事件簿1第1話
窓から春の心地よい太陽の光が差し込む、何もない無機質な空間。
ひび割れた合皮の事務椅子に深く沈み込み、俺は氷の入ったグラスに原材料不明のウィスキーを注ぐ。
カランと音がしたグラスを握ると、一気に喉に流し込む。
安っぽい酒の味がした。
もう昼過ぎだ。が、我が東雲探偵事務所には今日も仕事の依頼は来ない。
最近は探偵を興信所や便利屋と勘違いして、浮気調査やペット探しを押し付ける輩がいるが、真っ平ごめんだ。
俺のような天才的な名探偵は、才能をそんな安売りするものではない。
おまけに百八十三センチの高身長の上にイケメン。
フフッ、天は二物も三物も俺に与えたな。
そこら辺歩いている庶民に、少し分けてやりたいくらいだ。
俺はお気に入りであるオーダーメイドのスーツの胸ポケットから煙草を取り出し、ジッポのライターで火を点けるとオイルの香りが鼻をつく。
俺はその煙を薄汚れた天井にくゆらせた。
まあ、戦士にもささやかな休息は必要だな。
その時、沈黙を守っていた事務机の電話がジリリリッと鳴り響いた。
プライドで腹は膨れない。
天才とは臨機応変に対応するものなのだ。
俺はさっきまでのプライドを秒でドブに捨てると、慌てて受話器に手をかけ、自慢の重低音ハンサムボイスで一気に営業トークをまくしたてる。
「はい。東雲探偵事務所でございます。迷子のペット探しや浮気調査、庭掃除、それに今なら東雲の特製マッサージまで何でも格安で承ります! 気軽に依頼してください!」
『あのぉ……チャーシュー麺と炒飯はありますか?』
「あるわけねぇだろ! うちの事務所に厨房はねぇよ!!」
ガチャンッ、と俺は受話器を叩きつけた。
ラーメン屋は一階だよっ。俺も食べたいわ……腹減ったなあ……。
ぐう、と鳴り響いた腹の虫を誤魔化すため、乾ききったあたりめを口に放り込み、情けなく噛み締めた。
駅前にある雑居ビルの三階。立地条件は悪くないのに、なぜ客が来ない。
やはり、看板がないのがマズかったかな……。
パソコンは壊れてるし、街に出てチラシでも配るか……と立ち上がろうとした時。
コンコン、と気の抜けたノック音が室内に響いた。
おっ、待望の客か?
「開いてますよ。ご自由に入ってください」
「やっほー、敦也くん。今日も暇そうだね」
ドアが開くと現れたのは、一階のラーメン屋の娘であり、このオンボロビルのオーナー令嬢でもある桜岡琴乃だった。
長い綺麗な黒髪にスラッとしたスタイルをしていて、小学六年生にしては少し大人びている。
が、中身はまだまだガキだ。
「なにその心底嫌そうな顔」
「本当に心底嫌なんだから仕方ないだろ」
「ひっどーい、どうせ今日も退屈してるだろうと思って、可愛い琴乃ちゃんがせっかく遊びに来てあげたのに」
「頼んでねえよ。お前と遊ぶくらいなら一人であやとりでもしてる方がマシだ。見てみろこの鮮やかな富士山」
俺はたまたま机の上にあった紐を掴むと、華麗な富士山を作る。
「そういうとこだよ、敦也くん。だから彼女できないんだよ」
「関係ないだろ!それに『くん』付けはやめろ!
お前と違って俺は二十六の立派な大人だぞ!」
呆れたように深いため息をつかれた。
「立派な大人が仕事もしないで、昼間からお酒飲んでいるの?」
「仕事をしてないのではない!仕事がないだけだ!」
「それって余計に酷くない?」
「俺のような天才的な探偵に見合う仕事がないだけだ」
「さっき迷子のペット探しとか庭掃除までやるとか言ってたじゃん」
「き、聞いていたのか」
「お金けちって看板立てないからだよ」
「金をけちったわけではない。単純に看板立てる金が無かっただけだ」
「さっき何でもやるって言ってたじゃん、うちのラーメン屋で出前やってよ」
「なんで天才の俺があの小汚いカブに乗って、凡人にラーメンを運ばないといけないんだ」
「はあ……相変わらずだね……しかし、どんな生活したら、こんなに散らかすの?だらしないんだから」
琴乃は口を尖らせると、散らばった書類やゴミを片付けだした。
「やめろぉー! 俺なりに整理整頓してあるんだ!」
「どこがよ。敦也くんは本当にだらしないわよね。ふふ」
琴乃が事務所を片付けていると、再び、今度は遠慮がちにドアをノックする音が室内に響いた。
「あ、お客さんかな?はいはい、今開けます」
琴乃はまるで我が家のように、勝手にドアを開けた。
「あの?ここは東雲探偵事務所ですか?」
扉から入ってきたのは、二十代前半くらいの女性だった。
前髪を綺麗に揃えたショコラブラウンのハンサムショートが目を引く、整った顔立ちとスレンダーなモデル体型。
だが、白いブラウスの上からでもわかる二つの高峰が、これでもかと主張している。
カジュアルな私服姿が、どこか上品でかなりの美人だ。
よし、神はまだ俺を見捨てていなかった!
俺は瞬時にあたりめとグラスを片付けると、ネクタイを締め直しミントタブレットを数粒口に放り込んだ。
「そうです。東雲探偵事務所へようこそ。こちらにお掛けください」
俺はお値段以上を謳う家具量販店で買ったソファに座るように促すと、自身も向かいのソファへと腰掛けた。
「コーヒーと紅茶、どちらがいいですか?」
琴乃が満面の笑みで女性に尋ねる。
「ありがとうございます。じゃあ、コーヒーでお願いします」
「かしこまりました!」
琴乃は事務所の片隅で、ドリップ式のコーヒーを淹れ始めた。
あんなコーヒーうちの事務所にあったっけ?
「どうぞ」
琴乃がトレーに乗せたコーヒーを差し出すと、女性は一口飲んで微笑んだ。
「美味しい」
女性は微笑んでいる。
「うちの店の自慢のコーヒーなんです。このビルの一階にありますので良かったら来てください。えへへ」
営業スマイルを見せると、琴乃はちゃっかり俺の隣に腰掛けた。
ラーメン屋の自慢がコーヒーってどうなんだ?
「はい、敦也くんにはいつもの紅茶」
ガキの癖に俺の好みをすっかり把握してやがる。
「ありがとう。俺はこれからお姉さんと大人の話があるから、琴乃はボロいラーメン屋のお手伝いでもしてなさい」
「嫌だよ! 私も助手としてここにいます!」
「いつから助手になったんだよ。ほら、チュッパチャプスやるからお家に帰りなさい」
「子供扱いしないでよ!」
「どっからどう見ても子供だろが!そういう台詞はもう少し胸が膨らんでから言え!」
「やらしい! いつもそういうところばかり見てたのね! 変態!」
琴乃は胸を腕で隠すそぶりをする。
「誰が小学生の胸なんか見るか! 俺がガン見するのは大人の女性の胸だけだ!」
「それはそれで変態だよ! 敦也くん!」
「……あ、あの落ち着いてください。私は構いませんので助手さんも一緒にどうぞ」
女性は困ったような顔をしていた。
「ほら、お姉さんがいいって」
琴乃は胸を張ると、勝ち誇ったような微笑みを浮かべている。
小憎らしいムカつく顔をしやがって。
「……コホン、失礼しました。私は事務所の所長の東雲敦也です」
軽く咳払いをすると、俺は胸ポケットから名刺を取り出し、サッと手際よく女性へと渡した。
「私は神楽坂彩華と申します。一応、近くの総合病院で看護師をしてます。実はノワール探偵社からこちらを紹介されまして」
「ノワール探偵社から……ですか?」
「ノワール探偵社って、敦也くんがクビになった探偵事務所だよね?」
琴乃が俺の顔を覗き込んできた。
「クビじゃない! 俺から辞めて独立したんだ!」
「ふーん、そうなんだ」
琴乃はどこか納得してない顔をしている。
「神楽坂さん。それでご依頼の内容は?」
「……実は最近、仕事帰りに誰かにつけ回されてる気がするんです」
神楽坂さんは、怯えを隠せない表情でポツリポツリと話し出した。
「ストーカーですか?」
「わかりません。一昨日なんて家まで付けられてるみたいで、私、怖くて」
「心当たりとかはありませんか? 別れた恋人とか?」
「ありません……わ、私は今まで男性とお付き合いした経験もありませんし……」
「それは意外ですね。美人なのに」
「えっ……そ、そうですかね」
彼女は軽く俯くと、耳まで真っ赤にして照れている。
洗練された見た目と違って、うぶなようだ。
「お姉さんの胸ばかり見て話したらダメだよ! 敦也くん!」
琴乃が、頬をつきたての餅のように膨らましている。
「ちゃんと顔を見て話してるわ! このちんちくりんが!」
「ふふ。お二人とも本当に仲がいいのですね」
神楽坂さんは先ほどとは打って変わって、無垢な少女のような微笑みを浮かべていた。
「失礼……あの、そういうのは警察に相談した方がいいですよ」
「警察には一応、相談をしたのですが、何もされていないですし、私の勘違いかもしれませんし……」
「それで調査してほしいと?」
「はい、お願いできますか?」
「わかりました。前金で十五万円、成功報酬として十五万円になりますがよろしいでしょうか?」
「……お願いします」
事細かに事情を聞き、前金を受け取ると、神楽坂さんは深く頭を下げ、事務所から出ていった。
フッ、ようやく俺の才能が、必要とされる依頼が来たな。
これで今月の家賃は何とかなりそうだ……。
依頼初日。
弱い雨が降る中、警護のため俺は傘をさしながら神楽坂さんの尾行をしていた。
気づかれない絶妙な距離を保ちながら、彼女の動向を探っていると、ふいに一人の男が神楽坂さんに歩み寄った。
年齢は三十代前半くらい、高身長でショートレイヤーの髪型が似合う、高級スーツ姿のいかにも女性うけしそうな男だ。
絵に描いたような爽やか似非イケメンである。
警戒を強めた俺が二人に距離を詰めた瞬間──彼女は似非イケメンと笑顔で談笑し始めた。
……知り合いだったのか?
談笑が終わり、軽く会釈を交わして神楽坂さんは再び歩みを進める。
あいつは調べないといけないな。
俺の持論だが、金持ってそうな爽やかなイケメンにろくな奴はいない。
裏で何をしてるかわかったもんじゃないからだ。
──誰だ! 妬み嫉みだと言った奴は! 幻聴か。
その後は何事もなく、マンションへと辿り着いた。
神楽坂さんが住むマンションはオートロックになっているため、多少は安心できる。
いつの間にか雨は止み、俺は五階の彼女の部屋の電気が点いたのを確認すると、尾行を終えたのを告げるため神楽坂さんのスマホに電話をかける。
「先ほど話していた男性はお知り合いですか?」
「あ、はい。最近まで、うちの病院に入院していた方です。家が近いらしくて、退院してからも道でよく会うんです」
「仕事柄、警戒しただけなので、気にしないでください。では、私はこの辺で失礼します。戸締まりはきちんとしてくださいね」
「今日もありがとうございました。気をつけます。ふふ」
俺はマンションを後にして、帰路へとついた。
依頼二日目。
夕日を背にし、俺は神楽坂さんの警護のため病院へと足を運ぶと、彼女は同僚らしき女性と歩いてきた。
俺は少し近づいて、彼女の隣の美女を観察した──ナチュラルブラウンのポニーテールで、神楽坂さんよりも頭一つ分くらい背が高い。
整った顔立ちに、モデルスタイルのこちらもかなりの美人だ。
最近のナースは容姿の審査もあるのか?
もしや、病院と見せかけて、実はナース服姿の女性が濃密な接待を行う如何わしい店では!!
などと、アホなことを考えてないで尾行に集中することにした。
その後、一緒に帰った女性と別れると、再び昨日の似非イケメンが現れた。
おいおい。計ったような同じ時間で二日連続かよ。
やはりあいつのことは調べといた方がいいな。
その後は似非イケメンと別れると、何事もなく自宅のマンションへと辿り着いた。
俺は神楽坂さんの五階の部屋の明かりが灯るのを確認すると、尾行を終えたことを告げるため彼女のスマホに電話を掛ける。
「一緒に帰った方は同じ職場の方ですか?」
「はい、幼なじみなんです。子供の頃から仲が良くて。ふふ」
「そうですか。私はこれで引き上げます。戸締まりはちゃんとしてくださいね」
「はい!今日もありがとうございました!」
なぜか、スマホ越しに嬉しそうな声が聞こえた。
ふと、振り返ると、帰ったはずの似非イケメンが、神楽坂さんの部屋の辺りを眺めながら立っていた。
俺は慌てて路地に身を隠して、様子を窺う。
しばらくすると、歩きだしたので俺は尾行を開始した。
やつが駅前でタクシーに乗り込んだため、俺も後続の車を拾い、『前を走る車を追ってくれ』と運転手に告げた。
運転手はめちゃくちゃ嫌そうな表情をしていたが、俺は一万円をちらつかせたら車は発車した。
尾行をした結果、やつは墓穴を掘っていた。
神楽坂さんは家が近いと言っていたが、似非イケメンの家は全然近くない。
何かが目的で、神楽坂さんにわざわざ会いに行ってるということだろう。
もしかして、こいつがストーカーか?
高級タワーマンションの前で、似非イケメンを乗せたタクシーが止まり、彼はそのまま中へと消えていった。
俺は帰り際、ネットカフェに飛び込み、タワマンの情報から、パソコンでやつのアカウントを特定する。……ビンゴだ。
SNSを頻繁に更新しているおかげで、情報がボロボロ出てくる。
名前は神崎臣吾、三十一歳。
SNSのトプ画からして、高級時計をアピールする嫌みな男だ。
どうやらIT系のスタートアップ企業を経営しているらしく、投稿は美味しそうな寿司とタワマンの夜景ばかり。
見るからに羽振りが良さそうだ。
しかし、俺の天才探偵としての勘が、この男には何かあると警報をうるさいくらいに鳴らしている。
会社の所在地もやつの自宅も、神楽坂さんのマンションから真逆だ。
二日連続たまたま出会う確率なんて、雷に打たれるより低い。
本当に、調べれば調べるほど見るからに怪しいやつだ。
──おい!誰だ! お前が言うなって言った奴は!!
最近、本当に幻聴が多いな。
久々の仕事で疲れてるのかな?
読んでくださりありがとうございました




