「あとで、二人で怒られましょう。」
シヴェリアはそう言うと蝶へそっと魔力を流し込む。残留魔力を辿るように光が伸び、遠くへ消えていった。しばらくして、空中に男の声が響く。
『ヴァルア?どうした?』
シヴェリアは姿勢を正した。
「初めまして。ヴァルアの友人です。」
わずかな沈黙。
『……さっきいた子?』
先ほどのテンションとは打って変わって驚くほど落ち着いた声のトーンで相手は話す。
「ヴァルア、多分自分からは状況を連絡しないだろうと思いまして、勝手に魔力を辿りました。申し訳ありません。」
シヴェリアは深く頭を下げるような気持ちで続ける。
「怪我の応急処置は終わり、今は自宅で休んでいます。熱は続いておりますが命に別状はありません。」
シヴェリアの話を静かに聞いていた相手は、蝶の向こうで安堵した息を漏らした。
『……そうか。よかった。』
その一言に、どれほど心配していたのかが滲んでいた。エルキアが横から口を挟む。
「俺たち以外にも、居場所を知ってる人がいた方がいいと思って。」
『助かる。』
今度の返事は迷いがなかった。シヴェリアは結界の入口と目印を説明する。
『分かった。必ず行く。』
だが次の声は悔しそうだった。
『ただ、今すぐは動けない。仕事が立て込んでてな。』
シヴェリアは初めてその男にも事情があることを知った。
『本当にありがとう。ヴァルを頼む。』
通信が途切れ、蝶の光が消える。
エルキアが小さく息を吐いた。
「すげぇ心配してたな。」
シヴェリアも頷く。
名前も顔も知らない。
ただ、あの声がヴァルアを大切に思っていることだけはよく分かった。
⸻
翌々日の夕方。
シヴェリアとエルキアが買い出しへ出ている間、結界の外から、聞き慣れた声がかすかに届いた。
「ヴァルー!」
熱も下がり、歩くのはほぼ問題なくなったヴァルアが怪訝そうに結界を開き外へ出る。そこには、一人の青年が立っていた。手には大量のフルーツが入った籠。
「よう。やっと来れた。」
突然の来訪者にヴァルアの目が丸くなる。
「は?……ジル?なんでここ分かった。」
蝶の声の主、ジルは困ったように笑った。
「お友だちが教えてくれた。」
いい友達を持ったな、と付け加えるとヴァルアは額を押さえた。
「あいつら……。」
「勝手に来て悪かった。」
珍しく気まずそうに視線を逸らす。
「でも、お前が無事か確認したかった。」
ヴァルアはしばらく黙り込み、やがて小さく息を吐いた。
勝手に医療室を抜け出してしまったことでジルを含め、仕事仲間たちに心配をかけたことは自覚していた。
「……心配かけた。」
それが彼女なりの謝罪だった。




