事件簿1第2話
──夕暮れ時。夕日で染まる住宅街で事件は起こった。
いつものように警護のため、神楽坂さんの尾行を続けていた。
もう少しで、神楽坂さんが住んでいるマンションのエントランスにつく。
その直前で、一台のパールホワイトのミニバンが急ブレーキをかけた。
そして、車から宅配の作業服姿のがっちりした体格の若い男が二人出てきて、彼女を連れ去ろうとしている。
──おいおい、白昼堂々よくやるな。
俺は一気に加速して男たちの視界に潜り込む。
俺に気づいた手前の男が驚いた顔をしている。
二人ともまだ若いな、二十前後くらいかな? 背は二人とも俺より頭一つ分くらい低いが、岩のような筋肉質な体格をしている。
しかし、動きはまるで素人だな。
並走しながら愛用のスーツの上着を剥ぎ取り、先行する男の顔面に叩きつけ視界を奪った。
ガラ空きになった左脇腹へ、容赦なく強烈なボディーブローを叩き込んだ。
「なんだ!お前は!……ぐふっ」
男は息を詰まらせ、前のめりに崩れ落ちる。
もう一人の男が一瞬怯んで神楽坂さんの手を放した隙に、彼女が俺の方に駆け寄ってきた。
「東雲さん!」
「危ないから! 俺の後ろに下がってください!」
「は、はい、わかりました」
彼女は俺の背後へと回ると、肩を震わせ怯えていた。
男は慌ててサバイバルナイフを取り出すと、俺に向かって突き立ててきた。
ナイフの刃が届くよりも速く、俺はシャツの上に剥き出しになっている脇の下のホルスターから、漆黒の相棒──グロック19を滑るように引き抜いて男に銃口を向けた。
「け、拳銃。どうせ玩具だろ?」
男が怯えながら声を上げて、顔をピクピクと引きつらせている。
「試してみるか?」
俺はなんの躊躇もなく、引き金を引いた──。
パシュッ、と間の抜けた音が響き、銃口から放たれたのは弾丸ではなく──超高濃度液体だった。
「うげっ……目が、目がぁ!!」
グロック19の形を模した、中身はカプサイシンの俺特製の強力催涙スプレーだ。
目を抑え悶絶する男の顎に、俺の跳び膝蹴りが見事に炸裂した。
男が崩れ落ちて倒れ失神すると、仲間を置き去りにして車が猛スピードで走り出した。
俺は素早くスマホのカメラを起動させ、逃げる車の写真を撮った。
ちっ、逃げられたか。
ってか、『わ』ナンバーかよ。
レンタカーで、犯罪を犯すなよ。
足がつきやすいレンタカーを使うなんて、やっぱり素人だな。
俺はスーツの上着を拾い、埃をはたいていると、遠くで震えている見知った男が目に入った。
似非イケメンだ。
今日も来てたのか。
今は、似非イケメンはスルーすることにして、俺は失神してない方の男に目をやった。
「最近、彼女を付け回してたのはお前らか?何が目的だ?」
「……俺は何も知らねえ」
「ほー、また俺のダイナマイトパンチをくらいたいみたいだな」
「待て待て!……俺たちは女を拉致して、あとは好きにしていいって頼まれただけだ」
「誰に頼まれた?」
「名前も顔も知らねぇよ。やり取りはSNSだけだったし、SNSで闇バイトで募集してたんだよ。その女を拉致して、体を楽しんだら五十万円出すってな」
「そんな怪しい仕事よくやる気になったな」
「前金で十万円を貰っちゃったし、金貰った上にこんないい女抱けるなんて最高だろ。はは」
男は神楽坂さんをやらしい目で見ると、口角を上げて少しニヤッと笑った。
「……えっ」
まさか自分がそんなことをされるとは思ってもみなかったのだろう、神楽坂さんの顔は真っ青になり、体をカタカタと震わせていた。
俺は気づいたら怒りに任せて男の顔面に、思いっきり前蹴りを打ち込んでいた。
「ぐふっ」
男は勢いよく後ろにひっくり返ると、そのまま失神した。
「あ、おい起きろこの野郎! まだ聞きたい話があるんだ!」
結局。男たちは目を覚まさなかったため、俺はとりあえず警察に通報して、男たちを警官に引き渡したのだが……。
「お兄さんも来てもらえる? その手に持ってる拳銃は何かな?」
──結局、俺もガッツリ交番に連れて行かれ、『いくら正当防衛でも、街中でそんなものぶっ放すな。銃刀法違反だぞ』ときっちり二時間説教される羽目になった。
グロック19は哀れにも没収されたが、俺はすぐに釈放された。
おそらくノワール探偵社の所長の知り合いが、俺に気づき裏で手を回したのだろう。
所長は警視庁のOBで、今でも警察に顔が利く。
ちなみに、二人組の男たちは不同意わいせつ目的の誘拐未遂の罪で現行犯逮捕された。
理不尽だ。俺は街の平和を守っただけなのになぜ説教されなきゃならない。
事務所に帰ろうとしたら、ぽつんと交番の外で、不安そうに俺を待っている神楽坂さんの姿があった。
俺は彼女をマンションまで送り届ける事にした。
これで依頼は終了──とは簡単にはいかない。
俺の受難はまだ始まったばかりだった。
依頼四日目。
今日は神楽坂さんは夜勤のため、俺は午前中は病院に行って怪しい人物がいないか調査することにした。
昨日、捕まえた奴らは金で雇われただけのトカゲの尻尾に過ぎない。
黒幕は他にいるはずで、何らかの形でまた彼女に接触してくる──そう睨んでの行動だった。
俺は病院のいかにもお喋りが好きそうな清掃員の年配の女性に声をかけ、上手いこと情報を仕入れることに成功した。
最初に、この前、神楽坂さんと仲良く歩いていた同僚の情報を得た。
名前は星乃宮・萌々香、二十三歳。
神楽坂さんとは小学生から大学までずっと同級生で、いわゆる幼なじみというやつだ。
特に悪い噂もなく、普通の女性だった。
他にも病院関係者も洗ってみたが、特に怪しい人物はいなかった。
ついでに、神楽坂さんの評判も調べたが、優しくてとてもいい人という声ばかりだった。
生まれながらの白衣の天使らしい。
午後を過ぎたので、俺は少し仮眠を取るため事務所へいったん帰ることにした。
ちなみに、神楽坂さんを襲った時に車を運転していた男はすぐに捕まった。
だが、あの二人と同じく金を貰ってやっただけだったので、黒幕は未だにわからない。
事務所のソファに体を滑り込ませると、俺は瞼をそっと閉じた。
微睡みの中、俺はゆっくりと意識を失った。
浅い眠りの中、事務所のドアノブを捻る音がして俺は目を覚ました。
脇の下のガンホルダーからグロック19を抜き取ると、さっと素早く構える。
フフッ、俺の強力催涙スプレーは一丁だけではないのだ。
没収された初代グロック19に代わり、二代目グロック19の登場だ。
「誰だ!」
「きゃっ」
ドアを開けた琴乃が、驚いた顔をしている。
「何だお前か」
俺は慣れた手付きで、滑らすようにグロック19をホルスターに戻した。
「びっくりしたぁ。またそんな玩具持ち歩いてるの?」
「玩具ではない。俺の相棒だ」
「はいはい、敦也くんはお子様なんだから」
「本物のお子様に言われたくはないわ!」
「それってあと何個持ってるの?」
「あと十丁持っているぞ。ふふん」
「ふーん、そんなあるんだ。あ、目覚めのコーヒーでも飲む?」
「紅茶にしてくれ」
「オッケー」
俺は琴乃が淹れてくれた紅茶を飲み干すと、ソファの背もたれにもたれかかった。
「仕事の方はどう? お姉さんは大丈夫?」
「順調とはいかないな。神楽坂さんの方は問題ないが」
「ストーカーじゃなかったの?」
「いや、多分、ストーカーだよ。でも、そっちより襲撃事件の黒幕が気になる」
「えっ! お姉さん、襲われたの!?」
「未遂だから安心しろ」
「よかったぁ。敦也くんがお姉さんを守ってあげてね」
「任せろ。俺は天才探偵だからな。フフン」
その後、俺は再び調査を続けた。
依頼五日目。
今日は朝から、神楽坂さんの警護をするため病院へと向かった。
彼女を尾行していると、またあの似非イケメンが現れた。
しかし、今日も少し談笑しただけで別れた……。
これでやつの姿を見るのは、襲撃事件の時も含めて四度目だぞ?
あいつはやっぱり真っ黒だろ。
マンションの前に着き、神楽坂さんがエントランスへと入ったのを確認した後、少ししてから俺はスマホで電話をかけた。
「今日はこれで帰ります。戸締まりには気をつけてください」
「はい!今日もありがとうございました」
俺は事務所に戻り、疲れをとるように爆睡した。
夜勤のあとは二連休になるらしいので、神楽坂さんは明日と明後日は仕事は休みだ。
神楽坂さんは家の中で過ごすので大丈夫ですと言っていたが、念のためにマンションの様子は見に行っておこう。
依頼六日目。
神楽坂さんのマンションの前で、彼女の部屋の明かりを確認すると、俺はスマホで電話をかける。
「変わりはないですか?」
「はい! 一日中、家でごろごろしてました。ふふ」
「では、戸締まりだけは気をつけてください」
「お休みの日まですみません。ありがとうございます。気をつけます」
「それではまた明日」
「はい、また明日」
辺りはすっかり暗くなったので、俺は事務所兼自宅へと帰ることにした。
帰宅して、事務所の中に入って腕時計を見ると、時計の針は夜の十一時を少し過ぎていた。
俺はグラスに氷を入れ、ソファに深く腰掛け、銘柄不明のウイスキーをグラスに注ぐ。
そして、カランという音をさせながら一口飲んだ。
ふう、男たちに神楽坂さんを襲うように依頼したやつは未だに手掛かりすら見つからない。
特に、動きもないし、どうしたものか……。
何となく気になり、俺はスマホを取り出すと、一つの画像に目を付けた。
あの時、神楽坂さんを襲ったやつらが乗っていた車の画像だ。
よく見ていたらほんの小さくだが、路地に隠れるようにしてこちらを見ている人の顔を見つけた。
俺はすぐさま拡大してみると──写っていたのは星乃宮萌々香だった。
俺は例え遠くからでも、一度見た美女の顔は忘れない。
男は秒で忘れるが。
なぜ……彼女が?
一晩中その理由を考えてしまい、俺はまともに眠れないまま朝を迎えた……。
依頼七日目。
俺は神楽坂さんのマンションへと向かい、しばらく周囲の様子を見てから事務所へと戻った。
星乃宮さんのことが気になったが、今は何の証拠もないので一旦泳がせることにする。
神楽坂さんが休みの二日間は、特に何も起こらなかった。
依頼八日目。
夕日が街を照らしていた。
連休明けの仕事を終え、帰宅中の神楽坂さんを絶妙な距離を保ちながら尾行していると、ついに俺はやつの尻尾を掴んだ。
神楽坂さんの後を、こそこそとつけているあの似非イケメン──神崎の姿を見つけたのだ。
神楽坂さんがマンションのエントランスの前に着くと、神崎が彼女に向かって猛ダッシュした。
その瞬間を逃さず、俺は一気に神崎に駆け寄ると、腕を掴み捻り上げた。
「いたたっ、いきなり何をするんだ! 君は!」
「それはこっちの台詞だ! お前だろ! 神楽坂さんをストーカーしてたのは!」
「人聞きが悪い! 私はただ彼女に用があって──」
「用って何だよ!」
「ここでは詳しくは言えない!」
「しらばっくれるな! 神楽坂さんを襲わせたのはお前だろ! 現場にいたのはわかってるんだぞ!」
「わ、私がそんなことをするわけないだろ! 私は関係ない」
神崎は酷く怯え、肩を震わせている。
逃げないと約束させ、俺は事務所で神楽坂さんを交えて話を聞くことにした。
事務所へ案内すると、俺は神楽坂さんをソファに座らせるように促してから自分も腰掛けた。
向かいのソファには神崎が座っている。
「で、頼みごとってなんだ? まさか神楽坂さんに『真剣にお付き合いしてください』なんて言うわけではないよな?」
俺は本題に入るため、話を切り出した。
「違う。私はそういう関係になるつもりは一切ない」
「じゃあ、何だ?」
「じ、実は、神楽坂さんに、脱ぎたての下着を売ってほしくて……」
数秒、俺の思考が停止した。
「「は?」」
神楽坂さんと綺麗にハモった。
「私は昔から女性の脱ぎたての下着を集めるのが趣味なんだ……! もちろん盗んだり犯罪を犯したことなどは一度もない! 集めたコレクションは全部、正当な対価を支払って買ったものだ!」
どうやら俺は野生の馬鹿を捕まえてしまったらしい。
しかも、想像の斜め上をいくド変態だ。
「女性の下着には物凄い男のロマンが詰まっているんだよ!」
ロマン詰めるより、お前の頭の脳ミソ詰め直してこい。
「もちろん。女性の下着だったら誰でもいいわけではない。清楚で可憐なナース姿の神楽坂さんに一目惚れしてしまったんだ! ぜひ、彼女の脱ぎたての下着を私のコレクションの一部にしたい!」
なに言ってるのこの人?
よく真顔でそんな話ができるな。
恥ずかしくないのか? 名画を買い付けるバイヤーみたいなトーンで言うな。
「神楽坂さん! この通りだ! 金ならいくらでも積む! 脱ぎたての下着を私に売ってくれ!」
神楽坂さんは顔を強張らせ、まるで汚物を見るような目で神崎を睨み付けている。
「どうします? 売ってみます?」
俺は一応、聞いてみた。
「売るわけありません!!」
ですよねぇ。
いつも聖母のように優しい神楽坂さんの顔が、完全に阿修羅の怒りへと変化していた。
「聞いただろ。帰ってくれ」
同じ空気を吸っていたくないんだ。
早く帰ってくれ。
「金はいくらでも積むから頼みます。売ってください」
「お金の問題じゃありません!!」
神楽坂さんの鬼の形相に、神崎はたじろいでいる。
普段、怒らない人が怒ると一番怖いって本当だな。
「そういやお前、なんで神楽坂さんが住んでいるマンションがわかったんだ」
「神楽坂さんのシフトを調べて、帰り際を狙って後を着けたんだ」
ストーカーとしても真っ黒じゃねえか!
「お前、もし、未成年からも下着を買ってたら完全にアウトだからな」
「私にロリコン趣味はない! ロリータコンプレックスの変態と一緒にしないでくれたまえ!」
いや、俺から見たら完全に同じカテゴリーなんだが。
その後、神楽坂さんに二度と近づかないと念書を一筆書かせると、神崎はすごすごと帰っていった。
俺はこの野生の馬鹿を野に放っていいのか迷ったが、神楽坂さんが今回は許すと言ったので俺からは何も言えない。
まあ、許すというかもう二度と関わりたくないという顔をしていたが……。
完全にキレた神楽坂さんに神崎はかなりびびってたし、次、近づいたら通報すると脅しておいたので、もう大丈夫だろ。
神楽坂さんが襲われた件も問い詰めたが、全く無関係だった。
つまり、俺はただのド変態ストーカーを捕まえただけで、襲撃事件の黒幕の手がかりは振り出しに戻ったわけだ。
なんかどっと疲れたな。
この後、俺は神楽坂さんを自宅のマンションまで無事に送り届けた。
読んでくださりありがとうございました




