その42 ■チンコ
昭和◯◯年◯月◯日
母方の爺と両親、一緒にパチ屋に行く。
パチモノのパチじゃなくて、◯チンコのほうね。
忙しく点滅するネオンサインと、チンジャラと鳴るベル。
店内に充満する鉄のにおいと、天井を流れる金属球のけたたましい騒音。
なぜかテーマソングのように流れる軍艦マーチ。
間寛平の、ひらけ! チューリップが流れていた時期もあった。
ネオンサインは、なぜか一部が切れて■チンコになっているところが多かったな。
噂によるとあれは、人目を惹くために、わざとやっていたという話もある。
どんな田舎町でも、ちょっと人が多いと、あるのがパチ屋。
寂れた町に、木造のパチ屋も見たことがあったし。
さすがに、ウチのムラにはなかったが、ちょっと離れた港町にはあった。
やはり、港町には人が集まるからだろう。
人が集まればギャンブルが始まる。
他に娯楽がないので、パチ屋は大盛況だった。
ウチも、親父がコロナのバンを買ってから、出かけることが多くなった感じ。
車じゃなけりゃ、バスで行くしかないが、結構大変だし。
それでも、遊び人の母方の爺は、しょっちゅう行ってたな。
この爺は、マジでロクデナシだったのだが、最後はボケて人に迷惑かけまくって、本当にどうしようもない爺だった。
ボケてても、バスに乗ると、「どこか楽しい場所に行けた」という記憶は残っているのだろう。
徘徊して、バスに乗ってしまう。
当然、金も持ってないし、バス会社で大暴れして、出禁になってしまった。
運転手たちにも知れ渡ってしまっているので、爺がバスに乗りたくても、もう乗せてくれない。
そのうち、ぶっ倒れて寝たきりになってしまった。
そうなっても10年も生きたもんだから、祖母やオカンからは恨み節しか出てこなかったな。
俺も暇なので、そんな親たちについていく。
もしかして、なにか買ってくれるかもしれない。
そんなことをいつも考えていた。
まぁ、パチ屋についてもなにもやることがないので、店内で玉を拾ったり、駐車場で遊んだり。
暇なので出かけてきたのに、出先でも暇なんだよな。
子どもでも遊べる公園などがあればよかったのだが、昭和の時代はそういうものは全部後回しだったし。
たまに親から金をもらってジュースを飲んだりしていた。
昭和の終わりには、パチの玉でジュースが買えるようになったりしていたが、そんな時代はまだ先。
玉の自動販売機もまだなく、まずはカウンターに行く。
担当のお姉さんに金を渡すと、彼女が操作する機械から直接玉をもらっていた。
そんな無駄な時間を過ごし、帰る時間になる。
景品に交換して、余った玉で、チョコをもらう。
まぁ、このためだけについてきていたようなものだし。
親が大勝ちして機嫌が良いときには、オモチャに交換してもらったときもあった。
クローバーのガンダムに替えてもらったこともあったのだが、あのガンダムが、箱付きで残ってたら高く売れただろうな~。
そう思うのだが、パチで交換したものは、通常のオモチャ屋で売っているバージョンと少し違っていた。
祭りなどで出るテキヤにもそういうものが並んでいることがあったのだが、それと同じような感じだろうか。
パチ屋だけに、パチなのか?
本当に箱で残っていれば、マジで貴重だったかもしれない。
最初の頃のパチは、手で弾く手動だったのだが、しばらくして電動になった。
その前は、一発ずつ玉を込めていたらしいのだが、その時代はさすがに知らない。
そのうち、パチ台の中にTVがついた時代もあった。
パチ台の真ん中に、ブラウン管テレビが入ってたんだぜ~マジで(笑)
音は、付属のイヤホンで聞いていた。
まぁ、すぐになくなったけどな。
ギャンブルでパチをやっている連中には、TVはどうでもよかったのだろう。




