その30 侵略者
昭和◯◯年◯月◯日
砂利道の旧道を隣町に行くために自転車で走る。
道は曲がりくねり、鬱蒼とした森の中で、「熊注意!」の看板が立つ。
熊じゃないが、タヌキが茂みから飛び出してきて、猛ダッシュで逃げたこともあった。
マジで熊かと思ったわ。
別ルートの国道のほうが舗装されていて走りやすいのだが、車が多いし、坂が多いんだよね。
その点、川沿いに作られた旧道は、ずっと平坦で走りやすい。
多分、距離も同じぐらい……いや、曲がりくねっているから、その分は長くなるか。
それでも、坂越えの時間と労力を考えると、旧道のほうが走りやすかった。
まぁ危ないんだが。
そんな思いをしてどうして町に向かうのかと言えば――ゲームをするため(笑)
ゲームといってもコインゲームではない。
インベーダーゲームだ。
そう、生徒手帳に載っていた校則にも、「インベーダーゲームは禁止」と書かれていた、あのインベーダーゲームだ。
昭和53年、タイトーからインベーダーが発売された。
それまでも、TVゲームがなかったわけでもない。
テニスゲームのPONや、アタリが作ったブロック崩し(ブレイクアウト)などがちらほら見かけられたが、
大ブームにはならなかった。
任天堂もTVゲーム15などの家庭用ゲーム機を出していたし。
それが、インベーダーによって、一変したわけだな。
メカトロのゲーム機が1回10円とか20円だったのに、TVゲームは1回100円!
「めちゃたけー!」
って当時は思ったのだが、
めちゃ虜になった。
みんな虜になった。
日本中、津津浦浦まで、大ブーム。
そんな大ブームが、オラが村にもやってきたわけだ。
まぁ、村にはやってこなくて、隣町だが。
あまりにブームすぎて、村でも筐体だけ買おうかな……と考えるやつまでいた。
当時の値段で白黒20万、カラーで40万円という話だったと思う。
今の価値で、60万~120万円ぐらいだ。
趣味で突っ込むには、あまりに金額がデカいとおもわれるが――。
そのあとのバーチャファイターブームのときには、アストロシティ筐体を200万で買った! みたいな猛者もいたから、インベーダーゲームを個人で買った人もいたかもしれない。
最初は、ドライブインのゲームコーナーなどに置かれることが多かったと思う。
初期は全部白黒で、そのうち画面にカラーセロハンを貼った疑似カラーが出てきた。
もちろん、カラーのほうがよかったのだろうが、カラー筐体は高い。
白黒筐体は見劣りするので、少しでもカラーっぽく見せるたけの苦肉の策だったに違いない。
まぁ、カラーと白黒と同じ値段だったら、カラーのほうをやるしね~。
俺たちがTVをやりに向かったのは、町で唯一ある喫茶店。
そこにテーブル型の筐体が3機ほど並んでいた。
当時は、喫茶店にゲーム機が多かった。
よくジャンピュータなども置いてあって、役満上がるとコーヒー券サービスとかな。
違法なやつでは、賭けポーカーとか(笑)
喫茶店に並んでいたのは、最初は定番のインベーダー。
任天堂が作ったインベーダーのパチ、スペースフィーバーも置いてあったのだが、スペースフィーバーは、名古屋撃ちができなかった気がする。
そのうちインベーダーは、ルナレスキューやギャラクシアンに変わった。
その頃に、俺は引っ越してしまったので、喫茶店のゲームがどのように変わったのか、そのあとは知らない。
通っていた喫茶店も、そのうち後継者不足で閉店しまった。
町内の店がみんなそんな感じなって、今はどこもガラガラ。
国道沿いのコンビニすら、後継者がいなくて閉店したりした。
店がなくなると、マジで困るんだよなぁ……。
――追記
インベーダーで徐々に音楽や動きが早くなるが、
あれは単に、敵が少なくなる→処理が軽くなる→音楽や動きが早くなる
だけらしい(笑)




