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昭和の話  作者: 朝倉一二三


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54/62

その54 集金


 昭和◯◯年◯月◯日


 昭和の時代でも、オラが村でも電気はきていたし、水道も出た。

 ガスもプロパンガスで使える。


 電話がある家も少なかったが、電話も使えた。

 それでは支払いはどうしていたか?


 コンビニもないし、ネットも銀行もATMもない。

 振込用紙が郵送されてくることもない。

 あるのは、田舎の郵便局だけ。


「こんちわ~集金にやってきました~」

 ――とまぁ、こんな感じで、集金人が手書きの伝票やら領収書を持って、一軒一軒周って金を徴収していたのだ。

 めちゃアナログで笑ってしまうが、日本全国がこれで回っており、集金人で生活している人も沢山いた。


 時代が進むにつれ、そういう職業も全部なくなってしまったが、それは仕方ない。

 全部を人海戦術でやっていたが、それを機械や便利な制度を使って代用されるようになってしまう。

 今なら、AIがそうだろう。


 AIの急速な進歩によって、職を失う人が沢山出てくると思う。


 集金人はいつ頃までいただろうか?

 少なくとも、小学6年生までは、オラが村では変化はなかった。


 中学から、札幌に引っ越したが、当時やっとコンビニが広がり始めたところ。

 そのときにも、まだ集金に来てたような気がする……。


 共働きで働いているオカンから「コレ、◯◯代だから、集金が来たら払っておいて」

 ――と、金を渡されたこともあるが、そのうちそういうのもなくなった。


 多分、ここらへんから、郵便局の窓口やらで金が払えるようになったに違いない。

 コンビニなどで、公共料金の支払いができるようになったのは、結構あとじゃないか?


 ググると、1987年に東京電力の支払いをコンビニでできるようになったのが、最初と出てきた。

 1987年は昭和62年である。

 バブル真っ只中。

 やっぱり、バブルで色々と一気に変わった印象がある。


 15年前には電話もチラホラ、裸電球で暮らしている家もあったのに。

 夜の10時になると、電灯線の電圧が下がって照明が暗くなったり、TVの画面が小さくなったりしてたのに(笑)


 TVのブラウン管は、電子ビームを電磁石で偏向している。

 電圧が下がると電磁石が弱くなり、電子ビームの曲がりも少なくなる=画面が小さくなるのだ。


 若い子には、まったく「?」な話である。

 そもそも、今の液晶ディスプレイにゃ、ブラウン管や電子ビームがないからな~。

 電圧が多少下がっても、動作に問題はないと思われる。


 そういえば、ブラウン管もなくなったな~。

 昔はブラウン管しかなかったから、なんでもかんでもブラウン管を突っ込んでたのに。


 ■チンコ台にもブラウン管。

 車の初期ナビにもブラウン管。

 ブラウン管TVを仕込んだラジカセ、ラテカセなるものもあった。


 TVを持ち運んで外で観られるなんてのが夢だったんだが、今じゃそれが普通。

 それどころか、TV放送じたいがメインじゃないし。


 昭和のラスト10年でめちゃ変わったけど、AIができてから10年でどれだけ変わるだろうか。




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― 新着の感想 ―
昭和50年にはインフラは銀行口座引き落としでしたねぇ。 それでも検診は人力でしたが。
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