事件簿1第3話
神崎の件のあと、俺はマンションのエントランスの前まで神楽坂さんを送り届け、帰ろうとすると彼女が突然言ってきた。
「東雲さん。よかったら、ちょっと寄ってきませんか? コーヒーでもいかがですか?」
「え? それはちょっとマズいのでは……一人暮らしの女性の自宅に男が入るのは世間体が……」
「東雲さんって、そういうところは真面目ですよね。東雲さんのことは信用してますので、大丈夫ですよ。ふふ」
「はあ……では、少しだけお邪魔します」
俺は彼女のあとを着いていった。
俺はオートロックのエントランスをくぐり抜けエレベーターで五階まで登ると、右奥にある角部屋のドアの前で立ち止まった。
神楽坂さんがドアを開け、優しい微笑みを浮かべた。
「どうぞ。ふふ」
「お邪魔します」
部屋の中に入ると、女性の部屋特有の甘い香りが鼻を擽る。
「そこに座っていてください。今、コーヒー淹れてきますね」
「お構いなく」
俺は小さなテーブルの前にある、可愛らしいコンパクトソファへと腰を落とした。
1LDKの部屋の中は、クッションや小物が置かれていて、いかにも女性の部屋といった感じで綺麗に整頓されていた。
「どうぞ、あ、東雲さんは紅茶でしたっけ? コーヒーしかなくて」
「コーヒーも飲みますので大丈夫です」
よく覚えていたな。
記憶力がいいのか?
神楽坂さんはコーヒーを俺の前にそっと置くと、俺の隣に腰掛けた。
「ソファ、二人用のしかなくて。すみません」
申し訳なさそうに言った。
「いえいえ、気にしないでください」
俺はコーヒーを口に運んだ。
「部屋、散らかっていてすみません」
「そんなこと全然ないですよ。とても綺麗に整頓されてますし、うちの事務所とは大違いだ」
俺が部屋の中をキョロキョロと見渡していると、神楽坂さんが顔を覗き込んできた。
「あまり、ジロジロ部屋の中を見られるとちょっと恥ずかしいです。ふふ」
神楽坂さんは照れくさそうにして、微かに笑みを浮かべた。
「あ、すみません。職業柄、色々と観察するのが癖になっていて……」
「さすが探偵さんですね」
神楽坂さんは聖母のように、優しく微笑んでいた。
二人でコーヒーを飲みながら、しばらく談笑していると、ふと、棚に置かれている写真立てが気になった。
「あれは大学を卒業した時に萌々香と一緒に撮った写真です」
「幼なじみの同僚の方ですね」
「はい、子供のころから仲が良くて、いつも一緒にいました」
「写真見てもいいですか?」
「はい、どうぞ」
ソファから立ち上がり、写真を手に取って見ると、袴姿の彼女たちが笑顔で写っている。
こうやって見ると、仲が良い親友としか見れないのだが──ん?
何か違和感があるな? 何だろう? この胸の引っかかりは……。
俺が写真の違和感の正体を探ろうとした、その時。
唐突に部屋のインターホンが鳴り響いた。
「誰かしら? 少しお待ちくださいね」
神楽坂さんが玄関に向かいドアを開けると、見覚えのある女性が部屋に入ってこようとしていた。
「一緒に飲もうと思って、お酒買ってきたよ」
「萌々香……っ? 今ちょっとお客さん来てるから」
「えっ? お客さん?」
リビングに入ってきた星乃宮さんと、バッチリ目が合う。
「初めまして。彩華と同じ職場で働いている、星乃宮萌々香です」
「初めまして。東雲敦也です」
「ねえ彩華。どんな関係なの? もしかして彼氏さんとか?」
「……えっと……それは……」
明らかに困惑し、顔を赤くしている神楽坂さんを見て、俺は慌てて助け船を出した。
「実はそうなんです。星乃宮さんのことは彩華から聞いてますよ。よろしくお願いします」
正直に探偵と言うわけにはいかないので、彼氏に乗っかることにした。
俺が合図を送るように神楽坂さんを見ると、なぜか彼女は耳まで真っ赤にして照れている。
「へー、彩華にこんなイケメンの彼氏がいたんだ」
星乃宮さんは一瞬だけ、鋭い視線を俺に向けた──が、すぐに人懐っこい笑顔に戻った。
あえて深く追及する気はないようだ。
「そ、そう、なのよ……」
神楽坂さんは相変わらず顔を真っ赤にして、もじもじしている。
「いえいえ、星乃宮さんもかなりお綺麗ですよ」
なんだろう? 本当のことを言っただけなのに、神楽坂さんの視線が痛い。
聖母の笑顔が消え、物凄い怖い目をして睨んでくるんだが。
俺、何か悪いこと言ったか?
「東雲さん。ダメだよ。彼女の前で他の女性を綺麗とか言っちゃ。彩華が嫉妬してるじゃん」
「わ、私は嫉妬なんかしてないよ!」
急にあたふたしだした神楽坂さん。
「そうだ! 東雲さんも一緒に飲みましょうよ!」
星乃宮さんは、買ってきたアルコール低めの缶チューハイをテーブルに置いた。
何か見た目はどこかのモデルみたいだけど、結構、フランクな人だな。
「ほら、立ってないで座ろうよ」
星乃宮さんに座るように促され、俺と神楽坂さんはソファへと腰掛けた。
「お言葉に甘えて、頂きます」
俺はシャインマスカット味の缶チューハイを手に取った。
「彩華も飲みなよ。はい」
星乃宮さんは梅酒味の缶チューハイを神楽坂さんに手渡すと、慣れた様子でビーズクッションを持ってきて腰かける。
「もう、私、お酒弱いの知ってるでしょ」
神楽坂さんが、呆れた顔している。
俺は缶チューハイをプシュと開けると一気に飲み干した。
普段、飲んでるウイスキーに比べると、ジュースみたいだな。
「東雲さん。遠慮しないでじゃんじゃん飲んでくださいね。あはは」
星乃宮さんがもう一本進めてきた。
「はあ、ではもう一本だけ」
三人で飲み始めたのだが──三口くらい飲んだだけなのに、神楽坂さんの目がトロンと怪しくなってきた。
「東雲さん。缶が空じゃないですかぁ。もっと飲んでくださいよ。ひっく」
神楽坂さんは笑いながら、俺の肩をバシバシ叩いてくる。
力加減が壊れていて、痛いんだけど。
いつも凛としている神楽坂さんが、すっかり酔っぱらっているのだが。
「……はい」
「彩華はお酒が超弱いんですよ。あはは」
向かいで飲んでいる星乃宮さんが、ケタケタ笑っている。
──と、そんな彼女らの賑やかな様子を見つめながら、俺は先ほどの写真の違和感を思い出していた。
目の前でケタケタ笑う星乃宮萌々香、そして、写真の中で微笑む彼女。
あ、そういうことか?
俺はついに、脳裏に引っかかっていた違和感の正体を掴んだ。
目の前の星乃宮萌々香も写真の中の彼女も無邪気な笑顔に見えるが、目の奥は全く笑っていない。
それにさっきからたまに、コンセントの方向をチラチラと見ているのが気になる。
後で、この部屋はちゃんと調べた方がいいかもな。
多分、何か仕掛けられているかもしれない。
もっと早くに気づくべきだったな。
その後もちょっとした宴が続くと、神楽坂さんは酔いつぶれて寝てしまった。
缶チューハイを一本しか飲んでないのに。
俺と星乃宮さんだけになってしまったので、帰りたいんだがこのまま二人にしていいのだろうかと思っていた時。
「ねえ、東雲さん」
星乃宮さんが四つん這いで俺の傍に近寄ってくると、上目遣いで誘うように見つめてきた。
「な、なんですか?」
「私、彩華ほどではないけど、結構、胸大きいんですよ」
胸元が見えるVネックのニットで、あからさまに豊満な膨らみをアピールしてくる星乃宮さん。
フフッ、普通の男なら一発で誘惑に負けてしまうだろうが、百戦錬磨の俺にはハニートラップなど通じない。
「そ、そうですか」
いかん! 思いっきり動揺してるし、胸をガン見してしまう!
「ふふ、彩華より私といいことしませんか?」
星乃宮さんが、俺に甘えるように抱きつこうとしてきた。
微かな酒の匂いとともに、彼女の妖艶な、花のような香りが鼻腔をくすぐる。
これがモテ期というやつか! いかん!
などと、ふざけている場合ではない。
俺は星乃宮さんの肩を掴むと、毅然とした力で引き離した。
「俺には彩華がいるんで、そういうのは困ります」
「残念……彩華は愛されてるんだね」
星乃宮さんは張り付けたような笑顔を見せるが、瞳の奥には、冷たい憎しみの感情が宿っていた。
「はい、彩華を愛してます」
「彩華が羨ましいな。私、そろそろ帰りますね」
星乃宮さんはそう言って怪しい笑みを浮かべると、すくっと立ち上がった。
「家は近いんですか? 送りましょうか?」
家が歩いていける距離なのは調査済みなのだが、あえて聞いてみた。
「すぐ近くなので大丈夫です」
星乃宮さんは部屋を出ていった。
バタン、静かにドアが閉まる音がした。
リビングに残されたのは、ソファで無防備に寝息を立てている神楽坂さんと、俺の二人だけ。
さて……。
と思った瞬間──。
「私、愛されてるのですね。ふふ」
さっきまで寝ていたはずの神楽坂さんが、顔を耳まで真っ赤にして俺を見つめてきた。
「起きてたんですか?」
「途中からですが……っ」
恥ずかしさに身をよじる彼女の口元に、俺は人差し指をそっと添え制する。
そしてポケットからメモ帳を取り出し、素早くペンを走らせ彼女に見せた。
『部屋に仕掛けがある。話を合わせて』
彼女は一瞬だけ驚いた様子を見せたが、すぐに真剣な表情を見せ小さく頷いた。
俺はポケットからいつも持ち歩いている盗聴器・盗撮器電波の発見器を取り出し、音の消えた状態で部屋の中の探索を始める。
少しすると、コンセントに挿されてた電源タップの付近で、発見器のインジケーターが微かに、しかし確実に跳ね上がった。
見つけた!
──だが、俺はあえてそれを放置することにした。
星乃宮さんがチラチラとコンセントの方を見ていたのは、これが理由か。
つまり、俺と神楽坂さんの会話は筒抜けで、俺が偽物の彼氏だということも知られている。
あのタイミングで、酒を持って現れたのも俺というイレギュラーな存在を確認するためだろう。
なら、ここはあえて気づいてないふりをして『無能な探偵』を演じた方がいいかもしれない。
追記したメモ帳を神楽坂さんに見せる。
『気づいてないふりをして、事件が解決したと油断させます。話を合わせてください』
彼女はコクリと深く頷く。
俺はわざとらしく声を張り上げ、芝居を打つ。
「では、ストーカーの調査報告は以上です。これで一件落着ですね」
「はい、東雲さんのおかげで安心しました。本当にありがとうございました」
「では、私、この辺で失礼します。戸締まりはしっかりしてくださいね」
俺は玄関に向かうと、ドアをわざと大きめに『バタン!』と閉めると、そのまま、マンションの外へと出た。
襲撃事件の黒幕は、十中八九星乃宮さんだろう。
だが、あえて神楽坂さんには星乃宮さんのことは言わず伏せておいた。
変に動揺されたり、星乃宮さんに気づかれるのを防ぐためだ。
動機はわからないが、ここからは完全に神楽坂さんの警護になる。
俺は明日のことを考えながら、事務所へと帰宅した。
依頼九日目。
朝になり、神楽坂さんを病院へと尾行しながら無事送り届けると、俺はいったん事務所へ戻った。
必要ないかもしれないが念のためにと、俺は煙草に火を点けながら事務所のデスクに向かった。
引き出しの奥底、普通は気づかれない二重底の仕掛けをそっと開ける。
現れた油紙に包まれたグロック19を手に取ると、脇の下のホルスターに収めた。
そして、サプレッサーをスーツのポケットに入れる。
実弾の詰まった本物のグロック19と、チタン製のサプレッサー。
グロック19はサプレッサーが、銃口に取り付けられるように改造されている。
マガジンも17のを使用してるため、弾数も十七発まで装填できる仕様だ。
これが本当の俺の相棒だ。
神楽坂さんの勤務時間が終わる時間に近づいてきたので、俺は病院へと足早に向かった。
少し距離を取り、神楽坂さんの様子を窺っているとさっそくエサにくらいついた。
二十代後半くらいの清潔感があるサラリーマン風の男二人が、神楽坂さんの方に近づいていく。
俺より背は低いものの、なかなかの高身長でスーツの上からもわかるくらいの筋肉質な体をしている。
二人は神楽坂さんと何やら会話をしているが、ここからはよく聞こえない。
──その時。
神楽坂さんが突然男二人の後を着いていった。
えっ? 何で着いていくんだ。
俺も気づかれないように、そっと尾行を続けた。
少し歩くと、コインパーキングに停まっていた白いハイエースに乗り込んだ。
マズい、車を用意してたか。
しかし、俺には天才的な運もある。
何とかしなきゃと思っていたところに見知った顔がバイクに乗って現れたのだ。
「何してんですか? 敦也さん?」
前事務所、ノワール探偵社の後輩の二階堂だ。
「ちょうどいいところに来た。それ貸せ」
「な、何言ってんですか。いきなり。」
「急いでるんだ! 早く降りろ! 今度ラーメン奢ってやるから!」
俺は二階堂をバイクから無理やり降ろすと、やつの愛車であるFTR250に跨がり、車の後を追った。
車は三十分ほど走ると、街から離れた人気のない廃工場へと入っていった。
俺は気づかれないように、大分手前に停めて林の中にバイクを隠すと、廃工場へと向かった。
廃工場の中を窺うと、中には神楽坂さんとさっきの男二人に、二メートルくらいありそうな大男と星乃宮さんがいた。
「大丈夫? 萌々香?」
「何が? 大丈夫って?」
「この人たちが、萌々香を人質に取ってあるから来てほしいって。萌々香が拘束されてる写真を見せられて」
「バカね。あなたを騙してここへ連れてくるための嘘に決まってるでしょ」
「えっ? 嘘? どういうことなの?」
「もういいから、楽しんじゃって」
星乃宮さんがその場を離れようとした瞬間、大男に腕をガシッと掴まれた。
「ちょ、ちょっと何するの。離してよ」
「ついでに君も、一緒に楽しもうよ」
サラリーマン風の男がニヤニヤ笑いながら、星乃宮さんに近づいていく。
「何言ってるの? 約束したお金はあげるから離して」
「一緒に楽しんだあとで金はちゃんと貰うから。ダメだよ。俺らみたいの信用したら」
「えっ……?」
星乃宮さんの顔から余裕が消え、絶望に染まる。
「俺の最初の相手は君かな」
もう一人のサラリーマン風の男が、神楽坂さんに近づいて彼女の肩を掴んだ。
さて、そろそろ行くか。
俺は拳の部分をガードしてある、指先なしの特殊な手袋を装着した。
「おい。──その汚ねえ手を、神楽坂さんから離せ」
俺は神楽坂さんの肩を掴んでいる男に向かって走って行き、先手必勝とばかりに綺麗な右ストレートを男の顎に放った。
「ぐわっ」
男はそのまま後方に吹っ飛び、そのまま気を失った。
よし、まずは一人終了と。
「神楽坂さん! 俺の後ろへ!」
俺は神楽坂さんを、後ろへ来るように促す。
神楽坂さんはすぐさま、俺の後方に隠れるように駆け寄ってきた。
「なんだ? お前は?」
大男が星乃宮さんを腕を離して、俺の方に歩み寄ってくる。
目の前で見ると、大きいだけじゃなくて筋肉も凄いな。
プロレスラーかよ?
「俺は探偵だ」
「は? 面倒くさいから寝てろ」
いきなり正拳突きが、俺の顔面を目掛けて飛んでくる。
俺は一瞬で反応して、ギリギリでかわした。
空手かよ。
パワーだけではく、スピードもあり、まともに相手したら厄介だ。
でも、俺は格闘技や武道をやる気はない。
次の上段回し蹴りがきた時に、俺はベルトのバックルに仕込んでいた小型ナイフを素早く抜き取り、スウェーでかわしてから太股に刺した。
怯んだ大男の背後に回り、飛び込んで一瞬で裸絞めを決める。
大男は数秒もがくと、意識を失った。
二人目終了。
俺はあと一人だと思って油断した。
読んでくださりありがとうございました




