第4話 休日なのに、作戦開始です!
日曜日。
晴天。
そして、休日。
佐倉ひよりは、駅前の商業施設を歩きながら、幸せをかみしめていた。
「ふふふ……今日は誰にも邪魔されませんよ」
右手には、先ほど購入したアニメグッズ。
左手には、期間限定のクレープ。
仕事はない。
相談者もいない。
婚活の悩みも、年収の条件も、親御さんの介入もない。
完璧な休日だった。
「次は限定アクリルスタンドを買って、それからカフェで新作スイーツを……」
そこで、ひよりの足が止まった。
「あれ?」
少し先の通路。
男性が一人、案内板の前で落ち着きなく周囲を見回している。
白いシャツに紺色のジャケット。
手には、小さなメモ帳。
何度も腕時計を確認しては、深呼吸を繰り返していた。
(……あれ、小林さん?)
小林直樹。
二十九歳。
社内システムの管理を担当する、真面目で穏やかな男性相談者だ。
女性との交際経験が少なく、以前の面談では、初デートについて熱心に質問していた。
『女性が寒そうにしていたら、上着を貸した方がいいでしょうか』
『状況によりますね』
『では、念のため予備の上着を持っていきます』
そんな人だった。
(……今日、デートの日でしたっけ?)
直樹が、メモ帳を開く。
何かを確認する。
閉じる。
もう一度開く。
(緊張しすぎです、小林さん……!)
ひよりが見守っていると、一人の女性が近づいてきた。
柔らかなベージュのカーディガン。
肩まで伸びた髪。
落ち着いた雰囲気の、優しそうな女性だった。
「小林さん、お待たせしました」
「あっ、高瀬さん! いえ、僕も今来たところです!」
直樹は勢いよく頭を下げた。
その拍子に、メモ帳を落とした。
「あっ」
「あら」
「す、すみません!」
慌てて拾おうとして、今度は膝を案内板にぶつける。
ゴンッ。
「いっ……!」
「だ、大丈夫ですか?」
「はい! まったく問題ありません!」
明らかに問題があった。
(小林さーーーん!!)
ひよりは思わず駆け寄りかけた。
しかし、踏みとどまる。
(だ、駄目です! 今日は休日! それに、お二人のデートです!)
相談員が突然現れても困るだろう。
ここはそっと見守って、立ち去るべきだ。
そう。
立ち去るべきなのだ。
ひよりは、クレープを一口食べた。
そして。
(……あと少しだけ)
二人の後を追った。
完全に興味本位だった。
◇
十分後。
(こちら、ひより。対象二名、移動を開始しました)
ひよりは雑貨店の棚の陰から、二人を観察していた。
もちろん、誰かと通信しているわけではない。
全部、脳内である。
(現在、対象は雑貨店を探索中。男性側に目立った動きなし……)
直樹は、美月が手に取った小物を見つめている。
「こういうの、お好きなんですか?」
「はい。かわいいですよね」
「かわいいですね」
「ふふっ」
「……」
「……」
(会話が終わったーーー!!)
ひよりは棚の陰で頭を抱えた。
(もう一言! もう一言お願いします、小林さん!)
しかし、直樹は黙ったまま、商品を見つめている。
そして、なぜか商品の値札を確認した。
(違います! 今そこじゃありません!)
ひよりが心の中で叫んだ、そのとき。
直樹が振り返った。
目が合った。
「……あ」
「……あ」
数秒間。
二人は固まった。
(見つかった)
ひよりの脳内に、鋭い警戒音が鳴り響く。
ピコン!
頭上に、巨大な赤い「!」が浮かんだ気がした。
(敵に発見されましたーーー!!)
直樹が、美月に小さく声をかける。
「すみません、ちょっとお手洗いに……」
「あ、はい。ここで待っていますね」
直樹は足早にこちらへ向かってきた。
ひよりは逃げようとした。
しかし、遅かった。
「佐倉さん……ですよね?」
「……奇遇ですね、小林さん」
「何をしているんですか?」
「……お買い物です」
ひよりはアニメグッズの入った袋を掲げた。
直樹は袋を見た。
ひよりを見た。
そして、なぜか両手を合わせた。
「助けてください!」
「ええっ!?」
「僕、もう何を話せばいいのか分からなくて!」
「お、落ち着いてください!」
「昨日、話題を三十個考えたんです! でも、もう二十八個使ってしまいました!」
「使いすぎです!!」
「残っているのが、会社のサーバー更新と、最近交換した自宅のルーターだけなんです!」
(なぜその二つを最後まで残したんですか!?)
直樹の表情は真剣そのものだった。
「高瀬さん、すごく優しい方なんです。だから、絶対に失礼なことをしたくなくて……」
ひよりは口を閉じた。
さっきの光景がよみがえる。
緊張しながらも、何度も相手に話しかけようとしていた姿。
メモ帳まで用意して、一生懸命準備してきたこと。
そして、何より。
「……高瀬さんのこと、気に入っているんですね」
「はい」
即答だった。
「また、お会いしたいです」
直樹は照れくさそうに笑った。
ひよりは小さく息を吐いた。
(……仕方ありませんね)
今日の予定を思い浮かべる。
限定アクリルスタンド。
新作スイーツ。
ゆったりとした休日。
全部、惜しい。
ものすごく惜しい。
しかし。
(勇者ヒンメルなら、そうした……)
「……分かりました」
「本当ですか!?」
「ただし、私ができるのは少しお手伝いすることだけです。お話しするのは、小林さん自身ですよ?」
「はい!」
ひよりは周囲を見渡した。
そして、直樹のスマートフォンを指さした。
「片耳にイヤホンをつけて、通話をつないでください。私が少し離れた場所から助言します」
「なるほど!」
「目立たないようにしてくださいね」
「分かりました!」
直樹は片耳にワイヤレスイヤホンを装着した。
ひよりは通話を確認する。
「聞こえますか?」
『はい、聞こえます!』
「声が大きいです!」
『す、すみません!』
ひよりは一度、深呼吸した。
そして、片手を胸元に上げ、三本の指を立てる。
「……帳、降ろします」
『……はい?』
「いえ、こちらの話です」
ひよりの脳内に、黒い帳が下りた。
周囲の雑音が遠ざかる。
視界に、架空の作戦画面が浮かび上がる。
対象者二名。
目的、初デート成功。
作戦名――。
(オペレーション・ラブ!)
ひよりは柱の陰に身を寄せた。
「こちらHQ(作戦本部)。小林さん、聞こえますか?」
『えっちきゅー……?』
「作戦本部です。私のことはHQと呼んでください」
『わ、分かりました! こちら小林! HQ、聞こえています!』
「……普通に話していただいて大丈夫ですよ?」
『す、すみません!』
(しまった……私まで変なテンションに……)
すでに嫌な予感がしていた。
◇
「お待たせしました、高瀬さん」
「いえ、大丈夫ですよ」
美月は微笑んだ。
ふと、直樹の片耳に視線を向ける。
小さなワイヤレスイヤホン。
けれど、美月は何も言わなかった。
「次、カフェに行きませんか?」
「あっ、はい! ぜひ!」
直樹の返答を聞いて、ひよりは胸をなで下ろした。
(よし。まずは順調です)
カフェに入った二人は、窓際の席に座った。
ひよりは少し離れた席を確保する。
メニューを顔の前に立てた。
(こちら本部。対象の様子を確認中……)
傍から見れば、メニューを真剣に読み込む不審な女性である。
幸い、店員は気にしていない。
「高瀬さん、何になさいますか?」
「私はカフェラテにしようかな」
「では、僕もそれにします」
(同じもの! 無難! しかし会話が広がらない!)
ひよりは小声で指示を出す。
「小林さん、高瀬さんの素敵なところを見つけて、褒めてみましょう」
『ほ、褒める……』
「そうです。自然に、さりげなく」
『分かりました』
直樹は美月に向き直った。
「あの、高瀬さん」
「はい?」
「その……」
沈黙。
ひよりは見守った。
(頑張ってください……!)
直樹が再び口を開く。
「高瀬さんは……」
そこで止まった。
『ほ、本部!』
「はい?」
『何を褒めればいいんでしょうか!』
(ええっ!? そこからですか!?)
直樹の声が震えている。
ひよりも焦った。
頭の中では、なぜか潜入任務の警戒音が鳴り始めていた。
(落ち着いて! まずは相手をよく観察して! いいところを見つけて!)
「小林さん! 敵を褒めてください!」
『……敵?』
ひよりは固まった。
(……あ)
(言い間違えたーーー!!)
『敵を、ですか?』
「違っ……!」
しかし、直樹はすでに顔を上げていた。
「高瀬さん」
「はい?」
「高瀬さんは……僕にとって、強敵です」
ひよりはメニューに顔を埋めた。
(終わったーーーー!!)
美月が目を丸くする。
「……強敵、ですか?」
「はい」
直樹は真剣だった。
「その……すごく素敵な方なので、緊張してしまって」
「……」
「何を話したらいいのか、分からなくなるんです」
少しの沈黙。
そして。
「ふふっ」
美月が笑った。
「私、敵なんですか?」
「えっ!? あっ、違います! そういう意味では!」
「じゃあ、味方にしてください」
「……え?」
「私も、ちょっと緊張しているので」
直樹が目を見開いた。
「高瀬さんも……ですか?」
「はい。小林さんが一生懸命お話ししてくださるので、私も何か楽しいことを話さなきゃって」
「……そうだったんですね」
「だから、そんなに頑張りすぎなくても大丈夫ですよ」
美月は柔らかく微笑んだ。
直樹も、ようやく少し笑った。
その様子を見ていたひよりは、メニューの陰で震えていた。
(敵が……)
(敵が味方になったーーー!?)
訳の分からない指示だった。
完全な失言だった。
なのに、なぜか結果が良かった。
(……恋愛って、分かりません)
ひよりは自分の仕事について、少しだけ考え直した。
◇
それから三十分。
作戦は、思いのほか順調に進んでいた。
美月が好きな映画の話。
直樹の休日の過ごし方。
お互いの仕事のこと。
ひよりが口を挟まなくても、少しずつ会話が続くようになっていた。
(……もう、私がいなくても大丈夫かもしれませんね)
ひよりは小さく微笑んだ。
直樹は緊張していたけれど、相手の話をきちんと聞いている。
分からないことは、分かったふりをせずに尋ねる。
美月が話し終わるまで、言葉を遮らない。
派手な会話術なんてない。
でも、とても丁寧だった。
そして美月も、そんな直樹の態度を好ましく感じているように見えた。
――そのとき。
『HQ! HQ!』
ひよりのイヤホンから、切羽詰まった声が聞こえた。
「は、はい!?」
『緊急事態です!』
「どうしました!?」
『高瀬さんが、次にどこへ行きたいか聞いてくださったんですが!』
「はい!」
『何も考えていませんでした!』
(そこは考えておきましょうよーーー!!)
『どうしましょう! 何か言わないと!』
「お、落ち着いてください!」
『HQ! 指示をお願いします!』
ひよりの脳内で警報が鳴り響く。
ピコン! ピコン! ピコン!
敵に発見された。
作戦継続困難。
緊急離脱。
撤退。
(いったん距離を取って、冷静になって……!)
「小林さん! 撤退してください!」
『……撤退!?』
ひよりは凍りついた。
(また言ったーーー!!)
「違います! そうじゃなくて!」
『撤退……つまり、今日は帰った方がいいということですか?』
「いえ、あの、その……!」
直樹は目の前の美月を見た。
美月は何も急かさず、返事を待っている。
優しい笑顔だった。
直樹は一度、息を吸った。
そして、耳元に手を添えた。
「……すみません」
ひよりは息を止める。
直樹はイヤホンを外し、テーブルの上に置いた。
(……小林さん?)
「あの、高瀬さん」
「はい」
「正直に言うと、僕、今日ずっと緊張していました」
「……はい」
「何を話そうとか、どこへ行こうとか、昨日からずっと考えていて」
直樹は苦笑した。
「でも、考えすぎて、逆に何も分からなくなってしまって」
美月は黙って聞いている。
「……すみません。僕、こういうのに慣れていなくて」
直樹は少しだけ俯いた。
けれど、すぐに顔を上げた。
「でも」
美月をまっすぐ見つめる。
「今日は、すごく楽しかったです」
「……」
「それに……」
直樹は言葉を探した。
今度は誰にも尋ねない。
メモ帳も開かない。
自分の言葉で、続けた。
「僕は、もう少し高瀬さんと一緒にいたいです」
美月は、少し驚いた顔をした。
そして。
「……私もです」
優しく笑った。
「もう少し、一緒にいたいです」
直樹の顔が、ぱっと明るくなる。
「本当ですか!?」
「はい」
「よ、よかった……!」
美月は楽しそうに笑った。
「小林さんって、面白いですね」
「えっ!?」
「なんだか、すごく一生懸命で」
「す、すみません……」
「謝らないでください」
美月は首を振った。
「そういうところ、素敵だと思います」
直樹は何も言えなくなった。
ただ、嬉しそうに笑っていた。
◇
(……)
ひよりは、カフェの隅で固まっていた。
(……成功した?)
いや。
そもそも、撤退命令を出したはずだ。
作戦は失敗したはずだった。
それなのに。
二人は笑い合っている。
(撤退命令で……)
(任務成功!?)
ひよりの脳内に、荘厳な音楽が流れ始めた。
MISSION COMPLETE.
(なんでーーー!?)
ひよりは思わずテーブルに突っ伏した。
そこで、ようやく気づく。
(……あれ?)
作戦本部。
指揮官。
通信担当。
全部、自分である。
(私がHQだったーーー!!)
ひよりは静かに天井を見上げた。
休日とは、何だったのだろう。
◇
夕方。
デートを終えた直樹から、ひよりのスマートフォンにメッセージが届いた。
『佐倉さん、本当にありがとうございました!』
ひよりは駅前のベンチで、それを読んでいた。
『高瀬さんから、またお会いしたいと言っていただけました!』
「……!」
ひよりの顔がほころぶ。
「よかったぁ……」
思わず声が漏れた。
直樹から、続けてメッセージが届く。
『佐倉さんのおかげです!』
ひよりは少し考えて、返信した。
『いえいえ。最後に頑張ったのは小林さんですよ』
『でも、佐倉さんがいなかったら、何もできませんでした!』
『そんなことありません。ちゃんとご自分の言葉で伝えられていたじゃないですか』
少し間が空いた。
そして。
『ありがとうございます、師匠!』
「……ん?」
ひよりは画面を二度見した。
師匠。
ししょう。
シショウ。
「……え?」
『これからも、ご指導よろしくお願いします!』
「えええっ!?」
ひよりは慌てて返信する。
『待ってください! 師匠じゃありませんから!』
『分かりました、師匠!』
『分かってませんよね!?』
『次のデートも頑張ります!』
『それは頑張ってください!』
『はい! 師匠!』
「師匠じゃありませんからーーー!!」
駅前に、ひよりの声が響いた。
通行人が振り返る。
ひよりは慌てて口を押さえた。
「……はぅ」
スマートフォンをしまい、空を見上げる。
すっかり夕方だった。
休日。
お買い物。
期間限定スイーツ。
そして。
「あっ」
ひよりは立ち上がった。
「限定アクリルスタンド!!」
慌ててショップに向かう。
しかし、店頭には無情な張り紙があった。
『本日分、完売いたしました』
「……」
ひよりは静かに膝から崩れ落ちた。
(私の休日……)
(ライフポイント、ゼロ……)
スマートフォンが震えた。
直樹からだった。
『師匠! 次のデートが決まりました!』
ひよりは画面を見つめた。
そして、深く息を吐いた。
「……よかったですね、小林さん」
口元には、小さな笑みが浮かんでいた。
ただし。
「……でも、師匠じゃありませんからね!」
その抗議は、誰にも届かなかった。
こうして、佐倉ひよりの知らないところで。
彼女に、人生初の弟子が誕生したのである。




