その72 着物
昭和◯◯年◯月◯日
昭和の時代、建物が建つとどこでも建前をやっていた。
神主さんがやってきて、「かしこみ~かしこみ~」やったあと、棟上げした屋根の上から紅白の餅を撒く。
その下では、近所の人たちや、ガキが集まって餅を拾う。
最初は紙で包まれていたが、いつのまにかビニル袋になった。
子どもたちの間でも、「あそこになにか建ちそうだぞ!」という話になると、あっという間に広まる。
わざわざ建前をやるのか、聞きにいくガキもいた(笑)
始まる時間はだいたい、4時頃。
これは、ガキの学校が終わるのを見越しての時間だったのかもしれない。
まぁ、建物で餅を拾うやつはほとんどがガキだったから仕方ないな。
大人は近所の人しか来ないが、ガキは離れた隣の集落からもやってくるし。
ワイワイと手を挙げてるガキの中に餅が投げ込まれる。
本当に子どもが多かったからなぁ。
餅の他に、半紙で包まれたおひねりも降ってきた。
だいたい50円か100円だったが、これはラッキーアイテムだったね。
拾った餅は、つきたてなので、まだ柔らかい。
そのまま食うか、家に持っていってしるこやぜんざいにするのが定番だった。
絶対に建前をする必要もなかったのだが、こういうのも同調圧力みたいなものだったのだろう。
それに、昭和の時代には、まだ「神頼み」が生きてた時代だったので、縁担ぎを重要視してたのも大きい。
どこの家にも仏壇はあったし、神棚もあった。
事あるごとに、お神酒とご飯をあげたりしていたのだ。
無病息災、誰しもそれを望んでいた。
昭和◯◯年◯月◯日
着物を着たオカンが外から帰ってくるなり、カバンを投げつけた。
オカンはお茶とお花をやっていたのだが、仲間内で虐められたらしい。
確か裏千家だったと思うが、年に数回、師匠の師匠が本家からやってきて指導をしてくれる。
その際に、オカンの着物をずいぶんと褒めてもらったそうな。
それには理由がある。
オカンのオカン――祖母は、和裁のプロ。
反物から着物を作って、仕立て直しもなんでもできる。
反物さえ、いいものを用意すれば、市販のものより安くも作れるわけだ。
自分でも大量の着物を持っており、当然着付けの完璧。
その娘のオカンも同様だ。
着物ってのは、季節などで着るものに決まりがあるらしい。
大量に着物を持っているということは、そういうことも自然にできる。
まぁ、裏千家の本家からやってくるような人なら、一目瞭然なわけだ。
多分、それを褒められたのだろう。
一緒に習っていた人たちは、オカンが褒められたのが随分と面白くなかったらしい。
貧乏人のくせにとか、さんざん詰られたっぽい(笑)
お花やお茶を習っているのは、商家やら網元の娘たちで当然金持ち。
よほど悔しかったんやろな~。
師匠の師匠も、そういうことを言ってるんじゃないと思うんだがなぁ~。
ホンマ品位ってのは金で買えないよな。
だが、ちょっと待ってほしい。
京都人が褒めたってことは、なにか別の意味があったのでは?
「いい時計をしてはりますな~」→「いつまでいるつもりだよ、とっとと帰れや!」
みたいな感じで、なにか別の意味だったのでは?
いらぬ心配をしてしまうが、普通に褒められただけらしい(笑)
まぁ、ウチのオカンもめちゃ気が強い人なので、そんな嫌味やら虐めごときで折れるはずもなく。
無事に免許皆伝までいった。
免許をもらうと、人に教えることができるようになる。
つまり師匠になれるわけ。
――といっても、人に教えたことはなかったな。
たまに町で催し物があると、お花の飾り付けをやってお小遣いをもらうぐらい。
プラモデルと一緒で、やっているときは楽しいけど、完成しちゃったら興味がなくなっちゃう感じだろうか(笑)




